元マルセイユ監督のビラス=ボアス氏が世界ラリー選手権デビューへ

2021.05.05 09:50 Wed
Getty Images
今シーズン途中までマルセイユで指揮を執っていたアンドレ・ビラス=ボアス氏(43)が、ラリーの世界でデビューを果たすこととなった。
PR
これまではポルトやチェルシー、トッテナム、ゼニト、上海上港を指揮してきたビラス=ボアス氏。2019年7月からはマルセイユで指揮を執り、日本代表DF酒井宏樹やDF長友佑都を指導してきた。しかし、今年2月に選手の移籍を巡ってクラブと衝突。臨んでいない選手を獲得されたとして、そのまま退団していた。
そのビラス=ボアス氏だが、母国ポルトガルで世界ラリー選手権(WRC)に出場することとなった。

ビラス=ボアス氏は、これまでもモータースポーツの経験があり、2018年にはダカール・ラリーでクラッシュした経験もあるとのことだ。
ビラス=ボアス氏は、WRCの3番目に位置するWRC3に出場。プライベーター(個人参加)としてシトロエンC3を運転することになるようだ。

出場するのは第4ラウンドでポルトガルで開催。5月20日から23日まで開催されることとなる。



PR
1 2

アンドレ・ビラス=ボアスの関連記事

ユベントスはポルトガル代表FWフランシスコ・コンセイソン(21)を買い取るメドが立っているようだ。イタリア『カルチョメルカート』が伝えている。 ユベントスがポルトへ、レンタル料700万ユーロ(約11.4億円)を支払って獲得したコンセイソン。ポルトガルが誇る名手の息子は、ウインガーとして今後への期待値込みでまずまず 2024.10.22 15:00 Tue
贈収賄および八百長の疑いでベンフィカが告発されたことを受け、ポルトがベンフィカへの損害賠償請求の検討に入ったようだ。ポルトガルやオランダのメディアが伝える。 ポルトガル1部で歴代最多の優勝38回を誇るベンフィカに対し、歴代2位の優勝30回ポルトが損害賠償請求へ…。 どういうことかというと、2016〜19年に 2024.10.16 21:25 Wed
ポルトガル代表DFペペ(41)がポルト退団の見通しとなった。ポルトガル『O Jogo』が報じた。 かつてレアル・マドリーでキャリアのいち時代を築き、2019年1月からポルトに復帰のペペ。今年1月に41歳を迎えたなか、クラブレベルでも、代表レベルでもいまだ健在ぶりをアピールする。 今季成績としても公式戦34試 2024.06.18 20:30 Tue
ポルトは7日、ヴィトール・ブルーノ氏(41)の新監督就任を発表した。契約期間は2026年6月30日までの2年となる。 今シーズンのプリメイラ・リーガで3位フィニッシュも、シーズン最終戦となったタッサ・デ・ポルトガル決勝を制して有終の美を飾ったポルト。 しかし、アンドレ・ビラス=ボアス新会長就任に伴い、去就が 2024.06.07 20:32 Fri
ポルトを退任したセルジオ・コンセイソン監督(49)のマルセイユ行きは、雲行きが怪しくなっているようだ。 コンセイソン監督は2017年7月、現役時代もプレーしたポルトに指揮官として復帰。これまでプリメイラ・リーガを3度、タッサ・デ・ポルトガルを4度、タッサ・ダ・リーガを1度制覇するなど、クラブを11個のトロフィー獲 2024.06.06 13:20 Thu

