モウリーニョがメッシ獲得に言及「FFPを尊重しないチームしか無理」
2020.09.10 12:40 Thu
トッテナムのジョゼ・モウリーニョ監督が、バルセロナからの退団騒動があったアルゼンチン代表FWリオネル・メッシについて言及した。スペイン『アス』が伝えた。メッシは、今夏の退団を希望する旨をバルセロナに通達。自身が保有する契約解除の条項を行使し、フリートランスファーでの退団を目指したが、バルセロナ側は契約上、その退団条項が有効期限切れであると主張していた。
このバルセロナの主張に対し、ラ・リーガも支持。メッシが移籍するには契約解除金がかかるとの見解を示していた。
メッシはその後、バルセロナとの裁判を起こしたく無いとし残留を宣言。チームのトレーニングに参加していた。
世界中で大きな話題を呼んだメッシの退団騒動だったが、モウリーニョ監督はスポンサーの1つである「Top Eleven」が主催したイベントでこの問題について言及。メッシを獲得できるクラブについて語った。
メッシを仮にフリーで獲得できたとしても高額な給与を支払うことになるが、今獲得するとなれば、7億ユーロ(約880億円)の移籍金がかかるため、手を出せるクラブはほとんどないと見られている。
また、FFP違反を訴えられていたマンチェスター・シティについても言及。「シティが無罪であることは、恥ずべき決断だった。彼らは1000万ユーロ(約12億5500万円)を支払い、罰せられない。無罪ならば、罰金を課すべきではない。もし有罪なら、決定も恥であり、リーグから追放されるべきだ」とコメント。処分が罰金のみとなったことへの不信感を示した。
◆退団騒動のメッシがついにバルセロナでトレーニング!
このバルセロナの主張に対し、ラ・リーガも支持。メッシが移籍するには契約解除金がかかるとの見解を示していた。
世界中で大きな話題を呼んだメッシの退団騒動だったが、モウリーニョ監督はスポンサーの1つである「Top Eleven」が主催したイベントでこの問題について言及。メッシを獲得できるクラブについて語った。
「トッテナムではファイナンシャル・フェア・プレー(FFP)を尊重している。だから、メッシはそれを尊重しないチームにしか行くことはできない。それは、トッテナムではない」
メッシを仮にフリーで獲得できたとしても高額な給与を支払うことになるが、今獲得するとなれば、7億ユーロ(約880億円)の移籍金がかかるため、手を出せるクラブはほとんどないと見られている。
また、FFP違反を訴えられていたマンチェスター・シティについても言及。「シティが無罪であることは、恥ずべき決断だった。彼らは1000万ユーロ(約12億5500万円)を支払い、罰せられない。無罪ならば、罰金を課すべきではない。もし有罪なら、決定も恥であり、リーグから追放されるべきだ」とコメント。処分が罰金のみとなったことへの不信感を示した。
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現在はアンジェ・ポステコグルー監督が指揮し、韓国代表FWソン・フンミンらが所属。かつては戸田和幸氏も在籍したことがあるトッテナム・ホットスパーだが、クラブは「トッテナム」と呼ばれることを望んでいない。 チーム名は「トッテナム・ホットスパー」。愛称は「スパーズ」として知られているが、「トッテナム」と称されることも多い。 「トッテナム」と言えば、「トッテナム・ホットスパー」と誰もが考える状況。イギリス『スカイ・スポーツ』もプレミアリーグの順位表などを伝える時には「Tottenham(トッテナム)」とこれまで表記してきた。しかし、ここにきて「Spurs(スパーズ)」の表記に変更されていた。 『The Athletic』によると、2月10日、クラブからプレミアリーグの放送局に通達があったとのこと。「トッテナム・ホットスパーの名称変更」というメールが届いたという。 「トッテナム・ホットスパーはクラブ名に関して説明を行った。クラブは主にトッテナム・ホットスパーとして知られるよう要請し、短縮形としてスパーズが好まれている。クラブはトッテナムと呼ばれないよう要請する」 この通達は世界中のプレミアリーグの放送局に対して送られたとのこと。プレミアリーグの公式サイトでも、「Tottenham(トッテナム)」の表記はなく、「Tottenham Hotspur(トッテナム・ホットスパー)」か「Spurs(スパーズ)」のみになったという。 そもそも、クラブは2011年以来、「トッテナム」と呼ばれることは好ましくないというスタンス。「トッテナム」とは地域の名前であり、クラブ名ではないということが理由だ。 2024年11月にリマスターされたブランドアイデンティティを発表。