関塚隆氏がJFAと契約解除、ナショナルチームダイレクターを11月末に退任

2020.12.10 18:40 Thu
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日本サッカー協会(JFA)は10日、関塚隆ナショナルチームダイレクターが11月末日に契約解除で退任していたことを発表した。関塚氏は鹿島アントラーズや川崎フロンターレで監督を務め、2010年にはU-23日本代表監督に就任。ロンドン・オリンピックで指揮を執るとベスト4入りを果たす。

2013年にはジュビロ磐田の監督を務めると、2014年からはジェフユナイテッド市原・千葉監督を務めていた。

2018年2月にJFAに入ると、同年4月に技術委員長に就任。2020年3月には、反町康治氏が技術委員長になったことを受け、ナショナルチームダイレクターに就任していた。

関塚氏は今回の退任についてコメント。また、田嶋幸三会長もコメントしている。

◆関塚隆氏
「約3年という期間でしたが、A代表をはじめとする代表チームの強化、世界への挑戦。そして日本のサッカーを育てていく指導者の育成に携わることができたことを誇りに思います」

「これからも日本サッカーがより発展していくために、微力ながら違う形で貢献していきたいと思います」

◆田嶋幸三会長
「2018年FIFAワールドカップ直前に西野監督に交代した際、関塚さんが技術委員長を引き受けて日本サッカー協会や日本代表チームを支えてくださり、あらためて感謝の気持ちを申し上げます」

「本人から退任のお申し出があり、反町技術委員長も含めてご本人ともお話をし、最終的に退任されることを認めることになりました。これまでの日本サッカー協会に対する大きな貢献に感謝するとともに、今後も引き続き、サッカー界に力を貸していただきたいと考えています」
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