ヤヤ・トゥーレ
Yaya TOUREポジション | MF |
国籍 | コートジボワール |
生年月日 | 1983年05月13日(41歳) |
利き足 | 右 |
身長 | 191cm |
体重 | 90kg |
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大型ボランチの代名詞 アフリカ最強MF、ヤヤ・トゥーレ【ピックアップ・プレイヤー】
サッカーでは、GK、DF、MF、FWとそれぞれ役割の全く異なるポジションで、それぞれにスター選手がいる。今回の企画『Pick Up Player』では、現役を問わず各クラブを代表する選手たちをプレー動画付きで紹介していく。 今回は元コートジボワール代表MFヤヤ・トゥーレ(37)だ。 <div id="cws_ad">◆アフリカ最強MFヤヤ・トゥーレのシティでの好プレー集<br /><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJFQTFmVlF6ZCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> アーセナルなどで活躍した兄のコロ・トゥーレとともに、コートジボワールのASECミモザでキャリアをスタートさせたヤヤ・トゥーレ。2000年に17歳でトップチームデビューを果たすと、2001年にベルギーのベベレンへと移籍し、欧州でのキャリアをスタートさせた。 ベベレン時代には兄のコロが在籍していたアーセナル加入が近づいたこともあったが、労働許可証の問題から移籍は実現せず、ウクライナのメタルルフ・ドネツクへと移籍した。 その後、ギリシャのオリンピアコスとフランスのモナコを経て、2007年にバルセロナへと移籍すると、主に中盤の底で起用。191cmの長身と長い手足に加え、バルセロナの選手らしい高い足元の技術を持ち、チャンスをみると自ら持ち上がることもできるヤヤ・トゥーレは、ジョゼップ・グアルディオラ監督との確執もありながらも、2008-2009シーズンの3冠獲得にも貢献した。 2010年夏に兄のコロが在籍するマンチェスター・シティへと移籍。背番号「42」を着用すると、ロベルト・マンチーニ監督のもとトップ下でも起用されるようになり、得点能力が開花した。公式戦二桁得点を記録し、チームも史上初のチャンピオンズリーグ(CL)出場権を獲得した。 それからはシティの攻撃の中心に君臨。ゴール前への飛び出しやミドルシュートなど流れの中からのゴールに加え、直接FKやPKなどのセットプレーからもゴールを重ねた。中でも、2013-14シーズンは公式戦49試合に出場して24ゴール12アシストを記録。プレミアリーグでもリーグ3位の20ゴールを奪い、MFとして異例の数字を残した。 2016-17シーズンにグアルディオラ監督がシティの監督に就任すると、一度は出場機会を失うものの、和解後は再びチームの中心となり、2018年夏に退団するまで公式戦316試合79ゴール50アシストを記録している。 その後は古巣のオリンピアコスと中国の青島黄海でプレーしたが、2019年末に青島黄海を退団して以降、今は無所属となっている。 2020.08.31 06:00 Mon2
ヤヤ・トゥーレ、スターリングの成長引き合いに「ペップは最高の監督だ」
元コートジボワール代表MFヤヤ・トゥーレが、マンチェスター・シティで成長著しいイングランド代表FWラヒーム・スターリング(24)を引き合いに、古巣のジョゼップ・グアルディオラ監督を称賛した。イギリス『デイリー・ミラー』が伝えている。 スターリングは若くしてその才能が認められ、2015年夏にリバプールからシティに加入した。加入初年度は公式戦46試合11ゴールだったが、翌シーズンにグアルディオラ監督が就任すると、劇的に成長。昨シーズンは公式戦46試合で23ゴール17アシストを記録し、プレミアリーグとEFLカップの優勝に貢献した。今シーズンもここまで公式戦41試合19ゴール16アシストとハイパフォーマンスを継続している。 そんな中、2010年7月から昨シーズンまでシティでプレーし、2シーズンに渡ってグアルディオラ監督の下でプレーしたヤヤ・トゥーレが、同監督を称賛。当時は代理人絡みで不仲も囁かれていたが、当人はペップの手腕を高く評価しているようだ。 「彼は最高の監督だ。ペップは才能を発揮させ、選手の最大限を引き出すことができるタイプの人間だ」 「ペジェグリーニが指揮していた時に、私の弟でもあるラヒーム(・スターリング)が加入してきた。そしてペップが来て、彼は別次元の選手となり、完成された」 「ペップはラヒームに必要だった自信を与えたんだ。彼がリバプールでプレーしていた時は、背が低くてとても速く、俊敏だったため、私は(ラヒームとの対戦を)常に恐れていた。そこに(ルイス・)スアレス、(フィリペ・)コウチーニョもいたかな? 対応できなかったよ」 「ただ、彼が初めてシティに来た時、それが正しい選択だったかどうか尋ねなくてはいけなかった。彼はかなり苦労していたからね」 「彼は多くに批判を受けた。それはとても困難なものだっただろう。でも、彼は努力し続け、今や年間最優秀選手に値するプレーヤーになった」 「ペップが来てから、彼とアグエロは良くなったね。すでに良い選手だったけど、デ・ブライネやウォーカーもさらに成長した。そのような選手たちにとって、ペップは本当に素晴らしい存在なんだ」 2019.04.02 15:30 Tue3
