岡田武史
OKADA Takeshiポジション | 監督 |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1956年08月25日(68歳) |
利き足 | |
身長 | |
体重 |
ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
岡田武史のニュース一覧
日本代表のニュース一覧
岡田武史の人気記事ランキング
1
「立派なスピーチ」「涙腺崩壊」引退セレモニーで駒野も感極まる、本音覗く長男のメッセージに「ヤバい...もらい泣き」
今季限りでの現役引退を発表したFC今治の元日本代表DF駒野友一(41)が感極まった。 和歌山県出身の駒野はサンフレッチェ広島の育成組織から2000年にトップチームに昇格。ジュビロ磐田、FC東京、アビスパ福岡への移籍を経て、2019年には南アフリカ・ワールドカップ(W杯)での恩師、岡田武史氏に誘われるようにして今治へと加入した。 今治のJ3昇格にも貢献したサイドバックへは、今季のホーム最終戦となった13日の第33節AC長野パルセイロ戦後にセレモニーが催された。 盟友の森﨑和幸氏、林卓人(サンフレッチェ広島)、前田遼一氏がサプライズで登場したことも話題となったが、多くのファンの心を揺さぶったのは、「23年間お疲れさまでした」と始まった息子からのメッセージだったのではないだろうか。 「パパが引退すると聞いた時は涙が出ました。パパは僕の一番の憧れのサッカー選手だからです」 「何度失敗しても立ち上がって練習して、パパみたいな努力するサッカー選手になりたいです」 「誰よりもたくさん嬉しいことも、辛いことも乗り越えてきたからこそ、本当にすごいなと改めて感じました」 「だけど、本当は幼稚園生の頃からパパと離れて暮らして寂しかったです。これからはパパと一緒にたくさんサッカーしたり、2人で旅行に行ったり自転車に乗って公園に行ったりしたいです」 憧れのサッカー選手への敬意と、子供としての本音を涙ながらに伝えるメッセージに、駒野も目頭を熱くなった。Jリーグ公式SNSが公開した動画には、「立派なスピーチ」、「涙しか出なかった」、「涙腺崩壊とはこの事か」、「ヤバい…もらい泣き」、「感動」、「泣くに決まってる」などの声が寄せられている。 クラブ、代表を通じて公式戦は700試合以上に出場した鉄人駒野。セカンドキャリアで育成年代の指導者を志すとのことだ。 <span class="paragraph-title">【動画】息子の泣かせるメッセージも…駒野友一の引退セレモニー</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="ja" dir="ltr"> <a href="https://twitter.com/hashtag/2022%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%AE%89%E7%94%B0%E7%94%9F%E5%91%BDJ3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#2022明治安田生命J3リーグ</a> 第33節<br> <a href="https://twitter.com/hashtag/ac%E9%95%B7%E9%87%8E%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%AD?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#ac長野パルセイロ</a><br>ありがとうサービス.夢スタジアム®︎<br><br>駒野選手の引退セレモニーの様子をお届けします<br><br>駒野選手 お疲れ様でしたシーズンラスト1試合、勝利で締め括りましょう<a href="https://twitter.com/hashtag/FC%E4%BB%8A%E6%B2%BB?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#FC今治</a> <a href="https://twitter.com/hashtag/%E5%B8%86%E3%82%92%E5%BC%B5%E3%82%8C%E5%85%A8%E9%80%9F%E5%89%8D%E9%80%B2?