JリーグがJ1再開に先駆けてJリーグリモートカンファレンスを開催! チェアマンと日本プロサッカー選手会会長が決意新たに

2020.07.01 21:35 Wed
©︎J.LEAGUE
Jリーグが4日の明治安田生命J1リーグ再開に先駆け、トークイベント『Jリーグリモートカンファレンス』を開催した。
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スポーツチャンネル『DAZN(ダゾーン)』の独占ライブ配信で行われた『Jリーグリモートカンファレンス』は2部構成で放送。MCの西岡明彦氏とJリーグ副理事長でコメンテーターの原博実氏が主導となり、進行された。第1部は「再開するJ1リーグの見どころ紹介」や「27日、28日に行われたリモートマッチのレビュー」、そして「ゲストトーク」の構成で進められ、ゲストとして日本代表の森保一監督が登場した。
第2部は「J1リーグ第2節の対戦カード紹介」や「対戦カードごとの参加選手インタビュー」を実施。J1リーグ全18チームの代表選手たちが対戦カードごとに出演して、再開初戦の意気込みを語った。

会の終盤にはJリーグチェアマンを務める村井満氏と日本プロサッカー選手会会長でサガン鳥栖の元日本代表MF高橋秀人が登場。それぞれの立場からついに迎える再開に向けて想いを口にした。
◆高橋秀人
「先週、J2とJ3が再開して、今週からようやくJ1が再開する。中断された約4カ月間、選手たちは本当に色んなことを感じた。中断当初、長いトンネルのように『どうモチベーションを保ったら良いのか』、『どうコンディションを保てば良いのか』、また新型コロナウイルスの感染者が多くなっていくなかで『サッカーなんてやっている場合なのか』、『でもサッカー選手だから、サッカーをしなかったら何が残るのか、どうやって社会に貢献できるのか』をたくさんのことを感じた。また、『大事なサポーターやファンがサッカーから離れていくんじゃないか』という危惧する想いもあった」

「そのなかで、選手のひとりひとりが感じて、主にSNSでの発信でサポーターのみなさんと交流をさせていただき、やはりサッカー選手としてファンやサポーターの前で『サッカーがやりたい』という想いがより一層強まったと思う。最初はリモートマッチで互いに慣れない部分もあるが、互いの安全を考慮しての再開になる。僕ら選手たちも引き続き感染予防に努めて、ファンやサポーターも引き続き感染予防に努めて、段階的にファンやサポーターがスタジアムに足を運んでいただき、素晴らしい臨場感、素晴らしい一体感を作り出せるように徐々にそういった進行のなかで、僕らもプレーさせていただきたい」

「またこうやってサッカーができるような環境を整備してくれたJリーグ関係者方々にも本当に感謝したい。選手会としても色々な選手側の不安だったりを聞いていただいて、色々なガイドライン、プロトコルを作成していただいた。そういう感謝の気持ちを持って、観ている方々に勇気と感動を与えられるような試合がしたい。新型コロナウイルスの影響で試合がなく、おそらくモヤモヤした気持ちがあったと思うが、そういうものを発散できるように、清々しい気持ちになっていただけるようなプレーを期待していてほしい。J1も再開します。みなさん、よろしくお願い致します」

◆村井満
「4カ月ぶりの再開になる。ファンやサポーターのみなさんはどれほど痺れを切らしたでしょう。本当に長きにわたり、我慢を強いられせてしまった。本当にここまで堪えていただきありがとうございました。サッカーのファンやサポーターである前にホームタウンの市民でいらっしゃるわけで、仕事をされている方は大変だったと思うし、学生の方も色々なことがあったと思う。みなさんが感染防止に努めていただいたおかげで、ここでサッカーがもう一度、戻ってくることになった。ひとえにみなさまのお力添えだと思う。本当にありがとうございます」

「そして、Jリーグパートナーのみなさんにも感謝したい。明治安田生命Jリーグであるが、我々が未曾有の状況下でどうエンゲージしていけるか、どう一緒に戦っていくかを思い悩んでいるとき、明治安田生命様がとても大きな増額の特別協賛を決めていただいた。そして、トップパートナーの各社の皆様も常に私を励ましてくれた。そうしたトップパートナーの各社の皆様にも感謝を申し上げたい」

「まずはリーグ戦からの再開となるが、間もなくてルヴァンカップも始まる。ヤマザキビスケット様、社長とも夜な夜な『世界に誇れるカップ戦を作ろう』と夢を語り合った。中継はリーグ配信のDAZN、カップ戦配信のフジテレビにしていただく。全てのみなさまのおかげでここまでくることができた。全ての関係者を代表して、お礼を申し上げたいと思う」

