「これぐらい」を「これしかない」に…「愛されるクラブ」を目指す相馬直樹監督は大宮を変えられるか?
2022.05.30 22:06 Mon
30日、大宮アルディージャの相馬直樹監督が記者会見を行った。
大宮は26日、霜田監督を成績不振で解任。相馬監督の就任を発表していた。
昨シーズンは最後まで残留を争う苦しいシーズンとなった中、なんとか残留を掴み取り、今シーズンは昇格を目指したシーズンに。霜田監督がシーズン頭から指揮したものの、開幕9試合勝利なし。最下位に沈んでいた中、原博実氏が4月12日にフットボール本部長に就任した。
その後、連勝を果たすなど復調を見せた一方で、ホームで連敗を喫するなどし、FC琉球戦で勝利した翌日に監督交代が発表されていた。
過密日程の中で監督を引き受けた相馬監督は、すでに初陣を終えており、東京ヴェルディと1-1の引き分けに終わっていた。
「失点のところは徐々に改善されてきていた部分もありましたが、なかなかマイボールの時間が短く、ボールを奪うことができずに攻撃がうまく行っていなかった印象です。琉球にも最後に勝ちましたが、失点してもおかしくないと思っていました」
「そういう部分を含めて、まずチーム全体に対して私が代わって来たことに期待を持ってもらうためにも、アグレッシブな姿勢を見せたい。無闇に取りにいくのではなく、しっかりと奪いに行くこと。カバーがあるからしっかり取りにいきたいということです」
「言うは簡単ですが、ピッチでやるのは難しく、そんなに簡単ではないですが、2回のトレーニングとミーティングでそういう部分に力をさきました」
相馬監督が短い期間で着手したポイントについては、実際に東京V戦でも見えていた部分。チームとしてプレスの掛け方が整理され、無駄に終わるプレスの回数は大きく減っていた。
その東京V戦では、これまでサイドバックやウイングバックで起用されてきた山田将之をセンターバックで起用。また、奥抜侃志を2トップの一角に起用するなどした。
「短い期間だったので、全部の選手を知っているわけでもないですし、中でどういうということは元々いたスタッフに聞きました。コミュニケーションをとって、準備をして、最後は私が決めました。チャンスがなかった選手でもエネルギーを出した選手は使いたいと思います」
その相馬監督が考える大宮というクラブの行く末は、「愛される」クラブにしたいという。
「どのクラブであっても、僕自身が思っていることとしては、Jリーグの理念ということとなりますが、地域に根ざしたという部分があります」
「僕自身は選手の時に最初に鹿島に入ったのが1994年で、どの試合も満員でした。そういう試合を毎試合やらせてもらっていましたが。今の選手たちが満員の中でプレーすることができない。ぜひプレーさせたいというのが引退した時から思っていることです」
「僕たちは享受できましたが、今後もそういう試合を1試合でも作る。熱量が溢れるピッチで、試合が終わったら何が起きていたかわからないようなという状況を作りたいと思っています」
「そのためにはピッチの内容や勝ち負けは大事ですが、やはり地域の人と繋がることが大事。コロナでゲームがなくなって、2011年にも震災でゲームがなくなったということはありますが、人間が生きていく上でなくてはならないものではない。でも必要だと思ってもらえる存在にならなくてはいけない」
「どのクラブでも、そのことの一端を担えることができればと思いますし、現場の長としてそれができるように、勝つことも大事ですが、地域の方々に愛されるようなクラブになりたい」
「大宮は浦和というクラブがって、今はJ1で戦えないですが、その中でも誇りを持って我々を応援してもらえるように、その一端になれればという思いが強いです」
2シーズン続けてのシーズン途中に監督に就任した相馬監督だが「簡単ではないと思っています」とコメント。特に、何も知らないクラブに来て、いきなり試合をしたという難しさはあるとした。
「今、選手たちが一緒に変わっていこうというエネルギーを持って、僕が示した方向に進めていく。短い時間でこの方向に行けば良いという自信に変えていければと思います」
「前回は同じクラブ内だったので、スタッフも知っていて、選手も知っていますが、今回は正直、名前を覚えるのも大変ですが、すごく僕の方を向いてスタッフもやってくれています」
