Jリーグ30周年で川淵さんが残したかったこと/六川亨の日本サッカー見聞録

2023.05.18 22:00 Thu
©超ワールドサッカー
5月15日はJリーグ30周年を記念して様々なイベントが開催されたが、同じ日にYouTubeで村井満元チェアマンと川淵三郎さんの対談の4回目がオンエアされた。「Jリーグの井戸を掘った人たち」というタイトルの対談では、これまで浦和の元広報の佐藤さんや、ヤマザキビスケット社の飯島社長、鹿島の元スカウト部長の平野さんら7人が登場した。そして連載企画のラストを飾ったのがJリーグ初代チェアマンの川淵さんだった。
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対談は、当初はvol1とvol2で終了する予定だったが、川淵さんから「延長戦」の申し入れがあり、vol3とvol4まで製作することになった。その大きな理由は、川淵さんが「Jリーグの危機」を後世に残したいという思いが強かったからだ。「Jリーグの危機」と聞くと、多くのファンは98年に横浜フリューゲルスが横浜マリノスに吸収合併された出来事を思い浮かべるだろう。しかしvol4最後の登場となったのは、その4年前に消滅の危機に陥った清水エスパルスだった。清水は特定の親会社(母体チーム)を持たない、地元企業117社と約1600人の一般市民の持ち株会による、文字通り「市民のクラブ」としてスタートした。
選手も長谷川健太、堀池巧、大榎克己の清水東三羽がらすをはじめ、澤登正朗、アデミール・サントスの東海大一(現静岡翔洋高)勢、青嶋文明、真田雅則の清水商(現清水桜ヶ丘高)勢、そして三浦泰年と向島健の静岡学園勢と地元出身者が多く、まさにJリーグが理想としたクラブでもあった。

ところが日本のバブルが弾けた94年、清水の運営会社の社長で、筆頭株主のテレビ静岡の社長でもあった戸塚氏が本社ビルを超高層のタワービルにしたものの、バルブ崩壊によりテナントが入らず売却を余儀なくされる。テレビ静岡の撤退と、当時は剰余金があってもプールすることはせず、「税金で取られるくらいなら」と選手の年俸に上乗せしたため、手持ちの資金はほとんどなかったそうだ。
一時はエスパルスの生みの親であり、清水サッカー育ての親でもある堀田哲爾さん(故人)が大手町のパレスホテルまで来て、川淵さんと何度も善後策を協議した。一時は沼津にある老舗のハム・ソーセージ会社がサッカーに理解があるため、スポンサーになるという話もあったそうだ。しかし「沼津の会社が清水援助するのは難しい」ということで、スポンサー話は立ち消えになった。

そこに現れたのが、「2年間だけなら」という条件付きで援助を申し出た、地元清水の物流会社大手の鈴与だった。鈴与は当初の2年間だけでなく、その後も支援を続け、98年には営業権を譲り受けて今日まで清水を支援している。川淵さんいわく、奥さんがサッカーにハマったため、今日まで支援してくれているのではないか、とのことだ。

こうした経緯があっても、川淵さんはそれを公表することはできなかった。地域密着型の「市民クラブ」として理想を掲げてスタートしただけに、消滅させてしまうと「それ見たことか」と言われかねないからだ。さらにバブル崩壊で手を引く企業が出てくるとも限らない。だからこそ、98年にバブル崩壊でクラブ経営からの撤退を余儀なくされたゼネコン大手の佐藤工業と、累積赤字で経営の見直しを迫られる全日空の窮状からクラブの存続が危ぶまれたフリューゲルスが、マリノスとの吸収合併で消滅の事態を避けられたことにホッとしたという。会見では「清水のようにはなりませんでした」と喉まで出かかったそうだ。

98年にJリーグに昇格したものの、その前年に北海道拓殖銀行が経営破綻したことで支援企業も連鎖倒産したコンサドーレ札幌も消滅の危機にあった。しかし元々スポンサーで「白い恋人」で有名な石屋製菓が支援に乗り出し、練習場やクラブハウスを建設した。川淵さんは石屋製菓と、経営破綻の危機にあった神戸を救った楽天の三木谷社長は「ホワイトナイツ(白馬の騎士)」と呼んでいまも感謝しているという。

こうしたエピソードを残しておきたいと、村井元チェアマンとの対談はvol3とvol4の連載となった。いま紹介したクラブだけでなく、平塚(現湘南)や甲府、仙台、福岡、鳥栖らの「消滅の危機」も明かされている。興味のある方は、「Jリーグの井戸を掘った人たち」でググればすぐにわかると思います。

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インドネシアと日本サッカーの関係/六川亨の日本サッカーの歩み

