デイビッド・モイーズ
David MOYES
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ポジション | 監督 |
国籍 |
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生年月日 | 1963年04月25日(62歳) |
利き足 | |
身長 | |
体重 |
ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
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「尊敬というよりは憧れ」アルテタ監督が対戦相手の恩師・モイーズ監督を語る「とても特別な人物」
アーセナルのミケル・アルテタ監督が、対戦相手となる恩師について言及した。クラブ公式サイトが伝えた。 プレミアリーグで首位を走るアーセナル。16日には第31節でウェストハムとアウェイで対戦する。 今シーズンは苦しい戦いが続いているウェストハムに対し、19年ぶりの優勝に向けては負けが許されないアーセナル。アルテタ監督にとっては、恩師との対戦となった。 ウェストハムを率いるデイビッド・モイーズ監督は、現役時代にレンジャーズからエバートンへとアルテタ監督を引き入れてくれた張本人。エバートンで主軸として活躍すると、アーセナルへと移籍しその後のキャリアを築くこととなった。 アルテタ監督は恩師との対決について言及。自身の人生で特別な存在だと敬意を表した。 「それは尊敬というよりは憧れだろう。彼の下でプレーすることが好きだった。彼が私の監督だった時、彼のためにレンガの壁をも突き破っただろう。あのチームの誰もがそうだった」 「本当に優れた監督であり、グループのマネジメントと個人個人への対応が優れている。とても特別な人物で、とても信頼でき、約束を守る人だ。いつでも実行しており、多くを学んだ」 「彼は私が人生で一度もプレーしたことがないポジションでプレーするように頼んできた。彼が私にチャレンジさせたが、同時に私を支え、愛情を注いでくれた。それは適切なバランスで、私が必要としていたものであり、私を最高のものに引き上げてくれた。だから本当に助けてくれた」 2023.04.15 20:15 Sat2
香川真司がユナイテッド退団の転機を明らかに 「ディ・マリアとファルカオがやって来て…」
レアル・サラゴサに所属する元日本代表MF香川真司がマンチェスター・ユナイテッド退団の経緯を激白した。 2010年夏から所属したドルトムントでユルゲン・クロップ氏の下、飛躍を遂げた香川は2012年夏、サー・アレックス・ファーガソン元監督に能力を買われ、当時イングランド屈指の強豪だったユナイテッドに移籍。その初年度のプレミアリーグで20試合に出場するなど、公式戦26試合6得点6アシストの数字を残した。 しかし、自身をドイツからイングランドに連れてきたファーガソン元監督が勇退の2013年夏以降は状況が一変。デイビッド・モイーズ氏、ライアン・ギグス氏、ルイス・ファン・ハール氏の下でプレーしたが、序列を上げられず、ブラジル・ワールドカップ(W杯)終了後の2014年夏にドルトムント復帰を決断した。 その結果、ユナイテッドの選手として公式戦通算57試合6得点10アシストという数字を収めるにとどまり、2シーズンでオールド・トラフォードでの挑戦に終止符を打った香川。あれから6年の月日が経とうとするなか、イギリス『The Athletic』のインタビューで、その当時をこう振り返り、退団の転機を明かした。 「(2013年夏から率いたモイーズが解任され、)新たに監督が変わり、(ギグス暫定体制を挟み、2014年夏から指揮を執ったファン・ハールは)たった2シーズンで4人目の監督でした」 「加入時は25年間にわたり、率いる監督(ファーガソン)の下でしたけど、その後、モイーズ、ギグス、ファン・ハールが指揮を執りました」 「ブラジルでのW杯でうまくプレーできず、日本代表もグループステージ最下位で敗退しました。自分のベストを取り戻すために、新たな挑戦の必要性を感じました」 「マンチェスターに残る選択肢もありましたけど、アンヘル・ディ・マリアとラダメル・ファルカオがやって来たことで、僕の状況をさらに悪くさせてしまいました」 「ファン・ハールから『シンジ、君は私の下でそんなにプレーさせられない』と告げられ、それで加入から2年が経った今、マンチェスターを去るときだと認識しました」 「そういう話を聞かされた選手であれば、誰しもが『出て行くタイミングだ』と考えるはずです」 「とても良い時期も、とても悪い時期もありました。マンチェスター時代の悪い時期は僕の学びになり、より強くしてくれました」 2020.03.08 12:25 Sun3
ユナイテッドで花開かなかったザハが回顧「僕と香川の2人だけで…」
クリスタル・パレスのコートジボワール代表FWウィルフリード・ザハがマンチェスター・ユナイテッド時代を振り返った。イギリス『インデペンデント』が伝えている。 2013年1月、サー・アレックス・ファーガソン監督の最後の補強としてユナイテッドと契約したザハ。しかし、ファーガソン監督の勇退の影響もあってか、ユナイテッドでは実力を発揮できず、レンタル生活を経て、クリスタル・パレスに復帰した。 ルイス・ファン・ハール監督が就任した2014年夏、カーディフへのレンタルから復帰したザハだったが、そこでは信頼を掴むことはできなかったと『OnTheJudy』のポッドキャストで明かした。 「ユナイテッドに戻ったが、その時にはファン・ハールだった。彼がワールドカップからから戻ってきたとき、(オランダ代表では)ロビン・ファン・ペルシと(アリエン・)ロッベンの前線でプレーしていて、僕に2つの選択肢を与えたんだ。『君はウイングバックかストライカーだ』とね」 「このポジションはそれまでプレーしていなかったし、ここで失敗するように仕組まれたと思った。これはデイビッド・モイーズ監督時代に戻り、上手くいっていたやり方は台無しになった。僕はストライカーもウイングバックもできない」 「親善試合でネマニャ・ヴィディッチがいたインテルやセルヒオ・ラモスがいたレアル・マドリーと対戦し、狂気的なチーム相手に最前線に投げ出されたんだ」 また、練習では面倒を見てもらえなかったこともあったと不満を漏らしている。 「僕はいつも良くない場所にいた。文字通りいつも蚊帳の外だったし、狂ったようなことをしていた。混乱していたよ。自分がプレーしないことがわかっても、チームはトレーニングをしていて、僕は横でただトレーニングドリルをしているだけだった」 「僕と香川(真司)の2人だけでシュート練習したことを覚えている。