マティッチ、古巣ネタでB・フェルナンデスをイジる 「ベンフィカとスポルティングの距離は…」
2020.05.29 21:08 Fri
マンチェスター・ユナイテッドのMFネマニャ・マティッチが、同僚MFブルーノ・フェルナンデスに対して、巧みなイジりを敢行した。イギリス『caughtoffside』が伝えている。世界中で行われているフットボールだが、意外にその世界は狭いもので、ビッグクラブにおいても、元同僚やかつて同じリーグのライバルチームでプレーしていた選手と共闘する機会は多い。
また、そういったゆかりのある選手同士の間では、かつて自分たちが所属したクラブの話で盛り上がることものだ。
そして、現在ユナイテッドにはかつてベンフィカでプレーしたマティッチと、今冬に加入するまでスポルティング・リスボンでプレーしていたB・フェルナンデスが在籍している。
6月17日のプレミアリーグ再開が決定したものの、ユナイテッドでは新型コロナウイルス(COVID-19)感染防止予防策として、少数グループでのトレーニングを実施している。
その際、マティッチはソーシャル・ディスタンスと互いの古巣の戦績をかけた巧みなジョークをかまし、B・フェルナンデスをイジッた。
トレーニング施設のベランダに設置されたエアロバイクに跨っていたマティッチは、横並びでソーシャル・ディスタンスがきっちり保たれた位置にいるB・フェルナンデスに対して、両手を広げて距離を示しながら、「ベンフィカとスポルティングの間ではいつも適切な距離が保たれてるな」と、痛烈な一撃を見舞った。
すると、B・フェルナンデスはそのジョークに思わず噴き出してしまいながらも、両手で顔を覆いショックを受けた様子を見せた。
同じリスボンに本拠地を置くベンフィカとスポルティングだが、近年は戦績の面でベンフィカが圧倒。とりわけ、今シーズンは勝ち点59のベンフィカが勝ち点1差で追う首位のポルトと熾烈な優勝争いを繰り広げている一方、スポルティングはベンフィカと勝ち点17差の4位に甘んじている。
そのため、自身もその責任の一端を負っているB・フェルナンデスは、ユナイテッドの先輩からの強烈なイジりにダメージを受けたようだ。
元エースのためにもスポルティングには濃厚接触とまでは言わないが、ベンフィカとの順位上のディスタンスを少しでも縮めてほしいところだ。
また、そういったゆかりのある選手同士の間では、かつて自分たちが所属したクラブの話で盛り上がることものだ。
6月17日のプレミアリーグ再開が決定したものの、ユナイテッドでは新型コロナウイルス(COVID-19)感染防止予防策として、少数グループでのトレーニングを実施している。
そういった中、同じグループに入っていたマティッチとB・フェルナンデスは、エアロバイクを使ったトレーニング中に歓談。
その際、マティッチはソーシャル・ディスタンスと互いの古巣の戦績をかけた巧みなジョークをかまし、B・フェルナンデスをイジッた。
トレーニング施設のベランダに設置されたエアロバイクに跨っていたマティッチは、横並びでソーシャル・ディスタンスがきっちり保たれた位置にいるB・フェルナンデスに対して、両手を広げて距離を示しながら、「ベンフィカとスポルティングの間ではいつも適切な距離が保たれてるな」と、痛烈な一撃を見舞った。
すると、B・フェルナンデスはそのジョークに思わず噴き出してしまいながらも、両手で顔を覆いショックを受けた様子を見せた。
同じリスボンに本拠地を置くベンフィカとスポルティングだが、近年は戦績の面でベンフィカが圧倒。とりわけ、今シーズンは勝ち点59のベンフィカが勝ち点1差で追う首位のポルトと熾烈な優勝争いを繰り広げている一方、スポルティングはベンフィカと勝ち点17差の4位に甘んじている。
そのため、自身もその責任の一端を負っているB・フェルナンデスは、ユナイテッドの先輩からの強烈なイジりにダメージを受けたようだ。
元エースのためにもスポルティングには濃厚接触とまでは言わないが、ベンフィカとの順位上のディスタンスを少しでも縮めてほしいところだ。
◆マティッチに座布団3枚?
Matic a dizer que "há sempre uma distância entre Benfica e Sporting".
