元コロンビア代表GKが提言「コパ・アメリカをディエゴ・マラドーナ杯に改名しよう」

2021.04.17 17:45 Sat
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コロンビア代表で68キャップを数えたレネ・イギータ氏が、ディエゴ・マラドーナ氏の逝去を受けてある提案をした。スペイン『ムンド・デポルティーボ』が伝えている。

昨年11月25日に60歳にしてこの世を去った、フットボール界のレジェンド、ディエゴ・マラドーナ氏。世界中のファンが悲しみに暮れ、現在も死に関する調査が行われるなど影響が残る中、生前に友人関係にあったイギータ氏が、SNSを通じてこんな提案をした。

「我々は最高の南米チームを受け入れる準備ができている。素晴らしいことに、コロンビアとアルゼンチンのが共同開催となるコパ・アメリカが近づいてきている」
「そこで、ディエゴ・マラドーナへのオマージュとして、名前をコパ・アメリカ・ディエゴ・アルマンド・マラドーナにするのはどうだろうか」

昨年開催予定だった同大会は、新型コロナウイルスの影響で今年の6月11日から7月10日に行われることに。招待国としての参加が予定されていたカタール代表とオーストラリア代表は参加を見送った。
なお、マラドーナ氏への追悼の意を表して、古巣クラブであるナポリはスタジアム名を「スタディオ・サン・パオロ」から「スタディオ・ディエゴ・アルマンド・マラドーナ」に変更。また、アルゼンチンではリーグカップ名を「コパ・ディエゴ・アルマンド・マラドーナ」とし、改名後初代王者には、同氏の古巣ボカ・ジュニアーズが輝いている。

1985年から2009年にかけて、主に母国コロンビアのクラブで活躍したイギータ氏。時にセットプレーのキッカーを務めることもあり、FKやPKからキャリア通算41ゴールを記録したことでも知られている。また、しばしばエキセントリックなプレーで不必要なリスクを犯すこともあったそのスタイルから「エル・ロコ(狂人)」というあだ名がつけられていた。

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【マラドーナの思い出②】全盛期に来日したマラドーナ

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J昇格請負人だったウーゴ・マラドーナの訃報/六川亨の日本サッカー見聞録

昨年末のこと、残念なニュースが飛び込んできた。一昨年末に亡くなったディエゴ・マラドーナの末弟であるウーゴ・マラドーナ(52歳)が急逝したとの報道だ。死因はナポリにある自宅で心臓発作を起こしたらしい。 ディエゴ自身もこれまで放映された映画やアマゾンTVが放送しているドラマなどで、ナポリ時代に薬物に手を出したことを告白している。もしかしたらウーゴも同じ道を辿ったとしたら、兄ディエゴは“英雄"だったかもしれないが、ファミリーにとってナポリ時代は悔やまれてならない。 ウーゴの存在を身近に知ったのは、92年に浜松市をホームにするPJMフューチャーズに加入した時だった。 PJMは、アメリカ人のポール・J・マイヤーが開発した人材育成のための能力開発システムで、当時、本田技研の研修を担当していた桑原勝義氏が興味を持ったことから“おとぎ話"はスタートした。桑原は藤枝東高時代に高校選手権で優勝し、その後は日本代表にも選ばれた好選手で、本田サッカー部の監督も歴任した(現JFL理事長)。 桑原氏の夢は、一貫した育成システムで育てた選手を2002年のW杯で日本代表に送り込むことだった。そのために本田を辞め、87年にクワバラスポーツクラブと、本田サッカー部の選手を中心にしたPJMフューチャーズを立ち上げた。 当初の予定は7年後の94年にJSL(日本サッカーリーグ)1部入りを果たすことだったが、時代はJリーグ創設へと動き出した。 Jリーグ入りへ、静岡からはJSL1部のヤマハと本田に加え、県リーグ所属の清水クラブ(後の清水エスパルス)の4チームが名乗りを上げた(その後は中央防犯、現アビスパ福岡もJリーグ入りを表明)。後発であり劣勢が否めないPJMにとって、Jリーグ入りへ起死回生の策だったのが当時29歳のディエゴ・マラドーナの獲得だった。 90年7月、PJMフューチャーズのオーナーでありPJMジャパンの社長の有田平は「移籍金は20億円以上、年俸も希望次第」と発表した。しかしナポリとの契約が93年5月まで残っていたため、マラドーナの獲得は夢のまま終わった。 そんなPJMフューチャーズに転機が訪れたのは東海リーグに昇格した91年、マラドーナ3兄弟の末弟であるウーゴを獲得したことだった。兄に似てずんぐりむっくりの体型のウーゴは、「背番号10は兄ディエゴのためにとっておく」と話していた。ディエゴの夢である「兄弟3人(ラウルとウーゴ)でプレーする」ための布石ではないかと報道されることもあった。 残念ながら兄ディエゴは90年イタリアW杯後の91年にコカイン服用の疑いでイタリア警察から告発され、FIFAからは15ヶ月の出場停止処分を受け、兄弟が揃って日本でプレーする夢はかなわなかった。 それでもウーゴはPJM(後の鳥栖フューチャーズ)でプレーした92年から94年の3年間(東海リーグとJFL)で49試合出場31ゴール、95年は福岡ブルックスに移籍し、JFLでは27試合出場で27ゴールを奪ってJリーグ昇格に貢献、97年には札幌でもチームをJリーグ昇格へと導いた。 偉大すぎる兄と比較されながらも、そのひたむきなプレーは鳥栖や福岡、札幌のファン・サポーターの脳裏に焼き付いているのではないだろうか。遅ればせながら、哀悼の意を表します。 2022.01.10 12:30 Mon