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#帆を張れ全速前進</a> <a href="https://t.co/EDtKtzTFGe">pic.twitter.com/EDtKtzTFGe</a></p>— FC今治 (@FCimabari) <a href="https://twitter.com/FCimabari/status/1591776168067596288?ref_src=twsrc%5Etfw">November 13, 2022</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2022.11.19 21:55 Sat2
宮本新会長誕生で『会長の決断』とは/六川亨の日本サッカー見聞録
JFA(日本サッカー協会)は3月23日、新会長に「内定」していた宮本恒靖氏を新たな理事による第5回理事会で、互選を経て第15代の会長に正式に就任したことを発表した。 この会見には22日に亀岡でのU-23日本対U-23マリを取材し、その足で24日のJ2リーグ山口対愛媛、25日に小倉でU-23日本対U-23ウクライナの取材を予定していて移動中だったため参加することができなかった。 ところが仕事仲間が当日、宮本会長の会見を取材した折り、机の上に昨年の会長選の際に作成した“マニュフェスト”があったため、余分に確保して親切にも郵送してくれた。 初めて目にしたマニュフェストの冒頭には「会長選の流れを決定づけた」と言われた岡田武史JFA副会長との対談が6ページにわたってあった。 対談の冒頭、岡田副会長は「代表監督選びについては技術委員会で候補者を選出して、最終的には会長と技術委員長を含めた数名で決めるんだけど、俺は最終的には会長がリーダーシップを発揮して決めなくてはいけないと考えている」と断言した。 その理由として「俺も代表監督時代から言ってはきたけど、技術委員長ではなくてやっぱり会長がやるべきことなんだよね」 「自分のサッカー観を持ったうえで決断するわけだから、(会長は)サッカーをしっかりと知っている人のほうが望ましいし、ツネなら言うまでもない」 元日本代表監督で現職の副会長にここまで言われては、会長選に立候補した鈴木徳昭氏の出番はないだろうと思った。鈴木氏は日本代表でもなければ、日産自動車に所属していた時でもJSLでのプレー経験はない。JFAとJリーグ、さらにW杯招致委員会、AFC、東京五輪招致委員会などで実務を担当してきた“裏方”だったからだ。 そして岡田副会長の「代表監督人事は会長」にも納得してしまった。 岡田監督は加茂周前監督からバトンタッチされ、“ジョホールバルの歓喜”で日本を初のW杯へ導いた。しかしフランスでは3連敗を喫したため、岡田監督の続投を求める声は皆無だった。99年にJ2札幌の監督に就任すると、2000年にはJ2優勝とJ1復帰を果たす。さらに03年からは横浜F・マリノスを率いてJ1リーグ連覇を達成するなど黄金時代を築いた。 そんな同氏が再び代表監督に就任したのが07年12月、イビチャ・オシム監督が脳梗塞で倒れたからだった。小野剛JFA技術委員長からの打診だったが、小野はフランスW杯でコーチに抜擢した旧知の仲だけに断ることはできなかっただろう。 こうして臨んだ南アW杯だったが、大会前にちょっとした“事件”があった。JFA会長に犬飼基昭が就任すると、技術委員長の強化担当に原博実を招聘。小野は「育成」の技術委員長と役職が変更になった。それでも小野は南アW杯前のスイス・オーストリアキャンプから岡田ジャパンを陰ながらサポートした。 南アW杯で岡田は日本人監督として初めてグループリーグを突破した。しかしラウンド16でパラグアイにPK戦の末に敗れた。中村俊輔の負傷が長引き、本田圭佑の0トップという大胆な発想も、岡田監督の評価にはつながらなかった。当時のサッカー界に、「監督は4年で代わるもの」という固定観念も少なくなかった。 岡田監督にしてみれば、早稲田大学の後輩であり、Jリーグでは監督としてこれといった実績のない原技術委員長に出処進退を決められるのは納得のできないことだったのではないだろうか。だから監督人事は「技術委員長ではなくてやっぱり会長がやるべきこと」と断言したと思えてならない。 この「会長が決断する」流れは田嶋幸三・前会長に受け継がれた。 JSLでのプレー経験こそあれ、Jリーグと代表での経験はないもののその実務手腕を見込んで原技術委員長が招いた霜田正浩(現松本監督)は、原がJFA専務理事に転出すると技術委員長に就任。