ホーム連戦で勝ち点「1」のマンチーニ監督が会長と緊急会談…ファンとも一触即発、識者は現状に「選手とのコミュニケーションがほとんど失われている」と指摘

2024.10.16 15:15 Wed
解任の可能性も高まっているマンチーニ監督
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解任の可能性も高まっているマンチーニ監督
サウジアラビア代表ロベルト・マンチーニ監督の立場はさらに厳しいものとなってしまったようだ。2026年北中米ワールドカップ(W杯)アジア最終予選を戦っているサウジアラビア。日本代表と同じグループCに入っている中、10月にはその日本とバーレーン代表と対戦した。

ホームでの日本戦は、勝利すれば首位に浮上する状況だったが、結果は0-2で敗戦。ホームで初めて日本に負けるという屈辱を味わうと、15日に行われたバーレーン戦では0-0のゴールレスドロー。10月は勝利できずに終わってしまった。
ビッグネームをこぞって集めているサウジ・プロ・リーグの影響もあり、代表選手が日頃プレーできないという難しさもありながら、マンチーニ監督には強い批判の目が向けられていた中、バーレーン戦終了後にはスタンドのファンと一色触発の状態になったことも話題に。動画がXで拡散されると、解任に向けた動きがより強まっている。

サウジアラビア『RT Arabic』によれば、解任の声が高まったことを受け、バーレーン戦後にマンチーニ監督とサウジアラビアサッカー連盟(SAFF)のヤセル・アル・ミセハル会長が緊急会談を行ったとのこと。辞任の可能性について話し合ったというが、その内容は現時点では明かされていないようだ。
また、サウジアラビア『Okaz Sport』では、指導者でもあるヤヒヤ・ジャベル氏が現状について解説。バーレーン戦について「結果は残念だった」と語り、「強さ、プレッシャー、スピード、シュート、サポートが欠如した試合で、両チームが力を入れずにプレーし、徒歩でボールをパスしているのを見た」と、結果だけでなく内容にも乏しい一戦だったと振り返った。

さらに、「代表チームは運営上、技術上の問題に苦しんでいると感じる。監督と選手の間のコミュニケーションがほとんど失われており、監督の近い将来の辞任や解任の可能性も否定できない」とし、チームとして成立していない状況を鑑みて、マンチーニ監督の退任が起こり得ると語った。

40億円とも言われている年俸に対し、結果が伴っていないマンチーニ監督。11月にはオーストラリア代表とインドネシア代表との試合が控えているが、この1カ月で監督交代はあるのか注目が集まる。

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弱体化するサウジアラビア代表…概ねフルメンバーもガルフカップ初戦でW杯最終予選同居のバーレーンに敗れる

サウジアラビア代表が22日、ガルフカップでバーレーン代表に2-3と黒星を喫した。 W杯アジア最終予選C組で日本代表が同居するサウジ&バーレーン。C組はすでに首位日本が本大会切符確保へ接近も、2位オーストラリアから3位インドネシア、4位サウジ、5位バーレーン、6位中国は勝ち点1差でひしめき合う。 団子状態となった要因のひとつは、目に見えたサウジの「衰退」。6試合1勝、最終予選18カ国で最少の3得点…国内リーグで代表選手たちのプレータイムが奪われている事実が、本来であれば見過ごせないレベルまで達している。 サウジは22日、中東各国が集うガルフカップのグループステージ初戦で、最終予選でも同居するバーレーンと激突し、2-3と敗戦。 前半で2点ビハインドとなり、73分に1点を返すもすぐさま突き放され、試合終盤にPKで再び1点差とするも、これ以上の反撃は敵わず、大会黒星発進となってしまった。 今大会のサウジは、ローマ所属のDFサウード・アブドゥルハミドら海外組2人を除き、ほぼベストメンバー。FWサレム・アル・ドサリやMFモハメド・カンノらお馴染みの顔ぶれが並ぶ。 しかし、最終予選前半戦での0-0に続き、またしてもバーレーンに勝てず。起爆剤として11月、エルヴェ・ルナール氏を新監督として再登板させたが、今のところ、効果は出ず…9月以降で中国にしか勝てていないサウジである。 2024.12.23 20:52 Mon
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サウジアラビアとの延長戦を制した韓国が初優勝!《AFC U-23選手権》

AFC U-23選手権2020決勝、U-23サウジアラビア代表vsU-23韓国代表が26日に行われ、0-1で韓国が勝利した。 準決勝でU-23ウズベキスタン代表に勝利したサウジアラビアと、U-23オーストラリア代表に勝利した韓国の決勝。 サウジアラビアがポゼッションする中、カウンターを狙う韓国が徐々に攻め込む回数を増やすと、35分にオ・セフンがミドルシュートでゴールに迫る。さらに42分には決定機。右クロスが流れたところを、ファーサイドでフリーのチョン・ウヨンがシュートに持ち込むも、枠の上に外してしまった。 ゴールレスで迎えた後半、韓国が敵陣でのプレーを増やしていった中、58分にチャンス。イ・ドンジュンがボックス右へカットインして左足でシュート。枠の左を捉えていたが、GKの好守に阻まれた。 その後も韓国が攻勢をかける中、77分にビッグチャンス。しかし、ボックス右に侵入したイ・ドンジュンのシュートはGKに止められてしまった。 結局、90分でゴールが生まれず迎えた延長戦、引き続き韓国が押し込む展開が続くと、同後半9分にゴールをこじ開ける。左サイドからのイ・ドンギョンのFKをチョン・テウクがヘッドで押し込んだ。 これが決勝点となって韓国が勝利。同大会史上初優勝を飾っている。 2020.01.27 00:05 Mon

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