ローマの時間稼ぎに怒ったボールパーソンが思い切り投げつける!選手にはイエローカード
2021.04.09 11:46 Fri
【動画】遅延行為にイラついたボールパーソンが顔面にボールを投げつける
lol pic.twitter.com/M24RZMRgTI
— Timothy Burke (@bubbaprog) April 8, 2021
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スカッとゴール! ロマーリオの妙技「ラーボ・デ・バッカ」
ストレスフルなこの社会。観るだけでスカッとするようなゴールで気分を晴らすのもアリなのでは。今回の企画では、朝の通勤時間などにオススメの爽快なゴールを映像付きでご紹介していきます。 2021年1月8日にご紹介するのは、今から28年前に元ブラジル代表FWロマーリオ氏が決めたゴールです。 <div id="cws_ad">◆ライバル、レアルを粉砕するロマーリオの妙技「ラーボ・デ・バッカ」が炸裂! <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJXSWlPNnhodCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> ◆ここがスカッと! ラーボ・デ・バッカとは、ポルトガル語で「牛のしっぽ」という意味。DFを背負った状態もしくはDFから遠い足でボールを保持した状態から、トラップした足のインサイドにボールを引っ掛け、そのままボールをひきずるようにして軸足を中心に180度ターンするテクニックです。ロマーリオ氏のラーボ・デ・バッカが炸裂します。 ◆“ドリーム・チーム”のエース ヨハン・クライフ監督の下、MFミカエル・ラウドルップやFWフリスト・ストイチコフ、DFロナルド・クーマンらを擁し“ドリーム・チーム”と呼ばれた1990年代前半のバルセロナ。1993年1月8日に行われた“エル・クラシコ”では、当時バルセロナのエースだったロマーリオ氏が伝説を作りました。 レアル・マドリーのホームスタジアムであるサンティアゴ・ベルナベウで行われた伝統の一戦に先発出場したロマーリオは、前半24分にボックスすぐ外でMFジョゼップ・グアルディオラの縦パスを受けます。 この時は相手DFを背にした状態でしたが、すぐさま反転しながらインサイドでボールを引きずるラーボ・デ・バッカで相手を置き去りに。そして、フリーとなったロマーリオは右足のアウトサイドキックで飛び出したGKの横を抜くシュートをゴール右に流し込みました。 その後、ロマーリオは後半9分、同36分に2ゴールを決めハットトリックを達成。クラシコという舞台で大仕事を成し遂げています。 2021.01.08 07:00 Fri2
アス紙のバルセロナ番選出!! バルサ・ベスト11は強力3トップ!!
▽23日にリーガエスパニョーラ第17節、レアル・マドリーvsバルセロナの"エル・クラシコ"が開催される。スペインを2分する大一番を前に、『アス』が特集として両チームのオールタイム・ベスト11を選出した。 ▽今回、アウェイチームとしてサンティアゴ・ベルナベウに乗り込むバルセロナのベスト11は、同チームの番記者として活躍するサンティ・ヒメネス氏が選出した。同氏が選んだバルセロナのベスト11と寸評は以下の通り。 <span style="font-weight:700;">◆バルセロナ・オールタイム・ベスト11</span> <span style="font-weight:700;">GK</span> <span style="font-weight:700;">ビクトール・バルデス</span> ▽バルセロナ史上最高のGKだ。いつも、ライバルチームに対するモチベーションを高く保っていた。ベルナベウでのプレーでも、スタジアムに圧倒されることはなく、プレーしたクラシコのすべてで素晴らしい活躍を見せた。集中力が高く、たとえミスをしたとしても足下の記述が高く、素晴らしい人間性を持っていた。 <span style="font-weight:700;">DF</span> <span style="font-weight:700;">ダニエウ・アウベス</span> ▽こういった試合のために生まれてきた選手だ。このブラジル人は常に戦闘の中に身を置き、攻撃のタイミング、守備のタイミングを正確に理解していた。前線からボールを追い込み、ゴールに貢献した。相手にとっては嫌な選手だっただろう。 <span style="font-weight:700;">ジェラール・ピケ</span> ▽ベルナベウで6-2という歴史的な大勝を飾った試合で最後のスコアラーとなった。彼はバルセロナそのものだ。スーパーカップではマドリ―に敗れ、その後彼は反省の言葉を口にした。つまりそれは、バルセロナが完全に敗北したというわけではない証拠だ。 <span style="font-weight:700;">ロナルド・クーマン</span> ▽彼もまた、こういった類の試合で欠かせない選手の1人だ。相手から自由を奪う。さらにセットプレーでも素晴らしい才能を見せ、マドリーのGKは常に脅威に感じていただろう。