しかし初めての会長選で原を破って会長に就任した田嶋は、原を2階級降格の理事にすることでJFAでの立場を失脚させる。 田嶋会長はロシアW杯を前に技術委員会を再編し、西野朗を技術委員長に招聘し、霜田をNTD(ナショナル・チーム・ダイレクター)に降格。霜田も自ら身を引くことになった。そしてW杯直前にはヴァイッド・ハリルホジッチ監督を解任し、西野を代表監督に据える人事を強行した。 22年カタールW杯で森保ジャパンはグループリーグでドイツとスペインを倒すジャイアントキリングを演じながらもベスト16でPK戦により散った。反町技術委員長は、一説には元チリ代表のビエルサ監督の招聘に乗り気だったという。しかし田嶋会長は大会直後にも森保続投を支持。森保監督と反町技術委員長との関係に配慮して、山本昌邦NTDを招聘したとの噂もある。そして反町技術委員長は3月を持って退任する予定だ。 代表監督人事は、最終的な決断は会長が下すのはどこの国も同じだろう。では技術委員会の役割は何なのか。これはこれで、はっきりさせておく必要がある。会長が「こう言ったから右に倣え」では、“忖度”であり技術委員会の存在意義そのものが問われかねない。 影山雅永技術委員長(男子)や佐々木則夫技術委員長(女子)などを理事職から外し、理事会のスリム化と女性理事の登用に積極的な宮本新会長。男女の代表戦の放映権の高騰により地上波で試合が見られないなど厳しい船出が待ち受けているかも知れないが、まずはパリ五輪男子の出場権獲得に万全の態勢で臨んで欲しい。 2024.03.30 11:00 Sat3
雰囲気が違うと話題!? 長年日本代表の専属シェフとして活躍した西芳照さんが忘年会を報告、森保一監督&岡田武史元監督との3ショットも
日本代表の専属シェフとして長年支えてきたシェフの西芳照さん。カタール・ワールドカップ(W杯)を最後に、日本代表での活動終了を報告していたが、豪華なメンバーでの忘年会を行ったことを報告した。 西さんは、福島県にあるJヴィレッジで総料理長を務め、選手の栄養管理などを行っていた中、2004年に日本サッカー協会(JFA)からの依頼を受けて日本代表のシェフを務めることとなった。 現在はJヴィレッジの食堂「ハーフタイム」のシェフを務めながら、運営するDREAM24の代表取締役社長であり、日本代表の専属シェフとして遠征時に帯同していた。 今回のカタール・ワールドカップ(W杯)にも帯同し、ライブクッキングのスタイルで、選手たちに温かい料理を提供。あと一歩のところでベスト8進出を逃したものの、ドイツ代表やスペイン代表といった強豪国に勝利した選手たちを支えた。 その西さんは、W杯後に代表での活動終了を報告。そして、自身のツイッターで忘年会を行ったことを報告したが、そのメンバーが豪華と話題だ。 「2022森保監督と2010岡田監督との忘年会でした。皆様良いお年をお迎えくださいませ。そして2023年もサッカーだいすきでお願い致します」 なんと、1998年のフランスW杯、2010年の南アフリカW杯で日本代表を指揮した岡田武史氏と、2022年のカタールW杯でベスト16の成績を残し、2026年まで契約延長を遂げた森保一監督との3ショットを公開した。 多くの日本代表選手がお世話になった西さん。日本代表の一員として戦い続けてくれたことには、多くの感謝の声が寄せられた。 <span class="paragraph-title">【写真】雰囲気が全然違う!? 豪華メンツ!岡田元監督、森保監督と専属シェフの西さん</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="ja" dir="ltr">2022森保監督と2010岡田監督との忘年会でした。<br>皆様良いお年をお迎えくださいませ。<br>そして2023年もサッカーだいすきでお願い致します。<a href="https://twitter.com/hashtag/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BB%A3%E8%A1%A8?