アジアサッカー連盟は2年に1度のW杯開催案を歓迎「積極的に関与していきたい」
2021.09.14 17:45 Tue
アジアサッカー連盟(AFC)は14日、ワールドカップ(W杯)の2年に1度の開催案を歓迎することを改めて発表した。
このプランは、今年5月にサウジアラビアが初めて提案した構想。国際サッカー連盟(FIFA)もこれに賛同し、元選手であるマイケル・オーウェンやヤヤ・トゥーレなどを起用して支持を表明し、ジャンニ・インファンティーノ会長は実現可能性を探っている段階だ。
一方で、欧州サッカー連盟(UEFA)のアレクサンデル・チェフェリン会長は猛反対。また、南米サッカー連盟(CONMEBOL)も反対の姿勢を示していた。
賛否両論分かれているこの件について、AFCは改めて賛同することを発表。「新たな国際試合のカレンダーを最適化するための選択肢を検討する上で、FIFAが主導してスタートさせた協議プロセスを歓迎します」としており、2年ごとの開催の実現可能性を検討するようだ。
AFCはこの案については「ビジョンとミッションの中で、アジアのチームと選手が世界の大舞台で輝き続けることを目指し、ワールドクラスの大会を開催するとともに、加盟協会の発展を促進するためのオーダーメイドのプログラムを提供するという明確な目標を掲げています」としている。
最後には「全てのステークホルダーとの連携を重視しており、多様なニーズを反映し、世界中の全ての地域にとって潜在的な利益を引き出すような、インターナショナル・マッチ・カレンダーの未来を形成するために、積極的に関与していきたいと考えています」とし、2年に1度の開催に限らず、カレンダーの変更に取り組みたいとした。
このプランは、今年5月にサウジアラビアが初めて提案した構想。国際サッカー連盟(FIFA)もこれに賛同し、元選手であるマイケル・オーウェンやヤヤ・トゥーレなどを起用して支持を表明し、ジャンニ・インファンティーノ会長は実現可能性を探っている段階だ。
一方で、欧州サッカー連盟(UEFA)のアレクサンデル・チェフェリン会長は猛反対。また、南米サッカー連盟(CONMEBOL)も反対の姿勢を示していた。
AFCはこの案については「ビジョンとミッションの中で、アジアのチームと選手が世界の大舞台で輝き続けることを目指し、ワールドクラスの大会を開催するとともに、加盟協会の発展を促進するためのオーダーメイドのプログラムを提供するという明確な目標を掲げています」としている。
また「同時に、AFCは、サッカーがアジアで最も人気のあるスポーツであり続けることを目指して、世界最大のスタジアムであるアジアの熱狂的なファンとの連携を強化することに引き続き取り組んでいます」としている。
最後には「全てのステークホルダーとの連携を重視しており、多様なニーズを反映し、世界中の全ての地域にとって潜在的な利益を引き出すような、インターナショナル・マッチ・カレンダーの未来を形成するために、積極的に関与していきたいと考えています」とし、2年に1度の開催に限らず、カレンダーの変更に取り組みたいとした。
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相手が恐れる右手…ストライカーの完成形と呼ばれた男、アラン・シアラー
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「選手のほとんどはマドリーに行きたい」リバプールOBがアレクサンダー=アーノルドの移籍に言及、ファンのブーイングには「私には無理」
リバプールのOBでもあるジェイミー・キャラガー氏が、今シーズン限りで退団するイングランド代表DFトレント・アレクサンダー=アーノルドへのファンのブーイングに言及した。イギリス『スカイ・スポーツ』が伝えた。 11日、プレミアリーグ第36節でリバプールはホームにアーセナルを迎えた。 すでに優勝を決めた首位のリバプールが2位のアーセナルを迎えた戦いに。試合は20分にコーディ・ガクポ、21分にルイス・ディアスと連続ゴールを決めてアーセナルに力の差を見せつけた。 スタンドも2位相手の連続ゴールに大きく盛り上がりを見せたが、アーセナルは後半に反撃。47分にガブリエウ・マルティネッリのゴールが決まり1点差とされると、70分にはミケル・メリーノにゴールを奪われ同点に。その後数的有利となるも最後までゴールを奪えず、2-2のドローに終わった。 この試合は右サイドバックとしてコナー・ブラッドリーが先発出場。67分にアレクサンダー=アーノルドと交代となったが、ピッチに入った途端にスタンドからは拍手と大きなブーイングが入り混じった声援が飛んだ。 『スカイ・スポーツ』の「Super Sunday」に出演したキャラガー氏は、この事態について言及。チームのために戦っている選手へのブーイングはできないとした。 「これがこの試合のストーリーだ。試合後にはこれが話題になるだろうし、各新聞の裏面にも載るだろう」 「その多さに驚いた。私としては、赤いシャツを着てトロフィーを獲得する選手がブーイングを受けるべきではないと思う」 「自分のチームの選手がプレーしているときにブーイングをするのは、私には無理だ」 「(ブーイングは)行き過ぎだった。あれが彼の最後の出番になる可能性もあったが、リバプールにサーカスは必要ないので、それが正しいことだったのかもしれない」 また、リバプールについても手痛い指摘をした。 「どのサッカークラブのファンでも、今のリバプールのファンでも、おそらく聞きたくない話だろうが、リバプールのロッカールームにいる選手のほとんどは、レアル・マドリーでプレーしたいと思っている」 「私もロッカールームにいたことがあるが、選手たちは我々のもとを去ってバルセロナやレアル・マドリーに行ってしまった。ファンにとっては非常に辛いことだが、彼らはいつも『この選手は我々のことを愛している』と思っているため、どこか他のところに行ってしまうという罠に陥っているような気がする」 「選手たちはファンのようには考えていない。ロッカールームの選手たちは『レアル・マドリーでプレーしたい』と思っている。彼らはぜひともそうしたいと思っているのだ」 アレクサンダー=アーノルドもレアル・マドリーへの移籍が濃厚ともみられている。過去には、マイケル・オーウェンやシャビ・アロンソなどが移籍しており、歴史ある世界最高峰のクラブでもあるマドリーへの移籍は望まれているものだとの見解を示した。 2025.05.12 21:20 Mon3
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