キング落選に見る最終メンバー選考の難しさ/六川亨の日本サッカー見聞録
2022.10.30 19:00 Sun
いよいよカタールW杯に臨む日本代表メンバー26名の発表が11月1日に迫ってきた。ネットでも元代表選手がセレクトされる最終26人を予想しているものの、かなり"苦戦"を強いられているようだ。
というのもこれまで森保一監督はほぼ固定されたメンバー、いわゆる「ラージグループ」からの選手選考がほとんどだったため、「サプライズ選出」の可能性がほとんどないからだ。森保監督自身も言っているように、「これまで呼ばれたことのない選手」がW杯メンバー入りすることは100パーセントないと言っていい。
このため、盛り上がりに欠けるのも仕方のないことだろう。
ここらを買って彼を推す代表OBもいるが、果たして森保監督の決断はいかに。
そして「サプライズ選出」がないかわりに、「サプライズ選外」の可能性を指摘する代表OBもいる。本来なら23名の登録枠が26名に増えたものの、それでもここ数試合で招集&起用された実績と、森保監督が採用するだろうシステムとスタメンから、"居場所がない"と思われる選手が出てきてしまう。
こればかりは"神のみ"ではなく"監督のみ"が知る専権事項である。そしてこの「サプライズ選外」は日本が初出場した98年フランスW杯から話題になってきた。Jリーグの開幕から日本代表の中心となってチームを牽引してきた、"キング"カズの落選である。
当時25人の選手で、キャンプ地のエクスレバンに入る前にスイス・ニヨンで合宿中だった岡田武史監督は、22人の最終メンバー登録締め切り日の6月2日の午前、テレビカメラの前でエントリーメンバー22人の名前を読み上げた。
そこで最後に、登録メンバーから外れるのは三浦知良、北澤豪、市川大祐の3人であることを発表した。
誰もが初めての経験となるW杯のメンバー発表。サッカーファンはもとより日本中の関心を集めたし、ジャージ姿の岡田監督ではあったが、日本サッカー界にとって過去に例のない盛大なショーでもあった。
そして岡田監督は「外れるのはカズ、三浦カズ」と言葉を発した。
カズが代表メンバーから外れるだろうと予測したメディアは皆無に近かった。確かにアジア最終予選では韓国戦での負傷から精彩を欠いたこともあった。それでも日本をW杯に導いた功労者である。そのカズがメンバー外になったことは大きなサプライズであり、朝のワイドショーは各局とも大々的に取り上げた。
当のカズと北澤はすぐにチームを離れ、イタリア経由で帰国した。空港での記者会見に金髪にして臨んだカズは「日本代表としての誇り、魂は向こうに置いてきた」との名言を残す。そしてその後も長く現役を続けながら、一度もW杯のメンバーに呼ばれることはなかった。
一方の岡田監督はというと、カズを外した理由をこう述べていた。「3試合をシミュレーションしたなかで、(カズと北澤を)使う場面がなかった」と。
この言葉を聞いて、当時は「第3GKだってほとんど出番はないのだから、例え3試合で出場機会はなくても、これまで日本代表を牽引した功労者だし、チームの象徴的な選手でもある。このため22人のメンバーに入れてあげたらどうだろうか。精神的な支柱にもなるかもしれない」と。
昨年3月のこと。「web Sportiva」の対談で岡田氏は当時の心境をもう少し詳しく述懐している。
「チームが勝つために徹底的にシミュレーションしていくなかで、一番出てくる回数が少なかったのがカズと北澤でした。負けているときは、高さのあるロペスや運動量のあるゴン(中山雅史)を出す。勝っているときは、若くて追い回せる選手がいい。だから、カズと北澤という選択肢が僕の中には出てこなかった」
確かにその通りだろうといま振り返っても納得してしまう。実際、10年南アフリカW杯では「若くて追い回せる」FWとして矢野貴章を「サプライズ選出」し、カメルーン戦(1-0)の残り8分に起用して逃げ切りに成功した。
しかし、「別の考え方もあっての決断ではないか」と考え直したのが2002年の日韓W杯であり、06年のジーコ・ジャパン、そして10年南ア大会の岡田ジャパンでの最終メンバー選考だった。そしてそれは、現在の森保ジャパンにも受け継がれているような気がしてならない。