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#サッカー日本代表</a><a href="https://twitter.com/hashtag/%E9%BA%BB%E7%94%9F%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%A8%E5%BE%B3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#麻生ちゃんと徳ちゃん</a> <a href="https://t.co/DExnPYzvW7">pic.twitter.com/DExnPYzvW7</a></p>— 西芳照 (@dream24_nishi) <a href="https://twitter.com/dream24_nishi/status/1608850318347079680?ref_src=twsrc%5Etfw">December 30, 2022</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2022.12.31 23:15 Sat4
フリック監督解任でドイツ凋落の原因は?/六川亨の日本サッカーの歩み
日本がドイツ戦に4-1と快勝した翌日、飯田橋のJFAハウスでは第19回日本サッカー殿堂掲額式典が、名誉総裁である高円宮妃殿下をお招きして開催された。今年の掲額者は現国士舘大学理事長の大澤英雄氏、元JFA会長の大仁邦彌氏、長年少年サッカーの指導者として育成に貢献し、現在はコメンテーターとして活躍中のセルジオ越後氏、漫画「キャプテン翼」の作者である高橋陽一氏、そして2011年の女子W杯で優勝したなでしこジャパン(日本女子代表チーム)だった。 辛口コラムで知られるセルジオ越後氏だが、前夜の日本の快勝には「何も言うことはありません」と答えて会場の笑いを誘った。そして選手として来日し、その後は1979年に日本で開催された第2回ワールドユース(現U-20W杯)にコカ・コーラ社が大会スポンサーになったことで、「普及をしようと思って」スタートした「さわやかサッカー教室」で全国を巡回。25年間で50万人以上の少年少女を指導した。 指導を始めた当時の日本は「高校生からサッカーを始める子も多かった」時代だった。今回の受賞に関しても、「普及を評価されたのはうれしい。国籍はブラジルですが、日本に来て51年、両親の国でもらえたのもうれしい」と素直に喜びを口にした。 そして今日である。やはりというか、ドイツ代表のハンジ・フリック監督がDFB(ドイツサッカー連盟)から解任された。英BBCによると、1926年に役職が設置されて以来、任期中の解任は初のことだそうだ。 これまでもドイツ(西ドイツ時代を含め)は、代表監督の任期は最低でも8年、2回のW杯というのが暗黙の了解だった。アシスタントコーチ時代を含めれば、代表チームに関わる時間はさらに長い。そうした継続性と合理性・計画性が、彼らのストロングポイントと思われてきた。 実際、28年に監督に就任したオットー・ネルツ(34年の第2回イタリアW杯で3位)からハンジ・フリックまで歴代監督は11人しかいない。日本が、大日本蹴球協会を設立した1921年以降、現在の森保一監督まで延べ30人という人数と比べてもその少なさがわかるだろう(岡田武史氏や長沼健氏の再任は人数にカウントしていない)。 80年代まで、日本の場合は五輪やW杯予選で敗退すると監督交代が基本で、98年に初めてW杯に出場してからは、4年サイクルで監督が代わるのが通例となっていた。それに対しドイツは長期的な視野に立っての強化から、最長ではヨアヒム・レーヴが15年間でW杯は10年南アで3位、14年ブラジルでは優勝、08年のEUROでも準優勝を果たしている。 かつて72年にEUROで初優勝後、74年の自国開催のW杯でも優勝したあとは(ヘルムート・シェーン監督)、96年にEUROで3度目の優勝を飾るまで、ドイツはW杯でも優勝か準優勝が当たり前の時代があった。そんなライバルをゲリー・リネカーは「サッカーは11人でやるスポーツだが、最後に勝つのはドイツだ」という名言を残した。 しかしそれも、W杯で2大会連続してグループリーグ敗退では「過去の名言」と言わざるを得ない。 では、なぜドイツはここまで凋落してしまったのだろうか。シュバインシュタイガーは2013年にバイエルンの監督に就任したベップ・グアルディオラが3年連続してブンデスリーガを制したことで、「ドイツサッカーのバルセロナ化」をもたらしたことが凋落の一因と、日刊ゲンダイIGITALで鈴木良平氏(日本人初のドイツS級ライセンスを初めて取得)が紹介していた。「シンプルにゴールを目指し、劣勢でも諦めない姿勢」、いわゆる「ゲルマン魂」の喪失である。これはこれで、面白い指摘だと思う。 そしてもう1点は、やはり育成が上手くいっていないのか、代表選手のスケールダウンを感じずにはいられない。