激動のユナイテッドを知るチチャリート「モイーズはとても頑固だった」
2020.06.02 22:15 Tue
メジャーリーグ・サッカー(MLS)のロサンゼルス・ギャラクシーに所属するメキシコ代表FWハビエル・エルナンデスがマンチェスター・ユナイテッド時代を振り返った。『ESPN』が伝えている。
“チチャリート”の愛称でも知られるエルナンデスは2010年夏にグアダラハラからマンチェスター・ユナイテッドに加わり、欧州に進出。その後、レアル・マドリーやレバークーゼン、ウェストハム、セビージャを経て、1月にアメリカへ渡った。
エルナンデスが、ユナイテッド時代の2013年には、サー・アレックス・ファーガソン氏の後継者として、指揮官に就任したデイビッド・モイーズ監督の指導も受けていたが、その当時を酷評している。ユナイテッドのレジェンドであるリオ・ファーディナンド氏とのYouTubeで語った。
「モイーズと僕の間に個人的な問題はなかった。ユナイテッドが彼を連れてきたのは間違いだった」
「ユナイテッドはサー・アレックスからの交代をするつもりだった。それは不可能だ。(ジョゼップ・)グアルディオラや(ユルゲン・)クロップ、(ジョゼ・)モウリーニョでさえ、サー・アレックスや(ヨハン・)クライフのレベルにはない。だが、ユナイテッドはそれを試みた」
「何人かの選手のキャリアが変わったかもしれない。ラファエウ、僕、(ダニー・)ウェルベック、ファビオ、多くの選手がクラブを離れてプレーしなければならなかった」
「彼がとても頑固だったから、7カ月で終わった。彼には順応性がなく、成長も受容もなかった。ユナイテッドで働くには成長する必要がある」
結局、モイーズ監督は1シーズンを持たずに解任。その後、レアル・ソシエダとサンダーランドでの指揮を経て、現在はウェストハムを指揮しているが、まさかエルナンデスもウェストハムで再び指導を受けるとは思っていなかっただろう。
“チチャリート”の愛称でも知られるエルナンデスは2010年夏にグアダラハラからマンチェスター・ユナイテッドに加わり、欧州に進出。その後、レアル・マドリーやレバークーゼン、ウェストハム、セビージャを経て、1月にアメリカへ渡った。
エルナンデスが、ユナイテッド時代の2013年には、サー・アレックス・ファーガソン氏の後継者として、指揮官に就任したデイビッド・モイーズ監督の指導も受けていたが、その当時を酷評している。ユナイテッドのレジェンドであるリオ・ファーディナンド氏とのYouTubeで語った。
「モイーズと僕の間に個人的な問題はなかった。ユナイテッドが彼を連れてきたのは間違いだった」
「何人かの選手のキャリアが変わったかもしれない。ラファエウ、僕、(ダニー・)ウェルベック、ファビオ、多くの選手がクラブを離れてプレーしなければならなかった」
「彼が良い監督か悪い監督かは別として、僕はそれについて疑うつもりはない。問題は、彼の順応性についてだ。史上最高の(ファーガソン監督の)やり方を半分も引き継がないことは賢明だと言えないだろう」
「彼がとても頑固だったから、7カ月で終わった。彼には順応性がなく、成長も受容もなかった。ユナイテッドで働くには成長する必要がある」
結局、モイーズ監督は1シーズンを持たずに解任。その後、レアル・ソシエダとサンダーランドでの指揮を経て、現在はウェストハムを指揮しているが、まさかエルナンデスもウェストハムで再び指導を受けるとは思っていなかっただろう。
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激動のユナイテッドを知るチチャリート「モイーズはとても頑固だった」
メジャーリーグ・サッカー(MLS)のロサンゼルス・ギャラクシーに所属するメキシコ代表FWハビエル・エルナンデスがマンチェスター・ユナイテッド時代を振り返った。『ESPN』が伝えている。 “チチャリート”の愛称でも知られるエルナンデスは2010年夏にグアダラハラからマンチェスター・ユナイテッドに加わり、欧州に進出。その後、レアル・マドリーやレバークーゼン、ウェストハム、セビージャを経て、1月にアメリカへ渡った。 <div id="cws_ad"><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJVVjRoeUpoVCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> エルナンデスが、ユナイテッド時代の2013年には、サー・アレックス・ファーガソン氏の後継者として、指揮官に就任したデイビッド・モイーズ監督の指導も受けていたが、その当時を酷評している。