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U-21リーグ創設の不安点/六川亨の日本サッカー見聞録

今シーズンのJリーグも、残すはJ1とJ3の2試合と、J2はJ1参入プレーオフを残すのみとなった。J3はすでに北九州がJ2昇格を決めているが、現在2位の藤枝MYFCはJ2昇格の資格を満たしていない(編集部注:藤枝はJ2ライセンスを保有していない)ため、J2降格チームが1チームか2チームか、どうなるのか最終節まで予断を許されない。 そんなJ3にあって気になるのが、2021年シーズンから導入が予定されているU-21リーグだ。これまでJ3リーグでは、G大阪、C大阪、FC東京の3チームがU-23チームを編成してJ3リーグに参入してきた。 U-23チームを編成してJ3リーグ戦に参入するには、当然のことながらマンパワーと経費が必要になる。例えばFC東京なら、北は青森から南は熊本まで、移動と宿泊の経費はJ1と変わらない。指導陣は分担で担当できてもJ3チームのための専用の広報が必要になるし、ホペイロの仕事も週末に2試合が重なるため重労働になる。 そうした事情からか、強化のためJリーグは2021年からU-21リーグを新たに創設し、全国を4ブロックに分けてJ1~J3の全クラブから参加を募った。いま現在のところ、どのチームが手を上げたのかは明らかではないが、J3リーグからU-21リーグへの変更にはさまざまな意見がある。 もっともと思えるのがレベルの低下だ。J3リーグは下位リーグとはいえプロの3部。そこでは上に這い上がるための熾烈な競争がある。J1リーグはレベルの差に違いはあるものの、上位も下位も基本点にはボールをポゼッションしてDF陣でパスを回しながら攻める。しかしJ3リーグはマイボールになったらパスを回すのではなく、タテに速い攻めを繰り出す。このため選手は休んでいる暇はない。 昨シーズン、FC東京のレギュラーだった若手選手がケガをして、リハビリのためJ1からJ3に戻った時に「体力的にキツい」と言っていたのもJ3リーグの現状を表している。 この、攻守に休みのない激しいプレースタイルは大学勢の上位陣にも当てはまる。昨シーズンのインカレ覇者の法政大学は今年の天皇杯1回戦でブリオベッカ浦安、2回戦で東京V、3回戦でG大阪を撃破した。1回戦で敗れた浦安の都並敏史監督は法政大学を「J2リーグの中位クラスの実力がある」と評価した。 話をJ3リーグに戻そう。攻守に行き来の激しくフィジカルでもガチンコで勝負する年上との対戦の場であるJ3リーグ。そこにチームを送り出しているFC東京の長谷川健太監督は今シーズンを振り返り、U-22日本代表のCBでもある渡辺剛を例に出しながら「剛は大学(中央大)に在学中からJ3 リーグで何試合か使えた。トップチームしかないとなかなか選手を使えない。U-23(J3リーグ)でやったのでキャンプからスムーズに入れた」とJ3リーグの効果を話しつつ、「G大阪なら堂安になる。どれくらいになれば(トップで)使えるか目安になる。久保(建英)にしても、このレベルにくればと秤を持つことができた」と代表選手の成長を見守ってきた。 ただし弊害もあった。週末は2チームに分かれるため、公式戦の前に練習試合ができないこと。そして「ベテランにU-23の試合に行けと言うのは心苦しい。選手にとっては島流しになるような感覚があるだろう。なかなか行けと言いづらい」という心理的な葛藤だ。 それでもベテランの丹羽大輝などは嫌な顔をせずJ3リーグでしっかりとコンディションを維持している。指揮官も「G大阪と同じくFC東京でも協力してくれた」と感謝している。 そして実際に現場で指揮を執るFC東京U-23の長澤徹監督に話を聞いたところ「現場に立っている人間としては、デメリットに目を向けるよりメリットに目を向けるしか関心はありません」という明快な返事だった。 長澤監督はJ3リーグのメリットとして「練習試合と公式戦の違い。アドレナリンの出力が全然違う」と話しながらも、これまでのFC東京はJ3リーグの出場メンバーが足りない時はユースから引き上げて来た。 「16歳から17歳でもJ3リーグに出ていた。やり合いの中での状況判断がゲーム勘につながる。クラブとしてはユースから借りたりしたら、ユースはジュニアユースから借りなければならず、そこでタテズレが起きる。指導者の仕事は個を育てること。そこでは指導者の育成もできます」と、J3リーグからU-21リーグに変わっても、クラブの基本方針に代わりはないことを強調する。 トップチームとセカンドチームで「行き来がスムーズにできればいい」とも話し、懸念材料があるとすれば「指導者にとって、選手を取った、取られただったら不満が出てくる」と言うものの、「いまは長谷川健太監督と同じ思想でやっている」と全幅の信頼を寄せる。 そして「U-21になっても何も変わらないと思うし、U-21に下がるだけ。ストレスなくできるし、上のカテゴリーで戦いたかったらトップチームに行けばいい。U-21はユースの18歳年代と違って完成された選手なので成長できると思う。ヨーロッパでもアンダー21のチームを編成している」と現状を分析する。 最後に長澤コーチは、「トップチームだけの強化ではダメです。育成が大事なのはJ1からJ3のどのチームも分かっている。そのためJ3リーグからU-21リーグに変わっても悲観する必要はありません。問題は、U-21リーグに入れないクラブが出てきた時に、そのクラブをどうするか。これはJリーグだけでなくサッカー界全体で考えないといけません」と、新たなリーグ創設に伴う問題点に警鐘を鳴らしていた。 2019.11.29 22:00 Fri
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20歳の誕生日を迎えた久保建英がFC東京・長谷川健太監督に感謝、20歳の意気込みは「大人のサッカー」

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