日本との試合でも、脅威になっていたのはサイドアタッカーのサネとニャブリくらい。そんな彼らも後半、日本が5BKにして人数を増やすと前半の輝きは失われていった。 超大国だったころのドイツ(西ドイツ)には、ローター・マテウスやマティアス・ザマー、ミヒャエル・バラックのような「中盤の将軍」がいた。前線には速さ、強さ、高さを兼ね備えたルディ・フェラー、ユルゲン・クリンスマン、ミロスラフ・クローゼといったストライカーがいた。しかし一昨シーズンまで得点王はロベルト・レヴァンドフスキが5シーズン連続して獲得しているように、ドイツ人選手の影はかなり薄まっている印象が強い。 いまドイツサッカーに何が起こっているのか。それを日本も調べることで、今後の強化に役立てることができるのではないだろうか。ドイツをロールモデルに強化を進めてきた日本サッカーだけに、同じ失敗を繰り返さないためにも彼らの問題点を共有すべきである。 2023.09.12 10:15 Tue5
「背負わなくて良いものを背負ってしまっていた」日本代表キャプテン時代を振り返った長谷部誠、ベスト8の壁を越えるには?「シティやレアルで…」「全てのレベルアップが必要」
日本代表をキャプテンとして支えてきたMF長谷部誠。引退会見では、日本代表への想いも語った。 2002年からプロキャリアをスタートさせた長谷部。浦和の黄金時代を知り、ドイツに渡ってもヴォルフスブルクでブンデスリーガ制覇、フランクフルトではDFBポカールとヨーロッパリーグで優勝と、結果を残してきた。 日本代表としても2006年からプレーし、2018年のロシア・ワールドカップ(W杯)を最後に引退。代表通算114試合に出場し2得点、キャプテンとしては81試合に出場し、歴代最多を記録。2010年、2014年、2018年と3度のW杯を経験し、アジアカップも2011年に優勝を経験するなど、多くのタイトルを手にしてきた。 2010年から2018年まで、キャプテンとして日本代表を支えた長谷部。24日に行われた引退会見では、代表での苦しい時期について言及した。 「ザッケローニ監督の時のクラブで全くベンチにも入れない時期は辛かったなと思います。移籍問題であまり上手くいかなくて、チームに残ることになって、そしてベンチにも入れず、練習も一緒にさせてもらえない時期がありました」 「あの時期はそれでも代表に呼んでもらって、キャプテンとして周りに示さなければいけなかったですが、キャプテンは言葉で伝えることもありますが、プレーや背中で見せなければいけない部分があると思っていたので、説得力がないなと感じていて、凄く悩んで苦しい時期でした」 長谷部は2013-14シーズンにヴォルフスブルクからニュルンベルクへと移籍したが、2011-12シーズンの終盤に移籍話が浮上するとメンバー外に。結局残留を果たすも、シーズン開幕から8試合はメンバー外になるなど、苦しい時期を過ごしていた。 それでもキャプテンとして振る舞わなければいけなかったという日本代表。長谷部なりのキャプテンへの想いも語った。 「日本代表のキャプテンとして8年間ぐらいやらせてもらいましたが、最初は先輩方も多くて、全く自分が何をやれば良いかというのが分からなかったですけど、8年間日本代表のキャプテンを務めることは本当に誇りで、日本の多くの方々に本当に注目していただいて、自分の人となりというか、日本代表のキャプテンというのは日本サッカー界のリーダー的なシンボルになるというイメージもあったので、自分として多少寄せていくところもあって、キャラクターが少し変わった部分もあります」 「今振り返れば、とても大きなもので、自分の人生を変えてくれたもの。信頼して自分をキャプテンにしてくれた岡田さん、歴代の日本代表監督の皆さんには感謝していますし、チームメイトの存在がなかったら、自分はうまく務められなかったと思うので、誇りであり、周りの人に深く感謝しています」 また、「僕自身が、自分自身で背負わなくて良いものを背負ってしまっていた気がします。日本代表のキャプテンはこうあるべきだ、こうなくてはいけないという理想像を描きすぎていて、それに寄ろうとしすぎていた部分があったので、自分で大変にしすぎた部分はあります」とコメント。「大変だったというと、先輩が多かったので、2010年の時はキャプテンというよりはゲームキャプテンという感じで、(川口)能活さんがチームキャプテンとしていたので、ゲームキャプテンとして年齢的にも若い方だったので、顔色を窺いながらやっていた時期は大変でした。2011年からも個性豊かな選手が多くて、日本代表はどの時代も大変でした」と、キャプテンならではの悩みも明かした。 