「ものすごく感謝していますし、一緒に変えようと思ってくれている。エネルギーの腰が折れることのないように、しっかりとやっていければと思います」
その相馬監督が感じたクラブの可能性については「会社もみんな一緒という状況ですが、洗濯している方、グラウンドキーパーの方々も含めてになりますが、ワンチームというか、この短い期間で一緒にやっていきましょうという雰囲気を投げかけてもらっています」とコメント。ただ、「温かさが甘さに変わることもあるのかもしれません」と、甘えに繋がる可能性も指摘した。
それでも「一緒になっていって戦えるグループだと思っています」とし、「サポーターの方も含めてですが、大宮アルディージャに関わる人に笑顔を届けられるように。同じ方向で進めればと思います」と、みんなで同じ方向を向いていきたいとした。
その中で、霜田前監督は勝っても負けてもサポーターの前に行っていた。その点は「僕自身は今までもやってきていないので、サポーターの所に行くことはないと思います」とコメント。ただ、愛されるクラブになるための策としては、「コロナ禍で難しいですが、可能な限り練習を公開にしたいと思います」と、トレーニングを公開にする数を増やしたいとした。
また、「地域のクラブハウスであるべきで、ここが集う場でなければいけないと思います。可能な限り、クローズではなくと思っています。コロナのなかで、全て一度にはいかないとは思いますが、フロントの方とも話しています」とコメント。チームをしっかりと見てもらうことが大事だと見解を述べた。
さらに、試合を観に来た人についても言及。「シーズンの中で厳しいゲームは必ずあると思いますが、プロである以上、ある1試合に来たお客さんに何かを残したいと思っています」と語り、「それが勝ちということだけではなく、初めて友達にチケットあるからと誘われたサッカーを知らない人が観に来て、もう2度と観に来ないと思われたくないし、そのゲームが負けたとしても、なんか次また行きたい。この人たち応援したい。また次も応援したいと思ってもらいたいと思っています」とコメント。「どういうことで思ってもらえるかは色々な人がいて、価値観が違いますが、持っているものを出し切るゲームをして、その中で来てくれた人の気持ちを動かせるようにしたいと思います。そういうことでサッカーの価値、大宮の価値を上げられればと思います」と、ピッチ上でしっかりと戦う姿勢を見せて、胸に残るものを与えたいとした。
そんな中では、大宮は大きな変化をしなければいけない状況。相馬監督が求める変化としては、「まず求めるところの基準を、今までであれば許されていたものを、ここまであげたいと思うし、それができる選手だと思いますし、応えようと努力してくれる選手たちだと思っています」とコメント。「チームの仲間がここまでやらないのはどういうこと?と言えるようになることが大事。そうなれば、結果も出てくると思う。これぐらいでいいだろうではなく、これしかないというものを出せるように、日々やっていけるようにと思います」と、チーム内での基準を上げ、それをしっかりと追求していくことをしたいとした。
その相馬監督だが、不思議な縁もある。「初めて日の丸をつけた日本のスタジアムは大宮サッカー場。オリンピック代表でチャイニーズ・タイペイだったと思います」とコメント。Jリーグ創設前の1991年6月29日にオリンピック予選でチャイニーズ・タイペイと対戦。早稲田大学時代の相馬監督は先発でピッチに立っていた。
さらに「選手権で負けたのもあそこで、武南にやられたんです。上野良治に」とコメント。1990年に行われた第68回全国高等学校サッカー選手権大会の3回戦で清水東高校は1-0で敗れていた。
大宮とも過去に縁があった相馬監督。この先の戦いについては、プレーオフを目指すということで変わりはない。
その中で選手たちには「今と同じことをやっていたら無理」と語り、「これぐらいだったものをこれしかないにしていければと思うと話しました」とコメント。「この前は(勝ち点)1しか取れなかったけど、良い戦いを見せてくれたけど、これを「1」ではなく「3」にしていかないと(1試合)「2」に近づかない」と語り、以下に勝ち点3を積み上げていくかが大事だと語り、目の前の試合に1つずつ向き合うとした。
