リーガ3試合ぶり白星を目指すジダン「インテル戦のパフォーマンスを」
2020.11.28 18:40 Sat
レアル・マドリーのジネディーヌ・ジダン監督が、28日に控えるアラベス戦に向けて、インテル戦でのパフォーマンスを継続したいと意気込みを語った。クラブ公式サイトが伝えている。
25日のチャンピオンズリーグ(CL)で、敵地ミラノで行われたインテル戦を0-2で勝利したマドリー。これでインテル戦連勝でグループ単独2位に浮上したが、一方でラ・リーガでは直近2試合は1分け1敗と苦戦している。
第11節のアラベス戦は3試合ぶりの勝利を目指すことになるが、試合前会見でジダン監督はインテル戦でのパフォーマンスを継続したいとコメント。この一戦を「決勝戦」と捉えた。
「我々はインテルに対し堅実さを示し、非常に優れたゲームを展開した。ミラノでチームとしてやったことをアラベスにもぶつけたい」
「土曜日は非常に重要な3ポイントを争うまた別の決勝戦で、それがリーグ戦というものだ。気持ちを切り替えて新たなライバルであるアラベスに立ち向かう。彼らは我々を苦しめるだろう。良いプレーを継続していかなければならない」
「カルバハルには何か問題があり、どれくらい離脱するかは分からない。ベンゼマはもっと時間がかかるが、重要なのは、我々には多くの試合と練習が控えているため、チームに復帰する時間は十分にあるということだ」
「選手は適切に対処する必要がある。セルヒオ・ラモスも同じだ。何も明かすつもりはないが感触は良い。いつ彼が戻ってくるか見極めていくつもりだが、今のところ戻れる算段はついていない」
25日のチャンピオンズリーグ(CL)で、敵地ミラノで行われたインテル戦を0-2で勝利したマドリー。これでインテル戦連勝でグループ単独2位に浮上したが、一方でラ・リーガでは直近2試合は1分け1敗と苦戦している。
第11節のアラベス戦は3試合ぶりの勝利を目指すことになるが、試合前会見でジダン監督はインテル戦でのパフォーマンスを継続したいとコメント。この一戦を「決勝戦」と捉えた。
「土曜日は非常に重要な3ポイントを争うまた別の決勝戦で、それがリーグ戦というものだ。気持ちを切り替えて新たなライバルであるアラベスに立ち向かう。彼らは我々を苦しめるだろう。良いプレーを継続していかなければならない」
また、27日に負傷が確認されたDFダニエル・カルバハルを含めて、FWカリム・ベンゼマやDFセルヒオ・ラモスと負傷者が相次いでいることにも言及した。
「カルバハルには何か問題があり、どれくらい離脱するかは分からない。ベンゼマはもっと時間がかかるが、重要なのは、我々には多くの試合と練習が控えているため、チームに復帰する時間は十分にあるということだ」
「選手は適切に対処する必要がある。セルヒオ・ラモスも同じだ。何も明かすつもりはないが感触は良い。いつ彼が戻ってくるか見極めていくつもりだが、今のところ戻れる算段はついていない」
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