ユナイテッドに6失点で大敗のローマ、フォンセカ監督のクビは一旦なしか
2021.05.01 17:10 Sat
ローマのパウロ・フォンセカ監督は、シーズン終了までは指揮を執り続けるようだ。イタリア『コリエレ・デッロ・スポルト』が伝えた。
ローマは、4月29日に行われたヨーロッパリーグ(EL)準決勝1stレグでマンチェスター・ユナイテッドを相手に6-2で敗戦。決勝進出がかなり難しい状況に追い込まれてしまった。
この結果には、オーナーであるダン・フリードキン氏も激怒していると報じられ、来シーズンに向けて良い形でシーズンを終えるために、フォンセカ監督の解雇も検討すると報じられた。
チームはマンチェスターからローマに戻った中、フォンセカ監督はゼネラルマネージャー(GM)のチアゴ・ピント氏と話をしたとのこと。代理人とともにトリゴリアの練習場を後にしたようだ。
しかし、すぐに解雇されることはないと報道。少なくとも、今シーズン終了までは監督を続けることになるとした。
ローマは、4月29日に行われたヨーロッパリーグ(EL)準決勝1stレグでマンチェスター・ユナイテッドを相手に6-2で敗戦。決勝進出がかなり難しい状況に追い込まれてしまった。
この結果には、オーナーであるダン・フリードキン氏も激怒していると報じられ、来シーズンに向けて良い形でシーズンを終えるために、フォンセカ監督の解雇も検討すると報じられた。
しかし、すぐに解雇されることはないと報道。少なくとも、今シーズン終了までは監督を続けることになるとした。
ローマはここまでセリエAで7位に位置。ヨーロッパリーグ出場権が得られる6位のラツィオとは勝ち点差「6」となっており、残り5試合での浮上に懸ける事となる。
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