大宮は26日、霜田監督を成績不振で解任。相馬監督の就任を発表していた。
その後、連勝を果たすなど復調を見せた一方で、ホームで連敗を喫するなどし、FC琉球戦で勝利した翌日に監督交代が発表されていた。
過密日程の中で監督を引き受けた相馬監督は、すでに初陣を終えており、東京ヴェルディと1-1の引き分けに終わっていた。
実際に試合に向けて短い中で取り組んだことについては「守備のところ、失点も実際に多かったです。この前のゲームで31、そこまで30だったと思います」とまずは失点の多さに着手したとした。
「失点のところは徐々に改善されてきていた部分もありましたが、なかなかマイボールの時間が短く、ボールを奪うことができずに攻撃がうまく行っていなかった印象です。琉球にも最後に勝ちましたが、失点してもおかしくないと思っていました」
「そういう部分を含めて、まずチーム全体に対して私が代わって来たことに期待を持ってもらうためにも、アグレッシブな姿勢を見せたい。無闇に取りにいくのではなく、しっかりと奪いに行くこと。カバーがあるからしっかり取りにいきたいということです」
「言うは簡単ですが、ピッチでやるのは難しく、そんなに簡単ではないですが、2回のトレーニングとミーティングでそういう部分に力をさきました」
相馬監督が短い期間で着手したポイントについては、実際に東京V戦でも見えていた部分。チームとしてプレスの掛け方が整理され、無駄に終わるプレスの回数は大きく減っていた。
その東京V戦では、これまでサイドバックやウイングバックで起用されてきた山田将之をセンターバックで起用。また、奥抜侃志を2トップの一角に起用するなどした。
「短い期間だったので、全部の選手を知っているわけでもないですし、中でどういうということは元々いたスタッフに聞きました。コミュニケーションをとって、準備をして、最後は私が決めました。チャンスがなかった選手でもエネルギーを出した選手は使いたいと思います」
その相馬監督が考える大宮というクラブの行く末は、「愛される」クラブにしたいという。
「どのクラブであっても、僕自身が思っていることとしては、Jリーグの理念ということとなりますが、地域に根ざしたという部分があります」
「僕自身は選手の時に最初に鹿島に入ったのが1994年で、どの試合も満員でした。そういう試合を毎試合やらせてもらっていましたが。今の選手たちが満員の中でプレーすることができない。ぜひプレーさせたいというのが引退した時から思っていることです」
「僕たちは享受できましたが、今後もそういう試合を1試合でも作る。熱量が溢れるピッチで、試合が終わったら何が起きていたかわからないようなという状況を作りたいと思っています」
「そのためにはピッチの内容や勝ち負けは大事ですが、やはり地域の人と繋がることが大事。コロナでゲームがなくなって、2011年にも震災でゲームがなくなったということはありますが、人間が生きていく上でなくてはならないものではない。でも必要だと思ってもらえる存在にならなくてはいけない」
「どのクラブでも、そのことの一端を担えることができればと思いますし、現場の長としてそれができるように、勝つことも大事ですが、地域の方々に愛されるようなクラブになりたい」
「大宮は浦和というクラブがって、今はJ1で戦えないですが、その中でも誇りを持って我々を応援してもらえるように、その一端になれればという思いが強いです」
2シーズン続けてのシーズン途中に監督に就任した相馬監督だが「簡単ではないと思っています」とコメント。特に、何も知らないクラブに来て、いきなり試合をしたという難しさはあるとした。
「今、選手たちが一緒に変わっていこうというエネルギーを持って、僕が示した方向に進めていく。短い時間でこの方向に行けば良いという自信に変えていければと思います」
「前回は同じクラブ内だったので、スタッフも知っていて、選手も知っていますが、今回は正直、名前を覚えるのも大変ですが、すごく僕の方を向いてスタッフもやってくれています」
「ものすごく感謝していますし、一緒に変えようと思ってくれている。エネルギーの腰が折れることのないように、しっかりとやっていければと思います」
