元ドイツ代表GKレーマン氏がヘルタ首脳入りか、クリンスマン氏の後任に
2020.05.11 07:00 Mon
元ドイツ代表GKイェンス・レーマン氏(50)がヘルタ・ベルリンの監査役会メンバーに就任するようだ。ドイツ『ビルト』が報じている。
同メディアによればヘルタ・ベルリンの株を49.9%保有している投資家のラース・ヴィントホルストがレーマン氏と接触しているとのことだ。なお、同職には現状、10週間でヘルタの監督を辞したユルゲン・クリンスマン氏が就いているが、レーマン氏が後任になるとのことだ。
ドイツ代表として61試合に出場し、ドルトムントやアーセナルで活躍したレーマン氏は、現役引退後はアーセナルやアウグスブルクのアシスタントコーチを務めていた。
同メディアによればヘルタ・ベルリンの株を49.9%保有している投資家のラース・ヴィントホルストがレーマン氏と接触しているとのことだ。なお、同職には現状、10週間でヘルタの監督を辞したユルゲン・クリンスマン氏が就いているが、レーマン氏が後任になるとのことだ。
ドイツ代表として61試合に出場し、ドルトムントやアーセナルで活躍したレーマン氏は、現役引退後はアーセナルやアウグスブルクのアシスタントコーチを務めていた。
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