彼にとってボールを扱うことは息をすることほど簡単なものだ。 <span style="font-weight:700;">カルレス・プジョール</span> ▽ピケと同様に2-6の歴史的な試合でゴールを奪った選手であり、スペイン代表をワールドカップ優勝に導いた男だ。勤勉で正直な男で、彼がピッチに立っている間は誰もリラックスすることを許されない。 <span style="font-weight:700;">MF</span> <span style="font-weight:700;">セルヒオ・ブスケッツ</span> ▽バルセロナのバランサー。チームの状態を評価する際に、彼のパフォーマンスが重要になってくる。戦術理解度が高く、マドリーを常に苦しめ続けてきた。チームメートのことをよく知り、マドリーを相手に誰よりも優れたパフォーマンスを見せてきた。 <span style="font-weight:700;">チャビ・エルナンデス</span> ▽カンプ・ノウでの5-0、ベルナベウでの2-6を経験している。何があっても彼には問題ない。常にボールを受け、捌き、試合のリズムを生み出す。 <span style="font-weight:700;">アンドレス・イニエスタ</span> ▽最も多くのクラシコに参加した選手。3年前の0-4で勝利したクラシコでは、彼のミドルシュートがさく裂した。イニエスタがゴールを奪うこと自体は珍しいが、その他の場面でつねに相手の脅威となっていた。 <span style="font-weight:700;">FW</span> <span style="font-weight:700;">ヨハン・クライフ</span> ▽すべては彼から始まった。1974年に0-5でバルセロナが勝利した試合から、この歴史が始まった。オランダの魔法使いは、ベルナベウでも脅威だった。さらにコーチとしても多くの勝利をもたらし、バルセロナのスタイルを形成した。 <span style="font-weight:700;">リオネル・メッシ</span> ▽初めてのベルナベウでの試合から、彼は素晴らしい才能をいかんなく発揮していた。19歳だった当時、カンプ・ノウでハットトリックを達成した。その後もマドリ―から多くのゴールを奪っている。 <span style="font-weight:700;">リバウド</span> ▽マドリーはリバウドを止める術を知らなかった。フェルナンド・イエロが相手でも、リバウドは簡単にプレーしてしまう。ベルナベウで決めたハットトリックは、彼のキャリアのハイライトの1つだ。 ※レアル・マドリー編は後程掲載!! 2017.12.22 18:10 Fri3
相手全員の意表を突く横パス!メッシがトリックPKでスアレスをアシスト【ベスト・アシスト】
サッカーのプレーの中で最も目を惹くのはやはりゴールだろう。しかし、時には得点者だけではなく、そのゴールをお膳立てしたラストパスが脚光を浴びるべき場合もある。今回の企画『Best Assist』(最高のアシスト)では、これまでに生まれた素晴らしいアシストを紹介していく。 今回はバルセロナのアルゼンチン代表FWリオネル・メッシが決めたアシストだ。 <div id="cws_ad">◆メッシとスアレスが決めたクライフオマージュPK<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJLM1Rsajk4WCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> 13歳からバルセロナに所属するメッシは、史上最高峰の選手へと成長。クラブを象徴する存在としてチームを引っ張っている。 数々の記憶に残るプレーを見せてきたメッシだが、2016年2月14日に行われたラ・リーガ第24節のセルタ戦で見せたアシストは世界中で大きな反響を受けた。 3-1とバルサのリードで迎えた82分、PKのキッカーを務めたメッシは、自身のリーガ通算300ゴール目となるはずの場面でシュートを打たず、軽く横に流すパスを選択。後方から走り込んだFWルイス・スアレスがゴールを決めた。 PKの場面で直接シュートを打たないプレーは過去にもあったが、特に有名なのはバルセロナのレジェンドであるヨハン・クライフ氏が現役時代に見せたものだ。 アヤックスでプレーしていた1982年、クライフ氏はPKから軽く横パスを出し、GKを引きつけた味方選手からのリターンを受けて無人のゴールにシュートを蹴り込んでいた。 これを真似た例は他にもあり、2005年10月22日にはアーセナルのティエリ・アンリとロベール・ピレスがマンチェスター・シティ戦で実行。しかし、パスを出すはずのピレスが空振りし、2度ボールに触ったことで失敗に終わっている。 メッシとスアレスのトリックPKは、相手へのリスペクトを欠いているという意見もあったが、当時、肺がんを患い闘病中だったクライフ氏へのエールだったとされている。なお、クライフ氏はここから約1カ月後の2016年3月24日に帰らぬ人となった。 2020.12.06 22:00 Sun4
クライフ氏の後継者現る!? バルセロナで“フライング・ダッチウーマン”が誕生!
