ヌリ・シャヒン Nuri SAHIN
ポジション | MF |
国籍 | トルコ |
生年月日 | 1988年09月05日(35歳) |
利き足 | 左 |
身長 | 180cm |
体重 | 73kg |
ニュース | クラブ | 監督データ |
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林大地のライバル…ドイツ2部ニュルンベルクの18歳FWカン・ウズン、ドルトムントやブライトンら獲得交渉中か
ニュルンベルクのU-21トルコ代表FWカン・ウズン(18)にビッグクラブが関心を寄せているという。 カン・ウズンはドイツ生まれの186cmアタッカー。下部組織時代から過ごすニュルンベルクで今季プロ契約を締結し、2.ブンデスリーガ(ドイツ2部)で16試合8得点、公式戦全体では18試合11得点を叩き出している。 その特徴としては「ユーティリティ性」か。本職のセンターフォワードとしては元U-23日本代表FW林大地より高い序列にあるが、林が最前線で先発する際は[4-3-3]のインサイドハーフ、[4-2-3-1]のトップ下を担うことも珍しくない。どちらで起用されても左ウイング、日本代表FW奥抜侃志との近い距離感からゴールを狙うアタッカー...といったところだ。 そんなカン・ウズン、祖国トルコでA代表待望論が持ち上がるなか、トルコ『Fanatik』によると、ヌリ・シャヒン氏がコーチを務めるドルトムント、フランクフルト、ニューカッスル、そしてブライトン&ホーヴ・アルビオンから関心が寄せられているという。 すでに4クラブともニュルンベルクとの協議を進めているようで、移籍金は最低でも1000万ユーロ(約16億円)以上とのこと。まだまだ無名の18歳だが、早ければ今冬中にステップアップする可能性もあるようだ。 2024.01.23 18:05 Tueドルトムント、OBのシャヒンとS・ベンダーをアシスタントコーチに招へい
ドルトムントは29日、OBのヌリ・シャヒン氏(35)とスベン・ベンダー氏(34)の両氏をアシスタントコーチに迎えたことを発表した。共に1月1日から2025年6月までの1年半契約を結ぶ。 一方でこれまでアシスタントコーチを務めていたアルミン・ロイタースハーン氏(63)の辞任を発表している。 シャヒン氏とS・ベンダー氏はいずれも2010-11シーズンのブンデスリーガ優勝に貢献したクラブのレジェンド。 シャヒン氏は2021年10月にアンタルヤスポルの選手兼監督に就任。その後、現役を引退し指揮官に専念していた。古巣ドルトムントからオファーを受け、アンタルヤスポルの指揮官を辞してエディン・テルジッチ監督をサポートすることになった。 一方、S・ベンダー氏は2020-21シーズン終了後に引退、2022年6月からU-16ドイツ代表アシスタントコーチに就任していた。 2023.12.29 23:15 Friヌリ・シャヒンがマドリー時代の苦悩を明かす「2011年は人生で最も困難な年だった」
元トルコ代表のヌリ・シャヒンが、レアル・マドリー時代の苦悩を明かした。スペイン『アス』が伝えている。 ヌリ・シャヒンはドルトムントで名を挙げ、2011年夏にレアル・マドリーに移籍。しかし、ドルトムントでのヒザのケガを尾を引く形でなかなか試合に出場できず、スペインでの初出場は同年11月まで待たなければならなかった。 この出遅れが大きく影響し、2年目には出場機会を求めてリバプールにレンタル。翌シーズンにはドルトムントに復帰し、結局マドリーでピッチに立ったのは10試合だけだった。 この度、イタリア『トゥットメルカート』のインタビューに応じた34歳は、苦悩の多かったキャリアの中でも2011年が「最も困難な年だった」と告白。ケガもあり精神的にもまいっていたようだ。 「選手として私はマドリーでプレーできると確信していた。でもそれだけでは足りなかった。精神的な強さも必要だった。当時はケガをしていて準備ができていなかった」 「トレーニングではワールドクラスの選手に囲まれ、私にも同等のクオリティがあった。しかし、ケガをしてからはプレッシャーやストレスに対処できなくなってしまった。今思えば、我慢強くあるべきだった」 「『マドリーにいるんだから幸せだろう』とみんなに言われたが、マドリーにいるだけでは十分じゃないんだ」 シャヒンの加入時はジョゼ・モウリーニョ政権下にあったマドリー。ポルトガル人指揮官の下では輝けなかったが、個人的には良い印象を持っていたようだ。 「モウリーニョの好きなところは彼が正直であることだ。彼は直接的だ。目を見て、すべてを話してくれる。良ければ良し、悪ければ悪し」 「若かったから罪悪感もあったし、『なんでこんなことをするんだ』と自問自答もした。今は監督になってそれが理解できるようになったし、何も悪いことだとは思わない」 シャヒンは2020年夏から母国のアンタルヤスポルでプレーしていたが、2021年10月に成績不振で解任されたたエルスン・ヤナル監督の後任として監督業をスタート。同時に選手生活に終止符を打ち、今季で監督として2シーズン目を迎えている。 2023.01.15 16:25 Sun日本代表の元10番、中島翔哉がトルコのアンタルヤスポルに加入!
