霜田正浩
Masahiro SHIMODA
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ポジション | 監督 |
国籍 |
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生年月日 | 1967年02月10日(58歳) |
利き足 | |
身長 | |
体重 |
ニュース | 人気記事 | 監督データ |
霜田正浩のニュース一覧
松本山雅FCのニュース一覧


霜田正浩の人気記事ランキング
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J2昇格を寸前で逃した松本、早川知伸HCが新監督に就任「この街の人達と共に昇格を」
松本山雅FCは19日、ヘッドコーチを務めていた早川知伸氏(47)が監督に就任することを発表した。 松本は今シーズンの明治安田J3リーグで4位の成績を収めると、J2昇格プレーオフに進出。福島ユナイテッドFCとの準決勝に勝利すると、決勝では3位のカターレ富山を2点リードしていたが、後半アディショナルタイムに追いつかれ敗退。来シーズンもJ3で戦うことが決定し、霜田正浩監督が退任していた。 早川新監督はクラブを通じてコメントしている。 「松本山雅FCに関わる全ての皆様へ。このたび監督を務めさせていただくことになりました、早川知伸です」 「“昇格”という二文字に、覚悟と強い責任を感じております。松本で2年間を過ごし、この街の魅力や価値、そしてポテンシャルを肌で感じました。『松本というこの地に、松本山雅FCあり』という存在意義を示していきたいと考えております。攻守において、常に主体的なフットボールを目指します」 「松本山雅FCを支えるファン・サポーター、スポンサー企業、ボランティア、全ての皆様の期待に応えるため、全力で戦います!ご支援、ご声援のほどよろしくお願いいたします。この街の人達と共に昇格を」 早川新監督は、現役時代は浦和レッズ、横浜FC、ジェフユナイテッド市原・千葉でプレー。2010年に引退すると、横浜FCのユースコーチやジュニアユース監督、トップチームコーチ、を歴任。2021年4月には中田仁司監督の解任を受け横浜FCで監督を務め、2022年にはヘッドコーチに。2023年から松本のコーチを務めていた。 2024.12.19 10:25 Thu2
山本昌邦ナショナルチームダイレクターの役割とは?/六川亨の日本サッカー見聞録
JFA(日本サッカー協会)の技術委員会は2月2日に技術委員会を開き、会議後に反町康治技術委員長がズームでの記者会見に応じた。 この会見で反町技術委員長は、新たにナショナルチームダイレクター(NTD)を復活させることを明らかにし、96年アトランタ五輪や02年日韓W杯で代表コーチを務め、04年アテネ五輪では監督としてチームを率いた山本昌邦氏の名前を挙げた。 反町技術委員長によるとNTD復活の経緯は次のようだ。 「私が(技術)委員長に就任したときは(NTDに)関塚さんがいた。コロナで代表の活動が中止や延期になった。サムライブルーだけ活動を続けたが、私が兼務してもやりくりできたが、ウイズコロナになり活動が増えるので、切り離してやらないと活動が希薄になってしまう。アンダーカテゴリーのマッチメイクも各国としっかり話をしたい。本来の形に戻っただけ。コロナが落ち着き、充実度を高めたい」ということだった。 確かに今年は3月にU20アジアカップウズベキスタン2023が、5月にはU17アジアカップ2023バーレーンが予定されていて、6月にはインドネシアで、11月にはペルーでそれぞれのW杯が控えている。さらに9月にはU23アジアカップカタール2024の予選が、12月には同じくカタールでパリ五輪のアジア最終予選が開催される。 森保ジャパンの活動が秋にならないと本格化しないぶん、アンダーカテゴリーの強化に専念するのは当然と言える。このため反町技術委員長も「マッチメイクは私一人で判断したい」としつつ、サムライブルーに帯同するのはNTDで、「私はダイレクターをサポートし、監督の評価とサポートをする」と役割の違いを話した。 さて、このNTDである。JFAにこの役職が誕生したのは2016年と記憶している。原博実技術委員長からバトンを受けた霜田正浩技術委員長(現松本山雅FC監督)だったが、西野朗氏が技術委員長に就任したことで、霜田氏はNTDという肩書きになった。 そして霜田氏は17年暮れ、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督には西野技術委員長とコミュニケーションを密にして欲しいとの思いからNTD職を辞した。ところがその後はご存じのように、JFAはハリルホジッチ監督とは契約を解除し、西野技術委員長がサムライブルーの監督に就任。ロシアW杯ではラウンド16でベルギーをあと一歩まで追い詰める「ロストフの悲劇」を演じた。 そしてロシアW杯の2ヶ月ほど前の18年4月、関塚隆氏が西野氏に代わって技術委員長に就任。森保ジャパンが誕生したが、20年3月に関塚氏はNTDとなり、新たに反町氏が技術委員長に就任した。本来なら関塚氏が森保ジャパンを検証する立場にあったが、同氏は20年11月に契約解除をJFAに申し入れてNTDを退任した。 こうして振り返ると、NTDそのものが新設されたポジションであり、過去2人の例からはその役割がはっきりしていない印象が強い。霜田氏が身を引いた理由は前述した通りだが、関塚氏はアジア最終予選の始まる21年を前に辞めている。反町技術委員長も述べていたように、20年はコロナで満足な活動ができなかったことも一因だろうか。 そして山本NTDである。海外での指導経験が豊富で、暑熱対策など特に中東での試合のエキスパートでもある。反町技術委員長が話したように、今後の山本NTDの役割はもっぱら森保監督のサポート役・相談役になるのではないかと推測している。例えて言うなら、磐田の監督に就任した横内昭展氏のような存在だ。 新たにサムライブルーのコーチに就任した名波浩氏と前田遼一氏は森保監督より5~10歳若い。このため経験豊富な山本氏をNTDとしてサポート役につけつつ、“チーム磐田”でバックアップしようとしているのではないだろうか。 2023.02.03 19:30 Fri霜田正浩の監督履歴
就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
2023年2月1日 | 2024年12月12日 |
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監督 |
2021年6月10日 | 2022年5月25日 |
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監督 |
2021年2月24日 | 2021年3月30日 |
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監督 |
2021年1月1日 | 2021年2月23日 |
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アドバイザー |
2018年2月1日 | 2021年1月31日 |
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監督 |
2017年8月1日 | 2017年12月31日 |
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アシスタントコーチ |
2014年9月1日 | 2016年3月31日 |
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テクニカル・ディレクター |
2014年2月1日 | 2017年1月23日 |
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アシスタントコーチ |
2014年2月1日 | 2017年1月23日 |
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アシスタントコーチ |
2012年11月30日 | 2013年11月30日 |
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監督 |
2010年10月1日 | 2014年8月31日 |
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チームコーディネーター |
2007年2月1日 | 2008年8月31日 |
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アシスタントコーチ |
2006年11月1日 | 2007年1月31日 |
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監督 |
2006年2月1日 | 2006年8月15日 |
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アシスタントコーチ |
2001年2月1日 | 2005年12月31日 |
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監督 |
1999年2月1日 | 2001年1月31日 |
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監督 |
1997年2月1日 | 1999年1月31日 |
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監督 |
1994年2月1日 | 1997年1月31日 |
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アシスタントコーチ |