【質疑応答①】19年間のプロ生活に幕を下ろした闘莉王「去年の終わり頃から炎が消えかかった」
2019.12.01 20:30 Sun
京都サンガF.C.に所属する元日本代表DF田中マルクス闘莉王(38)が、12月1日に都内で記者会見を行い、今シーズン限りでの現役引退を表明した。
19年間のプロ生活に終止符を打つ決断を下した闘莉王は、引退を決めた経緯や、プロ生活で最も印象に残っている瞬間などを明かした。また、2003年の日本国籍の取得にあたり、変更した名前の「闘莉王」に込められた意味を改めて説明。その後、素晴らしい仲間に出会えたことを誇った。
「今日をもちまして、あっという間の19年間のプロ生活を引退します。たくさんの人たちに、ファン、サポーター達にこんなしょうもない人間を支えていただき、感謝の気持ちで胸がいっぱいです。本当にありがとうございます」
──J2最終節で負ったケガの具合は
「まさかの最終戦で救急車に乗るとは、思わなかったなと。少しは良くなりましたが、もし何かが出てきましたら、教えていただければと思います(笑)。最後の最後まで自分らしいなと思いました。やっぱり頭だけで何針縫ったのだろう。数え切れないほど針がある中で、最後の最後だけは少しでも綺麗な顔で出てこようと思ったんですけど、神様は自分らしい姿で出てこいと、そういうメッセージだったと思います」
──引退した決断の経緯は
「入団した当時、今までにないDF、守ることだけではなく、攻めることをずっと意識してやってきました。でも、自分の中で決めていたものがあって、いつかは自分の心で燃えている炎が、少しでも消えかかりそうになった時は、どんな時であれ、歳も関係なく引退しようと。サッカーに対して失礼のないようにやっていかないといけないなと自分で決めていました。去年の終わり頃に少しでもそれを感じて、やっぱり引退しないといけないなと思いました」
「最後の1年は今まで敵として、戦ってきた相手チームのサポーターにも挨拶をしたいと思いました。サッカーは当然ですが、少しでも感謝の気持ちは伝えたかったので、今年は最後のシーズンにしようと、ちょっと消えかかっていた炎を最後のエネルギーに変えて、1年やりました。去年の終わりくらいから決めてました」
「カタカナから漢字という闘莉王になることに決めたのは、自分の心がもうブラジルではなく、日本人の心になっているんだなと。そういうふうに感じて、国籍を獲得することにしました。日の丸に対する思い、今まで支えてくれた人たちに対する思い、日本に恩返しをする。その一心で、国籍を変え、インパクトを残さないといけないなと思いました。なんか相撲さんらしいという声もいっぱいあった中で、よく振り返ってみれば、ぴったりの漢字だったのではないかなと思います」
──1番印象に残っている瞬間
「(南アフリカ・)ワールドカップのパラグアイ戦で駒ちゃん(駒野友一)がPKを外した瞬間が、すごく印象に残っています。次のキッカーが自分だったということもあって、自分のところまで回ってきたらどうだったんだろうなと。それも神様の自分に対する嫌がらせかなと。外すんだったら自分でも良かったんじゃないかなと。蹴れなかったことでどれだけの夜を寝ずに過ごしたか。あのPKでこんなボールを蹴りたいなとか、こんなPKをしたいなと思ったのは、今までにはなかったです。やっぱりあの瞬間が『…』となるところがすごく印象に残っています。あんだけPKを外したのにもかかわらず、岡田さんが、『お前蹴るぞ』と言っていただき、ボーっとしてた中、すぐ『はい』って言ってしまった自分がどうかしてたんだじゃないかと。でも、結末を見れずに終わってしまったあの瞬間がやはり印象的ですね」
──19年間で誇りに思っていることは
「サッカーの素晴らしさというのは、グラウンドの中もすごいです。試合に関しては、一瞬も1秒も手を抜くことなく、全力で気合を入れてやってきたことを、すごく誇りに思います。時には頭が割れてでも、肉離れになっても、鼻が折れてでも、ピッチに戻ろうとしたその気持ちは誇りに思います。あと、その全力姿勢がそれを生んでくれたかよくわかりませんが、たくさんの素晴らしい仲間に出会えたことも誇りに思います」
──京都で3年間プレーしたがどうだったか、京都へのメッセージは
「率直に3年間ありがとうございます。たくさんのケガに遭い、自分のパフォーマンスがなかなか上がらない中、結果を求められ、自分の本来(のポジション)ではないMF、時にはFWとして使われることが多かった中ですごく、申し訳ない。もっと結果を残さなければいけないなと思いました。この3年間を振り返ってみると、すごく申し訳ない気持ちで過ごしてきました。今度はみんなが喜ばれる新しいスタジアムがオープンするわけで、良いきっかけだなと。J1で戦える京都をもう1度見てみたいなと。だからこそ新しいスタジアムで戦える、『ここに来たら勝つぞ』、『このホームだと強いんだな』というスタジアムにして欲しいと思います。J1に上がるのは簡単ではないことはこの3年間、体で感じたので、是非とも若い力、それにベテランの経験、タフさというのをミックスをして頑張って欲しいと思います」
