ヘルタ・ベルリン
Hertha Berliner Sport Club Berlin国名 | ドイツ |
ホームタウン | ベルリン |
スタジアム | ベルリン・オリンピアシュタディオン |
愛称 | アルテ・ダーメ(老婦人) |
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ヘルタ・ベルリンのニュース一覧
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元日本代表MF細貝萌が地元・群馬で現役引退! 浦和、柏、群馬の他、ドイツやタイでもプレー…2011年にはアジアカップ制覇
ザスパ群馬は23日、元日本代表MF細貝萌(38)の現役引退を発表した。 群馬県前橋市出身の細貝は、前橋育英高校から2005年に浦和レッズでプロ入り。センターバックやサイドバックでプレーしたのちにボランチでプレーした。 2011年にレバークーゼンへと移籍し、海外でのプレーに挑戦。アウグスブルク、ヘルタ・ベルリン、ブルサシュポル、シュツットガルトでプレーすると、2017年に柏レイソルへと完全移籍しJリーグへ復帰。その後、ブリーラム・ユナイテッド、バンコク・ユナイテッドとタイでプレーすると、2021年にザスパクサツ群馬(現:ザスパ群馬)に加入していた。 浦和時代には、2006年のJ1優勝を経験した他、2005年、2006 年の天皇杯連覇、2007年のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝を経験。J1通算120試合5得点、J2通算36試合に出場。リーグカップで15試合1得点、天皇杯で32試合2得点、ACLで9試合1得点を記録した。 また、ブンデスリーガでも102試合3得点、2.ブンデスリーガで17試合に出場。ヨーロッパリーグでも4試合プレーしている。 日本代表としても世代別のU-16からプレーし、2008年には北京オリンピックにU-23日本代表として出場。2010年にはアルベルト・ザッケローニ監督の下でA代表デビューを果たすと、2011年のアジア杯優勝を経験。ブラジル・ワールドカップに向けた予選でもプレーしたが、本大会出場は叶わなかった。日本代表通算30試合1得点を記録していた。 今シーズンはチームがJ2で苦しむ中、細貝は3試合の途中出場に終わっており、チームも最下位でJ2に降格している。 2024.10.23 09:33 Wed2
ヘルタのベルギー代表ボヤタ、母国クラブ・ブルージュに移籍 25年までの契約にサイン
ジュピラー・プロ・リーグのクラブ・ブルージュは22日、ヘルタ・ベルリンからベルギー代表DFデドリック・ボヤタ(31)の獲得合意を発表した。契約期間は2025年までとなる。 アカデミー時代から過ごしたマンチェスター・シティでプロとしての一歩を踏み出したボヤタ。ボルトンやトゥベンテ、セルティックを渡り歩くなかでベルギー代表に上り詰めたセンターバックで、2019年夏からヘルタに活躍の場を移した。 ヘルタでは通算76試合でプレーし、昨季もトータルで27試合に出場。今季もDFBポカールの1試合で延長戦を含む120分間にわたってプレーしたが、ブンデスリーガでは開幕から3試合連続でメンバー外だった。 なお、これまでベルギーの外を主戦場としてきたボヤタにとって、母国でのプレーは初。今年11月にカタール・ワールドカップ(W杯)が迫るなか、母国から本大会のメンバー入りを目指すこととなった。 2022.08.23 12:15 Tue3
ヘルタ・ベルリン出身の現役メジャーリーガーを知っているか?
