バルサ時代の脱税認める、エトーが執行猶予付きの懲役22カ月&罰金2億6000万円
2022.06.21 10:10 Tue
かつてバルセロナやインテルなどで活躍し、カメルーン代表の元エースでもあるサミュエル・エトー氏が、脱税容疑を認めた。スペイン『マルカ』が報じた。
アフリカ年間最優秀選手賞を4度も受賞し、現在はカメルーンサッカー連盟(FECAFOOT)の会長でもあるエトー氏。元代理人であるホセ・マリア・メサレス氏とともに脱税疑惑がかけられていた。
バルセロナ在籍時の2006年から2009年にかけ、肖像権譲渡による収入を申告していなかったとのこと。387万2621ユーロ(約5億5000万円)を脱税していたようだ。
エトー氏は20日にスペインの裁判所に出廷。懲役4年6カ月が求刑されたが、最終的には22カ月に減刑。執行猶予がついている。また、メサレス氏は1年間の懲役刑となった。なお、エトーは罰金181万310ユーロ(約2億6000万円)を支払う。
両者は罪を認めた中、エトーはメサレス氏に原因があると非難。すでに資産管理における詐欺罪で訴訟を起こしているが、まだ調査中とのことだ。
アフリカ年間最優秀選手賞を4度も受賞し、現在はカメルーンサッカー連盟(FECAFOOT)の会長でもあるエトー氏。元代理人であるホセ・マリア・メサレス氏とともに脱税疑惑がかけられていた。
バルセロナ在籍時の2006年から2009年にかけ、肖像権譲渡による収入を申告していなかったとのこと。387万2621ユーロ(約5億5000万円)を脱税していたようだ。
両者は罪を認めた中、エトーはメサレス氏に原因があると非難。すでに資産管理における詐欺罪で訴訟を起こしているが、まだ調査中とのことだ。
スペインでは肖像権がらみの脱税が多くあり、リオネル・メッシ、クリスティアーノ・ロナウド、ジョゼ・モウリーニョ、ネイマールらレアル・マドリーとバルセロナに関わる外国人が近年起訴される件が相次いでいる。
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エゴと献身性の相反する能力を持ち合わせたアフリカ最高のストライカー、サミュエル・エトー
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