19年間のプロ生活に終止符を打つ決断を下した闘莉王は、引退を決めた経緯や、プロ生活で最も印象に残っている瞬間などを明かした。また、2003年の日本国籍の取得にあたり、変更した名前の「闘莉王」に込められた意味を改めて説明。その後、素晴らしい仲間に出会えたことを誇った。
「今日をもちまして、あっという間の19年間のプロ生活を引退します。たくさんの人たちに、ファン、サポーター達にこんなしょうもない人間を支えていただき、感謝の気持ちで胸がいっぱいです。本当にありがとうございます」
「まさかの最終戦で救急車に乗るとは、思わなかったなと。少しは良くなりましたが、もし何かが出てきましたら、教えていただければと思います(笑)。最後の最後まで自分らしいなと思いました。やっぱり頭だけで何針縫ったのだろう。数え切れないほど針がある中で、最後の最後だけは少しでも綺麗な顔で出てこようと思ったんですけど、神様は自分らしい姿で出てこいと、そういうメッセージだったと思います」
──引退した決断の経緯は
「入団した当時、今までにないDF、守ることだけではなく、攻めることをずっと意識してやってきました。でも、自分の中で決めていたものがあって、いつかは自分の心で燃えている炎が、少しでも消えかかりそうになった時は、どんな時であれ、歳も関係なく引退しようと。サッカーに対して失礼のないようにやっていかないといけないなと自分で決めていました。去年の終わり頃に少しでもそれを感じて、やっぱり引退しないといけないなと思いました」
「最後の1年は今まで敵として、戦ってきた相手チームのサポーターにも挨拶をしたいと思いました。サッカーは当然ですが、少しでも感謝の気持ちは伝えたかったので、今年は最後のシーズンにしようと、ちょっと消えかかっていた炎を最後のエネルギーに変えて、1年やりました。去年の終わりくらいから決めてました」
──2003年に日本国籍を取得したが、名前に込められた思いは
「カタカナから漢字という闘莉王になることに決めたのは、自分の心がもうブラジルではなく、日本人の心になっているんだなと。そういうふうに感じて、国籍を獲得することにしました。日の丸に対する思い、今まで支えてくれた人たちに対する思い、日本に恩返しをする。その一心で、国籍を変え、インパクトを残さないといけないなと思いました。なんか相撲さんらしいという声もいっぱいあった中で、よく振り返ってみれば、ぴったりの漢字だったのではないかなと思います」
──1番印象に残っている瞬間
「(南アフリカ・)ワールドカップのパラグアイ戦で駒ちゃん(駒野友一)がPKを外した瞬間が、すごく印象に残っています。次のキッカーが自分だったということもあって、自分のところまで回ってきたらどうだったんだろうなと。それも神様の自分に対する嫌がらせかなと。外すんだったら自分でも良かったんじゃないかなと。蹴れなかったことでどれだけの夜を寝ずに過ごしたか。あのPKでこんなボールを蹴りたいなとか、こんなPKをしたいなと思ったのは、今までにはなかったです。やっぱりあの瞬間が『…』となるところがすごく印象に残っています。あんだけPKを外したのにもかかわらず、岡田さんが、『お前蹴るぞ』と言っていただき、ボーっとしてた中、すぐ『はい』って言ってしまった自分がどうかしてたんだじゃないかと。でも、結末を見れずに終わってしまったあの瞬間がやはり印象的ですね」
──19年間で誇りに思っていることは
「サッカーの素晴らしさというのは、グラウンドの中もすごいです。試合に関しては、一瞬も1秒も手を抜くことなく、全力で気合を入れてやってきたことを、すごく誇りに思います。時には頭が割れてでも、肉離れになっても、鼻が折れてでも、ピッチに戻ろうとしたその気持ちは誇りに思います。あと、その全力姿勢がそれを生んでくれたかよくわかりませんが、たくさんの素晴らしい仲間に出会えたことも誇りに思います」
──京都で3年間プレーしたがどうだったか、京都へのメッセージは
「率直に3年間ありがとうございます。たくさんのケガに遭い、自分のパフォーマンスがなかなか上がらない中、結果を求められ、自分の本来(のポジション)ではないMF、時にはFWとして使われることが多かった中ですごく、申し訳ない。もっと結果を残さなければいけないなと思いました。この3年間を振り返ってみると、すごく申し訳ない気持ちで過ごしてきました。今度はみんなが喜ばれる新しいスタジアムがオープンするわけで、良いきっかけだなと。J1で戦える京都をもう1度見てみたいなと。だからこそ新しいスタジアムで戦える、『ここに来たら勝つぞ』、『このホームだと強いんだな』というスタジアムにして欲しいと思います。J1に上がるのは簡単ではないことはこの3年間、体で感じたので、是非とも若い力、それにベテランの経験、タフさというのをミックスをして頑張って欲しいと思います」
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