彼らは基本的に僕のことを気にしていなかった。U-23の選手と一緒にトレーニングすることすらなかった。毎週のように見ているだけさ」 その後、2015年2月にクリスタル・パレスに復帰したザハは突破力に磨きをかけ、エースとしてチームを牽引し続けている。 <div id="cws_ad"><blockquote class="twitter-tweet"><p lang="ht" dir="ltr">Joyita de Kagawa ante Norwich en 2013 <a href="https://twitter.com/hashtag/MUFC?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#MUFC</a> <a href="https://twitter.com/hashtag/GoalOfTheDay?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#GoalOfTheDay</a> <a href="https://t.co/60UavYOn5G">pic.twitter.com/60UavYOn5G</a></p>— Manchester United (@ManUtd_Es) <a href="https://twitter.com/ManUtd_Es/status/1283501423783825410?ref_src=twsrc%5Etfw">July 15, 2020</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script></div> 2021.02.13 10:00 Sat4
ハマーズのPL最多得点者になったアントニオ、得点後には「映画のヒロインみたいにして欲しかったけど…」
ウェストハムのイングランド代表FWマイケル・アントニオが、クラブの歴代最多得点者となった喜びを語った。クラブ公式サイトが伝えている。 2015年夏にウェストハムに加入したアントニオは、サイドバックとして起用される時期もあったが、2019年にデイビッド・モイーズ監督が就任すると多くの試合でセンターフォワードとしてプレー。昨シーズンはプレミアリーグで2桁ゴールを記録している。 23日に行われたプレミアリーグ第2節のレスター・シティでも、アントニオはセンターフォワードとして先発出場。80分にゴールを奪いプレミアリーグ通算ゴール数を「48」としたイングランド代表FWは、パオロ・ディ・カーニオ氏の持つ記録を抜きクラブ歴代最多得点者となった。その後に2点目も奪ったアントニオは、チームの4-1での勝利に大きく貢献している。 試合後のインタビューに応じたアントニオは、記録更新について興奮気味にコメント。また、得点を決めた際に自身の写真がプリントされた段ボールを持ち上げるセレブレーションは、ミュージカル映画『ダーティ・ダンシング』を参考にしたと明かした。 「僕は記録を1つや2つ更新するだけでなく、次に記録の更新を狙う選手が勝てないくらい大量に更新したい。今は2つ更新しただけだから、これをできれば20くらいまで持っていきたいね」 「スカイスポーツのライブ中継で、僕は気が散っていたからか映画名を『セイブ・ザ・ラスト・ダンス』と言ってしまったよ。興奮していたこともあって、間違った映画名を口にしてしまった」 「僕は得点を決めた際、『ダーティ・ダンシング』のベイビー(映画のヒロイン)みたいになりたくて、誰かに持ち上げてもらいたかった。ただ、僕は自分の体重が94キロもあるとは思っていないけど重いから、誰かに持ち上げてもらうのではなく、自分で自分を持ち上げてベイビーになろうとしたんだ。どう映ったか分からないから、後で見てみるよ!」 また、アントニオはレスター戦のパフォーマンスについて、序盤は良いプレーができなかったと認めつつ後半は立て直せたと強調。この勝利によって、チームが首位に立ったことにも喜んでいる。 「前半は記録を達成しようとするあまり、自分のプレーに影響が出てミスがあった。後半は自分のパフォーマンスをしっかり示して、気を散らさないようにしていたよ。僕はきちんと仕事ができたと思うし、最後には完璧だった」 「ファンの前でゴールを決めることほど、気持ち良いことはないね。今日のチームとしてのパフォーマンスは素晴らしかったと思う。ただ、クリーンシートを達成していれば多分もっと良くなっただろう」 「僕はここに6年いて、今が7シーズン目だ。これまでトップに立ったことは一度もなかった。だから、今を皆で一緒に楽しみたいね」 2021.08.24 17:09 Tue5
ハマーズがモロッコ代表CBアゲルドを獲得! 移籍金は約50億円に
ウェストハムは20日、スタッド・レンヌからモロッコ代表DFナイーフ・アゲルド(26)を完全移籍で獲得したことを発表した。背番号は「27」に決定。契約期間は2027年6月30日までの5年となる。 イギリス『スカイ・スポーツ』によると、移籍金は3000万ポンド(約49億6000万円)+アドオンになったという。 フランス語、英語、アラビア語、スペイン語の4カ国語を操るモロッコ代表DFは、クラブ公式サイトを通じて新天地での意気込みを語った。 「ウェストハムからの関心について聞いたとき、本当に興奮したよ」 「それを聞いたとき、プレミアリーグに行く必要があることを理解したんだ。それは、すべてのプレーヤーにとっての夢だからね」 「ウェストハムは歴史的なクラブだ。今年は彼らのゲームをいくつか見たけど、シャボン玉と共にホームゲームのファンと雰囲気は素晴らしかったよ」 「監督とも話をしたよ。そして、彼は自分にとても興味を持っていることを示してくれたんだ。だから、ウェストハムに来ることを選ぶのは簡単だったよ」 また、ハマーズを率いるデイビッド・モイーズ監督はモロッコ代表として21キャップを刻む実力者の獲得に満足感を示している。 「ナイーフをウェストハムに迎えることができて嬉しく思う。 我々は彼の進捗状況をしばらく追ってきたが、サインを完了することができたことを非常に嬉しく思う。彼は我々のディフェンスオプションにとって素晴らしい補強だ」 「話し合いの中で、彼の性格と態度に本当に感銘を受けた。彼は自身の改善と成功を強く望んでおり、このクラブの環境に非常によく適合していると確信している」 2020年にディジョンからレンヌに加入したモロッコ代表DFは、190cmの左利きのセンターバック。サイドバックでもプレー可能なスピードもあり、地対空で勝負できる堅実な守備者。また、左足のフィードや局面を変える持ち上がりなど、ウェストハムのスタイルにおいては攻撃面でも十分な貢献が期待できる。 一方、ウェストハムは今シーズンをセンターバック4人体制でスタートしたが、イタリア代表DFアンジェロ・オグボンナの長期離脱に始まり、シーズン終盤にはフランス代表DFクル・ズマ、フランス人DFイサ・ディオプが相次いで離脱。シーズン終盤は本職のセンターバックがイングランド人DFクレイグ・ドーソンのみと、厳しいバックラインのやり繰りを強いられていた。 それだけに、今シーズンのリーグ・アンで最も安定したセンターバックの一人という評価を得ているモロッコ代表DFの加入は大きな戦力アップに繋がるはずだ。 2022.06.20 20:23 Monデイビッド・モイーズの移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