記事をさがす

アンドレ・ビラス=ボアスの人気記事ランキング

1

父親に劣らぬ名ドリブラーへ…ユベントスが21歳コンセイソンの買取にメド、保有元ポルトとみっちり協議へ

ユベントスはポルトガル代表FWフランシスコ・コンセイソン(21)を買い取るメドが立っているようだ。イタリア『カルチョメルカート』が伝えている。 ユベントスがポルトへ、レンタル料700万ユーロ(約11.4億円)を支払って獲得したコンセイソン。ポルトガルが誇る名手の息子は、ウインガーとして今後への期待値込みでまずまずの活躍を披露し、チームの駒として機能する。 レンタル契約には買取オプションが付帯していないそうだが、ユーベは2025年夏の完全移籍移行を念頭に、ポルトとの協議へ。現状、提示2500万ユーロ(約40.8億円)に対し、先方の要求は3000万ユーロ(約48.9億円)だという。 ポルトのアンドレ・ビラス=ボアス会長は先日、コンセイソンについて「まだ我々にとって重要な選手。レンタル契約を認めたのは買取OPゆえ」と語り、安値では売らないと強調した。 ともあれ、ユーベは楽観視。 コンセイソン自身に完全移籍の意向が強いこと、代理人のジョルジュ・メンデス氏と友好関係を築いていること、そして何より、1年後の買い取りを前提に予算が組まれ、ポルトの要求額を支払うメドも立っているとのことだ。 ビラス=ボアス会長も取材対応の最後に、「あれほど優れた才能にはコストがかかる。当然だ。ユーベはその価値を理解していた」と、決して安くないレンタル料を払ったユベントスとの交渉継続を示唆している。 <span class="paragraph-title">【動画】ポルトガルが誇る名ドリブラーの系譜...21歳コンセイソンが一瞬で剥がして決勝弾</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="pt" dir="ltr"> de Francisco Conceição <a href="https://twitter.com/hashtag/UCL?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#UCL</a> <a href="https://t.co/dG2KIlIeC0">pic.twitter.com/dG2KIlIeC0</a></p>&mdash; Liga de Campeones (@LigadeCampeones) <a href="https://twitter.com/LigadeCampeones/status/1842826406541115451?ref_src=twsrc%5Etfw">October 6, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.10.22 15:00 Tue
2

