浦和の元日本代表MF阿部勇樹が今季限りで現役引退
2021.11.14 19:09 Sun
浦和レッズは14日、元日本代表MF阿部勇樹(40)が今シーズン限りで現役を引退することを発表した。
2005年、2006年はナビスコカップ(現ルヴァンカップ)の連覇にも貢献。センターバックやボランチなど複数ポジションでプレーが可能となり、「ポリバレント」な選手として価値を高めていった。
2007年1月には当時の国内最高額の移籍金で浦和へと完全移籍。2010年の南アフリカ・ワールドカップ終了後には、当時チャンピオンシップ(イングランド2部)に所属していたレスター・シティへと完全移籍した。
J1ではここまで589試合に出場し75得点、リーグカップでは78試合に出場し13得点を記録。AFCチャンピオンズリーグでも50試合に出場し4得点を記録していた。
また、日本代表としては、アテネ・オリンピック世代として知られ、2003年にジーコ監督によってA代表初選出を受け、2005年1月にデビュー。2006年のドイツ・ワールドカップ(W杯)のメンバーからは漏れるが、オシム監督になってからコンスタントに招集され、岡田武史監督の下で2010年の南アフリカW杯に出場。アンカーとして全4試合でプレーした。
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阿部はジェフユナイテッド市原の下部組織出身。1998年8月のガンバ大阪戦でデビュー。16歳と333日という当時J1最年少記録を樹立した。イビチャ・オシム監督により、チームのキャプテンに抜擢されるとメキメキと頭角を現し、精密なキックでFKからゴールを量産するなどチームの中心選手に成長した。2007年1月には当時の国内最高額の移籍金で浦和へと完全移籍。2010年の南アフリカ・ワールドカップ終了後には、当時チャンピオンシップ(イングランド2部)に所属していたレスター・シティへと完全移籍した。
レスターでも主軸としてプレーしていたが、家族を優先したいという理由で退団。2012年1月に浦和へと復帰。その後は浦和でもキャプテンを務めるなど、センターバックやボランチでチームを支え続けた。
J1ではここまで589試合に出場し75得点、リーグカップでは78試合に出場し13得点を記録。AFCチャンピオンズリーグでも50試合に出場し4得点を記録していた。
また、日本代表としては、アテネ・オリンピック世代として知られ、2003年にジーコ監督によってA代表初選出を受け、2005年1月にデビュー。2006年のドイツ・ワールドカップ(W杯)のメンバーからは漏れるが、オシム監督になってからコンスタントに招集され、岡田武史監督の下で2010年の南アフリカW杯に出場。アンカーとして全4試合でプレーした。
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