ギグス氏が自身のプレミア出場記録更新のバリーを祝福 「この記録がもっと伸びていくことを願っている」
2017.09.26 23:59 Tue
▽マンチェスター・ユナイテッドで活躍した元ウェールズ代表FWライアン・ギグス氏が、自身の持つプレミアリーグの最多出場記録を更新したWBAの元イングランド代表MFガレス・バリー(36)に祝福のメッセージを送った。イギリス『スカイ・スポーツ』が伝えている。
「やあ、ガレス。私のプレミアリーグ最多出場記録を更新した君を心から祝福したい。それはとてつもない偉業だ」
「君は素晴らしいプロフェッショナルであり、多くのトップレベルのゲームでプレーしてきたことを知っているし、本当に素晴らしい偉業だ。個人的に君の活躍を嬉しく思うし、この記録がもっと伸びていくことを願っている」
「今週は多くのメディアの注目に晒され、少し不思議な1週間だったよ。この偉業をベッドに持っていくことができて良かったよ」
「個人的には記録のことについて、誰が上にいるのか、誰が自分の下に居るのか、とか深く考えていないんだ。僕自身、ピッチ上で全力を注ぐことだけに集中しているよ」
▽バリーは、アストン・ビラ、マンチェスター・シティ、エバートン、そしてWBAでプレー。21シーズンプレーしており、4チームで633試合出場を達成。52ゴール63アシストを記録。PKでも14ゴールを決めている。また、イエローカードは119枚、レッドカードは6枚受けている。プレミアリーグの優勝はマンチェスター・シティ時代に1度経験しており、261勝を挙げている。
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▽バリーは、今月16日に行われたウェストハム戦でギグス氏が持っていた632試合というプレミアリーグ最多出場記録に並び、25日に行われたアーセナル戦で先発出場した際に、この記録を633試合に伸ばし、新記録を樹立した。▽同日、自身が出演するテレビ番組『スカイ・スポーツ』でバリーの偉業達成を見届けたギグス氏は、自身の記録を更新したバリーに祝福のメッセージを送った。「君は素晴らしいプロフェッショナルであり、多くのトップレベルのゲームでプレーしてきたことを知っているし、本当に素晴らしい偉業だ。個人的に君の活躍を嬉しく思うし、この記録がもっと伸びていくことを願っている」
▽また、偉業達成の試合でゲームキャプテンを務めたバリーは、自身の想像以上に注目を集めたことに戸惑いつつも、今後も記録にこだわることなくプレーしていきたいと語った。
「今週は多くのメディアの注目に晒され、少し不思議な1週間だったよ。この偉業をベッドに持っていくことができて良かったよ」
「個人的には記録のことについて、誰が上にいるのか、誰が自分の下に居るのか、とか深く考えていないんだ。僕自身、ピッチ上で全力を注ぐことだけに集中しているよ」
▽バリーは、アストン・ビラ、マンチェスター・シティ、エバートン、そしてWBAでプレー。21シーズンプレーしており、4チームで633試合出場を達成。52ゴール63アシストを記録。PKでも14ゴールを決めている。また、イエローカードは119枚、レッドカードは6枚受けている。プレミアリーグの優勝はマンチェスター・シティ時代に1度経験しており、261勝を挙げている。
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カントナ氏、古巣ユナイテッドと喧嘩別れのC・ロナウドに苦言「自分が25歳だと思っている」
元フランス代表MFのエリック・カントナ氏が、ポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドの振る舞いに苦言を呈した。スペイン『マルカ』が伝えている。 今夏に移籍騒動がありながら、マンチェスター・ユナイテッドに残留したC・ロナウド。しかし、エリク・テン・ハグ新監督が就任した今季は序列が下がると、昨年10月の試合では出場拒否および無断退席によって一時トップチーム追放処分を科されるなど、ベテランらしからぬ問題行動が目立っていた。 さらに、11月中旬にはイギリスのテレビ『TalkTV』のインタビューでクラブの内部批判を展開したことで、ユナイテッドは数日後に契約解除を決断。計8年半を過ごしたクラブとの別れは遺恨の残るものとなった。 昨年末にはサウジアラビアのアル・ナスルへの加入が決まり、同国中から熱烈な歓迎を受けているC・ロナウド。しかし、ユナイテッドのOBであるカントナ氏はベテランとしての立ち振る舞いができていないとバッサリ切り捨てた。 「ベテラン選手には2つのタイプがいる。自分がまだ25歳だと思い込んでいて全試合に出場したいと願う選手と、自分がもう若くないことに気づき、若い選手たちを助けるためチームで努力する選手だ。彼はすべての試合に出場できるわけではなかったが、自分の出番が確実にあることはわかっていたはずだ」 「ズラタン・イブラヒモビッチは今でもミランでやっているし、ユナイテッドでのライアン・ギグスやパオロ・マルディーニがミランにいた頃もそうだった。クリスティアーノ・ロナウドは自分が25歳でないことに気づいていない」 「彼は年を重ねているのだから、すべての試合でプレーできないことを不満に思うのではなく、若い選手たちを助けて、自分の状況を受け入れようと気づかなければならなかった」 「30歳の頃のように速く走ることはできないと受け入れなければならない。私がいつか死ぬのと同じようにだ。難しいが、受け入れるしかない。キャリアの終わりは死と同じように感じるだろうが、また何かを始めなければならない。そして、死ぬ前に、自分が老いていくことを受け入れなければならないのだ。昔やっていたことができなくなるは当然なのだから」 アル・ナスル加入時にはすでにウズベキスタン代表FWジャロリディン・マシャリポフが着用していた背番号「7」を譲ってもらい、外国籍選手枠の問題からカメルーン代表FWヴァンサン・アブバカルを放出して選手登録が行われるなど、異例の待遇を受けているC・ロナウド。中東の地でも“王様”として振る舞うのだろうか。 2023.01.16 18:41 Monウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンの人気記事ランキング
