湘南、ユースからU-17日本代表MF横川旦陽ら5選手を2種登録に

2020.02.22 19:00 Sat
湘南ベルマーレは22日、同クラブU-18に所属するU-17日本代表MF横川旦陽(17)、同代表MF田中聡(17)、同代表MF原直生(16)、DF石井大生(16)、DF佐久間翔士(17)の5選手を2種登録したことを発表した。

昨年11月に行われたU-17ワールドカップ(W杯)の日本代表メンバーにも選出されていた横川はジュニアユースから湘南の下部組織に在籍するMF。背番号は「33」を着用する。横川と同じくU-17W杯に選出された田中は昨年に引き続き2種登録となり、背番号は「32」に決定している。

原は身長175cm、体重57㎏のMFで、背番号「35」に決定。石井は中学生時代から湘南の下部組織に在籍しているDFで、背番号「36」を背負う。佐久間は身長180㎝、体重77㎏のDFで、背番号「34」が割り当てられている。
2種登録が決まった5選手はクラブ公式サイトで以下のようにコメントしている。

◆横川旦陽
「自分はベルマーレのスクールに5歳の時から通っていて、その頃からの憧れであるプロのピッチに、二種登録として立つチャンスをいただいたことを本当に嬉しく思っています。家族やお世話になった監督、コーチ、チームメイト、また学校の先生、友人の思いを背負ってプレーしたいと思っています。応援よろしくお願いします」
◆田中聡
「昨シーズンに引き続き二種登録できたことは自分だけの力ではないと思っています。関わってくれたすべての方々に感謝しています。今年こそはJリーグの試合に絡めるように努力を怠らず、日々の練習を大事にしていきたいです。応援よろしくお願いします」

◆原直生
「プロになるために湘南ベルマーレに来ることを選びました。今回、プロへの第一歩である二種登録をさせてもらい、大変嬉しく思います。しかし、ここからが大事だと思います。自分の武器であるゴールに直結するパスやドリブルなどのプレーを発揮し、少しでも試合に出てチームに貢献できるようにこれからも頑張りたいと思います」

◆石井大生
「夢であったプロの舞台でプレーするチャンスをいただけたことをとても嬉しく思います。日々努力をしてさらに成長できるようにこれからも頑張ります」

◆佐久間翔士
「今までサッカーをするうえで常にプロサッカー選手になるという目標を立てていました。その目標に近づけるチャンスをいただけたことを嬉しく思います。自分のフィジカルや守備力という特長に自信を持ってプレーをしていきたいと思います。しかし、まだまだ足りない所がたくさんあるのでもっと努力をしたいと思います」

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