「選手からすれば、『村井さん、いい加減にしてくれ』という気持ちだったと思う。私は『試合をやるぞ』と言いながら4度も中断の決断を下してしまった。この4カ月の間で、4回もトップコンディションから落とすという過程はアスリートとして極限状態。たぶんメンタルを含めて、大変の状況だったと思うが、うまく結束を固めていただいた。自分の身体が資本なので、自分の身体そのものも不安だったにも関わらず、家族を守るひとりの市民として、選手は本当に頑張っていただいた。その点に関しても、本当に感謝したい」

「いよいよ始まり、J1リーグの再開を残すところとなる。ファンやサポーターのみなさんにはまだまだ不自由をおかけしての再開になる。一緒に作っていく大会というのが今季のコンセプトになり、世界の色々なリーグがJリーグを注視している。感染防止に関する日本のスタイルは世界で驚きを持って伝えられていた。何か罰則を設けるわけじゃなく、プライバシーに踏み込むものでもなく、ひとりひとりの自主性を持って、今回の感染対策に臨んできたと思う。サッカーもそういったみなさんの力で作っていきたい」

「今季開幕前の私はいわゆる日本式、『世界を驚かす日本のスタイルを魅せよう』と申し上げたが、まさにコロナ禍下で新たなフットボールの観戦のあり方、サッカーとの関係性のあり方を日本から世界に発信していきたい。全ての方々に恩返しできるとすれば、全力でプレーすることに尽きる。選手のみなさん、サッカーができる喜びに溢れ、本気で一緒にやりましょう。そして、恩返しをしていきましょう」

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6日、「レッドブル・大宮アルディージャ クラブプロパティ発表 特別イベント」が東京都内で開催され、大宮アルディージャの新たなチーム名やエンブレムが発表された。 2024年8月6日、エナジードリンクでお馴染みの「レッドブル・ゲーエムベーハー(Red Bull GmbH)」が、大宮アルディージャおよび大宮アルディージャVENTUSを運営するエヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社が発行する全株式(100%)の取得を発表した。手続きを終え、10月1日からRB大宮株式会社としてスタート。チームは明治安田J3リーグを戦っていた中、1年でのJ2昇格を果たすとともに、J3優勝も決めていた。 新たな一歩を踏み出した大宮は、6日に新チーム名が「RB大宮アルディージャ(アールビーオオミヤアルディージャ)」に決定。新たなエンブレムも発表され、新たな一歩を踏み出すこととなった。 イベントには、レッドブルのサッカー部門のテクニカル・ディレクター(TD)を務める元ドイツ代表FWマリオ・ゴメス氏も出席。改めて、なぜ大宮を買収するに至ったのかを語った。 「私の経験から話せば、日本の選手たちとプレーしたこともある。そして、これまで色々な形で日本の強さを見てきた。日本のプレーヤーが体現しているものは、チームのために貢献するという強い心の想いだと思う。それはとても素晴らしいことだと思う」 「新しいエンブレムが表しているように、力を尽くすこと、集中することをがエンブレムから伝わると思う」 ゴメス氏はバイエルン時代にはFW宇佐美貴史(ガンバ大阪)、シュツットガルト時代にはMF遠藤航(リバプール)ら日本人選手とチームメイトだった経験もあり、そこからも日本のクラブに魅力を感じたという。 その大宮にはポテンシャルを感じたというゴメス氏。この先の展望についても語った。 「レッドブルのチームは日本以外の3カ国にある。それぞれのチームがそれぞれのリーグで活躍している。共通しているのは、非常に積極的であること。集中力が高く、プレー強度が強いこと、アグレッシブなプレースタイルというところだ」 「我々としては、見ている人たちを熱狂させたいということがある。大宮に大きなポテンシャルを見た。そこに我々のナレッジを加えて、大宮をさらに発展させていきたい。オリバー(・ミンツラフ)はJ1に根付くようにと言っていたが、それを目指していく。ただ、一夜にしてはならない。