同僚に暴言を吐いたブッフォンに罰金処分…
2021.02.19 07:30 Fri
レガ・セリエAは18日、ユベントスの元イタリア代表GKジャンルイジ・ブッフォンに対し、罰金処分を科したことを発表した。
ブッフォンは、昨年12月19日にアウェイで行われたセリエA第13節のパルマ戦(4-0で勝利)で、チームメイトのMFマノーロ・ポルタノーバに対し冒涜するような暴言を浴びせており、イタリアサッカー委員会が調査を行っていた。
そして今回、国家連邦裁判所の判決によりポルタノーバへの暴言が認められたため、レガ・セリエAはブッフォンに対し5000ユーロ(約64万円)の罰金処分を言い渡した。
11年前にイタリアスポーツ界で「冒涜法」を導入されて以来セリエAでは複数選手が処罰の対象になっており、昨年12月にはローマに所属するDFブライアン・クリスタンテが神への冒涜的なフレーズを吐き、1試合の出場停止処分にを受けていた。
ブッフォンは、昨年12月19日にアウェイで行われたセリエA第13節のパルマ戦(4-0で勝利)で、チームメイトのMFマノーロ・ポルタノーバに対し冒涜するような暴言を浴びせており、イタリアサッカー委員会が調査を行っていた。
そして今回、国家連邦裁判所の判決によりポルタノーバへの暴言が認められたため、レガ・セリエAはブッフォンに対し5000ユーロ(約64万円)の罰金処分を言い渡した。
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世界一にもなれた稀代の創造主、ファン・セバスティアン・ベロン
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ユーベ退団のキエッリーニ、堅守の“BBC”を振り返る「歴史の一部だった」
ユベントスを退団する元イタリア代表DFジョルジョ・キエッリーニが、鉄壁を誇った守備ユニットを振り返った。イタリア『スカイ・スポーツ』が伝えている。 37歳を迎えた今季限りでユベントスを退団することとなったキエッリーニ。在籍17年間で公式戦560試合に出場し、19個ものタイトル獲得に貢献した。 2011年にアントニオ・コンテ監督が就任してからは、元イタリア代表DFのアンドレア・バルザーリ、イタリア代表DFレオナルド・ボヌッチと抜群の守備力を誇る3バックを形成。元イタリア代表GKジャンルイジ・ブッフォンとともに、“BBC”と呼ばれた守備ユニットは一時代を築いた。 前人未到となるセリエA7連覇や、2度のチャンピオンズリーグ決勝進出など、輝かしい実績を残した“BBC”。しかし、2018年夏にブッフォンがパリ・サンジェルマン(PSG)へと移籍すると、翌シーズンにはバルザーリが現役を退いたことによって、終焉を迎えた。 キエッリーニはクラブ公式サイトのインタビューで、そんな守備ユニットについて回顧。互いに高め合った関係性を明かしつつ、1人1人の魅力を語った。 「僕らはユーベの歴史の一部だった。約10年間の間に多くのことを分かち合ったよ。4人が共に高め合ってあのレベルに到達したんだ。お互いの存在から恩恵を受けなかった者はいないし、それはとても良いことだと思う」 「ジジ(ブッフォン)は純粋であり、現実的で、彼の言動全てが人を引きつける。特別な存在だよ」 「一方、バルザーリは、ピッチの内外で常に僕らを支えてくれた。若い選手や、南米の選手には軽い態度で接しつつも、権威を示していた。南米の駐在大使のようだったね。彼が引退する前の最後の1カ月は、毎日が冗談のようで、休む暇もなかったと記憶しているよ」 「ボヌッチの印象は、誰にも負けないエネルギーを持っているということだ。無尽蔵の力を持ち、高い壁や、悪条件の山を乗り越えるような瞬間を何度も経験している。常にエネルギーを持って臨んでいるんだ。多くの非難を浴びながらも、誰も考えつかないようなキャリアを歩んできた」 2022.06.06 12:57 Mon3
50歳迎えるジダンがW杯決勝のワンシーンを回想「どうすべきか思考した。狂っていたわけじゃない」
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