相手のタックルを柔軟なボールタッチやフェイントかわすプレースタイルや、1974年の西ドイツ・ワールドカップ2次リーグのブラジル戦での滞空時間の長いジャンピングボレーから、“フライング・ダッチマン(空飛ぶオランダ人)”の愛称でも知られた、オランダのレジェンド、ヨハン・クライフ氏。 バルセロナでも選手、そして監督として脈々と続くポゼッションというフィロソフィーを植え付け、偉大な功績を残したクライフ氏だが、バルセロナの女子チームであるバルセロナ・フェミニーノでその後継者候補が誕生したかもしれない。 <div id="cws_ad">【ハイライト】バルセロナ・フェミニーノ4-1 PSV(比較映像は記事下部)<div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJPcVhhaWY5USIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> バルセロナ・フェミニーノは16日、女子チャンピオンズリーグ(WCL)ラウンド32でPSVと対戦。4-1と大勝を飾ったが、その中でオランダ女子代表MFリーケ・マルテンスが決めたゴールが、クライフ氏のゴールに酷似していると話題になっているのだ。 バルセロナ・フェミニーノの1点リードで迎えた40分、右サイドを攻略すると、柔らかいクロスはファーサイドへ入る。そこに走り込んだマルテンスがジャンピングボレーで合わせ、ニアサイドの上を破ってみせた。 バルセロナの公式ツイッター(@FCBarcelona)は、このゴールと、クライフ氏が1973年に決めた全く同じ角度からのジャンピングボレーの映像を「1973年:フライング・ダッチマン 2020年:フライング・ダッチウーマン」というキャプションと合わせて公開。サポーターからは、「易々とクライフと比較してはいけない」といった声もあるものの、バルセロナの、そしてオランダ人選手が決めたということもあり、大きな盛り上がりを見せている。 また、中には16日のレアル・ソシエダ戦で決定機を逸したフランス代表FWアントワーヌ・グリーズマンよりもいいフィニッシュだ。という辛辣な意見もあった。 <div id="cws_ad">【比較映像】1973年:フライング・ダッチマン 2020年:フライング・ダッチウーマン<blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr"> 1973: The Flying Dutchman<br><br> 2020: The Flying Dutch <a href="https://t.co/rICmkK9Vha">pic.twitter.com/rICmkK9Vha</a></p>— FC Barcelona (@FCBarcelona) <a href="https://twitter.com/FCBarcelona/status/1339638777573208067?ref_src=twsrc%5Etfw">December 17, 2020</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script></div> 2020.12.18 12:32 Fri5
「12」を背負っていたレヴァンドフスキの背番号が「9」に決定! 昨季背負ったデパイはやはり退団か?