「ユナイテッド、シティ、ローバーズが溢れるこの世界で、ホットスパーはただ1つ、トッテナム・ホットスパーだけです。チームやブランドについて言及する際は、『トッテナム・ホットスパー』、『トッテナム・ホットスパー・フットボール・クラブ』、または『THFC』を使用してください。決して我々のクラブを『トッテナム』、『トッテナム・ホットスパーFC』、または『TH』と呼ばないでください」とのことだ。 「スパーズ」でも確かに多くの人にとっては印象付けられる一方で、世界的に見ればNBAの「サンアントニオ・スパーズ」もあり、混同される可能性もゼロではない。むしろ「トッテナム」の方が唯一無二。いずれにしても、クラブの方針としては「トッテナム」とは呼ばれなくないようなので、ファン・サポーターの方は改めて認識すると良いかもしれない。 2025.02.22 23:55 Sat3
トッテナムが4選手の退団を発表! レンタル中のダイアー、ペリシッチ、タンガンガにセセニョンも契約満了
トッテナムは5日、2023-24シーズン限りでの4選手の退団を発表した。 今回発表されたのは、イングランド代表MFエリック・ダイアー(30)、クロアチア代表FWイバン・ペリシッチ(35)、DFライアン・セセニョン(24)、DFジャフェット・タンガンガ(25)となった。 ダイアーは、2014年7月にスポルティングCPから完全移籍で加入。今年1月にバイエルンへとレンタル移籍するまで9年半在籍した。 公式戦通算365試合に出場し13ゴールを記録。しかし、今シーズンはアンジェ・ポステコグルー監督の下で出番に恵まれずバイエルンへとレンタル移籍。ブンデスリーガで15試合、チャンピオンズリーグ(CL)で5試合に出場していた。そのままバイエルンにフリーで加入することになる。 ペリシッチは、2022年7月にインテルから完全移籍で加入。1年目は公式戦44試合に出場し1ゴールを記録したが、今シーズンは開幕から5試合で起用されるもその後は負傷離脱。1月に出番を求め、母国のハイドゥク・スプリトへレンタル移籍していた。 セセニョンは2019年8月にフルアムから完全移籍で加入。スピードを武器とした左サイドバックとして大きな期待が寄せられていた。 しかし、2020年10月からはホッフェンハイムへとレンタル移籍。その後はトッテナムでプレーを続けたが、4シーズンで公式戦57試合に出場し3ゴールに終わり、今季はケガでプレミアリーグでのプレーはなかった。 タンガンガはトッテナムのアカデミー育ちで、2020年1月にファーストチームに昇格。今シーズンはアウグスブルク、そしてミルウォールと武者修行が続いた。 センターバックと右サイドバックでプレーできる中、2シーズン半分で公式戦50試合の出場に終わった。 また、U-21のDFチャーリー・セイヤーズ(20)、MFビリー・ヒープス(19)も退団。U-18のMFキーラン・モーガン(18)、MFハン・ウィルホフト・キング(18)も退団する。 2024.06.05 17:59 Wed4
「やりづらい…」ソン・フンミンがマスクの支障を明かす「本当にストレス」
トッテナムの韓国代表FWソン・フンミンが、マスクでボールが見えづらくなっていることを明かした。 昨年11月のマルセイユ戦で負った顔面のケガから、フェイスガードを着けて試合に臨んでいるソン・フンミン。先のカタール・ワールドカップはこのケガのため出場が危ぶまれたが、マスクを着ければ試合に出られるまでに回復。韓国の“バットマン”として、ベスト16入りに貢献した。 大会後に再開されたリーグ戦でもマスク姿がお馴染みとなったが、やはり平時よりもやりにくさがある様子。イギリス『The Standard』の取材で率直な感想や、身近な人たちとのやりとりを明かした。 「もちろん、マスク無しでプレーする時とは勝手が違うよ。視界はまだ大丈夫なんだけど、ボールが来たときにマスクがあると見えにくくなって、時々イライラしちゃうんだ。めちゃくちゃ気になるわけではないんだけど、ベストとは言えないね」 「アストン・ビラ戦ではパスを受けた時、ボールが見えなくて突然取られてしまうことがあって本当にストレスだった。ただただ怒りを覚えたよ」 「僕一人の判断なら当然マスクなしでプレーするんだけど、両親も家族も韓国で見ている友人も皆心配しててね。また誰かにぶつかってケガするリスクは当然あるからね」 「両親はマスクはするべきとか言ってなかったんだけど、ビラ戦の後に食事をしていたら『あれ? マスクはどうしたんだ?』って言われたんだ」 「心配なのは当然のことだよね。医者はビラ戦の後に僕に任せると言ってくれたけど、まだ着けておくべきだと思うんだ。手術からまだ7週間しか経っていないからリスクが高いんだ」 2023.01.07 21:55 Sat5
