低迷続く大宮が霜田正浩監督を解任、後任は昨季鹿島を率いた相馬直樹氏
2022.05.26 11:40 Thu
大宮アルディージャは26日、霜田正浩監督(55)の解任を発表した。なお、後任は相馬直樹氏(50)が就任することとなる。なお、28日の東京ヴェルディ戦から指揮を執ることとなる。霜田監督は、不振に陥っていた2021シーズン途中に大宮の監督に就任すると、最終節でなんとか明治安田生命J2リーグ残留を掴んでいた。
今シーズンはシーズン開幕から指揮を執っていたが、選手の大半が入れ替わるという事態に加え、新型コロナウイルス(COVID-19)の感染者がクラブ内で出たこともあり出遅れると、開幕9試合未勝利と大きく低迷した。
その後第10節のジェフユナイテッド千葉戦で初勝利。第12節のザスパクサツ群馬戦ではホーム初勝利をあげ、続くツエーゲン金沢戦も連勝。その後、大分トリニータ、V・ファーレン長崎と引き分けが続いたが、いわてグルージャ盛岡、ベガルタ仙台とホームで連敗。再び降格圏に落ちていた。
25日に行われた第18節のFC琉球戦では、勝ち点が並ぶ相手に1-0と勝利を収めて降格圏を脱出していたが、監督交代となった。
「この世界では結果の責任が常に監督にありますので、このクラブの決断を真摯に受け止めるとともに、いつも応援をしていただいたサポーターの皆さまに、本当に心から感謝いたします。NACK5スタジアム大宮でいつも最高の雰囲気を作っていただき、アウェイの地にも大勢のサポーターに駆けつけていただき、どんなときも変わらぬ応援をしてくださったサポーターの皆さんに、もっともっと勝利を、笑顔を届けたかったです。それができなかったことが無念でなりません」
「それでも、チームを愛し選手たちを信じてNACK5スタジアム大宮で指揮をとり、皆さんと一緒に闘えたことはとても幸せでした。今後の大宮アルディージャを陰ながら応援しています。ありがとうございました」
相馬氏は、現役時代は鹿島アントラーズや東京ヴェルディ、川崎フロンターレでプレー。日本代表の左サイドバックとしても活躍、1998年のフランス・ワールドカップにも出場していた。
引退後はFC町田ゼルビアで監督業をスタート。その後、川崎Fの監督に就任。モンテディオ山形のコーチを経て、再び町田の監督に就任すると、2020年からは古巣鹿島のコーチに就任。しかし、アントニオ・カルロス・ザーゴ監督が解任されると、2021年4月からは鹿島で監督を務め、チームはV字回復。4位でシーズンを終えていたが、同年限りで退任していた。
相馬新監督はクラブを通じてコメントしている。
「大宮アルディージャにかかわるすべての皆さま、はじめまして。このたび監督に就任しました、相馬直樹です。皆さまと一緒に笑顔を分かち合えるよう、すべての力を出し切りたいと思います。ご支援、ご声援をよろしくお願いします」
昇格を掲げる中で、2年連続で残留争い中の大宮。残りは24試合あるが、相馬監督の下でチームは浮上することができるだろうか。
今シーズンはシーズン開幕から指揮を執っていたが、選手の大半が入れ替わるという事態に加え、新型コロナウイルス(COVID-19)の感染者がクラブ内で出たこともあり出遅れると、開幕9試合未勝利と大きく低迷した。
25日に行われた第18節のFC琉球戦では、勝ち点が並ぶ相手に1-0と勝利を収めて降格圏を脱出していたが、監督交代となった。
霜田監督はクラブを通じてコメントしている。
「この世界では結果の責任が常に監督にありますので、このクラブの決断を真摯に受け止めるとともに、いつも応援をしていただいたサポーターの皆さまに、本当に心から感謝いたします。NACK5スタジアム大宮でいつも最高の雰囲気を作っていただき、アウェイの地にも大勢のサポーターに駆けつけていただき、どんなときも変わらぬ応援をしてくださったサポーターの皆さんに、もっともっと勝利を、笑顔を届けたかったです。それができなかったことが無念でなりません」
「それでも、チームを愛し選手たちを信じてNACK5スタジアム大宮で指揮をとり、皆さんと一緒に闘えたことはとても幸せでした。今後の大宮アルディージャを陰ながら応援しています。ありがとうございました」
相馬氏は、現役時代は鹿島アントラーズや東京ヴェルディ、川崎フロンターレでプレー。日本代表の左サイドバックとしても活躍、1998年のフランス・ワールドカップにも出場していた。
引退後はFC町田ゼルビアで監督業をスタート。その後、川崎Fの監督に就任。モンテディオ山形のコーチを経て、再び町田の監督に就任すると、2020年からは古巣鹿島のコーチに就任。しかし、アントニオ・カルロス・ザーゴ監督が解任されると、2021年4月からは鹿島で監督を務め、チームはV字回復。4位でシーズンを終えていたが、同年限りで退任していた。
相馬新監督はクラブを通じてコメントしている。
「大宮アルディージャにかかわるすべての皆さま、はじめまして。このたび監督に就任しました、相馬直樹です。皆さまと一緒に笑顔を分かち合えるよう、すべての力を出し切りたいと思います。ご支援、ご声援をよろしくお願いします」
昇格を掲げる中で、2年連続で残留争い中の大宮。残りは24試合あるが、相馬監督の下でチームは浮上することができるだろうか。