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コロンビア女子の新星18歳カイセド、卵巣がん乗り越え直近全世代の女子W杯でゴールの偉業

コロンビア女子代表FWリンダ・カイセド(18)は今大会注目プレーヤーの1人だ。 コロンビアは25日、オーストラリア&ニュージーランド女子ワールドカップ(W杯)グループHの第1節で韓国女子代表とシドニー・フットボール・スタジアムで対戦。2-0で勝利を収めた。 カタリーナ・ウスメのPKで30分に先制したコロンビア。カイセドも39分、中盤から長い距離を持ち運んでのドリブルゴールで追加点を挙げた。 2022年8月、当時17歳だったカイセドはコスタリカでのU-20W杯に飛び級で出場。チームはベスト8にとどまったが、カイセド自身は2ゴールを挙げた。 さらに、同年10月にインドで行われたU-17女子W杯にも出場。4ゴールを挙げてシルバーボールを獲得するなどチームを牽引し、コロンビアを男女通じて初のFIFA主催国際大会の決勝へと導いていた。 活躍が目に留まり、2月には母国のデポルティーボ・カリからスペインのレアル・マドリーに移籍。すでにリーガFで得点も決めている。 1年も経たずして全世代の女子W杯で得点を挙げるという偉業を成し遂げたカイセド。順風満帆に見える18歳だが、15歳の時には卵巣がんとの診断を受け、プレー継続が危ぶまれた。 『AP通信』は「手術を受けることになったときのことを覚えています。その時は本当に暗い気持ちになりました、もうトップレベルでのサッカーはできないと思ったから」との、W杯前の彼女の言葉を紹介している。 大病を克服し、大舞台に立つカイセドはまた「(同じように苦しむ人が)そこから抜け出し、克服できるよという模範になれれば」ともコメント。その言葉通り、世界最高峰の舞台でもゴールを決め、多くの人に勇気を与えた。 初戦白星のコロンビアは、30日に2度の優勝を誇るドイツ女子代表と、8月3日に初出場のモロッコ女子代表と対戦する。 「私はいつだって自分の国と代表チームのためにプレーし続けています。なので、ゴールを決めることができてうれしいです」 コロンビア希望の星はさらにゴールを積み重ね、過去最高成績となるベスト16の先へとチームを導けるだろうか。 <span class="paragraph-title">【動画】コロンビアの新星カイセド、女子W杯での初ゴール!</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="YJu79W7kyAw";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2023.07.26 15:25 Wed
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ルイス・ディアスに加え、ベテランのハメスやオスピナも招集! コロンビア代表候補が発表【コパ・アメリカ】