若い選手も伸ばしていきたいと考えており、日本のサッカーが発展していくことを考えたいと思う」 レッドブルのクラブが持つプレーのフィロソフィーを大宮にも持ち込み、見る人々を熱狂させていきたいというゴメス氏。たびたび来日し、大宮の成長に貢献したいとした。 「我々は大宮のオーナーになったので、大宮を伸ばしていくことが我々の課題だ。それをするためには日本の皆さんと信頼関係を築き、さらに深めていくことが成功に繋がる道だと思う」 「信頼を深めるためには、個人的に繋がりを作っていくことが大事だ。レッドブル側のコミットメントをたくさん見せ、皆さんに伝わり、皆さんからも(コミットメントが)返ってきて、素晴らしい形で実現できればと思う」 大きな野心を持って大宮を成長させていくというゴメス氏。正確なことは言えないが、近い将来に目標は達成したいと意気込んだ。 「自分自身は15年、20年サッカー界でやってきた。サッカーというのは思った通りにいかないことばかりだと思っても良いと思う。大宮はJ2に上がったが、J2で10年プレーする気はない。できるだけ早くチームを強くしてJ1へ上がり、J1でもAFCチャンピオンズリーグ(ACL)に出られるようになるようにやっていきたい」 「この件は原さん(原博実 代表取締役兼フットボール本部長)ともしっかり話している。年数についてはなんとも言えない。3年、4年、5年かもしれないが、近いうち、遠くない未来に目標に到達したいと思う」 ゴメス氏はテクニカル・ディレクターとなり3年目。レッドブルグループの全てのサッカーチームを統括している。 「我々の仕事はチームに関すること全てだ。データの分析、スカウティング、アカデミーをはじめ、ありとあらゆるチームに関すること、発展に関わることをしている」と自身の仕事について語るゴメス氏。「また、大事なことは所有しているクラブが複数の大陸に散っている。それぞれのやり方、そこでの素晴らしいことを他のクラブが学べるように、伝えられるようにコーディネートすることも重要だ」と、その土地の文化やサッカースタイルにも合わせることが重要だとコメント。来年1月からはユルゲン・クロップ氏が責任者として加わる中、より大きな目標を持っていくことになるだろう。 すでに来日し、何度も試合を見ているゴメス氏。大宮のJ2昇格もスタジアムで見守った中、ファン・サポーターへもメッセージを残した。 「私は何度か来日した際にスタジアムで試合を観戦した。その時に、ファンの皆さんが非常に大きな情熱を持ってチームを応援していることを目の当たりにした」 「これからも是非、そのような形でチームを応援していただきたいと思うし、我々としても皆さんと共に進んでいきたいと思う」 <span class="paragraph-title">【動画】RB大宮アルディージャの新エンブレム発表!レッドブルらしさが出るものに</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet" data-media-max-width="560"><p lang="ja" dir="ltr"></a> <a href="https://twitter.com/hashtag/ardija?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#ardija</a> <a href="https://t.co/NQbODhwQV1">pic.twitter.com/NQbODhwQV1</a></p>&mdash; 大宮アルディージャ (@Ardija_Official) <a href="https://twitter.com/Ardija_Official/status/1853988271896039927?ref_src=twsrc%5Etfw">November 6, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.11.06 17:50 Wed
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42歳でアキレス腱断裂からの復帰…来季もプレーしようと考えた南雄太が引退を決めた出来事「ショックでもあり、大きな出来事」「初めて辞めようかなと」