ヤヤ・トゥーレが恩師マンチーニと再会! サウジ代表のアシスタントコーチに
サウジアラビアサッカー連盟は3日、ヤヤ・トゥーレ氏(40)が同国代表のアシスタントコーチに就任する旨を発表した。 現役時代のいち時期をバルセロナで過ごし、マンチェスター・シティでの活躍が印象深いヤヤ・トゥーレ氏。2020年1月に中国の青島黄海を退団し、現役を退いた。 それからは指導者の道を進み、ウクライナのオリンピク・ドネツクやロシアのアフマト・グロズヌイでアシスタントコーチを歴任。昨季はトッテナムの下部組織を指導した。 この夏からスタンダール・リエージュのトップチームでアシスタントコーチに就任したが、半年も経たずに退任。そして、恩師のもとでスタッフとして従事する運びとなった。 サウジアラビアは今年9月にロベルト・マンチーニ監督を招へい。ヤヤ・トゥーレ氏とはシティ時代に共闘した間柄で、監督自らの要望でこのたびの再会が実現したという。 ヤヤ・トゥーレ氏は自身のXで心境を綴っている。 「スタンダール・リエージュから離れるのは難しかったが、ロベルトからこの重要なプロジェクトのためにサウジアラビアで一緒にやらないかと誘われたとき、自分にとって正しい選択だと思った。私はロベルトを常に尊敬してきた。彼とともに働き、学ぶのは最適だ」 「サウジアラビアでフットボールに携わることで、私のキャリアで初めてムスリムの国で働く機会を手にできた。それはずっとやりたかったことなんだ。サウジアラビアのフットボールにとってエキサイティングな時期にフィールドに出て、コーチを始めるのが楽しみだ!」 2023.11.04 17:15 Sat4
シティ在籍10年のD・シルバ、思い浮かぶ最高のチームメイトとは?
元スペイン代表MFダビド・シルバがマンチェスター・シティでの最高のチームメイトを挙げた。イギリス『マンチェスター・イブニング・ニュース』が報じている。 2010年にバレンシアから加入のD・シルバ。それ以降、唯一無比のプレーメーカーとして公式戦通算424試合74ゴール137アシストの数字を誇り、獲得したチームタイトル数も10個以上にのぼる。 <div style="margin:0 auto; min-width:300px; " id="cws_ad"><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJ6YUVQbVlCbSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div> そんなD・シルバはクラブ公式サイトの質疑応答コーナーに登場。シティ在籍10シーズンの間で共闘した現在と過去のチームメイトから最高の4名をピックアップした。 「この10年間でとても優れた選手たちとプレーしてきたから1人を挙げるのは難しい」と前置きしたD・シルバだが、次のように答えている。 「クン(セルヒオ・アグエロ)は多くのゴールを挙げ、重要な場面でも決めてくれた。それに、ヤヤ・トゥーレはピークだった頃、チームの屋台骨を担ってくれたね」 「あとヴィニー(ヴァンサン・コンパニ)だ。DFリーダーであるとともにチーム全体に気を配っていた。ジョー・ハートもね」 また、シティとの契約満了に伴い、今シーズン限りでの退団意向を示しているD・シルバは入団当初を振り返り、海外初挑戦だった自身をサポートしてくれた歴代の仲間たちに感謝を述べている。 「ここに来たとき、ジョー(・ハート)、ガレス・バリー、ジェームズ・ミルナー、アダム・ジョンソンがいた。彼らは素晴らしい選手で、僕を助けてくれたんだ。とても助かったよ」 「外国に出たとき、そのような人がいると物事が楽になる。彼らにとても感謝している」 2020.04.21 18:00 Tue5
かつての盟友がドログバ氏の会長就任を支持「フットボールを変える時が来た」
元コートジボワール代表MFヤヤ・トゥーレが、ディディエ・ドログバ氏の会長就任を支持すると明かした。イギリス『BBC』が報じた。 現役時代はル・マンやマルセイユ、チェルシー、上海申花、ガラタサライ、モントリオール・インパクトなどでプレーし、2018年12月に引退したドログバ氏。引退後は、古巣チェルシーのアンバサダーを務めるなど、指導者とは別の形でサッカー界に関わっていた。 <div style="margin:0 auto; min-width:300px; " id="cws_ad"><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJZZ3JjbDJLTyIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div> そんなドログバ氏は、コートジボワールサッカー協会の会長選に立候補すると2月に報道。