— Tiago Fernandes (@tmsfernandes) May 28, 2020
Bruno Fernandes sorri conformado com a verdade... pic.twitter.com/ILz9bhXbwn
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▽日本名では「虞美人草(ぐびじんそう)」や「雛芥子(ひなげし)」と呼ばれる可憐な花。ヨーロッパ原産のケシ科の植物は「ポピー」の名で知られている。 ▽プレミアリーグを観る方やこの時期にイギリスへ行ったことがある方は、ユニフォームや監督の胸元に「ポピー」の花が飾られるのを目にしたことがあるだろう。 <div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20181106matic_tw3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div>▽11月11日は、イギリスでは“Remembrance Day(リメンブランス・デイ)”という記念日である。1918年11月11日の11時に第一次世界大戦の戦闘が集結し、イギリス国王のジョージ5世が定めた記念日。「戦没者追悼の日」とも言われ、今年で100年を迎えることになる。 ▽この日が近づくと、プレミアリーグのピッチには多くのポピーの花が咲く。日本で言うところの、「赤い羽根」に近いだろうか。選手たちだけでなく、一般の方も地下鉄の駅などでは募金をするとポピーの花がもらえるのだ。 ▽そんな中、週末に行われたプレミアリーグでは1人の選手の胸にポピーの花がなかった。それは、マンチェスター・ユナイテッドに所属するセルビア代表MFネマニャ・マティッチだ。 ▽かつてはチェルシーでプレーしたマティッチは、2017-18シーズンからかつての師であるジョゼ・モウリーニョ監督の下でプレーしている。そのマティッチは、3日に行われたボーンマス戦に先発出場。90分間プレーした。 ▽ユナイテッドの中盤を支えるマティッチだが、イギリスで通例となっているポピーの花をユニフォームにつけない理由がある。それは、自身が少年期に経験した戦争を思い出してしまうからだという。自身のインスタグラム(nemanjamatic)で明かした。 「僕にとっては、1999年にセルビアの爆撃によって母国が荒廃していた。個人的には、恐怖を抱いた12歳の少年のように、ヴレロに住んでいるような個人的な感情を思い出してしまうんだ」 ▽マティッチの故郷は、旧ユーゴスラビアのシャバツ。現在のセルビア西部に位置する都市だ。旧ユーゴスラビアでは、1998年からコソボ紛争が勃発。そして、翌1999年にNATO軍によって空爆が行なわれた。 ▽第一次世界大戦の終結を記念して定められた“リメンブランス・デイ”。そして、戦没者の象徴とされる「ポピー」を身につけることは、空爆を体験をしているマティッチには難しいことのようだ。 <div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20181106matic_tw2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div>▽チェルシー同様に、ユナイテッドでもフィルター役を務めるマティッチ。鋭いタックルで相手を封じ、バイタルエリアで壁となるマティッチは、気の利いたプレーでチームを支える。そして、そのプレースタイル同様に、自身の考えを押し付けることはなかった。 「人々がなぜポピーを身につけているのかは十分に理解している。僕はみなさんの権利を完全に尊重するし、紛争のために愛する人を失った人には同情する」 ▽マティッチは、自身が「ポピー」を身につけていない理由を明かす前に、しっかりと戦没者へと敬意を払った。それもまた、空爆を経験しているからだろう。戦争で愛する人を失った人々の悲しみを理解しているからだ。そして続けた。 「これまで僕が行ってきたことを考えると、ユニフォームにポピーを着けることが正しいとは思わない」 「イギリスの誇りの象徴であるポピーを傷つけたり、誰かを怒らせたりはしたくない。ただ、僕たちはそれぞれの育ち方をしているし、示した通り、僕個人の選択だ」 <div style="text-align:center;"><img src="http://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20181106matic_tw4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div>▽誠実に、そして自身の考えをしっかりと説明したマティッチ。その投稿には、多くの反応があり、誠実な対応をしたマティッチへの称賛のコメントも残されている。 ▽マティッチといえば、決して裕福ではない故郷のヴレロでも英雄的な存在。地元の小学校に修繕費を支援したり、苦しんでいる人々の借金を肩代わりしたり、「いたわり」「思いやり」の心をもって活動を行なっている。 ▽苦しいシーズンスタートとなったユナイテッドだが、モウリーニョ監督の腹心であるマティッチの誠実さ、思いやりのあるプレーは、チームに安定感をもたらせ、必ずやチームを浮上させるカギとなるだろう。そして、マティッチもそれを望んでいるようだ。 「僕が説明した理由をみんなが理解してくれることを願っている。そして、僕はこの先に待つ試合でチームをサポートすることに集中できる」 ▽「ポピー」の花言葉は「いたわり」「思いやり」。さながら、中盤でチームのバランスを取りながらプレーし、相手のことを考えて行動し、多くの支持を受けるマティッチを表しているようだ。「ポピー」を着けられなくとも、その心にはポピーの花が咲いているのかもしれない。 《超ワールドサッカー編集部・菅野剛史》 2018.11.06 21:30 Tue2
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