5日、バルセロナはバイエルンから今夏獲得したポーランド代表FWロベルト・レヴァンドフスキのお披露目をカンプ・ノウで開催した。 新加入選手が恒例で行うカンプ・ノウでのプレゼンテーション。アメリカツアーでのプレシーズンマッチでは「12」を着用していたレヴァンドフスキだが、この日は「9」のユニフォームを背負って登場した。 昨シーズンはオランダ代表FWメンフィス・デパイが背番号「9」を付けていたが、退団に向けて代理人と交渉がスタートされているとも報じられていた。 その中で、背番号がレヴァンドフスキに渡ることに。退団に拍車がかかるものと見られる。 背番号「9」は、デパイの前はマルティン・ブラースヴァイト、ルイス・スアレス、アレクシス・サンチェス、ボージャン・クルキッチ、ズラタン・イブラヒモビッチ、サミュエル・エトー、パトリック・クライファートらが着用。ロナウドやヨハン・クライフなども付けた番号だ。 バルセロナにおける点取り屋がつける背番号だが、レヴァンドフスキはこれまでに見せてきた得点力を発揮できるだろうか。 <span class="paragraph-title">【動画】レヴァンドフスキがカンプ・ノウのピッチでリフティング!</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="in" dir="ltr">Robert Lewandinho! <a href="https://t.co/sNzcJbhPoW">pic.twitter.com/sNzcJbhPoW</a></p>— FC Barcelona (@FCBarcelona) <a href="https://twitter.com/FCBarcelona/status/1555508084440809473?ref_src=twsrc%5Etfw">August 5, 2022</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2022.08.05 21:49 Friローマの人気記事ランキング
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ローマが新スタジアム計画を発表…目玉は欧州最大のクルヴァ・スッド
ローマが新スタジアムの計画を発表した。 ローマは1953年の開場以来、ラツィオと共にスタディオ・オリンピコを本拠地として使用してきた。しかし、幾度か修繕や改修は行っているものの、老朽化が否めないこともあり、クラブは以前から新スタジアム建設への動きを進めていた。 ただ、“地面を掘れば遺跡にあたる”とも言われる「永遠の都」特有の事情もあり、その計画はなかなか進まずにいたが、ライアン・フリードキン副会長とリナ・スルークCEOとローマ市長のロベルト・グアルティエリ氏ら市議会の代表者との会談を経て、新スタジアムの計画を発表した。 『YouTube』での新スタジアムのイメージ動画と共にクラブは今回の計画を以下のように説明している。 「ライアン・フリードキン副会長とリナ・スルークCEOを代表とするASローマのトップマネジメントは、本日、ローマ市長ロベルト・グアルティエリ氏と会談し、クラブの新スタジアムのエキサイティングな計画について話し合いました」 「会議では、プロジェクトの革新性と、フットボールファンと地域社会の両方に約束される数多くのメリットに対する共通の熱意が示されました」 「プロジェクトのビデオプレゼンテーションのリリースは、新しいスタジアムのユニークなビジョンとモダンなデザインを紹介し、熱狂的な反響を呼びました。このビジョンの鍵となるのは、ヨーロッパ最大となる予定の新しいクルヴァ・スッドです。このクルヴァ・スッドは、ASローマのサポーターの揺るぎない情熱の証となるでしょう」 また、フリードキン副会長は、このプロジェクトがクラブだけでなくローマという都市、地域社会においても新たな価値を創造するものになると確信している。 「本日、ローマ市長のロベルト・グアルティエリ氏とお会いし、新しいスタジアムのビジョンを発表できたことを光栄に思います。この素晴らしいスタジアムは、ASローマとそのファンの新しいホームであるだけでなく、ローマ市民全員にとってのランドマークでもあります。ヨーロッパ最大のクルヴァとなる予定の新しいクルヴァ・スッドは、サポーターの情熱とエネルギーを体現する強力な焦点となるでしょう。古典的なローマ建築にインスピレーションを得た象徴的なデザインと最先端の設備を備えたこのスタジアムは、フットボールファンから地元のコミュニティまで、すべての人に世界クラスの体験を提供します」 「ASローマの誇りある管理者として、私たちは、クラブの精神と伝統を体現する空間を創り出すとともに、革新と卓越性の世界的なシンボル、そして環境責任のモデルとなることに尽力しています」 「新スタジアムを環境責任のモデルにするという取り組みは、ローマ市長が指摘したように、クラブの価値観やローマ市のより広範な目標と一致しています」 「両者は、開発のさまざまな側面に焦点を当てる作業グループの設立を含む、プロジェクトを進めるためのロードマップについて話し合い、合意しました。これらのグループは、環境基準とコミュニティの関与に細心の注意を払いながら、プロジェクトがスムーズに進むようにします」 「ASローマとそのリーダーシップは、ファンの体験を向上させるだけでなく、コミュニティと環境にプラスの影響を与えるランドマークを作成することに専念しています。新しいスタジアムプロジェクトは、クラブ、ファン、そしてローマ市の誇りのシンボルとなるでしょう」 <span class="paragraph-title">【動画】ローマの新スタジアム構想が発表!</span> <span data-other-div="movie"></span> <iframe width="640" height="360" src="https://www.youtube.com/embed/RE0m08zRgBo" title=" Towards our new stadium " frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe> 2024.07.25 06:30 Thu2