しかし、新型コロナウイルス(COVID-19)の感染が拡大したことで、現在は選挙が行われていない。 対立候補となるのは、現在会長を務めるソリー・ディアバテ氏と、副会長のイドリス・ディアロ氏となるようだが、コートジボワール代表で共に戦って来たヤヤ・トゥーレはドログバを支持すると明かした。 「フットボールを変える時が来た。現代に合わせる必要がある」 「私がドログバを支持すると言う時、アフリカにおいて、彼のような自分に投資ができる元選手は、国の利益のためでもある」 ドログバ氏は、コートジボワール代表としても105試合で65ゴールを記録。キャプテンも務め、同国の最多得点記録保持者でもあるレジェンドだ。 ヤヤ・トゥーレは不仲説も一時流れたことはあったが、そんなことはないと否定した。 「ディディエは兄のような存在であり、キャプテンだった。みんなは、僕たちについて色々な話をいたけど、いつも冷静で賢明だった。僕たちはお互いをよく知っている」 「マスコミ、ファンには、彼を批判しようとする人が多すぎた」 なお、投票は現役選手が可能に。4度年間最優秀選手にも輝いたドログバ氏は会長になることができるだろうか。 2020.05.08 09:50 Friヤヤ・トゥーレの移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
2020年1月1日 | 青島海牛 | 引退 | - |
2019年7月3日 | 無所属 | 青島海牛 | 完全移籍 |
2018年12月11日 | オリンピアコス | 無所属 | - |
2018年9月2日 | マンチェスター・C | オリンピアコス | 完全移籍 |
2010年7月2日 | バルセロナ | マンチェスター・C | 完全移籍 |
2007年7月1日 | モナコ | バルセロナ | 完全移籍 |
2006年8月15日 | オリンピアコス | モナコ | 完全移籍 |
2005年7月1日 | Metalurg D. | オリンピアコス | 完全移籍 |
2004年1月1日 | KSK Beveren | Metalurg D. | 完全移籍 |
2001年7月1日 | ミモザ | KSK Beveren | 完全移籍 |
2000年7月1日 | ASEC Mimosas B | ミモザ | 完全移籍 |
1998年7月1日 | ASEC Mimosas B | 完全移籍 |
ヤヤ・トゥーレの監督履歴
就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
2023年11月3日 | サウジアラビア | コーチ |
2023年7月1日 | 2023年11月2日 | スタンダール・リエージュ | コーチ |
2022年8月1日 | 2023年6月30日 | トッテナムユース | 監督 |
2021年6月14日 | 2021年12月13日 | アフマト・グロズヌイ | コーチ |
2021年2月10日 | 2021年5月24日 | オリンピク | コーチ |
ヤヤ・トゥーレの今季成績
勝
|
分
|
負
|
北中米W杯アジア最終予選 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
アジアカップ2023 決勝トーナメント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
アジアカップ2023 グループF | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
合計 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
ヤヤ・トゥーレの出場試合
北中米W杯アジア最終予選 |
第1節 | 2024-09-05 | vs | インドネシア代表 | ベンチ外 | ||
H 1 - 1 |
第2節 | 2024-09-10 | vs | 中国代表 | ベンチ外 | ||
A 1 - 2 |
第3節 | 2024-10-10 | vs | 日本代表 | ベンチ外 | ||
H 0 - 2 |
第4節 | 2024-10-15 | vs | バーレーン代表 | ベンチ外 | ||
H 0 - 0 |
第5節 | 2024-11-14 | vs | オーストラリア代表 | ベンチ外 | ||
A 0 - 0 |
第6節 | 2024-11-19 | vs | インドネシア代表 | ベンチ外 | ||
A 2 - 0 |
アジアカップ2023 決勝トーナメント |
ラウンド16 | 2024-01-30 | vs | 韓国 | ベンチ外 | ||
H 1 - 1 |
アジアカップ2023 グループF |
第1節 | 2024-01-16 | vs | オマーン | ベンチ外 | ||
H 2 - 1 |
第2節 | 2024-01-21 | vs | キルギス | ベンチ外 | ||
A 0 - 2 |
第3節 | 2024-01-25 | vs | タイ | ベンチ外 | ||
H 0 - 0 |