▽少年時代はヘルタ・ベルリンの下部組織でプレーし、現在はMLB(メジャーリーグ・ベースボール)のミネソタ・ツインズに所属するマックス・ケプラー外野手(24)を知っているだろうか。『FIFA.com』がケプラーのインタビューを実施。サッカーと野球について語った。 ▽ケプラーは、ポーランド人の父とアメリカ人の母の間にドイツのベルリンで誕生。少年時代は野球やサッカー、テニスなど多くのスポーツを経験し、サッカーではヘルタ・ベルリンの下部組織に所属していた。下部組織時代のチームメイトには、今夏ヴォルフスブルクへと移籍したアメリカ代表DFジョン・アンソニー・ブルックス(24)がおり、ベルリンにあるジョン・F・ケネディ・スクールでも一緒に過ごしていた。 ▽『FIFA.com』は、ケプラーへインタビューを実施。ケプラーは自身の生い立ちについて語り、サッカーではGKを務めていたことを明かした。 「僕がサッカーを始めたのは6歳の時だった。そして、同じ年齢で野球も初めてプレーした。ベルリンにいた時、子供はみんなサッカーをやっていた。そして、僕も始めた。若い頃から触れられているんだ」 「ゴールキーパーとしてプレーすることは、僕が当時やっていたテニスや野球とも関係があったんだ。僕はいつもスポーツをしていたよ」 ▽幼少期はサッカーと野球をプレーしていたケプラーだったが、ブルックスとは異なり野球の道へ。2009年に海外FAにより契約金77万5000ドル(約7300万円)でツインズへと入団。2015年にMLBでデビューを果たし、2016年からはライトのレギュラーとしてプレーしている。ケプラーはサッカーと野球の違いにも触れ、スタミナに差があると語った。 「サッカーではたくさん走らなくてはならないし、スタミナを持続させなくてはないけない。でも、野球ではそれほど多くを必要としない。先発投手でない限りね」 「野球は瞬間的に爆発させる仕事であり、アジリティが必要となる。サッカーはよりスタミナが必要で、持続的な走力が必要となるんだ」 ▽また、ケプラーは、少年時代を共に過ごしたブルックや自身が所属していたヘルタ・ベルリンの試合をチェックしているとのこと。アメリカの野球ファンと欧州のサッカーファンについても語った。 「僕は、ヨーロッパのサッカーファンとアメリカの野球ファンの間に大きな差があるとは思わない。両方のファンのベースはスポーツに夢中ということだよ」 「彼らは野球に熱狂的だし、ドイツではサッカーに熱狂的だ。でも、野球を見るためにアメリカに来るように、ヨーロッパのサッカーを観に行くことは爽快だね」 「誰もがワールドカップに注目している。でも、ツインズには多くのサッカーファンは居ない。ヘルタ・ベルリンがどんな状況なのかは、まだ追い掛けているよ。特にブルックスはね。ブンデスリーガの試合は、いつも僕が練習している時にやっている。だから、ハイライトを観ているよ」 ▽ブンデスリーガの試合を観ていると語ったケプラー。しかし、盟友のブルックスは今シーズンからヴォルフスブルクへと完全移籍したため、ヘルタ・ベルリンだけでなく、ヴォルフスブルクの試合もチェックするかもしれない。 ▽なお、今シーズンのケプラーは、MLBに97試合出場し、打率.256、ホームラン10本、打点40を記録(8月2日時点)。チームはアメリカン・リーグの中地区で3位に位置している。 2017.08.02 11:50 Wed4
ヘルタ・ベルリンに悲報…復帰間近だった” クロース2世”が再び長期離脱
ヘルタ・ベルリンが、同クラブに所属するU-21ドイツ代表MFアルネ・マイアーの左ヒザ内側側副じん帯断裂を発表した。 昨季途中に左ヒザ内側側副じん帯の部分断裂で戦列を離脱したマイアーは、今夏に行われたU-21欧州選手権で復帰を果たすと、3試合に出場しチームの準優勝に貢献。しかし、プレシーズン中に発症した膝蓋腱炎により再び離脱を余儀なくされ、今季はここまで全試合を欠場していた。 それでもリハビリを順調に終えたマイアーは、17日にフルメニューを消化。戦列復帰が目前に迫っていた同選手だったが、クラブの発表によれば21日に行われたトレーニング中に左ヒザを負傷。精密検査の結果、左ヒザ内側側副じん帯断裂と診断され、再び長期離脱を強いられることとなった。 ヘルタ・ベルリン下部組織出身のアルネ・マイアーは、広い視野と足元の技術から"クロース2世"と評されるプレーメーカー。2017年5月にクラブ史上最年少でブンデスリーガデビューを飾ると、これまで公式戦48試合。今冬にはマンチェスター・ユナイテッドやアーセナルが獲得に関心を示した逸材だ。 2019.09.24 01:30 Tue5
ピョンテクがヘルタに完全移籍! ミランをわずか1年で退団…
ヘルタ・ベルリンは30日、ミランに所属するポーランド代表FWクシシュトフ・ピョンテク(24)を完全移籍で獲得したことを発表した。移籍金は2700万ユーロ(約32億4000万円)で契約期間は2023年6月までとのことだ。 ピョンテクは2019年1月に移籍金3800万ユーロでジェノアからミランに加入。昨季は公式戦21試合11得点1アシストの活躍を披露したが、今シーズンはここまでセリエAで18試合4ゴールと完全に勢いを失っていた。そして、元スウェーデン代表FWズラタン・イブラヒモビッチが復帰した今冬、さらなる出番減少が予想される状況だった。 そのピョンテクに対してはトッテナムも獲得に関心を示していたようだが、買い取りオプション付きのレンタル移籍が希望だったようで、完全移籍を受け入れたヘルタが獲得に成功した格好だ。 ヘルタでは27日にクラブレコードの2500万ユーロでリヨンからU-21フランス代表MFリュカ・トゥザール(22)を獲得していた。 2020.01.31 04:00 Friヘルタ・ベルリンの選手一覧
