古巣ユーベにリーグ初黒星を与えたコンテ監督「自信が高まった」
2025.01.26 11:00 Sun
ナポリのアントニオ・コンテ監督が25日に行われ、2-1で逆転勝利したセリエA第22節ユベントス戦を振り返った。
前節アタランタとの上位対決を制して6連勝とした首位ナポリ。迎えたコンテ監督の古巣ユベントス戦ではハーフタイム間際の43分にFWランダル・コロ・ムアニにゴールを許して追う展開に。
それでも後半に攻勢を仕掛けると、57分にMFアンドレ=フランク・ザンボ・アンギサのヘディングシュートで同点に。そして69分、MFスコット・マクトミネイがボックス内で倒されてPKを獲得。これをFWロメル・ルカクが決めて逆転勝利とした。
ユベントスに今季のリーグ戦初黒星を与え、7連勝として首位を堅守したコンテ監督は現在のチームに自信を深めている。
「無敗で優秀な選手を揃え、1月の移籍市場でも強化を続ける素晴らしいチームを相手にエクセレントなパフォーマンスだった。この勝利は我々に大きな満足感を与えてくれる。ハードワークが報われることを証明できた。昨日、オリベラを負傷で失ったが、ハードワークとメンタルで埋めることができる。絶対的な信頼を寄せられる選手たちが居るのは幸運だ」
前節アタランタとの上位対決を制して6連勝とした首位ナポリ。迎えたコンテ監督の古巣ユベントス戦ではハーフタイム間際の43分にFWランダル・コロ・ムアニにゴールを許して追う展開に。
それでも後半に攻勢を仕掛けると、57分にMFアンドレ=フランク・ザンボ・アンギサのヘディングシュートで同点に。そして69分、MFスコット・マクトミネイがボックス内で倒されてPKを獲得。これをFWロメル・ルカクが決めて逆転勝利とした。
「無敗で優秀な選手を揃え、1月の移籍市場でも強化を続ける素晴らしいチームを相手にエクセレントなパフォーマンスだった。この勝利は我々に大きな満足感を与えてくれる。ハードワークが報われることを証明できた。昨日、オリベラを負傷で失ったが、ハードワークとメンタルで埋めることができる。絶対的な信頼を寄せられる選手たちが居るのは幸運だ」
「アタランタとユベントスに連勝したことで自信が高まった。致命傷になりかねない事態(クワラツヘリアの移籍)だったが、我々は憐れむことなく状況に対応した。選手たちは自分たちがやっていることに絶対の自信を持っている。昨季のナポリとの違いはスタッツを見れば明らかだ。インテルやアタランタ、ユベントスとは大きな差があったはずだ。しかし我々はその状況を逆転させた」
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1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.2</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">1989-90シーズン/ナポリ 〜マラドーナ・ナポリ〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/1989-90napoli.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:アルベルト・ビゴン(52) 獲得タイトル:セリエA 攻撃力9:★★★★★★★★★☆ 守備力8:★★★★★★★★☆☆ タレント7:★★★★★★☆☆☆ 連係8:★★★★★★★★☆☆ 選手層7:★★★★★★★☆☆☆</p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">マラドーナによる栄冠</div> 現在はイタリア屈指の強豪として認知されているナポリだが、初めて歓喜の渦に包まれたのは1980年代後半だった。1984-1985シーズンにバルセロナからやってきたマラドーナによって、チームは数々のタイトルを獲得した。マラドーナが中心のチームは、1986-87シーズンにセリエAとコッパ・イタリアの2冠に輝き、その後も優勝を争いながら、1988-89シーズンにはUEFAカップ(現EL)を獲得。そして、迎えた1989-90シーズンにクラブ史上2度目となるスクデットを手に入れることとなる。 開幕から順調に勝ち点を積み重ねたナポリは、このシーズンにCL2連覇を達成したミランやインテルと優勝争いを繰り広げた。後半戦ではそのミランとインテルとの直接対決に敗れたが、粘りを見せて最後の5試合で5連勝を達成。ミランを追い抜いて見事に優勝を決めた。その後は、問題を抱えたマラドーナの退団とともにチームは長らく低迷期に入ったが、2004年のデ・ラウレンティス会長就任を機に、強豪チームへとのし上がった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">マラドーナのチーム</div> フットボールの世界では、絶大なる個の力を有する選手がそのチームの戦術となることがしばしばある。そして、この頃のナポリは、まさにマラドーナのチームだった。 そのマラドーナを支えるため、フェラーラを中心とした守備陣とデ・ナポリなどの中盤の選手は守備に奔走した。ナポリは、当時のイタリア代表メンバーを中心にマラドーナを支える土台を固めた。 攻撃は前線のトライアングルで形成した。自由を与えられたマラドーナは攻撃の全権を掌握。また、後に柏でプレーするブラジル代表FWカレカとイタリア代表FWカルネバーレの2トップがゴールを重ね、23歳のゾラも存在感を示した。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">FWディエゴ・マラドーナ(29)</span> “ナポリの王様”と評されたマラドーナは、イタリア随一の陽気な街に2度のスクデットをもたらした。数々の魅力的なプレーで観客を魅了し、自身が付けた10番が永久欠番になるほどサポーターから愛された。ただ、かねてからコカイン使用が疑われるなど、イタリアマフィアの巣窟であるナポリで麻薬に染まり、プロ選手としてキャリアが終焉に向かった。 2019.04.04 12:00 Thu4
希少なイタリア人センターフォワード…201cmルッカ、今冬ミラン移籍実現せずも夏に向けて別の強豪2クラブがスタンバイ
ウディネーゼがイタリア代表FWロレンツォ・ルッカ(24)の売却を想定。強豪2クラブが本格的にスタンバイしているようだ。 身長201cmのセンターフォワード、24歳ルッカ。その特性ゆえに10代の頃から注目されてきたが、真にトップクラブの興味を引き出したのはポストワークも安定したここ1年ほどで、今季は公式戦26試合で11得点を記録する。 昨年10月にはイタリア代表デビューも飾り、今冬の移籍市場ではミランが獲得候補に。 ミランはサンティアゴ・ヒメネスを確保できなかった場合に備えたプランBだったとされるが、即座にルッカへ乗り換えられるよう、ウディネーゼの要求する3000万ユーロ(約48.1億円)を用意済みだったとも。ヒメネスの移籍金は3200万ユーロ(約51.2億円)と伝えられる。 ミラン移籍はなくなったとみてよさそうなルッカだが、イタリア『カルチョメルカート』いわく、夏に向けてはナポリとローマが獲得へスタンバイ。両クラブは代理人ジュゼッペ・リソ氏とのやりとりを続け、ウディネーゼも評価額を3000万ユーロで固定しているとされる。 2025.02.13 20:13 Thu5