【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.18“カペッロ・ローマ”スクデットに貢献した中田/ローマ[2000-2001]
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.18</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">2000-2001シーズン/ローマ 〜カペッロ・ローマ〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/2000-01roma.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:ファビオ・カペッロ(54) 獲得タイトル:セリエA 攻撃力8:★★★★★★★★☆☆ 守備力8:★★★★★★★★☆☆ タレント7:★★★★★★☆☆☆ 連係8:★★★★★★★★☆☆ 選手層7:★★★★★★★☆☆☆</p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">常勝のカペッロ・ローマ</div> 1999-00シーズン、同じ街のライバル・ラツィオにスクデットを獲得され、ローマは屈辱のシーズンに終わった。迎えた2000-01シーズン、チームはフィオレンティーナから“ヴィオラの英雄”バティストゥータを獲得。その他、エメルソンやサムエルといった実力者を手に入れて、スクデットを獲得するために十分な戦力を整えた。 リーグが開幕すると、ローマはトッティの創造性溢れるプレーとバティストゥータらストライカーの決定力で破壊的な攻撃を見せつけた。さらに、就任2年目のカペッロ監督が採用する堅い守備戦術も機能し、着実に勝ち点を積み重ねていく。結局、序盤戦からほぼ独走状態を続けたチームは22勝9分3敗、68得点という成績で18年ぶり3回目のスクデットを戴冠した。 2年目のシーズンとなった当時の日本代表MF中田は、あくまでトッティの控えという位置付けだった。それでも腐らなかった中田は終盤戦の第29節、2位ユベントスとの天王山で大仕事をやってのける。2点ビハインドの中、トッティに代わって投入された中田は、見事なミドルシュートでゴールを奪取。さらに、再び自身のシュートからモンテッラの同点弾を演出した。この大一番での活躍が、ローマのスクデット獲得をより確実なものにしたといっても過言ではないだろう。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">前線のトライアングル</div> カペッロ監督の下、チーム内に規律と結果へのこだわりを植え付けられたローマ。守備面では、3バックの中央に入ったサムエルを中心に堅守を披露。ウイングバックに入ったカフーとカンデラは豊富な運動量で上下動を繰り返した。また、ボランチのエメルソンとトンマージが中盤で相手から自由を奪う。 そして、主に攻撃を担当したのが前線の3枚。トップ下に入るトッティを中心としたトライアングルで高速カウンターを仕掛けて得点を重ねた。中田がこの当時、ローマの攻撃がボールを縦に運ぶのが速すぎると漏らしたほど、彼らはボールを縦へ縦へと繋いで相手ゴールを目指した。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">MFフランチェスコ・トッティ(23)</span> ローマの“プリンチペ(王子)”が自身の愛する街に栄冠をもたらした。豪快なシュートに加え、柔らかなタッチのトラップやパスなど、ファンタジー溢れるプレーで攻撃陣を操った。13ゴール挙げるなど得点力を発揮したトッティは、ローマのバンディエラとして現役生活を終えた。 2019.04.12 12:00 Fri3
【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.34“スパレッティの0トップ”セリエA記録となる破竹の11連勝/ローマ[2005-06]