1 | GK | オリヴァー・クリステンセン | ||||||||
1999年03月22日(25歳) | 190cm | 82kg | 0 | 0 |
12 | GK | チャルク・エルンスト | ||||||||
2003年03月15日(21歳) | 193cm | 0 | 0 |
22 | GK | ルネ・ヤルシュテイン | ||||||||
1984年09月29日(40歳) | 190cm | 0 | 0 |
33 | GK | ロバート・クワーシグロック | ||||||||
2004年06月26日(20歳) | 189cm | 0 | 0 |
2 | DF | ペテル・ペカリーク | ||||||||
1986年10月30日(38歳) | 176cm | 70kg | 0 | 0 |
3 | DF | アグスティン・ロジェル | ||||||||
1997年10月17日(27歳) | 190cm | 0 | 0 |
5 | DF | フィリプ・ウレモビッチ | ||||||||
1997年02月11日(27歳) | 184cm | 0 | 0 |
6 | DF | ミハウ・カルボフニク | ||||||||
2001年03月13日(23歳) | 175cm | 0 | 0 |
16 | DF | ジョンジョ・ケニー | ||||||||
1997年07月05日(27歳) | 176cm | 0 | 0 |
17 | DF | マキシミリアン・ミッテルシュタット | ||||||||
1997年03月18日(27歳) | 179cm | 0 | 0 |
20 | DF | マルク=オリヴァー・ケンプフ | ||||||||
1995年01月28日(29歳) | 185cm | 82kg | 0 | 0 |
21 | DF | マルヴィン・プラッテンハールト | ||||||||
1992年01月26日(32歳) | 181cm | 0 | 0 |
31 | DF | マールトン・ダルダイ | ||||||||
2002年02月12日(22歳) | 188cm | 0 | 0 |
35 | DF | ヴェイト・シュタンゲ | ||||||||
2004年02月08日(20歳) | 0 | 0 |
41 | DF | パスカル・クレメンス | ||||||||
2005年02月23日(19歳) | 0 | 0 |
42 | DF | ユリアン・アイトシュベルガー | ||||||||
2004年03月05日(20歳) | 179cm | 0 | 0 |
49 | DF | ジョエル・ダ・シルバ・キアラ | ||||||||
2004年01月21日(20歳) | 0 | 0 |
DF | リヌス・ゲシュター | |||||||||
2004年02月27日(20歳) | 188cm | 0 | 0 |
6 | MF | トルガ・ジエルジ | ||||||||
1992年03月23日(32歳) | 185cm | 0 | 0 |
10 | MF | ジャン=ポール・ボエティウス | ||||||||
1994年03月22日(30歳) | 0 | 0 |
27 | MF | ケヴィン=プリンス・ボアテング | ||||||||
1987年03月06日(37歳) | 186cm | 86kg | 0 | 0 |
29 | MF | リュカ・トゥザール | ||||||||
1997年04月29日(27歳) | 185cm | 0 | 0 |
30 | MF | イブラヒム・メザ | ||||||||
2005年11月24日(18歳) | 0 | 0 |
34 | MF | イバン・シュニッチ | ||||||||
1996年10月09日(28歳) | 183cm | 79kg | 0 | 0 |
7 | FW | フロリアン・ニーダーレヒナー | ||||||||
1990年10月24日(34歳) | 188cm | 0 | 0 |
18 | FW | ウィルフリード・カンガ | ||||||||
1998年02月21日(26歳) | 185cm | 0 | 0 |
28 | FW | ケリアン・エンソナ | ||||||||
2002年05月11日(22歳) | 189cm | 0 | 0 |
39 | FW | デリー・シェラント | ||||||||
2002年11月10日(22歳) | 184cm | 0 | 0 |
40 | FW | チデラ・エジュケ | ||||||||
1998年01月02日(26歳) | 176cm | 72kg | 0 | 0 |
44 | FW | トニ・ロルケ | ||||||||
2003年01月22日(21歳) | 188cm | 0 | 0 |
監督 | パル・ダルダイ | |||||||||
1976年03月16日(48歳) | 179cm | 77kg | 0 | 0 |