スモーリングを巡り“ノースロンドン・ダービー”勃発か
2020.03.18 21:21 Wed
ローマのイングランド代表DFクリス・スモーリング(30)をめぐって“ノースロンドン・ダービー”が勃発するかもしれない。イタリア『ガゼッタ・デッロ・スポルト』が伝えた。
今シーズン初めにマンチェスター・ユナイテッドからローマに1年間の期限付き移籍で加入したスモーリング。セリエAでパフォーマンスを取り戻したスモーリングには、数多くのクラブが注目している。
レンタル先であるローマも完全移籍に前向きな姿勢を見せているものの、その条件には来シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)出場が必要とのこと。逃した場合は、獲得を狙うプレミアクラブへの移籍が濃厚のようだ。
2022年までユナイテッドとの契約を残すスモーリングだが、現指揮官であるオーレ・グンナー・スールシャール監督の下で未来があるのかは不透明な状態が続いている。
プレミアリーグでは、エバートンやアーセナル、トッテナムらが興味を示しているとのこと。特に、アーセナルとトッテナムはディフェンスラインの安定を図ることを求めており、プレミアリーグで経験のあるスモーリングはうってつけだ。
特にトッテナムを率いるジョゼ・モウリーニョ監督は、ユナイテッドでスモーリングを重宝していたこともあり、関心を寄せることは理解できる。
イタリアでキャリアを復活させたスモーリングは、ローマに残るのか、ユナイテッドに戻るのか、それとも…。
今シーズン初めにマンチェスター・ユナイテッドからローマに1年間の期限付き移籍で加入したスモーリング。セリエAでパフォーマンスを取り戻したスモーリングには、数多くのクラブが注目している。
レンタル先であるローマも完全移籍に前向きな姿勢を見せているものの、その条件には来シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)出場が必要とのこと。逃した場合は、獲得を狙うプレミアクラブへの移籍が濃厚のようだ。
2022年までユナイテッドとの契約を残すスモーリングだが、現指揮官であるオーレ・グンナー・スールシャール監督の下で未来があるのかは不透明な状態が続いている。
特にトッテナムを率いるジョゼ・モウリーニョ監督は、ユナイテッドでスモーリングを重宝していたこともあり、関心を寄せることは理解できる。
エバートンも、今シーズン途中まで率いたナポリでその活躍を目にしている、カルロ・アンチェロッティ監督が率いており、こちらも興味の度合いは強い。
イタリアでキャリアを復活させたスモーリングは、ローマに残るのか、ユナイテッドに戻るのか、それとも…。
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ユナイテッド退任から2年…スールシャールはイングランドでの現場復帰を優先? 「プレミアが大好き」
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“ジャンピングチョップ事件”いまだ和解なし、ファン・ニステルローイが宿敵との騒動を振り返る
▽現役時代にマンチェスター・ユナイテッドで活躍した元オランダ代表FWルート・ファン・ニステルローイ氏が、宿敵との騒動を振り返った。イギリス『インデペンデント』が伝えた。 ▽事件は約13年前のオールド・トラフォード、マンチェスター・ユナイテッドvsアーセナルで起こった。当時のプレミアリーグは、ユナイテッドとアーセナルの2強時代。MFロイ・キーン、MFパトリック・ヴィエラという闘将に率いられていた両者の直接対決は、常に意地と意地がぶつかり合う激闘だった。 ▽そして試合では、0-0で迎えたアディショナルタイムにFWディエゴ・フォルランがボックス内でDFマーティン・キーオンに倒されてPKを獲得。しかし、このPKキッカーを務めた名手ファン・ニステルローイは、シュートをバーに当ててしまった。 ▽そして、試合は0-0のまま終了。宿敵の絶対的エースがPKを失敗したことにより勝ち点を獲得してテンションが上がったアーセナルの選手たちは、試合終了の笛とともにファン・ニステルローイを囲んで挑発。試合中も激しくやりあっていたキーオンは、ファン・ニステルローイに“ジャンピングチョップ”を敢行した。 ▽オックスフォード大学での講義にゲストとして参加したファン・ニステルローイ氏は、「キーオンに街でたまたま会ったら、どのように振舞うのか?」と尋ねられると、冗談交じりに「彼は再び私の上に飛んでくるだろう(笑)。時代を生きていくには、クレバーじゃないといけないと思ったよ」と語り、会場の笑いを誘った。 ▽一方、この事件があった2003-04シーズンにプレミアリーグ無敗優勝を経験したキーオン氏は先月、当時について以下のように振り返っていた。 「おそらく、私は過剰な反応を見せてしまった。ルート・ファン・ニステルローイは、ブラックリスト入りする信用できない敵だった。彼はトッププレーヤーであり、ファイターだったが、どんな手を使ってでも相手を打ちのめそうとするような選手だった」 2016.02.08 20:42 Mon5