モナコ初陣で黒星スタートのアンリ監督、「ネガティブな結果だが、ポジティブさを保ちたい」
2018.10.21 21:30 Sun
▽モナコは20日、リーグ・アン第10節でストラスブールと対戦し、1-2で敗戦した。同試合後、監督としての初陣を落としたティエリ・アンリ監督が初采配試合を振り返った。フランス『レキップ』が伝えている。
▽開幕戦での勝利以降、10戦未勝利でレオナルド・ジャルディム監督を解任したモナコは、代表ウィーク期間中にクラブOBで元フランス代表FWのアンリ監督を新指揮官に招へいした。
▽そして、アンリ監督は初采配試合としてストラスブールとのアウェイゲームに臨んだ。立ち上がりの17分に相手FWのA・トマソンの正面を突いたヘディングシュートをGKセイドゥ・シーが痛恨のファンブル。いきなりビハインドを背負った中、37分にはキャプテンのFWファルカオが負傷交代を強いられる。
▽さらに67分には途中投入のFWグランサーが不必要なファウルで一発退場に。その後、相手のカウンターから追加点を献上すると、試合終了間際にMFティーレマンスのPKで1点を返すも1-2の敗戦。モナコはアンリ監督の初陣を飾ることができず、公式戦11試合未勝利となった。
▽同試合後、アンリ監督は数々の苦難に見舞われた自身の初陣を振り返っている。
「そこから流れを変えようと奮闘したが、残念ながらグランサーが退場となり、その後はさらに難しくなった。しかしプレーヤーたちは頑張ってプレーし続けた」
「確かにネガティブな結果だが、ポジティブさを保ちたい。こちらの流れになっていた可能性もあったが、実際は違った。ファルカオを早い段階で失ったのも想定外だった」
▽なお、アンリ体制初勝利を目指すモナコは24日に行われるチャンピオンズリーグ(CL)グループ第3節でクラブ・ブルージュと対戦する。
▽開幕戦での勝利以降、10戦未勝利でレオナルド・ジャルディム監督を解任したモナコは、代表ウィーク期間中にクラブOBで元フランス代表FWのアンリ監督を新指揮官に招へいした。
▽そして、アンリ監督は初采配試合としてストラスブールとのアウェイゲームに臨んだ。立ち上がりの17分に相手FWのA・トマソンの正面を突いたヘディングシュートをGKセイドゥ・シーが痛恨のファンブル。いきなりビハインドを背負った中、37分にはキャプテンのFWファルカオが負傷交代を強いられる。
▽同試合後、アンリ監督は数々の苦難に見舞われた自身の初陣を振り返っている。
「簡単ではなかった。最初は取り組んできたことを形にしようとしたが、その後にあんな失点をしてしまった。とりたてて説明する必要のない、個人のミスだった。ただ、誰であろうとプレーヤーを非難するようなことはしたくない」
「そこから流れを変えようと奮闘したが、残念ながらグランサーが退場となり、その後はさらに難しくなった。しかしプレーヤーたちは頑張ってプレーし続けた」
「確かにネガティブな結果だが、ポジティブさを保ちたい。こちらの流れになっていた可能性もあったが、実際は違った。ファルカオを早い段階で失ったのも想定外だった」
▽なお、アンリ体制初勝利を目指すモナコは24日に行われるチャンピオンズリーグ(CL)グループ第3節でクラブ・ブルージュと対戦する。
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バルセロナが、モナコのブラジル代表DFヴァンデウソン(23)の獲得に動いているようだ。スペイン『スポルト』が報じている。 来シーズンに向けてバルセロナは、フランス代表DFジュール・クンデの負担が顕著な右サイドバックの補強を優先事項のひとつに定める。 これまではアルメリアのU-23スペイン代表DFマルク・プビル(21)、ラージョ・バジェカーノのルーマニア代表DFアンドレイ・ラティウ(26)らへの関心が伝えられたが、スポーツディレクターを務めるデコ氏はグレミオ時代から目を付けていたブラジル代表DFへの関心をより強めているという。 ハンジ・フリック監督がすでに交渉にゴーサインを出したと言われるなか、デコ氏は旧知の代理人であるジュリアーノ・ベルトルッチ氏と前向きな形での交渉を行ったという。選手自身もカンプ・ノウ行きに前向きな姿勢を見せているようだ。 現時点では移籍金や給与額については議論されておらず、プレミアリーグからの関心も伝えられる同選手のコストはバルセロナにとって割高。だがしかし、左サイドバックでもプレー可能な点を考慮すれば、条件次第で獲得に動く可能性は十分ありそうだ。 2022年にグレミオからモナコへ加入したヴァンデウソンは、爆発的な加速力と正確な右足のキック、細かな足元のテクニックを併せ持つ174cmの攻撃的な右サイドバック。モナコ加入後はここまで公式戦118試合に出場し、8ゴール13アシストを記録。今シーズンここまでは公式戦34試合2ゴール4アシストの数字を残している。 2025.03.25 07:01 Tue2
“エル・ティグレ”ファルカオがモナコで決めた40m超えの超ロングシュート!【インクレディブル・ゴールズ】