今シーズン限りで現役を引退したGK南雄太が、27日に現役引退会見を行った。 東京ヴェルディの下部組織育ちで、静岡学園高校から柏レイソルでプロ入り。18歳でJリーグデビューを果たすと、その後はロアッソ熊本、横浜FCでプレー。2021年夏に大宮アルディージャへと期限付き移籍し、2022年からは完全移籍に切り替え。今シーズンをもって現役を引退した。 チームはJ3へと降格したが、南は最終節の東京V戦で久々に出場。J1で266試合、J2で400試合に出場し、GKとして歴代最多の666試合出場を果たし、スパイクを脱ぐこととなった。 「ゴールデンエイジ」と呼ばれる世代で、小野伸二(北海道コンサドーレ札幌)や高原直泰(沖縄SV)、遠藤保仁(ジュビロ磐田)らと同世代。U-20日本代表としては、2度のワールドユース(現:U-20ワールドカップ)に出場し、1999年大会は彼らとともに準優勝も経験した。 南は引退を決めた経緯についてコメント。来シーズンもプレーする気があったものの、今シーズン途中の出来事がキッカケとなり、その中で引退に気持ちが向いていったとした。 「去年アキレス腱を切って、今年1月に全体練習合流してキャンプからやらせてもらいました。アキレス腱を切った選手とか、色々な選手が連絡してくれる中で、復帰してから1年は自分のイメージと一致するまで時間がかかると言われていました」 「その中で最初の半年間はサッカーをやっていることがストレスで、イメージと身体が一致して来ないとか、切った右足のジャンプは7、8割しか自分の中で戻っている感覚がないです。その中で最初の半年は、リハビリ以上にサッカーやっている時の方がストレスというか、上手くいかないことにイライラしたりが凄く続いていました」 「夏以降にちょっと良くなってきたというか、色々な感覚が戻ってきている、ケガする前に少しずつだけど近づいているというのがありました。夏にクラブで面談した時に、『一応来季やらせていただけるならやりたいです』と原さん(原博実フットボール本部長)には話させてもらいました」 「35歳ぐらい、横浜FCに移籍したぐらいの時に、引退というのは年齢的にも常に隣り合わせで、自分の中でゲームに絡めないとか、自分でもピッチに立ってレベル、試合の水準に自分があるかとか、チームを勝たせられるプレーができるかどうかとかに凄くこだわっていました。できなくなった時は潔く辞めようとルールを決めていました」 「9月24日の徳島戦の前に、自分がベンチで笠原(昂史)選手が出ていたんですが、彼がインフルエンザになって今週は出られないということが週明けに決まっている中で、自分自身チャンスが来たかなと思っていたんですが、週中に監督に呼ばれて、『今回は志村(滉)で行きたい』と言われまして、それは結構ショックでもありましたし、大きな出来事でした」 「監督やコーチに不満があるとかその時は沸かなくて、そこにチョイスされない自分自身は何かが足りていない証拠ですし、それはショッキングな出来事でした。夏以降、自分の中で少しずつ良くなっているという実感があることと、周りの評価のギャップを凄く感じまして、自分自身が良いと思っていたものが周りに評価されていないということが大きかったです」 「自己評価は時に自分に甘くなってしまうこともありますし、自分自身が定めている水準、レベルが下がってきている証拠だなと凄く感じて、26年サッカー選手をやってきて、初めてサッカー選手を辞めようかなとふと思ったのがその時です」 「ただ、一時的な感情なのかなとか自分の中で思いましたし、10月2日か3日にずっと柏と熊本でやってきた北嶋秀朗と、去年まで大宮のGKコーチをやっていた松本拓也、彼は同級生なんですが、自分が一番やってきた中で一番信頼しているGKコーチでプライベートでも仲が良いということで、2人にお願いして食事の場を設けてもらって、そこで今自分が思っていることを話しました」 「自分自身でも、自分がその時どう思うかなとか、話したことでもう一回サッカーをやろうと思えるならと思いも少しありながら彼らと食事をして、『引退しようかなと思っているんだけど…』という話をしました。もちろん2人は引き止めてくれたし、絶対やった方が良いと言われましたが、それを話してスッキリしてしまったというか、辞めようかな。もう1回やろうという感情が止めてくれたのに生まれて来なくて、これはもう潮時かなと思って10月5日に奥さんに辞めるという話をして決断をしました」 奥さんや子供たちの反応は驚くほどなかったと明かした南。「家族はある程度の覚悟があったのでは」とコメントしていた。 その南がキャリアを通じて最も影響を受けたのは、柏時代の同僚であり今も現役でプレーしている北海道コンサドーレ札幌のGK菅野孝憲だという。 「影響を与えたのは自分では良く分からないですが、18歳からずっと試合に出させてもらっていて、自分自身大きく勘違いしていた時期もありましたし、自分に対してよく分かっていない時期もありましたけど、柏の時はそういう時期がずっと続いていました」 「今札幌の菅野(孝憲)がちょうど入ってきて、満了になるまでの2年間彼とやって、ポジションを取られて結局自分が出ていく形になったんですけど、最初はやっぱりなかなか受け入れられなくて、自分と菅野のプレースタイルが違うとか、監督の好みもあるだろうと思っていたんですが、やる監督やる監督みんな菅野を使うし、そこで初めて自分自身に矢印が向いたというか、俺が何か足りないんだなと思えて、そこから自分は凄く人の話を聞くようになりましたし、もっと上手くなりたいと純粋に思えた時はとの時でした」 「彼との出会いというのは、自分のサッカー人生を引き伸ばしてくれたと思いますし、多大なる影響を与えてくれたのは菅野なので。彼はまだ現役で600試合達成したというのを見ました。彼がいたから今の自分があると思いますし、凄く感謝していますし、僕の666試合はぜひ菅野に抜いてもらいたいと思います」 後輩に自身の記録を抜いて欲しいと語った南。キャリアで最も印象に残っている試合は、横浜FC時代にJ1昇格を決めた試合だと明かした。 「40歳の時にJ1に昇格した試合というのは自分の中で凄く印象に残っています」 「柏を満了になったのが30歳で、そこから10年かかって、J1でもう1回やるというのは自分の中でモチベーションになっていましたし、それは時間が経つことになかなか難しいかなとも思い始めていました」 「さらに前年度プレーオフでロスタイムに失点してヴェルディに負けてというのがあって、その時にもうこんなチャンスないなと感じていたので、1年後にそういう状況に巡り会えて、長くサッカーを続けて来て良かったなと思いました」 26年という長いキャリアを送った南。様々な試練を乗り越えてきた中で積み上げた666試合の記録は願い通り菅野が抜くのか。今後のキャリアは「色んなことに興味がある」と今は決めていないという。 2023.11.27 22:05 Mon

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