岡田武史監督が当時はまだ若手だった長谷部にキャプテンマークを託すことを決断。ゲームキャプテンではあったものの、その2010年の南アフリカW杯ではベスト16に進出。PK戦でベスト8行きを絶たれた。 2014年はグループステージで敗退したが、2018年のロシアW杯は再びベスト8へ挑戦したが、ベルギー代表の前に土壇場での劇的な敗戦を喫し、長谷部のW杯は終了した。 日本にとっての鬼門となるベスト8の壁。長谷部はこれから見守ることになるが、自分なりの考えを語った。 「僕自身、ヨーロッパで長い間プレーしてきましたが、日本代表を退いてから6年ぐらいが経って、もちろん日本代表の試合を観ることもありますし、2年前はデュッセルドルフであった合宿にも参加させてもらいました」 「日本代表という括りだけでなく、間違いなく日本サッカーは進歩していますが、ベスト8の壁というか、ここからの段階の方が今までのフェーズよりももっと大変なフェーズに入ると思います」 「選手たちも成長してきていますし、ビッグクラブでプレーする選手もいますが、今で言えばマンチェスター・シティ、レアル・マドリーなどで中心としてプレーする選手が出てくれば、安定的にもっと上に行けるのかなというのはあります」 「ただ、サッカーというのは何が起こるかわからないスポーツですし、そういう中で、より経験値を上げることは必要だと思っています」 「選手だけでなく指導者もそうですし、メディアの皆さん、日本のサッカーファンの全ての皆さんのレベルアップが必要だと思います。近道があるわけではないので、日本サッカー界に関わる人たちが一緒になってこれからもやっていければと思います」 「自分もその一部になれればとは思っていますが、自分がそこにどう関われるかということより、自分がヨーロッパのような高いレベルの中で、指導者として経験を積んで、何かを積み重ねていった先に、何か日本サッカーに還元できることがあればと思います」 「大前提として、日本サッカーのために、ここからの道を歩もうとしているということはないです。自分ができることを高いレベルの中でコツコツとやっていきたいと思います」 日本のサッカー、選手たちは成長を遂げているものの、難しいフェーズにも入っているという長谷部。ここから日本はどう成長し、長谷部は将来的に何を還元してくれるのか。海外で活躍する日本人指導者としての先駆者になれるか注目だ。 2024.05.24 17:45 Fri岡田武史の移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
1991年1月1日 | 古河電気工業 | 引退 | - |
1980年1月1日 | 古河電気工業 | 完全移籍 |
岡田武史の監督履歴
就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
2016年3月1日 | 2018年3月24日 | 日本 | 副会長 |
2016年3月1日 | 日本 | 監督 |
2014年11月1日 | 今治 | オーナー |
2013年11月6日 | HZ Greentown | 監督 |
2011年12月15日 | 2013年11月5日 | HZ Greentown | 監督 |
2007年12月10日 | 2010年6月30日 | 日本 | 監督 |
2003年2月1日 | 2006年8月24日 | 横浜FM | 監督 |
1999年2月1日 | 2002年1月31日 | 札幌 | 監督 |
1997年10月5日 | 1998年7月31日 | 日本 | 監督 |
1995年2月1日 | 1997年10月4日 | 日本 | コーチ |
1990年7月1日 | 1995年1月31日 | 東日本JR古河 | コーチ |
岡田武史の今季成績
勝
|
分
|
負
|
北中米W杯アジア最終予選 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
国際親善試合 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2026北中米ワールドカップ アジア2次予選 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
カタール・ワールドカップ 決勝トーナメント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