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WBAは19日、シーズン終了後にサム・アラダイス監督(66)が辞任することを発表した。 “残留請負人”とも呼ばれるほど、これまでプレミアリーグで数々のクラブを指揮し、降格の危機から救ってきたアラダイス監督。今季は成績不振で解任されたスラヴェン・ビリッチ前監督の後任として昨年12月にWBAに就任し、およそ2年半ぶりに現場に戻ってきた。 しかし、百戦錬磨のビッグ・サムも今回は思うような成果を残すことができず、3試合を残した時点でチャンピオンシップ(イングランド2部)への降格が決定。個人としてはキャリア初の降格を味わうことになった。 それでもクラブは、契約が2022年6月まで残っていることもあり、来季以降の続投を望んだが、指揮官はそのオファーを拒否し、辞任を決断。「クラブには若くて野心的な監督が必要だ」とし、退任の理由を明かした。 「WBAは野心的なクラブのコミットメントを示す、ホーソンズに残るための寛大なオファーをくれた。しかし、真剣に検討した結果、そのオファーを受けないことにした」 「もし私が残留し、来シーズンの昇格を達成した場合、少なくとももう1シーズン続けることが期待され流だろうが、悲しいかな、それは私のキャリアの今の段階ではできないことだ」 「今、クラブには安定性と継続性が求められており、それを実現できるのは若くて野心的な監督であり、プレミアリーグのクラブとしてあるべき姿に戻すことができると私は考えている」 「選手やスタッフ、特にルーク・ダウリング(テクニカル・ディレクター)とシュー・ケー(最高経営責任者)には、非常に困難な挑戦に揺るぎなく取り組んでくれたことに感謝している。もちろん、この挑戦は、クラブの素晴らしいサポーターの方々が強制的に不在だったことでより困難なものとなった。ホーム最終戦となったウェストハム戦には、何人かのサポーターの方々が来られたことを嬉しく思う」 「クラブからは、私の後継者に求められる資質について意見を求められ、私は喜んで意見を述べさせてもらった。私の後任を探すのは、シーズン最終戦のリーズ・ユナイテッド戦の後だ。それまでの間、我々はその試合の準備に完全に集中し、できるだけ多くのポイントを獲得してシーズンを終えるために全力を尽くすよ」 2021.05.20 13:30 Thu4
元イングランド代表GKベン・フォスターが現役引退、ハリウッド俳優所有のクラブで昇格に貢献
レクサムは21日、元イングランド代表GKベン・フォスター(40)の現役引退を発表した。 2022年9月にキャリアを一時停止したフォスター。2023年3月には、ハリウッド俳優のライアン・レイノルズが所有するレクサムへ加入すると、ナショナルリーグ(イングランド5部)で8試合に出場。優勝を争うチームを支え、見事にEFLリーグ2(イングランド4部)に昇格していた。 フォスターは今シーズンもプレーを続けることとなり、リーグ2では開幕から4試合に出場。しかし、チームは1勝2分け3敗という出だしに。ただ、4試合で13失点と守備が崩壊していた。 19日に行われた第4節のスウィンドン・タウン戦では、5-5という壮絶な打ち合いに。後半アディショナルタイムに2点を奪ってなんとか追いついたが、苦しい試合となっていた。 レクサムの声明によれば、その試合後にフォスターがフィル・パーキンソン監督と話し合いをしたとのこと。引退を決断したことを伝えられたという。 「正直なところ、今シーズンのパフォーマンスは自分に求めるレベルに達しておらず、今が引退するのに適切な時期だと感じている」 「この決断を下す際に最優先に考えたのは、僕にとってだけでなく、クラブにとっても何が最善なのかということだった。この決断により、クラブは期限が閉まる前に選択肢を評価するあらゆる機会を得ることができた」 「レクサむはいつも僕の心の中で特別な場所であり続けるだろう」 フォスターは自身のパフォーマンスに限界を感じて引退を決断。それを伝えられたパーキンソン監督もクラブを通じてコメントしている。 「ベンはレクサムにいる間、プロフェッショナルとして模範を示し、我々が彼に求めたことは全てやってくれた」 「決断を下すには、偉大な人間と、このフットボールクラブを本当に理解し、決断のタイミングを計る人間が必要だ」 「昨シーズンのノッツ・カウンティ戦での昇格に貢献してくれたあの素晴らしいPKセーブを遥かに超えた彼の貢献に感謝するとき、私はみんなを代表して言っていると確信している」 「レクサムはベン・フォスターを迎えるにはより良い場所だった」 フォスターはストーク・シティでキャリアをスタート、下部リーグへのレンタル移籍を繰り返した中、2005年1月にはレンタルでレクサムに加入していた。 2005年7月、マンチェスター・ユナイテッドへと完全移籍、ワトフォードへのレンタル移籍を経て復帰。2010年7月にバーミンガム・シティへと完全移籍した。 その後、WBAへとレンタル移籍したのちに完全移籍。2018年にワトフォードに加入すると、2022年7月に一度キャリアをストップ。半年後にレクサムで復帰していた。 最もプレーしたクラブはWBAで公式戦223試合に出場。ワトフォードでは207試合に出場している。プレミアリーグでは390試合に出場していた。 2007年2月にはイングランド代表デビューを果たし、8試合に出場。2014年のブラジル・ワールドカップ(W杯)ではコスタリカ代表戦でフル出場し、W杯デビューを果たしていた。 2023.08.21 22:05 Mon5