【文・六川亨】
というのもこれまで森保一監督はほぼ固定されたメンバー、いわゆる「ラージグループ」からの選手選考がほとんどだったため、「サプライズ選出」の可能性がほとんどないからだ。森保監督自身も言っているように、「これまで呼ばれたことのない選手」がW杯メンバー入りすることは100パーセントないと言っていい。
このため、盛り上がりに欠けるのも仕方のないことだろう。
個人的に「サプライズ選出」があるとすれが、9月のドイツ遠征で一度も起用されなかったMF旗手怜央がカタール行きのキップをつかむことだろうか。セルティックでは主力として結果を残している。左SBを始めボランチ、サイドハーフと複数のポジションをできる器用さもある。さらにMF守田英正、田中碧、FW三笘薫とはかつて川崎Fのチームメイトだ。
ここらを買って彼を推す代表OBもいるが、果たして森保監督の決断はいかに。
そして「サプライズ選出」がないかわりに、「サプライズ選外」の可能性を指摘する代表OBもいる。本来なら23名の登録枠が26名に増えたものの、それでもここ数試合で招集&起用された実績と、森保監督が採用するだろうシステムとスタメンから、"居場所がない"と思われる選手が出てきてしまう。
こればかりは"神のみ"ではなく"監督のみ"が知る専権事項である。そしてこの「サプライズ選外」は日本が初出場した98年フランスW杯から話題になってきた。Jリーグの開幕から日本代表の中心となってチームを牽引してきた、"キング"カズの落選である。
当時25人の選手で、キャンプ地のエクスレバンに入る前にスイス・ニヨンで合宿中だった岡田武史監督は、22人の最終メンバー登録締め切り日の6月2日の午前、テレビカメラの前でエントリーメンバー22人の名前を読み上げた。
そこで最後に、登録メンバーから外れるのは三浦知良、北澤豪、市川大祐の3人であることを発表した。
誰もが初めての経験となるW杯のメンバー発表。サッカーファンはもとより日本中の関心を集めたし、ジャージ姿の岡田監督ではあったが、日本サッカー界にとって過去に例のない盛大なショーでもあった。
そして岡田監督は「外れるのはカズ、三浦カズ」と言葉を発した。
カズが代表メンバーから外れるだろうと予測したメディアは皆無に近かった。確かにアジア最終予選では韓国戦での負傷から精彩を欠いたこともあった。それでも日本をW杯に導いた功労者である。そのカズがメンバー外になったことは大きなサプライズであり、朝のワイドショーは各局とも大々的に取り上げた。
当のカズと北澤はすぐにチームを離れ、イタリア経由で帰国した。空港での記者会見に金髪にして臨んだカズは「日本代表としての誇り、魂は向こうに置いてきた」との名言を残す。そしてその後も長く現役を続けながら、一度もW杯のメンバーに呼ばれることはなかった。
一方の岡田監督はというと、カズを外した理由をこう述べていた。「3試合をシミュレーションしたなかで、(カズと北澤を)使う場面がなかった」と。
この言葉を聞いて、当時は「第3GKだってほとんど出番はないのだから、例え3試合で出場機会はなくても、これまで日本代表を牽引した功労者だし、チームの象徴的な選手でもある。このため22人のメンバーに入れてあげたらどうだろうか。精神的な支柱にもなるかもしれない」と。
昨年3月のこと。「web Sportiva」の対談で岡田氏は当時の心境をもう少し詳しく述懐している。
「チームが勝つために徹底的にシミュレーションしていくなかで、一番出てくる回数が少なかったのがカズと北澤でした。負けているときは、高さのあるロペスや運動量のあるゴン(中山雅史)を出す。勝っているときは、若くて追い回せる選手がいい。だから、カズと北澤という選択肢が僕の中には出てこなかった」
確かにその通りだろうといま振り返っても納得してしまう。実際、10年南アフリカW杯では「若くて追い回せる」FWとして矢野貴章を「サプライズ選出」し、カメルーン戦(1-0)の残り8分に起用して逃げ切りに成功した。
しかし、「別の考え方もあっての決断ではないか」と考え直したのが2002年の日韓W杯であり、06年のジーコ・ジャパン、そして10年南ア大会の岡田ジャパンでの最終メンバー選考だった。そしてそれは、現在の森保ジャパンにも受け継がれているような気がしてならない。