前線の選手が多い?リバプールとチェルシー、両方でプレーした選手たち

例年より約1ヵ月遅れで開幕を迎えたプレミアリーグ。週末に行われる第2節では、いきなりチェルシーvsリバプールというビッグマッチが控えている。 今シーズンも優勝を争うであろう両チームだが、リバプールのエースであるエジプト代表FWモハメド・サラーは2014年冬にバーゼルからチェルシーに加入。チェルシーでは出場機会が限られ、フィオレンティーナ、ローマでの活躍を経てリバプールへと移籍した経緯を持つ。 また、チェルシーに所属するナイジェリア代表MFヴィクター・モーゼスも2013-14シーズンにレンタルでリバプールでプレーした経験を持っている。 他にも、サガン鳥栖にも在籍した元スペイン代表FWフェルナンド・トーレス氏を筆頭に、多くの名選手たちが二つのクラブでプレーしており、イギリス『DUGOUT』がそんな経歴を持つ選手10人を動画で特集している。 また、紹介されている選手以外にも、元イングランド代表FWダニエル・スタリッジらも両クラブでのプレー経験を持ち、全体的に見ると、前線の選手の割合が高いようだ。 <div id="cws_ad">◆リバプールとチェルシーでプレーした選手を映像でチェック<br /><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiI2WVJaQXNYVSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆リバプールとチェルシーでプレーした選手たち FWモハメド・サラー チェルシー(2014-2015)公式戦19試合2ゴール リバプール(2017-)公式戦154試合97ゴール 2012年夏に加入したバーゼルにおいて、チャンピオンズリーグでチェルシーから4試合で4得点を決めると、その後の2014年冬にチェルシーに引き抜かれた。チェルシーでは本領発揮とはいかなかったものの、イタリアでの活躍を経て、2017年にリバプールに加入すると、FWサディオ・マネ、FWロベルト・フィルミノと共に強力な3トップを形成。プレミアリーグ王者リバプールのエースとしてハイペースでゴールを量産している。 MFヴィクター・モーゼス リバプール(2013-2014)公式戦22試合2ゴール チェルシー(2012-)公式戦128試合18ゴール モーゼスは、2010年から所属したウィガンでブレイクし、2012年にチェルシーへステップアップ。しかし、選手層の厚いチェルシーでは充分な出場機会が得られずに、リバプールやストークなど多くのレンタル移籍を経験した。今季は昨季のレンタル先であるインテルからチェルシーに復帰しているが、その去就は不透明だ。 DFグレン・ジョンソン チェルシー(2003-2006)公式戦66試合4ゴール リバプール(2009-2015)公式戦200試合9ゴール ウェストハムの下部組織で育ったグレン・ジョンソンは、2003年にチェルシーへと移籍。しかし、チェルシーではパフォーマンスが安定せず、当時のジョゼ・モウリーニョ監督が連れてきた、DFパウロ・フェレイラにポジションを奪われた。2009年にリバプールへと完全移籍。DFアルバロ・アルベロアがレアル・マドリーへと移籍したために、右サイドのレギュラーポジションを確保していた。 FWフェルナンド・トーレス リバプール(2007-2011)公式戦142試合81ゴール チェルシー(2011-2014)公式戦172試合45ゴール 2007年にアトレティコ・マドリーからリバプールへ移籍。加入初シーズンから得点を量産し、一気にリバプールサポーターの心を掴み、爆発的な人気を誇った。しかし、2011年1月、ライバルクラブのチェルシーへ移籍すると、移籍後初ゴールまで実に903分を要するなど中々結果を残せなかった。それでも、2012年のチャンピオンズリーグ(CL)優勝を経験するなど、多くのタイトルを獲得した。 FWニコラ・アネルカ リバプール(2001-2002)公式戦22試合5ゴール チェルシー(2008-2012)公式戦184試合59ゴール チェルシーでFWディディエ・ドログバと共に一時代を築いたアネルカは、パリ・サンジェルマン在籍時の2001-02シーズンにローンでリバプールに加入。FWマイケル・オーウェンやFWエミール・ヘスキーらと共にプレーした。 MFラウール・メイレレス リバプール(2010-2011)公式戦44試合5ゴール チェルシー(2011-2012)公式戦48試合6ゴール 2010年夏にポルトからリバプールに加入したメイレレスは、シーズン途中でケニー・ダルグリッシュ監督が就任して以降はチームのキーマンに。ファンが選ぶ年間最優秀選手にも選ばれたが、シーズン終了後に同胞のアンドレ・ビラス=ボアス監督が率いていたチェルシーに加入、FAカップとチャンピオンズリーグの2冠に貢献している。 MFジョー・コール チェルシー(2003-2010)公式戦274試合38ゴール リバプール(2010-2011)公式戦42試合5ゴール 2003年にロマン・アブラモヴィッチ体制1年目のチェルシーに完全移籍を果たすと、その翌年に指揮官に就任したジョゼ・モウリーニョ監督の下、右ウイングの主力としてチームのプレミアリーグ2連覇に貢献。伝統的に強さや速さが重視されるイギリスでは珍しい、ファンタジスタタイプの選手として人気を博した。その後、チェルシーでの契約を満了すると、2010年にリバプールに移籍。ここでも10番を背負ったが、ロイ・ホジソン監督の戦術に馴染めず、期待されたような活躍は出来なかった。そのため、2011年夏にレンタル移籍でリール入りし、リバプールに戻ることはなく2013年夏にウェストハムに復帰している。 MFヨッシ・ベナユン リバプール(2007-2010)公式戦134試合29ゴール チェルシー(2010-2011)公式戦24試合1ゴール 攻撃的MFや左右のウイングを主戦場に卓越したテクニックとパスセンス、高いシュートセンスを武器とする、イスラエル史上最高のアタッカーは、ウェストハム、リバプール、チェルシー、アーセナル、クインズ・パーク・レンジャーズ(QPR)とプレミアリーグクラブを渡り歩いた。なお、リバプール時代にはプレミアリーグ、チャンピオンズリーグ、FAカップの3つのコンペティションでハットトリックを記録しており、これはマンチェスター・シティFWセルヒオ・アグエロ、トッテナムFWハリー・ケインの2人しか達成していない偉大な記録だ。 MFボーデヴィン・ゼンデン チェルシー(2001-2003)公式戦59試合4ゴール リバプール(2005-2007)公式戦47試合2ゴール 母国オランダのPSV出身のゼンデン氏は、バルセロナを経て2001年にチェルシーへと加入。スピードのあるサイドアタッカーとして活躍を見せた。その後はミドルズブラを経てリバプールに加入するなど、キャリアの多くをイングランドで過ごした。 MFナイジェル・スパックマン チェルシー(1983-1987、1992-96)公式戦208試合12ゴール リバプール(1987-1989)公式戦63試合0ゴール ボーンマスでプロデビューを飾ったスパックマン氏は、1983年にチェルシーへ移籍。豊富な運動量を武器に、主力として活躍した。1987年にリバプールに移籍した後、QPR、レンジャーズを経て、1992年にチェルシーに復帰。プレミアリーグでも活躍を見せた。 DFジョーイ・ジョーンズ リバプール(1975-1978)公式戦100試合3ゴール チェルシー(1982-1985)公式戦78試合2ゴール ウェールズのレクサムでデビューを飾ったジョーンズ氏は、1975年にリバプールに移籍。左サイドバックとして、1977年のチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)制覇など、クラブの黄金期を支えた。その後、レクサム復帰を経て加入したチェルシーでも活躍を見せた。 2020.09.19 17:00 Sat
3