1998年1月11日 |
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- |
1993年9月20日 |
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完全移籍 |
1993年8月1日 |
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完全移籍 |
1990年8月1日 |
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完全移籍 |
1987年10月30日 |
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完全移籍 |
1985年10月10日 |
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完全移籍 |
1983年10月28日 |
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完全移籍 |
1982年7月1日 |
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完全移籍 |
1980年7月1日 |
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完全移籍 |
デイビッド・モイーズの監督履歴
就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
2025年1月11日 |
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監督 |
2019年12月29日 | 2024年5月31日 |
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監督 |
2017年11月7日 | 2018年5月16日 |
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監督 |
2016年7月23日 | 2017年5月22日 |
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監督 |
2014年11月10日 | 2015年11月9日 |
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監督 |
2014年5月1日 | 2016年7月10日 |
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マッチアナリスト |
2013年7月1日 | 2014年4月22日 |
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監督 |
2002年3月14日 | 2013年6月30日 |
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監督 |
1998年1月12日 | 2002年3月13日 |
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監督 |
デイビッド・モイーズの今季成績
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勝
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分
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負
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プレミアリーグ | 17 | 6 | 7 | 4 | 0 | 0 |
合計 | 17 | 6 | 7 | 4 | 0 | 0 |
デイビッド・モイーズの出場試合
プレミアリーグ |
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第21節 | 2025-01-15 |
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vs |
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アストン・ビラ | ||||
H
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第22節 | 2025-01-19 |
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vs |
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トッテナム | ||||
H
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第23節 | 2025-01-25 |
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vs |
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ブライトン&ホーヴ・アルビオン | ||||
A
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第24節 | 2025-02-01 |
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vs |
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レスター・シティ | ||||
H
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第15節 | 2025-02-12 |
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vs |
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リバプール | ||||
H
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第25節 | 2025-02-15 |
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vs |
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クリスタル・パレス | ||||
A
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第26節 | 2025-02-22 |
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vs |
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マンチェスター・ユナイテッド | ||||
H
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第27節 | 2025-02-26 |
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vs |
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ブレントフォード | ||||
A
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第28節 | 2025-03-08 |
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vs |
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ウォルバーハンプトン | ||||
A
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第29節 | 2025-03-15 |
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vs |
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ウェストハム | ||||
H
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第30節 | 2025-04-02 |
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vs |
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リバプール | ||||
A
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第31節 | 2025-04-05 |
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vs |
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アーセナル | ||||
H
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第32節 | 2025-04-12 |
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vs |
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ノッティンガム・フォレスト | ||||
A
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第33節 | 2025-04-19 |
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vs |
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マンチェスター・シティ | ||||
H
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第34節 | 2025-04-26 |
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vs |
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チェルシー | ||||
A
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第35節 | 2025-05-03 |
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vs |
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イプスウィッチ・タウン | ||||
H
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第36節 | 2025-05-10 |
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vs |
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フルアム | ||||
A
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