【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた
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FW起用の松木が新境地を開くか/六川亨の日本サッカー見聞録
昨日9日の夜は、スポーツファンは大いに盛り上がったのではないだろうか。18時過ぎからワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のテレビ中継がスタート。19時30分過ぎには始球式を行った森保一監督のズーム会見もメディア向けに行われた。 そして侍ジャパンはチャンスを迎えながらもなかなか追加点を取れない展開で、21時からはU-20アジアカップの第3戦、日本対サウジアラビア戦も始まった。こちらはパソコンのDAZNで観戦しつつ、テレビは消音にして2試合同時の観戦だった。 日本は、勝てばもちろん引き分けでも決勝トーナメント進出が決まる。対するサウジアラビアは、初戦でキルギスに1-0と勝利したものの、中国に0-2と敗れているため最低でも引分けなければ決勝トーナメントには進めない(同時刻キックオフの中国対キルギス戦の結果にもよる)。そこで[5-3-2]の守備重視のシステムを採用したのは当然の策だった。 対する日本はというと、本来はボランチや、FC東京ではインサイドハーフで起用されることの多い松木玖生を、同じFC東京のFW熊田直紀と2トップで起用したのには驚かされた。冨樫剛一監督は、松木の体幹の強さとスピードによる前線からの守備に期待したのだろう。そしてこの起用は別の意味で的中した。 前半15分に山根陸(横浜FM)のロングパスから左サイドを崩すと、最後は松木がボックス内左で相手をかわして先制点を決める。さらに後半29分、サウジアラビアに同点ゴールを許した4分後、左CKをニアサイドで頭で合わせて勝ち越しゴールを左上に決めた。解説者の水沼貴史氏も「本当に凄いな」とつぶやくほどの勝負強さを発揮したのだ。 この試合、日本は引き分けでも決勝トーナメントに進めたわけだが、サウジアラビアからすれば同点に追いついたことで「行ける」と自信を深めたことだろう。実際、“個の力による突破"という伝統はアンダー世代でも変わらず、1人で2〜3人をかわす力はあった。 そんなサウジアラビアの出鼻をくじく意味でも、松木の一撃は大きかった。 今から12年前、ドイツで開催された女子W杯決勝、アメリカ戦で延長後半終了3分前、左CKから右足アウトサイドのボレーで同点ゴールを決めた澤穂希のプレーを思い出さずにはいられなかった。 これまでは守備的な選手というイメージの強かった松木。昨シーズンもJ1リーグでは2ゴールにとどまっていた。しかしサウジアラビア戦で2トップに起用されたことで見事に結果を出した。まずは12日の準々決勝、ヨルダン戦に勝利してU-20W杯の出場権を獲得することが先決だが、今大会で新境地を開く可能性も大いにあるだろう。富樫監督の起用法も含めて、松木の“進化"を注視したい。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.03.10 19:30 Fri新ミュージアムに期待したいこと/六川亨の日本サッカー見聞録
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すでに当サイトでも既報の“誤審問題"である。扇谷健司審判委員長が22日に臨時のメディアブリーフィングを開催して事実経過を報告した。 問題のシーンは後半29分、広島の左CKで起きた。野津田岳人のクロスをDF佐々木翔がフリック。これをMF川村拓夢がヘディングでゴール右スミに叩きつけた。札幌GK菅野孝憲は左足で掻き出したものの、ゴール真横からとらえた映像では完璧にゴールラインを割っていた。 しかし主審と副審はゴールと認めず、VARも映像を確認したにもかかわらず主審の判定を覆すことも、オンフィールドレビューも勧めなかった。 