その相馬監督が感じたクラブの可能性については「会社もみんな一緒という状況ですが、洗濯している方、グラウンドキーパーの方々も含めてになりますが、ワンチームというか、この短い期間で一緒にやっていきましょうという雰囲気を投げかけてもらっています」とコメント。ただ、「温かさが甘さに変わることもあるのかもしれません」と、甘えに繋がる可能性も指摘した。
それでも「一緒になっていって戦えるグループだと思っています」とし、「サポーターの方も含めてですが、大宮アルディージャに関わる人に笑顔を届けられるように。同じ方向で進めればと思います」と、みんなで同じ方向を向いていきたいとした。
その中で、霜田前監督は勝っても負けてもサポーターの前に行っていた。その点は「僕自身は今までもやってきていないので、サポーターの所に行くことはないと思います」とコメント。ただ、愛されるクラブになるための策としては、「コロナ禍で難しいですが、可能な限り練習を公開にしたいと思います」と、トレーニングを公開にする数を増やしたいとした。
また、「地域のクラブハウスであるべきで、ここが集う場でなければいけないと思います。可能な限り、クローズではなくと思っています。コロナのなかで、全て一度にはいかないとは思いますが、フロントの方とも話しています」とコメント。チームをしっかりと見てもらうことが大事だと見解を述べた。
さらに、試合を観に来た人についても言及。「シーズンの中で厳しいゲームは必ずあると思いますが、プロである以上、ある1試合に来たお客さんに何かを残したいと思っています」と語り、「それが勝ちということだけではなく、初めて友達にチケットあるからと誘われたサッカーを知らない人が観に来て、もう2度と観に来ないと思われたくないし、そのゲームが負けたとしても、なんか次また行きたい。この人たち応援したい。また次も応援したいと思ってもらいたいと思っています」とコメント。「どういうことで思ってもらえるかは色々な人がいて、価値観が違いますが、持っているものを出し切るゲームをして、その中で来てくれた人の気持ちを動かせるようにしたいと思います。そういうことでサッカーの価値、大宮の価値を上げられればと思います」と、ピッチ上でしっかりと戦う姿勢を見せて、胸に残るものを与えたいとした。
そんな中では、大宮は大きな変化をしなければいけない状況。相馬監督が求める変化としては、「まず求めるところの基準を、今までであれば許されていたものを、ここまであげたいと思うし、それができる選手だと思いますし、応えようと努力してくれる選手たちだと思っています」とコメント。「チームの仲間がここまでやらないのはどういうこと?と言えるようになることが大事。そうなれば、結果も出てくると思う。これぐらいでいいだろうではなく、これしかないというものを出せるように、日々やっていけるようにと思います」と、チーム内での基準を上げ、それをしっかりと追求していくことをしたいとした。
その相馬監督だが、不思議な縁もある。「初めて日の丸をつけた日本のスタジアムは大宮サッカー場。オリンピック代表でチャイニーズ・タイペイだったと思います」とコメント。Jリーグ創設前の1991年6月29日にオリンピック予選でチャイニーズ・タイペイと対戦。早稲田大学時代の相馬監督は先発でピッチに立っていた。
さらに「選手権で負けたのもあそこで、武南にやられたんです。上野良治に」とコメント。1990年に行われた第68回全国高等学校サッカー選手権大会の3回戦で清水東高校は1-0で敗れていた。
大宮とも過去に縁があった相馬監督。この先の戦いについては、プレーオフを目指すということで変わりはない。
その中で選手たちには「今と同じことをやっていたら無理」と語り、「これぐらいだったものをこれしかないにしていければと思うと話しました」とコメント。「この前は(勝ち点)1しか取れなかったけど、良い戦いを見せてくれたけど、これを「1」ではなく「3」にしていかないと(1試合)「2」に近づかない」と語り、以下に勝ち点3を積み上げていくかが大事だと語り、目の前の試合に1つずつ向き合うとした。
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