ポルトの新指揮官は退任コンセイソン監督の右腕に! 監督初挑戦のヴィトール・ブルーノ氏の就任が発表

ポルトは7日、ヴィトール・ブルーノ氏(41)の新監督就任を発表した。契約期間は2026年6月30日までの2年となる。 今シーズンのプリメイラ・リーガで3位フィニッシュも、シーズン最終戦となったタッサ・デ・ポルトガル決勝を制して有終の美を飾ったポルト。 しかし、アンドレ・ビラス=ボアス新会長就任に伴い、去就が注目されていたセルジオ・コンセイソン監督(49)が4日に退団し、新シーズンに向けて新たな指揮官の招へいが急務となっていた。 そういった中、2017年7月の就任以降、最多11個のトロフィーをもたらした名将の後任に指名されたのは、ブラガやナント、ポルトで長らくコンセイソン監督の右腕として手腕を発揮していたブルーノ氏。 1980年代から21世紀初頭にかけてポルトガルフットボール界で手腕を発揮した指導者、ヴィトール・マヌエル氏を父親に持つブルーノ氏は、短い選手キャリアの後に26歳で指導者へ転身。コインブラ大学でスポーツ科学と体育の学位を取得し、以降はプリメイロ・デ・アゴストやアソシアソン・ナヴァル・プリメイロ・デ・マイオ、レイションイスといった国内クラブでアシスタントマネジャーを歴任。 そして、2012年1月にオリャネンセで監督キャリアをスタートしたコンセイソン監督のラブコールを受け、以降は長らく副官として同監督を支えてきた。 ちなみにポルトではサスペンションなどでコンセイソン監督が不在時に17回ベンチ入りし、チームは15勝2分けという驚異的な戦績を残している。 監督キャリアは今回が初めてとなるが、ビラス=ボアス会長は自身の監督時代の経歴もあり、躊躇することなくブルーノ氏に大役を任せることになった。 2024.06.07 20:32 Fri
4