先月27日、夢フィールドで開催されたレフェリーブリーフィングでは、VARが行われている模様を、実際の映像を見ながら見学することができた。VARとAVARは攻撃の起点が決まると、声を出して確認しあう。片時も目を離すことはできないし、無駄口を叩いている暇などもちろんない。 そして問題のシーンがあると、2名の画像操作担当者に指示を出して、問題のシーンをリプレーさせる。どのプレーまで遡って戻るのか、指示を出すのもVARの仕事だ。それだけでも2~3分はあっという間に過ぎてしまう。VARいわく「今日は事前に分かっていたので何度も練習したため早くジャッジできました」ということだった。 そうした現場を見ていたため、 「VARが暗い中でやっていて、追い込まれており、もしかしたらピッチ上の判定をサポートしたいとか、少しでもわかりにくいものを決断しないことはあるかもしれません」という扇谷委員長の言葉には頷けた。 とはいえ、「多くの皆さまがあの映像を見たときに入っていると思われている。私もそう思います。最終的に判断していても、決断ができないということは否めません。今回の場合はボールとゴールポストの間にしっかり緑の芝生の色が見えている。そうした場合にはVARとして判断して、オンフィールドレビューではなくVARオンリーレビューで主審に得点を認めて下さいと伝えるべきだった」と結論づけた。 この広島対札幌戦の主審は38歳の一級審判員で、この試合で通算12試合目。VARも41歳の一級審判員で、この試合までJ1の主審歴は9試合(J2は29試合)しかない。そのため「もう少し教育が必要。基本的なことをもう一度改めて伝えていく必要がある。そのためには一定期間が必要」(扇谷委員長)として、Jリーグの担当から外される可能性をほのめかした。 改めて言うまでもなく、サッカーはミスのスポーツである。VARというテクノロジーを使っても、最終的に人間が判断する以上、ミスはつきものだ。勝負に直結する“ゴールか否か"に関しては、カタールW杯やプレミアリーグで導入されているゴールラインテクノロジーを導入するしかないだろう。 しかしながら「いままでもゴールラインテクノロジーの議論はしている。しかし日本のスタジアム環境ではできない可能性が高い。ある会場だけやるのはアンフェアというのがある。すぐにというのは難しい」(扇谷委員長)のが現状である。 それならば、J2リーグにVARを導入することを優先すべきだろう。FUJIFILM SUPERCUPでは、FWピーター・ウタカのゴールが最初はオフサイドとして取り消された。VARの結果が出るまでに5分近く待たされ、その間に何を確認しているのかのアナウンスもなかった。たぶん甲府のサポーターは、VARの有り難みを実感したことだろう。 17日の“金J開幕戦"となった川崎F対横浜FM戦では、後半39分に素早いFKから抜け出したMFマルコス・ジュニオールを、追走したDFジェジエウが後ろから倒してストップした。主審は横浜FMにPKを与え、ジェジエウにはイエローカードを出した。 ところがVARの結果、PKではなくペナルティーアークからのFKに変わり、ジェジエウには『DOGSO(決定的な得点機会の阻止)』でレッドカードが出された。ジャッジの変更に要した時間は3分足らずだったが、これも審判団からの説明はいっさいなかった。普段、スタジアムに行ったことのないファンからすれば、何が起きたのか分からないのではないだろうか。ちょっと不親切に感じた次第である。 それにしても今シーズンは開幕から判定を巡るトラブルが目立っている。大きなルール変更はオフサイドのジャッジが2面の2Dから立体の3Dに変わったくらいだが、何か他に原因があるのだろうか。週末のJリーグで、連鎖反応だけは避けて欲しいと願わずにいられない。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.02.25 11:30 SatJリーグ30周年の開幕と木之本会/六川亨の日本サッカー見聞録