ユナイテッドのレジェンドであるリオ・ファーディナンド氏とのYouTubeで語った。 「モイーズと僕の間に個人的な問題はなかった。ユナイテッドが彼を連れてきたのは間違いだった」 「ユナイテッドはサー・アレックスからの交代をするつもりだった。それは不可能だ。(ジョゼップ・)グアルディオラや(ユルゲン・)クロップ、(ジョゼ・)モウリーニョでさえ、サー・アレックスや(ヨハン・)クライフのレベルにはない。だが、ユナイテッドはそれを試みた」 「何人かの選手のキャリアが変わったかもしれない。ラファエウ、僕、(ダニー・)ウェルベック、ファビオ、多くの選手がクラブを離れてプレーしなければならなかった」 「彼が良い監督か悪い監督かは別として、僕はそれについて疑うつもりはない。問題は、彼の順応性についてだ。史上最高の(ファーガソン監督の)やり方を半分も引き継がないことは賢明だと言えないだろう」 「彼がとても頑固だったから、7カ月で終わった。彼には順応性がなく、成長も受容もなかった。ユナイテッドで働くには成長する必要がある」 結局、モイーズ監督は1シーズンを持たずに解任。その後、レアル・ソシエダとサンダーランドでの指揮を経て、現在はウェストハムを指揮しているが、まさかエルナンデスもウェストハムで再び指導を受けるとは思っていなかっただろう。 2020.06.02 22:15 Tue2
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“チチャリート”ことメキシコ代表FWハビエル・エルナンデスが、マンチェスター・ユナイテッドとレアル・マドリーでプレーする上での相違点について語った。イギリス『マンチェスター・イブニング・ニュース』が伝えている。 <div id="cws_ad"><a href="https://web.ultra-soccer.jp/movie/view?movie_id=274&from=cws_news">【動画】ドイツのマエストロ!トニ・クロース、レアルでのベストプレー集</a></div> 2010年に母国のグアダラハラからユナイテッドへ移籍したチチャリート。ゴール前での抜群の得点能力を発揮し、ユナイテッドで過ごした5年間で公式戦157試合に出場し59ゴールを記録。2度のリーグタイトル獲得に貢献するなど、サポータの心を掴んでいだ。 <div id="cws_ad"><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJVVjRoeUpoVCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> しかし、ユナイテッドでのキャリアの終盤には徐々に出場機会を減らし、マドリーへレンタル移籍。マドリーでも、1シーズンで9ゴールを記録するに留まり、大きなインパクトを残せないまま、翌シーズン、レバークーゼンへ売却されていた。 ユナイテッドのレジェンドであるリオ・ファーディナンド氏のYouTubeに出演したチチャリートは、マンチェスターの街とマドリッドの街での生活について振り返り、マドリッドではより大きなプレッシャーを感じたと明かした。 「文化が大きく違ったと思う」 「どちらかのクラブが優れているとかそういうことではなくて、客観的な事実として、イングランドでの生活は、より落ち着いていて、より親密だ」 「スペインやポルトガルではもっとラテン的なんだ。文化の違いだ。よりオープンな環境で、多くのことに曝される」 「ユナイテッド時代は、外出中に、本当の意味でのこのクラブの大きさについて実感することはなかった。そんなに多くのファンと外で会わないし、マスコミも、ニュースの流出も少ない。だから、マンチェスターの街でたくさん外出しても大丈夫だった。リスペクトしてくれるんだ」 「スペインでも、リスペクトはしてくれるが、人々はより僕の母国の人たちに近くて、僕から何かを欲しがるし、写真を撮りたがるし、触ってこようとしてくる」 2020.06.01 12:30 Monマンチェスター・ユナイテッドの人気記事ランキング
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