元代表選手を次々獲得の南葛SC、伊野波雅彦も加入決定! 「JFL、そしてJリーグへと導く」
2022.03.01 12:55 Tue
関東サッカーリーグ1部の南葛SCは1日、元日本代表DF伊野波雅彦(36)の加入決定を発表した。
伊野波は2006年にFC東京でプロデビュー後、鹿島アントラーズ、ハイドゥク・スプリト(クロアチア)、ヴィッセル神戸、ジュビロ磐田でプレー。2019年2月に横浜FC入りした。
移籍初年度から一定数の出番を掴み、昨季も明治安田生命J1リーグ19試合に出場。だが、同シーズン限りでの契約満了に伴って、退団が決まり、それから無所属の状態だった。
MF稲本潤一、MF今野泰幸、MF関口訓充といった元日本代表選手の加入が続くチームに活躍の場を求めた伊野波は加入に際して、クラブ公式サイトで喜びつつ、移籍の経緯と決意を語った。
「南葛SCに加入が決まりました伊野波雅彦です。まずは、このタイミングで契約を締結していただいたクラブに感謝を申し上げます」
「僕のような年代のサッカー選手では珍しいのかもしれませんが、クラブのオーナーである高橋陽一先生の名作漫画『キャプテン翼』シリーズを実は読んだことがありません。ただ、周囲から漫画のストーリーなどを聞き、主人公の大空翼が中学卒業と同時にブラジルに渡ったことに、とても共感を得ました」
「僕も中学時代に2度、短期のサッカー留学ではありますが渡伯したことが、プロを目指す大きなきっかけになったからです。まさか、このタイミングで接点を持つことになろうとは、少し不思議な感覚に陥ります」
「僕は過去を振り返るようなプロ生活を送りたくはありません。南葛SCに加入が決まった3月1日が未来への第一歩だと捉えています。契約したプロサッカー選手として責任を持ち、南葛SCをJFL、そしてJリーグへと導くべく、精進していこうと思います」
「ファン・サポーターの皆さん、スポンサー企業の皆さん、そして葛飾区の皆さん、ともに進んでいきましょう。よろしくお願いします!」
伊野波は2006年にFC東京でプロデビュー後、鹿島アントラーズ、ハイドゥク・スプリト(クロアチア)、ヴィッセル神戸、ジュビロ磐田でプレー。2019年2月に横浜FC入りした。
移籍初年度から一定数の出番を掴み、昨季も明治安田生命J1リーグ19試合に出場。だが、同シーズン限りでの契約満了に伴って、退団が決まり、それから無所属の状態だった。
「南葛SCに加入が決まりました伊野波雅彦です。まずは、このタイミングで契約を締結していただいたクラブに感謝を申し上げます」
「僕にとって、Jリーグ加盟を目指すクラブでプレーすることは新たな挑戦になります。葛飾という伝統ある街と協働し、クラブを作り上げていく、進めていく道筋に携われることに魅力を感じ、サッカー選手としてだけでなく、人間としての成長につながるのではないかと思い、契約書にサインしました」
「僕のような年代のサッカー選手では珍しいのかもしれませんが、クラブのオーナーである高橋陽一先生の名作漫画『キャプテン翼』シリーズを実は読んだことがありません。ただ、周囲から漫画のストーリーなどを聞き、主人公の大空翼が中学卒業と同時にブラジルに渡ったことに、とても共感を得ました」
「僕も中学時代に2度、短期のサッカー留学ではありますが渡伯したことが、プロを目指す大きなきっかけになったからです。まさか、このタイミングで接点を持つことになろうとは、少し不思議な感覚に陥ります」
「僕は過去を振り返るようなプロ生活を送りたくはありません。南葛SCに加入が決まった3月1日が未来への第一歩だと捉えています。契約したプロサッカー選手として責任を持ち、南葛SCをJFL、そしてJリーグへと導くべく、精進していこうと思います」
「ファン・サポーターの皆さん、スポンサー企業の皆さん、そして葛飾区の皆さん、ともに進んでいきましょう。よろしくお願いします!」
伊野波雅彦の関連記事
J1の関連記事
記事をさがす
|
伊野波雅彦の人気記事ランキング
1
思い出の地・カタールで決断…元日本代表DF伊野波雅彦が現役引退を発表、Jリーグ5クラブやクロアチアでプレー「運命を感じざるを得ません」