カタール・ワールドカップ グループE | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
アジアカップ2023 決勝トーナメント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
アジアカップ2023 グループD | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
明治安田J3リーグ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
YBCルヴァンカップ 2024 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
合計 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
岡田武史の出場試合
北中米W杯アジア最終予選 |
第1節 | 2024-09-05 | vs | 中国代表 | ベンチ外 | ||
H 7 - 0 |
第2節 | 2024-09-10 | vs | バーレーン代表 | ベンチ外 | ||
A 0 - 5 |
第3節 | 2024-10-10 | vs | サウジアラビア代表 | ベンチ外 | ||
A 0 - 2 |
第4節 | 2024-10-15 | vs | オーストラリア代表 | ベンチ外 | ||
H 1 - 1 |
第5節 | 2024-11-15 | vs | インドネシア代表 | ベンチ外 | ||
A 0 - 4 |
第6節 | 2024-11-19 | vs | 中国代表 | ベンチ外 | ||
A 1 - 3 |
国際親善試合 |
2024-01-01 | vs | タイ代表 | ベンチ外 | |||
H 5 - 0 |
2026北中米ワールドカップ アジア2次予選 |
第1節 | 2023-11-16 | vs | ミャンマー | ベンチ外 | ||
H 5 - 0 |
第2節 | 2023-11-21 | vs | シリア代表 | ベンチ外 | ||
A 0 - 5 |
第3節 | 2024-03-21 | vs | 北朝鮮代表 | ベンチ外 | ||
H 1 - 0 |
第4節 | 2024-03-26 | vs | 北朝鮮代表 | ベンチ外 | ||
A 0 - 3 |
第5節 | 2024-06-06 | vs | ミャンマー | ベンチ外 | ||
A 0 - 5 |
第6節 | 2024-06-11 | vs | シリア代表 | ベンチ外 | ||
H 5 - 0 |
カタール・ワールドカップ 決勝トーナメント |
ラウンド16 | 2022-12-05 | vs | クロアチア | ベンチ外 | ||
H 1 - 1 |
カタール・ワールドカップ グループE |
第1節 | 2022-11-23 | vs | ドイツ | ベンチ外 | ||
A 1 - 2 |
第2節 | 2022-11-27 | vs | コスタリカ | ベンチ外 | ||
H 0 - 1 |
第3節 | 2022-12-01 | vs | スペイン | ベンチ外 | ||
H 2 - 1 |
アジアカップ2023 決勝トーナメント |
ラウンド16 | 2024-01-31 | vs | バーレーン | ベンチ外 | ||
A 1 - 3 |
準々決勝 | 2024-02-03 | vs | イラン | ベンチ外 | ||
A 2 - 1 |
アジアカップ2023 グループD |
第1節 | 2024-01-14 | vs | ベトナム | ベンチ外 | ||
H 4 - 2 |
第2節 | 2024-01-19 | vs | イラク | ベンチ外 | ||
A 2 - 1 |
第3節 | 2024-01-24 | vs | インドネシア | ベンチ外 | ||
H 3 - 1 |
明治安田J3リーグ |
第1節 | 2024-02-25 | vs | ガイナーレ鳥取 | ベンチ外 | ||
H 1 - 0 |
第2節 | 2024-03-03 | vs | ツエーゲン金沢 | ベンチ外 | ||
A 1 - 3 |
第3節 | 2024-03-10 | vs | アスルクラロ沼津 | ベンチ外 | ||
H 1 - 0 |
第4節 | 2024-03-16 | vs | Y.S.C.C.横浜 | ベンチ外 | ||
A 0 - 2 |