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.34</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">2005-2006シーズン/ローマ 〜スパレッティの0トップ〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/2005-06roma.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:ルチアーノ・スパレッティ(48) 攻撃力8:★★★★★★★★☆☆ 守備力7:★★★★★★★☆☆☆ タレント7:★★★★★★★☆☆☆ 連係10:★★★★★★★★★★ 選手層7:★★★★★★★☆☆☆ </p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">セリエA記録となる破竹の11連勝</div> クラブ史上初のスクデットをもたらしたカペッロ監督が去った2004-05シーズンは、結果が出ずに1シーズンで4人の監督交代が相次ぐなど低迷したローマ。そこで、ウディネーゼで3位という好成績を残したスパレッティ監督に白羽の矢を立てると、翌シーズンに復活を遂げる。 序盤戦こそ不安定な戦いが続いたが、“0トップシステム”を用いるスパレッティ監督の戦術が浸透し始めた第22節から当時のセリエA記録となる破竹の11連勝を達成。カルチョーポリの影響でユベントス、ミラン、フィオレンティーナの3チームがセリエB降格や勝ち点剥奪となったため、2位に繰り上がってシーズンを終えた。 スパレッティ監督に率いられた“ジャッロロッソ”は、その後の2006-07シーズンと2007-08シーズンにおいてもチームの完成度を高めて上々の成績を残した。セリエA・2位、チャンピオンズリーグ・ベスト8、コッパ・イタリア制覇をそれぞれ2年連続で成し遂げ、その称賛された戦術とともに素晴らしいチームとしてヨーロッパに君臨する。ただ、ユベントスが低迷していた当時のセリエAにおいて最強を誇ったインテルの後塵を拝し、スパレッティの下でスクデットを獲得することはなかった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">スパレッティの0トップ</div> 純粋なセンターフォワードがいなかったため、スパレッティが編み出した策がトッティを最前線に置く0トップシステム。このバンディエラのキープ力を軸に、2列目の選手が空いたスペースに飛び出していくという、当時は稀な戦術を用いた。 中盤に下りてボールを受けるトッティは、抜群の展開力で2列目の選手の飛び出しを生かしつつ、ゴール前に顔を出してチーム最多の得点数を記録。ペッロッタ、マンシーニ、タッデイといった2列目は機動力を生かしてボールを引き出し、縦に鋭いサイドアタックを披露した。 ボランチにおいても、巧みな配球を行うデ・ロッシやアクイラーニは前線に飛び出すプレーを披露。また、守備ではメクセスとキブが好連係で相手の攻撃を防ぎ、両サイドバックのパヌッチやクフレが攻守のバランスを取った。2006-07シーズンと2007-08シーズンはサイドハーフもこなせるカッセッティ、トネット、シシーニョらがサイドバックを務めて攻撃力を格段に高めた。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">MFシモーネ・ペッロッタ(28)</span> スパレッティ監督によって新境地を開拓したのがペッロッタだ。2001-02シーズンに躍進を遂げたミラクル・キエーボでは中盤を支えるハードワーカーだった2006年のW杯優勝メンバーは、ローマでトップ下の位置を与えられると完璧に順応。卓越したテクニックはなくとも、豊富な運動量と高度な戦術眼で周囲と絡みながら幾度もチャンスを演出し、司令塔タイプと異なる新たなトップ下像を印象づけた。 2019.04.20 12:00 Sat4
モウリーニョ解任のローマに“レジェンド”デ・ロッシが帰還! 監督就任に「この感動は言葉では言い表せない」
ローマは16日、新監督にダニエレ・デ・ロッシ氏(40)が就任することを発表した。 契約期間は2024年6月30日までの残りシーズンとなる。 デ・ロッシ新監督は、ローマ育ちでアカデミー出身者。2002年にファーストチームに昇格すると、2019年7月にボカ・ジュニアーズに移籍するまでプレー。ローマ時代には2007年、2008年にはコッパ・イタリアで優勝。2007年にはスーペル・コパも制し、フランチェスコ・トッティ氏が引退してからはキャプテンとしてチームを支えた。 引退後はイタリア代表のテクニカルコーチを務め、2021年のユーロ優勝に貢献。2022年10月から2023年2月まではSPALで指揮を執っていたが、半年でわずか3勝に終わり解任されていた。 ローマでは公式戦通算616試合に出場し63ゴール。18年間プレーしたクラブに監督として復帰することとなったデ・ロッシ新監督は、クラブを通じてコメントしている。 「ローマのテクニカル面でのリーダーシップの責任を私に託してくれたフリードキンファミリーに感謝したい。私としては、今からシーズン終了までの間に待ち受ける試練に立ち向かうため、日々の犠牲を払い、自分の中にある全てを捧げる必要があると思っている」 「ベンチに座ることができる感動は言葉では言い表せない。私にとってローマがどんな存在であるかは、誰もが知っているが、我々全員を待っている仕事は既に引き受けた」 「我々には時間がなく、選択肢もない。競争力を持ち、目標のために戦い、達成しようとすることがスタッフと私が自分たちに与える唯一の優先事項だ」 ローマは16日、4シーズン目を迎えていたジョゼ・モウリーニョ監督を解任。就任1年目の2021-22シーズンはヨーロッパ・カンファレンスリーグで優勝。2022-23シーズンはヨーロッパリーグで決勝に進むも、セビージャにPK戦の末に敗れて準優勝。今シーズンはリーグ戦で序盤から調子が上がらず、14日に行われたセリエA第20節でミランに敗れ、3戦未勝利となっており、9位と苦しんでいた。 2024.01.16 22:15 Tue5