コロンビアサッカー連盟(FCF)は23日、コパ・アメリカ2024に向けたコロンビア代表候補メンバー28名を発表した。 ネストル・ロレンソ監督は、大会登録メンバー26名に対して2名多い28名を招集。ベテランのMFハメス・ロドリゲス(サンパウロ)、GKダビド・オスピナ(アル・ナスル)、MFフアン・フェルナンド・キンテロ(ラシン・クラブ)らを招集した。 また、FWルイス・ディアス(リバプール)やMFジェフェルソン・レルマ(クリスタル・パレス)、DFダビンソン・サンチェス(ガラタサライ)なども招集している。 コパ・アメリカ開幕前の6月8日にアメリカ代表と、同15日にボリビア代表と対戦。5月27日から6月5日まではコロンビアのバランキージャでキャンプを行い、13日にワシントンへと移動する。その後2試合を戦い、20日にヒューストン入りコパ・アメリカ初戦に臨む。 コロンビアは、コパ・アメリカ2024ではグループDに入っており、ブラジル代表、パラグアイ代表、コスタリカ代表と同居している。 今回発表されたコロンビア代表候補メンバーは以下の通り。 ◆コロンビア代表候補メンバー28名 GK ダビド・オスピナ(アル・ナスル/サウジアラビア) カミーロ・バルガス(アトラス/メキシコ) アルバロ・モンテーロ(ミジョナリオス) DF サンティアゴ・アリアス(バイーア/ブラジル) カルロス・クエスタ(ヘンク/ベルギー) ダビンソン・サンチェス(ガラタサライ/トルコ) デイベル・マチャド(RCランス/フランス) ホアン・モヒカ(オサスナ/スペイン) ジェルソン・モスケラ(ビジャレアル/スペイン) ダニエル・ムニョス(クリスタル・パレス/イングランド) ジョン・ルクミ(ボローニャ/イタリア) ジェリー・ミナ(カリアリ/イタリア) MF マテウス・ウリベ(アル・サッド/カタール) ケビン・カスターニョ(クラスノダール/ロシア) ホルヘ・カラスカル(ディナモ・モスクワ/ロシア) ヤセル・アスプリージャ(ワトフォード/イングランド) ジェフェルソン・レルマ(クリスタル・パレス/イングランド) フアン・フェルナンド・キンテロ(ラシン・クラブ/アルゼンチン) セバスティアン・ゴメス(コリチーバ/ブラジル) リチャード・リオス(パウメイラス/ブラジル) ジョン・アリアス(フルミネンセ/ブラジル) ハメス・ロドリゲス(サンパウロ/ブラジル) FW ルイス・ディアス(リバプール/イングランド) ジョン・デュラン(アストン・ビラ/イングランド) ルイス・シニステラ(ボーンマス/イングランド) ジョン・コルドバ(クラスノダール/ロシア) ラファエル・サントス・ボッレ(インテルナシオナウ/ブラジル) ミゲル・ボルハ(リーベルプレート/アルゼンチン) 2024.05.24 18:40 Fri
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プスカシュ賞のハメス・ロドリゲス「選んでもらえたことに感謝」

▽2014年のFIFAバロンドール授賞式が12日にスイスのチューリッヒで開催された。2014年の年間最優秀ゴールに与えられるプスカシュ賞を獲得したレアル・マドリーのコロンビア代表MFハメス・ロドリゲスが喜びのコメントを残している。 ▽選出されたのは、ブラジル・ワールドカップの決勝トーナメント1回戦のウルグアイ戦で決めた得点。前半28分にボックス手前中央で味方の縦パスを受けたハメス・ロドリゲスは、絶妙な胸トラップから圧巻の左足ボレーシュートでウルグアイゴールを破った。 ▽今回の受賞に、ハメス・ロドリゲスは感謝の気持ちを述べている。 「この賞を受賞できてとても満足している。とても名誉で特別な賞を獲得することができた。この賞は、投票によってもたらされるもので、その中で選んでもらえたことに感謝しているよ」 ▽また、ハメス・ロドリゲスは「あのゴールが歴史に残る素晴らしいゴールになるだろうと悟っていたよ」と、自身のゴールを振り返った。さらに「あのようなゴールを決めることは難しいけれど、これからもより多くのゴールを求めていく」と、今後の意気込みを口にしている。 2015.01.13 08:15 Tue
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レーティング:コロンビア 1-2 日本《ロシアW杯》