サッカーファンなら誰もが一度は見たことがあるであろう歴史に残るスーパーゴール。今回の企画『Incredible Goals』(信じられないゴール)では、これまでに生まれた驚愕のゴールを紹介していく。 今回はコロンビア代表FWラダメル・ファルカオがモナコ時代に決めた超ロングシュートだ。 <div id="cws_ad">◆ファルカオが見せた相手の意表を突く超ロングシュート!<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJtSkhLMmF5QSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> 名門リーベル・プレートで名を上げ、ヨーロッパへ移籍してからはポルトやアトレティコ・マドリーでゴールを量産し、2013年にモナコへ移籍したファルカオ。その類稀な得点能力は、対戦相手にとって常に脅威であり、“エル・ティグレ(スペイン語で虎の意)”の異名を持つ典型的な9番タイプのストライカーだ。 ボックス内での決定力が強みだが、2017年12月12日のクープ・ドゥ・ラ・リーグ、ラウンド16のカーン戦では、相手の意表を突く超ロングシュートも記録している。 1-0とモナコがリードする展開の中迎えた85分、センターサークル付近で味方のボールを受けたファルカオは、反転しながら素早く相手GKの位置を確認すると、素早い振りでロングシュート。完全に意表を突かれた相手GKは慌ててゴールマウスへ走るも、ファルカオのシュートは少しカーブしながらゴールの中央へと吸い込まれていった。 ボックスの外からでも相手の脅威になり得ることを示したファルカオ。モナコでは公式戦140試合に出場し、83ゴールをマークしている。 2020.07.17 14:00 Fri3
ムバッペ弾で11連勝のモナコが17年ぶり8度目の優勝! PSGの5連覇の夢を打ち砕く《リーグ・アン》
▽モナコは17日、スタッド・ルイ・ドゥで行われたリーグ・アン第31節延期分でサンテチェンヌと対戦し、2-0で勝利した。この結果、モナコの1999-2000シーズン以来、17年ぶり8度目のリーグ優勝が決定した。 ▽1試合未消化ながら前節終了時点で2位パリ・サンジェルマン(PSG)と勝ち点3差の首位に立つモナコ(勝ち点89)は、今節引き分け以上で17年ぶりの優勝が決まる。リーグ10連勝中のモナコは、セントラルMFにバカヨコではなくモウティーニョを起用した以外、今季のベストメンバーを起用。2トップにはムバッペとファルカオが並んだ。 ▽開始5分にボックス左に抜け出したファルカオに決定機が訪れるなど、引いたアウェイチームを押し込むモナコ。さらに17分にはボックス右に抜け出したムバッペが右足を強振するが、ニアサイドを狙ったシュートはサイドネットを叩く。 ▽それでも、攻勢を続けるモナコは19分、相手陣内中央でのボール奪取からファルカオの絶妙なスルーパスに抜け出したムバッペが、ボックス内で飛び出したGKリュフィエをドリブルでかわし、無人のゴールへ流し込んだ。 ▽18歳の新星FWムベッペの今季15点目で均衡を破ったモナコは、その後はやや守備に重きを置いた試合運びを見せると、34分には相手セットプレーでポグバに決定機を許すが、守護神スバシッチの好守で難を逃れた。 ▽迎えた後半も優勢に試合を運ぶモナコは、前半同様にファルカオらに2点目のチャンスも、これを決め切れない。その後、69分にベルナルド・シウバを下げてジェルマンを投入すると、後半最大の決定機が訪れる。74分、右サイドを突破したムバッペからプレゼントパスを受けたジェルマンが右足アウトで無人のゴールに向けてシュートを流し込みにかかるが、これを枠の左に外してしまう。 ▽それでも、優勝に向けてスタンドが沸きに沸く中、試合終了間際にはロングカウンターからルマールのラストパスを受けたジェルマンが、今度は右足インサイドで丁寧に流し込み、試合を決定付ける2点目を奪取。このゴールと同時に試合はタイムアップを迎え、ホーム最終戦で快勝のモナコが、リーグ11連勝で1999-2000シーズン以来、17年ぶり8度目のリーグ優勝を決めた。 2017.05.18 06:24 Thu4
フランスの至宝レマル「アーセナルに行きたかった…」
▽モナコのフランス代表MFトマ・レマル(22)が、昨夏のアーセナル行きが破談になったことを後悔しているようだ。イギリス『スカイ・スポーツ』がフランス『Telefoot』の報道をもとに伝えている。 ▽モナコで絶賛急成長中のレマル。左ウイングを主戦場とし、今季はここまでリーグ戦22試合で2ゴール8アシストを記録。2016年にデビューしたフランス代表では8キャップを数える世界が注目する有望株だ。 ▽レマルにはレアル・マドリーやプレミアリーグのビッグクラブからの関心が伝えられ、昨夏にはアーセナルが獲得寸前に迫っていたというが、結局交渉は破談。同選手は『Telefoot』に対し、移籍できなかったことに後悔していることを認めた。 「後悔? そうだね、ちょっと残念だったよ。でもそれは終わったこと、もう終わったことなんだ」 「次の移籍市場でクラブがまた僕に興味を持ってくれるよう努力を重ねていくつもりだ。全てのオファーを聞く準備はできている。僕はフットボーラーでフットボールが好きなんだ。どんな可能性も捨てないよ」 2018.03.26 15:05 Mon5