第5節 | 2024-03-20 | vs | FC岐阜 | ベンチ外 | ||
H 0 - 2 |
第6節 | 2024-03-24 | vs | ギラヴァンツ北九州 | ベンチ外 | ||
H 0 - 1 |
第7節 | 2024-03-30 | vs | FC大阪 | ベンチ外 | ||
A 0 - 0 |
第8節 | 2024-04-06 | vs | AC長野パルセイロ | ベンチ外 | ||
H 3 - 3 |
第9節 | 2024-04-10 | vs | テゲバジャーロ宮崎 | ベンチ外 | ||
A 1 - 2 |
第10節 | 2024-04-14 | vs | ヴァンラーレ八戸 | ベンチ外 | ||
A 0 - 1 |
第11節 | 2024-04-27 | vs | 大宮アルディージャ | ベンチ外 | ||
H 1 - 4 |
第12節 | 2024-05-03 | vs | 奈良クラブ | ベンチ外 | ||
A 2 - 1 |
第13節 | 2024-05-06 | vs | カターレ富山 | ベンチ外 | ||
H 0 - 2 |
第14節 | 2024-05-18 | vs | 福島ユナイテッドFC | ベンチ外 | ||
H 1 - 2 |
第15節 | 2024-06-01 | vs | 松本山雅FC | ベンチ外 | ||
A 1 - 2 |
第16節 | 2024-06-08 | vs | FC琉球 | ベンチ外 | ||
A 1 - 0 |
第17節 | 2024-06-16 | vs | SC相模原 | ベンチ外 | ||
H 2 - 1 |
第18節 | 2024-06-22 | vs | いわてグルージャ盛岡 | ベンチ外 | ||
A 0 - 0 |
第19節 | 2024-06-30 | vs | カマタマーレ讃岐 | ベンチ外 | ||
H 2 - 1 |
第20節 | 2024-07-07 | vs | 福島ユナイテッドFC | ベンチ外 | ||
A 2 - 3 |
第21節 | 2024-07-14 | vs | ツエーゲン金沢 | ベンチ外 | ||
H 3 - 0 |
第22節 | 2024-07-20 | vs | AC長野パルセイロ | ベンチ外 | ||
A 0 - 2 |
第23節 | 2024-07-27 | vs | いわてグルージャ盛岡 | ベンチ外 | ||
H 2 - 1 |
第24節 | 2024-08-17 | vs | FC大阪 | ベンチ外 | ||
H 1 - 1 |
第25節 | 2024-08-24 | vs | アスルクラロ沼津 | ベンチ外 | ||
A 1 - 2 |
第26節 | 2024-08-31 | vs | 奈良クラブ | ベンチ外 | ||
H 6 - 0 |
第27節 | 2024-09-07 | vs | ギラヴァンツ北九州 | ベンチ外 | ||
A 0 - 3 |
第28節 | 2024-09-14 | vs | 松本山雅FC | ベンチ外 | ||
H 1 - 1 |
第29節 | 2024-09-21 | vs | SC相模原 | ベンチ外 | ||
A 2 - 0 |
第30節 | 2024-09-28 | vs | ヴァンラーレ八戸 | ベンチ外 | ||
H 3 - 1 |
第31節 | 2024-10-06 | vs | カターレ富山 | ベンチ外 | ||
A 0 - 0 |
第32節 | 2024-10-12 | vs | Y.S.C.C.横浜 | ベンチ外 | ||
H 3 - 1 |
第33節 | 2024-10-19 | vs | 大宮アルディージャ | ベンチ外 | ||
A 1 - 1 |
第34節 | 2024-10-26 | vs | FC岐阜 | ベンチ外 | ||
A 4 - 1 |
第35節 | 2024-11-03 | vs | FC琉球 | ベンチ外 | ||
H 2 - 1 |
第36節 | 2024-11-10 | vs | ガイナーレ鳥取 | ベンチ外 | ||
A 0 - 5 |
第37節 | 2024-11-16 | vs | カマタマーレ讃岐 | ベンチ外 | ||
A 0 - 1 |
第38節 | 2024-11-24 | vs | テゲバジャーロ宮崎 | ベンチ外 | ||
H 1 - 0 |
YBCルヴァンカップ 2024 |
2回戦 | 2024-04-17 | vs | ヴィッセル神戸 | ベンチ外 | ||
H 1 - 2 |