30周年を迎えるJリーグが17日に開幕した。“金J”ということで1試合限定の開幕戦、さらに横浜FM対川崎Fという昨シーズンの1位と2位による神奈川ダービーとあって、2万人を超えるファン・サポーターが詰めかけた。 試合はというと、いつものようにボールを保持して攻めたい川崎Fに対し、横浜FMは試合開始から強烈なプレスで圧力をかけて川崎Fのビルドアップを寸断。4分にはGKチョン・ソンリョンのミスキックを誘発して先制するなど、昨シーズン王者の貫禄を見せた。 後半は早めの選手交代で攻勢に出た川崎Fに対し、ケヴィン・マスカット監督は「準備段階では予測の部分でボールを握ることを目指していた」と言いつつも、「1、2点入り、相手はホームだし、どんどん前に来た」ことで守勢に回らざるを得なかったことを認めた。 とはいえ、思い起こせば横浜FMは歴史的にカウンターでタイトルを取って来たチームでもある。94年の初戴冠の際はヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)のポゼッションサッカーに対抗するために、井原正巳ら強固な守備陣をベースにカウンターからタイトルを奪取した。 03年と04年の連覇では、岡田武史監督は無理をしてボールポゼッションを高めることはせずにロングボールも多用して、リスクヘッジのサッカーで結果を残した。そんな横浜FMが攻撃的なスタイルでタイトルを獲得したのは19年のアンジェ・ポステゴグルー監督時代くらいだろう。 しかしマスカット監督になってからは、チームの完成度は高いし、選手層も厚いものの、「スペクタクルか」と問われれば首を捻らざるを得ない。 今シーズンのJ1リーグはこの横浜FMと川崎F、そして主力選手のほとんどが残留して継続性のある広島の3チームが優勝争いを演じそうだが、川崎Fがポゼッションスタイルを確立するには時間がかかりそうだ。そうなると、「見ていて楽しいサッカー」をどのチームが披露してくれるのか。 浦和は、ビッグクラブと言われるほどには選手のグレードがイマイチだ。神戸のようにもっと選手獲得に投資して欲しい。首都クラブのFC東京も、ブラジル人トリオがいる限り、アルベル監督が理想とするボールポゼッションよりもカウンタースタイルを踏襲せざるを得ないだろう。 30周年ということで、Jリーグは様々なイベントを企画しているが、チームそのものに魅力がないと集客も難しい。チームとして勝利を目指すのは当然として、試合内容にも注目したい30年目のJリーグである。 余談であるが、今週、Jリーグの創設に尽力して、17年に亡くなられた元Jリーグ理事の木之本興三氏を偲ぶ“木之本会”に出席した。日本代表の強化のためにJリーグ創設を決意した結果、五輪は96年のアトランタ五輪以来7大会連続、W杯も98年フランス大会以来、こちらも7大会連続して出場を続けている。 もはや五輪もW杯も、「出場して当たり前」の時代になった。 そんな木之本さんが生前に言っていて印象深いのが、「(86年)メキシコW杯か(88年)ソウル五輪に出場していたら、Jリーグは誕生していなかった」という言葉だ。いずれも最終予選まで日本は勝ち上がったが、W杯予選は韓国に、五輪予選は中国に敗れて国際舞台への道を閉ざされた。 どちらかに出場していたら、「プロリーグを作らなくても出られた」と却下されただろうということだ。いま思い返しても「禍福はあざなえる縄のごとし」といったところだ。 木之本さんは、晩年にはバージャー病という奇病に冒され、両足を膝下から切断した。そんな木之本さんを見舞いに訪れたセルジオ越後さんは、「これでチェアマンになったね」と激励したことを“木之本会”で披露した。木之本さんには川淵さんらJリーグとJFA(日本サッカー協会)の有志がお金を出し合って、ヤマハ製のクルマ椅子を贈呈した。そんなエピソードを、セルジオさんらしいユーモアで紹介したというわけだ。 昨年は来日50周年の記念パーティーも開催されたセルジオさん。サッカーダイジェストの連載も創刊号以来1200回を超えている。これも何気に凄いことだろう。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.02.18 21:45 Sat
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