元日本代表DF伊野波雅彦(37)が、現役引退を発表した。 鹿児島実業高校から阪南大学へと進学していた伊野波は、2006年にFC東京へ入団。プロキャリアをスタートする。 多くのクラブが獲得に動いた中でFC東京入りを決断したが、ボランチ、サイドバック、センターバックと出場機会を得ながらも2年で退団。2008年に鹿島アントラーズへの完全移籍を果たす。 鹿島でも引き続き主軸を担うと、2011年夏にクロアチアのハイドゥク・スプリトに完全移籍。半年で退団すると、2012年にヴィッセル神戸へと完全移籍。2013年にジュビロ磐田へと完全移籍すると、2016年に再び神戸に復帰。そして、2019年に横浜FCへと移籍し、2022年に南葛SCへと完全移籍していた。 伊野波はJ1通算281試合4得点、J2通算85試合2得点、リーグカップ通算33試合に出場。日本代表としても2014年のブラジルW杯のメンバー入りを果たすなど、21試合に出場し1得点を記録していた。 Jリーグを離れた伊野波は、今シーズン限りでの現役引退を発表。自身のツイッターで報告した。 「カタールの夕暮れ時の少しだけひんやりした空気と、4年に1度の世界一をかけたスタジアムの熱狂を感じながら、頭の中ではっきりと整理できたことがあります。私、伊野波雅彦は2022年シーズンをもって引退することを決断しました」 「運良くW杯決勝を観戦する機会をいただき、フランスVSアルゼンチンの一戦をルサイルスタジアムで体感しました。今までならどんなレベルの試合でも、常に「この選手を自分ならどう止めるか、チームとしてどう止めるか」というプレーヤー目線での思考が働いていました。ただ、今回は1サポーターとして純粋に試合を楽しみ、世界屈指の選手の能力やチーム戦術に感嘆している自分がいました。それに気付いた時「あ、選手として引き際なんだ」と悟りました」 「カタールは私のサッカー人生の中でも特別な場所です。07年10月にU-22日本代表主将として臨んだ北京五輪アジア最終予選カタール戦でハンドの反則を犯して逆転負けの要因を作ってしまった悔しさ、11年1月にザッケローニ監督のもと日本代表の一員としてアジアNO.1を勝ち取った喜びの記憶が入り交じる国だからです。そのような国でW杯決勝を観戦し、このような境地に至ったことは、運命を感じざるを得ません」 「振り返れば宮崎東サッカースポーツ少年団でサッカー人生をスタートさせ、生目台中時代にブラジル留学を2回経験する中でプロになるという目標が明確になりました。その後、鹿児島実業高、阪南大、FC東京、鹿島アントラーズ、ハイデュクスプリトヴィッセル神戸、ジュビロ磐田、ヴィッセル神戸、横浜FC、南葛SCでプレーしてきました。U-20日本代表、U-22日本代表、そして日本代表の一員として日の丸を背負って戦うという貴重な経験もさせていただきました」 「その時々で私と向き合ってくれた多くの指導者の方々、勝利のために切磋琢磨したチームメート、土地土地で私を温かく迎え入れてくれた方々、サポーターの皆様、未だにお付き合いをさせていただいている方も多く、本当にお世話になりました。皆さんなくしては、私のサッカー人生は成り立ちません。皆さんの存在は、プロサッカー選手としての結果以上に私の人生にとっての最高の財産だと思います。本当にありがとうございました」 「今後はサッカーのみならず自分の視野を広げ、最終的にはサッカー界に恩返しするような活動ができればと考えております。既に地元宮崎で小中学生に向けたサッカー教室をスタートさせていますが、子どもたちや地元に還元する活動を活発化させたいと思います」 「長年にわたり、サッカー選手伊野波雅彦を支えていただき、ありがとうございました。これからの人生も皆様へのご恩を忘れることなく歩みを進めていきたいと思います。今後ともご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します!」 2022.12.19 09:55 Mon2