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宮本新会長誕生で『会長の決断』とは/六川亨の日本サッカー見聞録
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山本昌邦ナショナルチームダイレクターの役割とは?/六川亨の日本サッカー見聞録
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ツエーゲン金沢は28日、大宮アルディージャのFW大澤朋也(22)が育成型期限付き移籍で加入することを発表した。 移籍期間は2026年1月31日までとなり、大宮との公式戦には出場できない。 大澤は大宮のジュニア、ジュニアユース、U18と下部組織で育ち、2021年にトップチームに昇格。1年目でJ2の5試合に出場し1得点を記録すると、2年目は愛媛FCに育成型期限付き移籍。2023年に復帰していた。 今シーズンは明治安田J3リーグで途中出場がメインながら31試合に出場し2得点を記録。YBCルヴァンカップでも2試合に出場していた。 再び武者修行に出る大澤は両クラブを通じてコメントしている。 <h3>◆ツエーゲン金沢</h3> 「ツエーゲン金沢に関わる皆さんはじめまして!大澤朋也です!チームとしても個人としても結果にこだわりながら、ツエーゲン金沢の為に全力で闘います」 「ファン、サポーターの皆さんとたくさんの勝利を分かち合えるよう頑張りますので熱い声援よろしくお願いします!」 <h3>◆大宮アルディージャ</h3> 「今シーズン、応援ありがとうございました。今年1年間、素晴らしい雰囲気の中でプレーさせていただき、ありがとうございます。ファン・サポーターの皆さんとJ3優勝、J2昇格ができ嬉しく思います」 「個人としては満足のいくような結果ではなく、悔しい気持ちもありました。来シーズンは、ツエーゲン金沢でプレーすることになりました。目に見える結果にこだわって闘い、成長した姿を皆さんの前で見せられるよう頑張ってきます!」 2024.12.28 10:17 Sat3
「大宮を選んで良かった」多くの経験を積み成長著しいDF市原吏音、U-20の先に見据えるもの「A代表も狙っていきたい」
来年2月に開催されるU20アジアカップ2025に出場するU-19日本代表候補が、16日から国内トレーニングキャンプをスタートさせた。 船越優蔵監督が率いるU-19日本代表。来年9月にはチリでU-20ワールドカップ(W杯)が開催され、先日大岩剛監督が就任したロサンゼルス・オリンピックを目指す世代となる。 プロ選手はシーズンオフ、高校生、大学生は選手権やインカレがある中でのトレーニングキャンプとなった。 トレーニング後、DF市原吏音(大宮アルディージャ)が初日のトレーニングを振り返り「プロはオフシーズンですし、大学生や高体連はシーズン中ということでそれぞれコンディションはあると思うんですが、みんな元気にやれていましたし、初めての子も良い形でコミュニケーション取れているので、悪くないかなと思います」とコメント。自身については「自分はあまり休まなくても行けるタイプなので、オフの間もずっと動いていましたし、今回の活動があることは前から知っていたので、良い感じで調整できている感じでした」と、ここに向けて準備はできていたという。 市原は今シーズンから正式にトップ昇格。J3に降格したチームにおいて明治安田J3リーグで31試合に出場し4得点。ディフェンスリーダーとしてJ3優勝&J2昇格に大きく貢献した。 この1年を振り返り「一言に充実していましたし、思い描いていたこと以上の1年を過ごしてきたと思います」と語り、「ただ、もっともっと上を目指していかなければいけないですし、満足することなく。A代表に入れる実力があれば入っても良いと思うんですが、呼ばれていないということはまだまだだということなので、この代表で満足せずにA代表を見据えてやっていきたいと思います」とコメント。U-19日本代表でも、大宮でも充実した1年を過ごしたとした。 今の自身に感じる課題については「もっとレベルが高いFWを相手にしたときに自分がどれだけやれるかというのは、自分自身でも楽しみなところではあります。それで分かる課題もあると思います」とコメント。「もっともっとプレーの幅とか、スピード感は上げられると思います」とまだまだ成長できると語った。 2月にU20アジアカップがある中で、Jリーグの開幕時期と重なる。「あと2カ月ぐらいで時間もない中で、こうやってオフに集まってやれている環境には感謝しないといけないと思います。決して簡単なグループではなくて、厳しい戦いが待っていますけど、この2カ月でチームとしてではなく個人個人がレベルアップして集まれば強いチームになると思います」と語り、「僕自身だけじゃなく、他のメンバーも色々と選択肢がある中で、相当な覚悟を持ってこっちに来ていると思うので、個々のレベルアップが最低限必要だなと思います」と、しっかりと大会までの2カ月でレベルアップしたいとした。 この世代は2028年のロサンゼルス・オリンピックを目指す世代。先日は大岩剛監督の就任も決定した。