マジョルカ、バレンシアDFラトとエルチェMFマスカレルを獲得
2023.06.28 07:30 Wed
マジョルカは27日、バレンシアのスペイン人DFトニ・ラト(25)とエルチェのスペイン人MFオマール・マスカレル(30)の獲得を発表した。ラトとは2027年6月までの4年契約を、マスカレルとは2026年6月までの3年契約を結んでいる。
バレンシアの下部組織で育ったラトは、左サイドを主戦場とするワイドプレーヤー。バレンシアでは公式戦104試合に出場し、今季はラ・リーガ24試合に出場したが、先発は9試合に留まっていた。
一方、セントラルMFのマスカレルは、レアル・マドリーの下部組織出身。レアル・マドリーでは1試合に出場した後、ダービー・カウンティやフランクフルト、シャルケと国外でプレー。
2021年夏にスペインに戻り、エルチェでプレーしていた。今季はラ・リーガ28試合(全試合先発)に出場し、主力としてプレーしていた。
バレンシアの下部組織で育ったラトは、左サイドを主戦場とするワイドプレーヤー。バレンシアでは公式戦104試合に出場し、今季はラ・リーガ24試合に出場したが、先発は9試合に留まっていた。
一方、セントラルMFのマスカレルは、レアル・マドリーの下部組織出身。レアル・マドリーでは1試合に出場した後、ダービー・カウンティやフランクフルト、シャルケと国外でプレー。
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2人で苦しい環境に置けば成長するんだなとつくづく思いました ー今後は指導者の可能性もあるのか 今までの経験を伝えなきゃいけないと思います。指導者ということも、どう指導するか、ライセンスゼロなので分からないですが、もっともっとサッカーのことも知りたいし、勉強したいということもあります 他にも違うことにチャレンジしていきたいというのもありますので、少しゆっくりして考えていきたいと思います ーセレッソに復帰するときに森島寛晃社長も大きかったと思う。背番号20を背負うときは西澤明訓への思いもあったと思うが引退はどう伝えたのか 自分の中で決めて、お伝えしました。辞めますと セレッソに戻ってこれたことに感謝していますし、恩返しという気持ちできたと伝えました ー2人からの言葉は まだできるだろうと言われました ー引退後の一番の楽しみは 今はゴルフに毎日行きたいぐらい、チャレンジしたいと思います まずは90切りを狙っていきたいなと。それを達成できたら、次の目標を立てて色々やっていきたいです 今のベストスコアは「91」です。あとちょっとです ーJリーガーを目指す全国の子供たちへメッセージを 今はサッカーを本当に好きになってもらって、これから大きくなっていくにつれて、大変なこと、上手くいかないことも出てくると思います そんな時にも投げやりにならずに、少しずつでも良いので、努力して、コツコツやることで後で大きくなり、自信につながる。諦めずに苦しいことにも立ち向かって、頑張って欲しいなと思います そうすると夢が叶うと僕は思っています ーライバル視していたDFの方、影響を受けた攻撃の選手は ディフェンスの選手は特にライバルという風に全く見たことがないです。凄い選手は一杯いましたが、僕はどう崩して点を取ることしか考えていなかったので、ライバルはいません 前の選手は森島さんに憧れてセレッソを選びましたし、森島さんを抜かないと試合に出られないと思っていたので、森島さんから全てを学んで、いつか抜ければ良いなと思って頑張ってきました ー天国のお父さんににどんなことを伝えたか (涙が止まらない大久保)やっぱり凄く厳しい父でしたけど、父が居なければ、サッカー選手になれていないかなと思います 報告したら、よくやったなと言われると思います 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