「J開幕記念日」があるなら「代表記念日」があってもいいのでは/六川亨の日本サッカー見聞録
2024.05.17 22:00 Fri
5月15日は「Jリーグ開幕記念日」ということで、本来なら16年ぶりにJ1へ復帰した東京V対横浜FMの試合を国立競技場で開催したいところだったのではないだろうか。しかし今シーズンの開幕戦で両者は対戦しているため、15日の「オリジナル10」の対戦は東京V対G大阪、広島対鹿島の2試合しかなかった。
この「Jリーグ開幕記念日」が始まったのはJリーグ誕生から30周年となる昨シーズンのこと。昨年は14日に鹿島対名古屋、浦和対G大阪と30年前の5月16日に開催されたカードが再現された。
さて、「Jリーグ開幕記念日」があるのだから、「日本代表の記念日」があってもいいのではないかと思いついた。問題は、はたしてどの試合を「日本代表の記念日」にするかである。
オールドファンにとっては、日本が初めてW杯のアジア最終予選に進出した1985年10月26日の韓国戦が思い出深い試合ではないだろうか。森孝慈監督に率いられた日本は、1次予選で北朝鮮とシンガポールを退けると、2次予選で香港に圧勝。当時の予選方式は東と西で分かれていたため中東勢と対戦することはなかった。
そして最終予選では、58年以来28年ぶり2回目のW杯出場を目指す韓国との決戦となった。ホームでの第1戦は、なんの宣伝もしていないのに国立競技場は6万2千人の観衆で埋まった。MF木村和司の伝説のFKから1点を返した日本だったが1-2で敗退。11月3日のアウェーも0-1で敗れ、日本のW杯初出場は幻と消えた。
10月26日、ホーム国立競技場での試合は0-0の引分けでも20年ぶりの五輪出場が決まる。本来ならホームゲームは1週間後の10月10日に予定されていた。ところがその日は国立競技場で東西対抗戦があり、すでにテレビ放映も決まっている。さらにその1週間後の17日は日本リーグの開幕戦があるため、国立競技場で試合が開催可能なのは早くて10月26日ということになってしまった。
雨中の決戦には5万人の観衆が詰めかけたが、結果は0-2の敗戦。2年前にW杯出場が絶望となった同じ日に、五輪出場も幻と消え、石井義信監督は退任した。
こうした因縁のある10・26だが、日本が負けた日を「記念日」とするには縁起が悪い。となると、やはり日本がW杯初出場を決めた97年11月16日、マレーシアのジョホールバルでFW岡野雅行の延長Vゴールからイランを3-2と下したフランスW杯アジア第3代表決定戦が「記念日」にふさわしいのではないだろうか。
1968年10月24日のメキシコ五輪3位決定戦、地元メキシコをFW釜本邦茂の2ゴールで下して銅メダルを獲得した日も「記念日」として捨てがたいが、やはりW杯初出場を決めた日を「記念日」とするべきだろう。
この「Jリーグ開幕記念日」が始まったのはJリーグ誕生から30周年となる昨シーズンのこと。昨年は14日に鹿島対名古屋、浦和対G大阪と30年前の5月16日に開催されたカードが再現された。
さて、「Jリーグ開幕記念日」があるのだから、「日本代表の記念日」があってもいいのではないかと思いついた。問題は、はたしてどの試合を「日本代表の記念日」にするかである。
そして最終予選では、58年以来28年ぶり2回目のW杯出場を目指す韓国との決戦となった。ホームでの第1戦は、なんの宣伝もしていないのに国立競技場は6万2千人の観衆で埋まった。MF木村和司の伝説のFKから1点を返した日本だったが1-2で敗退。11月3日のアウェーも0-1で敗れ、日本のW杯初出場は幻と消えた。
この因縁の10・26は、2年後の87年にも日本の行く手を阻む。ソウル五輪のアジア最終予選、ライバルである韓国は開催国のため予選には参加しない。日本は1次予選でインドネシアとシンガポール、最終予選でタイとネパールを下し、中国との決戦に齣を進めた。10月4日のアウェー広州での試合はFW原博実の決勝点で1-0の勝利を収めた。
10月26日、ホーム国立競技場での試合は0-0の引分けでも20年ぶりの五輪出場が決まる。本来ならホームゲームは1週間後の10月10日に予定されていた。ところがその日は国立競技場で東西対抗戦があり、すでにテレビ放映も決まっている。さらにその1週間後の17日は日本リーグの開幕戦があるため、国立競技場で試合が開催可能なのは早くて10月26日ということになってしまった。
雨中の決戦には5万人の観衆が詰めかけたが、結果は0-2の敗戦。2年前にW杯出場が絶望となった同じ日に、五輪出場も幻と消え、石井義信監督は退任した。
こうした因縁のある10・26だが、日本が負けた日を「記念日」とするには縁起が悪い。となると、やはり日本がW杯初出場を決めた97年11月16日、マレーシアのジョホールバルでFW岡野雅行の延長Vゴールからイランを3-2と下したフランスW杯アジア第3代表決定戦が「記念日」にふさわしいのではないだろうか。
1968年10月24日のメキシコ五輪3位決定戦、地元メキシコをFW釜本邦茂の2ゴールで下して銅メダルを獲得した日も「記念日」として捨てがたいが、やはりW杯初出場を決めた日を「記念日」とするべきだろう。