市原はオリンピックについて「パリ五輪を見て、オリンピックに出た気持ちは自分自身もありますし、他の国の選手はトップトップは出てこないので、日本はもっとやらなきゃいけないなと思います」と五輪へ意欲。「僕自身も足りないところが全然あって、パリ五輪を目指してましたけど、呼ばれずに悔しい思いもしたので、自分の代はもう1回チャンスがあることは運が良いですし、狙っていかないといけないかなと思います」と、しっかりと目指していきたいと語った。 また「まずはU-20をしっかりやって、終わったらW杯があるので、自分がどれだけやれるのかを考えたらA代表も狙っていきたいですし、良い代、チャンスの多い代なので、それを掴めるようにするのは良い準備が必要なので、毎日毎日しっかり良い準備して、いつ呼ばれても良い覚悟をしたいと思います」と、その先にある日本代表入りへの強い思いも語った。 ロス五輪前には北中米W杯があるが、「もちろんですね」とU-20W杯の次はそこがターゲットだとコメント。「この世代ではチームとしても言われていることなので、僕自身というよりもチーム全体で目指しています」と、パリ五輪経由A代表行きという1つ上の世代以上に、A代表を目指す思いをチーム全体で持っていると明かした。 上を目指したいと語った市原。その上では、やはり世界と戦うことへの思いも強い。「どうしても世界の壁は高いと思いますし、国を背負って出てくる選手なので、かなりレベルの高い相手とやることは僕の今後のキャリアにとっても大事ですし、歴史的に見ても勝てていないので、新しい歴史を作りたいなと僕自身は思っています」と、U20W杯についてコメント。「相手というよりも自分たちがどれだけ良い準備をして、どれだけ通用するのか。自分たち自身に期待して楽しみにしています」と、しっかりと戦えるチームになっていきたいと語った。 充実したセンターバック陣を持つ日本代表だが、次世代の候補の1人でもある市原。この1年での成長については「何が成長しましたか?とか結構聞かれましたが、プレー面は確実に上がったと思いますし、技術も1年間しっかりと練習していたので、カテゴリー関係なく自分やっていたつもりなので確実に上がったと言えます」と、プレー面ではしっかりと自信があるとのこと。また、それ以外の部分も成長できたシーズンだったという。 「責任感とか信頼されるとか、技術だけじゃなくて人間としての成長は自分としても感じられていて、キャプテンマークを巻いて試合に出たりとか、昇格が懸かったり、大一番の試合があって、そういったことをやっていく内に経験も確実にできたので、この選択は絶対に間違っていなかったなと1年通して言えます。そういったところは自分的に成長できたと思いますし、大宮を選んで良かったなと言えます」 チームがJ3に降格した中、色々な選択肢があった中で残留を決断し、主軸として結果も残した。ピッチ内での逞しさは日に日に高まり、先輩たちと組む最終ラインでも物怖じせずに牽引していった。 「自分の良さというか、年齢とか経験とかに関わらず、物怖じせず言うタイプなので、1つの武器としてこれからも忘れることなく続けていきたいですし、自然に出るというか、勝ちたいという前提があるのでそういう行動が出るかなと思います。あとは優しい先輩に恵まれました(笑)」 より高いレベルへ、そして代表でも物怖じせずに引っ張る姿を見たいところだ。 2024.12.16 23:07 Mon4
アジアカップに臨む日本代表のトレーニングパートナーが決定!選手権敗退の静岡学園GK中村圭佑らU-19世代の5名が招集【アジアカップ2023】
日本サッカー協会(JFA)は1日、12日に開幕するカタールでのアジアカップ2023に向けた日本代表メンバーを発表した。 1日に国立競技場で『TOYO TIRES CUP 2024』を行った日本。タイ代表を相手に5-0で勝利を収め、9連勝に伸ばしていたが、その試合に出場したMF田中碧(デュッセルドルフ)は招集外となった。 ケガで離脱中のMF三笘薫(ブライトン&ホーヴ・アルビオン)やケガから復帰したばかりのDF冨安健洋(アーセナル)など26名が招集を受けていた。 日本は4日にカタールへと渡り、12日に開幕を迎える中、4日から23日までトレーニングパートナーとして帯同する5名も発表された。 GKには東京ヴェルディへの加入が内定している静岡学園高校の中村圭佑を招集。DFにはU18所属ながら今シーズンはトップチームでも明治安田生命J2リーグで17試合を戦ったU-19日本代表のDF市原吏音(大宮アルディージャU18)と、ヴィッセル神戸で今季2種登録されトップチームデビューを果たしたU-19日本代表DF本間ジャスティンが招集された。 また、中盤には川崎フロンターレから来季は福島ユナイテッドFCへ育成型期限付き移籍することが決まったMF大関友翔、トップには名古屋グランパスで今季プロ契約を結んだFW貴田遼河が招集されている。 ◆トレーニングパートナー GK 中村圭佑(静岡学園高校) DF 市原吏音(大宮アルディージャU18) 本間ジャスティン(ヴィッセル神戸U-18) MF 大関友翔(川崎フロンターレ) FW 貴田遼河(名古屋グランパス) 2024.01.01 19:05 Mon5