J2最下位の大宮、立て直しへ元Jリーグ副理事長の原博実氏がフットボール本部長に就任「本来持っているものを出し切れていない」
2022.04.12 11:12 Tue
大宮アルディージャは12日、フットボール本部長に原博実氏(63)が就任することを発表した。
原氏は三菱重工サッカー部(現:浦和レッズ)で現役時代プレー。日本代表としても活躍し、国際Aマッチで75試合37得点を記録していた。
引退後は指導者となり、浦和レッズのコーチやユース監督を歴任。1998年2月から1999年6月まではトップチームの監督を務めた。
2002年2月からはFC東京の監督に就任し、2006年1月まで指揮。2007年2月からも1年間監督を務めた。
その後、日本サッカー協会(JFA)の特任理事に就任すると、技術委員長や理事を歴任。2010年9月には日本代表監督の代行を務めて2試合指揮を執った。
Jリーグ副理事長時代には、毎週様々なスタジアムを訪れ、多くの選手と交流を持ち、Jリーグの公式YouTubeチャンネルでも数々の動画に出演。また、「DAZN」の「Jリーグ ジャッジリプレイ」にも出演し、Jリーグを良く知ることでも知られている。
FC東京、JFAでは霜田正浩監督とはタッグを組んだことがある原氏はクラブを通じてコメントしている。
「このたび、フットボール本部長に就任しました、原博実です。大宮アルディージャには大きなポテンシャルがあると思っています。しかし、同時に本来持っているものを出し切れていないとも感じています。大宮アルディージャが持つポテンシャルを十分に発揮できるように、自分自身のこれまでの経験をしっかりと生かして、全力で取り組んでいきたいと思っております」
「私はNACK5スタジアム大宮の雰囲気が大好きですし、あのスタジアムで皆さんと熱く戦えることをとても楽しみにしています。苦しいチーム状況ではありますが、皆さんと一丸となって乗り越えていきたいです」
大宮はJ1昇格を目指したシーズンだったが、開幕から9試合を戦い3分け6敗。唯一の未勝利で最下位に沈んでいる。
原氏は三菱重工サッカー部(現:浦和レッズ)で現役時代プレー。日本代表としても活躍し、国際Aマッチで75試合37得点を記録していた。
引退後は指導者となり、浦和レッズのコーチやユース監督を歴任。1998年2月から1999年6月まではトップチームの監督を務めた。
その後、日本サッカー協会(JFA)の特任理事に就任すると、技術委員長や理事を歴任。2010年9月には日本代表監督の代行を務めて2試合指揮を執った。
その後もJFAの専務理事、常務理事を務め、2016年3月から2022年3月まではJリーグの副理事長を務めていた。
Jリーグ副理事長時代には、毎週様々なスタジアムを訪れ、多くの選手と交流を持ち、Jリーグの公式YouTubeチャンネルでも数々の動画に出演。また、「DAZN」の「Jリーグ ジャッジリプレイ」にも出演し、Jリーグを良く知ることでも知られている。
FC東京、JFAでは霜田正浩監督とはタッグを組んだことがある原氏はクラブを通じてコメントしている。
「このたび、フットボール本部長に就任しました、原博実です。大宮アルディージャには大きなポテンシャルがあると思っています。しかし、同時に本来持っているものを出し切れていないとも感じています。大宮アルディージャが持つポテンシャルを十分に発揮できるように、自分自身のこれまでの経験をしっかりと生かして、全力で取り組んでいきたいと思っております」
「私はNACK5スタジアム大宮の雰囲気が大好きですし、あのスタジアムで皆さんと熱く戦えることをとても楽しみにしています。苦しいチーム状況ではありますが、皆さんと一丸となって乗り越えていきたいです」
大宮はJ1昇格を目指したシーズンだったが、開幕から9試合を戦い3分け6敗。唯一の未勝利で最下位に沈んでいる。
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