▽日本代表は19日、モルドヴィア・アリーナで行われたロシア・ワールドカップ(W杯)グループH第1節でコロンビア代表と対戦し、2-1で勝利した。超WSの選手採点結果と寸評は以下の通り。 ▽コロンビア採点<div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/get20180619_30_tw2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brains,LTD.<hr></div>GK 1 オスピナ 6.0 PKはノーチャンス。それ以外はシュートコースの切り方など安定した出来 DF 4 S・アリアス 5.5 守備では時折数的不利の対応を強いられながらも粘り強く対応。攻撃にはなかなか出られず 23 D・サンチェス 5.0 PKの場面では大迫に入れ替わられる。それ以外の場面でもやや雰囲気に呑まれた印象 3 O・ムリージョ 6.0 ややバタ付いた最終ラインの中では最も安定 17 モジカ 5.5 原口と激しいマッチアップを繰り返す。徐々に後方からの攻め上がりで攻撃にも絡んだ MF 11 クアドラード 5.5 仕掛けの場面で一定の存在感も味方の退場の煽りを受けて30分ほどで無念の交代に (→バリオス 6.0) 自慢の機動力と運動量を生かして中盤のバランス取りに奔走 6 C・サンチェス 4.0 W杯史上2番目の速さで退場に…チームを助けたいが一心のプレーだったが、時間帯と相手との力量差を考えれば不用意だった 20 キンテーロ 6.5 前回大会に続き日本戦でゴール。得意の左足と攻撃センスを生かしてハメス・ロドリゲスの代役として十分な働きだった (→ハメス・ロドリゲス 5.0) コンディション不良の影響か、無理が効かずに見せ場は数えるほど 16 レルマ 5.5 相棒の退場という緊急事態の中でキンテーロとバリオスと共に中盤の守備で貢献 21 イスキエルド 5.5 カウンターの局面で幾度か鋭い仕掛けを披露も後半は徐々にトーンダウン (→バッカ 5.0) チームに活力を与えるようなプレーはほとんどなかった FW 9 ファルカオ 5.5 日本のセンターバック陣から徹底マークに遭った中、前線でボールを収めるプレーや抜け目ない動き出しで脅威に 監督 ペケルマン 5.0 立ち上がりの退場でゲームプランが大きく崩れる。ただ、後半の交代選手が機能せず… ▽日本採点<div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/get20180619_30_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brains,LTD.<hr></div>GK 1 川島永嗣 5.0 失点は壁の下を通されてのやや不運なモノだったが、ボールスピードを考えれば何とか弾き出したかった。それ以外はまずまずの安定感 DF 19 酒井宏樹 6.0 比較的守備重視のプレー。原口の献身的なサポートを受けて穴を開けず。後半は攻撃でも積極性を見せた 22 吉田麻也 6.0 相手の退場によってファルカオの対応だけに専念でき安定したプレーを続けた 3 昌子源 6.0 吉田同様に相手の攻撃に厚みが出なかったことで余裕を持った対応が目立った 5 長友佑都 6.0 序盤は相手のキーマンのクアドラードにうまく対応し、その後は数的優位を生かして積極的に攻撃に絡んだ MF 8 原口元気 6.5 鋭い縦への仕掛けと献身的なプレスバックでチームを大いに助けた 7 柴崎岳 6.5 カバーリングや安定した捌きと攻守両面で気の利いたプレーを見せた (→山口蛍 -) 10 香川真司 6.5 自ら誘発したPKをきっちり決めて今大会の日本の初ゴールを記録。アタッキングサードでのシンプルなプレーや要所で見せた鋭いプレスも機能 (→本田圭佑 6.0) 絶妙なアウトスウィングの左CKで決勝点をアシスト 17 長谷部誠 6.0 不運な形で与えたFKが失点に繋がったものの、終始冷静な対応で中盤の守備を締めた 14 乾貴士 6.0 2度の決定機を決めきれなかったが、切り替えの速さや鋭い仕掛けで十分に存在感を示す FW 15 大迫勇也 7.5 値千金の決勝点を記録。PK奪取に繋がるプレーを含め巧みなボディコントロールから相手守備陣を手玉に取る抜群の存在感を示す (→岡崎慎司 -) 監督 西野朗 6.5 立ち上がりに数的優位を得た幸運はあったが、途中投入の本田が決勝点をアシストするなどチームを勝利に導く采配。W杯で対南米勢初勝利 ★超WS選定マン・オブ・ザ・マッチ! 大迫勇也(日本) ▽相手の屈強センターバック陣を手玉に取る巧さと強さを兼ね備えたポストプレーで圧倒的な存在感を示した。さらに決勝点に加えて、終盤のピンチを身を挺して防ぐなど攻守両面の貢献は絶大だった。 コロンビア 1-2 日本 【コロンビア】 キンテーロ(前39) 【日本】 香川真司(前6[PK]) 大迫勇也(後28) 2018.06.19 22:55 Tue

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