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src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/nakamura20221111_7_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">©J.LEAGUE<hr></div> そしてサッカー選手を志したのも横浜市。しかも、プロ入り後の本拠地であり、引退した本拠地でもあるニッパツ三ツ沢球技場での出来事だった。「初めて親と行った三ツ沢。今は凄く整備されていますが、スタンドの椅子もコンクリートだけで、初めて日産vs読売、木村和司さんvsラモスさん、カズさんがいて、あれで虜になって、自分もここでやりたいと」と、横浜でサッカー選手になることを決意。そして、努力の末に夢を叶えた。「今も三ツ沢でプレーできて、三ツ沢で終われたので、運が良いです。よかったなと思います」と、多くの思い出がある地に感謝を述べた。 その横浜の地を離れて最初に訪れたのがイタリア。当時はセリエAに所属していたレッジーナに移籍。すでに中田英寿がペルージャ、ローマ、パルマでプレーし、名波浩がヴェネツィアでプレーしていたが、日本人に馴染みのないレッジーナというクラブを選択。当時セリエAに復帰した1年目のシーズンだった。 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/nakamura20221111_3_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">Getty Images<hr></div> 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<script>var video_id ="a6xzzZGKikI";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 同じ日本代表で左利き、ゲームを作るプレーが求められた2人は、選手と監督という立場が変わっても、何かでつながっていたのだろう。それだけ会心のゴールであり、喜びを分かち合いたくなるものだった。 今なお、チームの練習に参加し、サッカーを続けている中村。今後は指導者になることは予てから口にしていたが、理想の監督像は作らないようにしているという。 「選手の時はありましたが、それはあまり作らない方が良いのかなと。自分の感覚とか、物差しでやると、逆に伝わらなかったり、良いことがないかもしれないんじゃないかなという感じでもいます」 「演じなければいけない時もあるかもしれないですし、B級(ライセンス)を取るときも、自分は答えをわかっているから教えすぎだと言われて、なるほどなと思いました。そこを促して、気付かせるということも大事だと思います。まだまだ色々なことを勉強しなければいけないので、今のところ作らないようにしています 型にハマった指導をせず、向き合う選手や状況に対応していきたいという考えもあるのだろう。数多くの監督の下でプレーし、様々な世界を経験したからこその決意なのかもしれない。 その中村だが、自身も称された“ファンタジスタ”について、今後期待する選手の名前を挙げた。それは「小野伸二ですね。そこは変わらないです」。北海道コンサドーレ札幌に所属する43歳は、中村も日本代表としても一緒にプレーした仲。そして、“ファンタジスタ”が再び必要になる時代が来ると考えているという。 「今の時代という言い方はあまり好きではないですが、中央はプレッシャーが360度きますが、そのポジションの選手が必要になる時が自分はあると思いますし、そういう人を逆に潰さないようにしていきたいという気持ちがあります」 中村監督が育てる選手から“ファンタジスタ”が生まれてくるのか。自身の経験を伝承し、再び世界でインパクトを残す武器を持った選手、唯一無二の存在であった中村の後継者を生み出してくれることを、今後は期待したい。 取材・文:菅野剛史(超ワールドサッカー編集部) <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/nakamura20221111_4_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">©CWS Brains,LTD.<hr></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/nakamura20221111_5_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">©CWS Brains,LTD.<hr></div> <span class="paragraph-title">【動画】初めて監督に抱きつきに行った中村俊輔の衝撃弾丸ミドル</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="a6xzzZGKikI";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2022.11.11 07:20 Fri日本の人気記事ランキング
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