7年ぶりに復帰なるか? ベイル、トッテナム時代は本当に凄かった

レアル・マドリーに所属するウェールズ代表FWガレス・ベイル(31)にトッテナムへの復帰の可能性が浮上している。 元々、ジネディーヌ・ジダン監督の構想外となり、退団の可能性が常に噂されてはいたものの、週給60万ポンド(約8100万円)という高額な給与もあり、中々具体的なチーム名が挙がらなかった中、ここ数年毎年のように可能性が報じられてきたトッテナム復帰の噂が再び過熱しているのだ。しかし今回はイギリスの公共放送局である『BBC』も報じるなど、例年と比べ確度は高い印象だ。 <div id="cws_ad">◆ベイルが無双!2012-13シーズンゴール集<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJseW9WU2MxdSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> マドリーでのベイルは、ラ・リーガ優勝やチャンピオンズリーグ(CL)3連覇を経験した一方で、熱心なゴルフ愛好家としての一面や、代表活動中に「ウェールズ、ゴルフ、マドリー。これが優先順位」と記された巨大なフラッグを掲げるなどのクラブを軽視するかのような言動、そして相次ぐケガによる稼働率の低さが目立ち、サポーターからの信頼を失っている状態だが、トッテナム時代は今ほどの負傷癖もなく、間違いなく攻撃の中心として頼れる戦力であった。 2007年にサウサンプトンからトッテナムに加入したベイルだが、当時は左サイドバックとしてプレー。トッテナム加入以降、リーグ戦24試合、約2年に渡ってベイルが出場した試合ではトッテナムが勝利することができないというやや不名誉な事態が続いたが、当時のハリー・レドナップ監督が2009年9月26日のバーンリー戦で4-0とトッテナムのリードで迎えた85分からベイルを途中出場させ、このジンクスを終わらせたという稀有な出来事を経験している。 ベイルにとって転機となったのは2010-11シーズンのこと。一列前で起用されるようになると、その攻撃力が爆発。2010年10月20日にサン・シーロで行われたCLグループリーグのインテル戦で、当時世界最高のサイドバックの一人であった元ブラジル代表DFマイコンを圧倒してのハットトリックは世界に衝撃を与えた。 天職とも言えるポジションを手にしたベイルは、トッテナムの攻撃を牽引し、ワールドクラスへと成長を遂げるが、最もハイパフォーマンスだったのは2012-13シーズンだろう。 この年、新進気鋭のポルトガル人指揮官アンドレ・ビラス=ボアスが監督に就任すると、ストライカー陣の不振や戦術の浸透の遅れもあり、ベイルをトップ下に置くシステムを採用した。トップ下のポジションで完全な自由を与えられたベイルは、その反則級の身体能力を武器にドリブル突破やミドルシュートを駆使してピッチ上で暴れ回った。 リーグ戦33試合に出場し21ゴール9アシストとまさに無双ともいえる活躍を見せたベイルは、そのシーズンオフに当時世界最高額の1億ユーロ(当時のレートで約130億円)とも言われた移籍金でマドリーへと旅立つ訳だが、それから7年が経過したいま、ベイルがロンドンの地へ舞い戻ることはあるのか。 もちろん、ジョゼ・モウリーニョ監督の戦術との相性やベイルのコンディションの問題など、片づけなければならない問題は山積みだが、ホワイト・ハート・レーンではなくトッテナム・ホットスパー・スタジアムのピッチに立つベイルの姿に期待を寄せるサポーターは少なくないのではないだろうか。 2020.09.17 16:01 Thu
5

いまだ健在のペペがポルト退団へ…ビラス=ボアス新会長が認める

ポルトガル代表DFペペ(41)がポルト退団の見通しとなった。ポルトガル『O Jogo』が報じた。 かつてレアル・マドリーでキャリアのいち時代を築き、2019年1月からポルトに復帰のペペ。今年1月に41歳を迎えたなか、クラブレベルでも、代表レベルでもいまだ健在ぶりをアピールする。 今季成績としても公式戦34試合(3得点2アシスト)をマークしたが、現行契約は今月いっぱい。これから大会最年長出場もかかるユーロ2024に挑むわけだが、現時点で契約延長の音沙汰がない。 そのなか、一部では退団の可能性が取り沙汰されており、アンドレ・ビラス=ボアス新会長がその件に言及。「彼とは私的に話をした。当然、公にするつもりもなかった」とした上で、退団の見通しを認めた。 「彼に伝えたのは当たり前だが、感情の面でも、プロとしての面でも、彼の将来はこのポルトと密接に結びついているということ。ポルトの選手として続けるのはもうない。叶わない理由は本人にも説明済みだ。だが、我々は彼のキャリアに深く敬意を抱いている」 「また違った形もあったが、新たなポルトとしても人件費とコストを削減したいという悩みがある。このことはペペにしっかりと説明し、彼も理解してくれた。これからのキャリアに関しては彼が納得のいく形で決断するだろうし、ポルトの扉も常に開かれている」 2024.06.18 20:30 Tue

NEWS RANKING
Daily
Weekly
Monthly