日本代表MF中島翔哉(28)が、トルコのアンタルヤスポルに加入した。 アンタルヤスポルは8日、ポルトから中島を完全移籍で獲得したことを発表。契約期間は2024年6月30日までの2年となる。 東京ヴェルディの下部組織で育った中島は、2014年1月にFC東京へと完全移籍。カターレ富山へのレンタル移籍を経験すると、その後はレギュラーとしてプレー。2017年8月にFC東京からポルティモネンセへとレンタル移籍し、その後完全移籍に切り替わった。 ポルティモネンセで結果を残すと、2019年2月にはカタールのアル・ドゥハイルへと完全移籍。2019年7月にポルトへと加入した。 しかし、ポルトでは期待された活躍ができず、セルジオ・コンセイソン監督の構想外に。コロナ禍での問題もありチームのメンバーに入れてもらいない時期などを過ごすと、UAEのアル・アインへとレンタル移籍。しかし、今度はすぐに重傷を負いプレーできない状況となってしまった。 ケガが癒えた中島は2021-22シーズンは古巣のポルティモネンセへとレンタル移籍。しかし、かつての輝きはもうなく、公式戦25試合で2ゴール5アシストと結果を残せず。そのままポルトへと戻っていた。 プリメイラ・リーガで通算84試合16ゴール22アシストの成績を残す中島だが、ポルトに居場所はなし。背番号10をつけながらも構想に入らない状況だが、移籍先も見つからないという苦しい状況に陥り、ヨーロッパの主要な移籍市場は閉じてしまった。 そういった中、8日まで市場が開いていたトルコのアンタルヤスポル行きが決定した。 なお、アンタルヤスポルには、ドルトムントやブレーメンなどでプレーした元トルコ代表DFオメル・トプラクやシャフタール・ドネツク、ミランなどでプレーした元ブラジル代表FWルイス・アドリアーノらが所属している。指揮を執るのは元ドイツ代表のヌリ・シャヒン監督だ。 <span class="paragraph-title">【画像】中島の新天地はトルコに決定</span> <span data-other-div="movie"></span> <div id="cws_ad"><blockquote class="twitter-tweet"><p lang="tr" dir="ltr"> Hoş Geldin Shoya Nakajima<br><br>Kulübümüz Japon futbolcu Shoya Nakajima ile 2 yıllık sözleşme imzaladı. Futbolcumuza hoş geldin der, kırmızı-beyaz armamız altında başarılar dileriz. <a href="https://twitter.com/hashtag/FraportTAVAntalyaspor?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#FraportTAVAntalyaspor</a> <a href="https://t.co/RDsqdxxISa">pic.twitter.com/RDsqdxxISa</a></p>— Fraport TAV Antalyaspor (@Antalyaspor) <a href="https://twitter.com/Antalyaspor/status/1567908746172534784?ref_src=twsrc%5Etfw">September 8, 2022</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script></div> 2022.09.09 01:30 Fri日本代表の元10番、ポルトに居場所ない中島翔哉の新天地はトルコに…アンタルヤスポルと2年契約と現地報道
ポルトに所属する日本代表MF中島翔哉(28)だが、移籍先はトルコになるようだ。トルコ『Fanatik』が伝えた。 東京ヴェルディの下部組織で育った中島は、2014年1月にFC東京へと完全移籍。カターレ富山へのレンタル移籍を経験すると、その後はレギュラーとしてプレー。2017年8月にFC東京からポルティモネンセへとレンタル移籍し、その後完全移籍に切り替わった。 ポルティモネンセで結果を残すと、2019年2月にはカタールのアル・ドゥハイルへと完全移籍。2019年7月にポルトへと加入した。 しかし、ポルトでは期待された活躍ができず、セルジオ・コンセイソン監督の構想外に。コロナ禍での問題もありチームのメンバーに入れてもらいない時期などを過ごすと、UAEのアル・アインへとレンタル移籍。しかし、今度はすぐに重傷を負いプレーできない状況となってしまった。 ケガが癒えた中島は2021-22シーズンは古巣のポルティモネンセへとレンタル移籍。しかし、かつての輝きはもうなく、公式戦25試合で2ゴール5アシストと結果を残せず。そのままポルトへと戻っていた。 プリメイラ・リーガで通算84試合16ゴール22アシストの成績を残す中島だが、ポルトに居場所はなし。背番号10をつけながらも構想に入らない状況だが、移籍先も見つからないという苦しい状況に陥り、ヨーロッパの主要な移籍市場は閉じてしまった。 その中島だがまだ市場が開いているトルコに活路を見出したようだ。『Fanatik』によれば、アンタルヤスポルと契約を結んだと報道。フリーでの加入となり、2年契約になるとしている。 アンタルヤスポルには、ドルトムントやブレーメンなどでプレーした元トルコ代表DFオメル・トプラクやシャフタール・ドネツク、ミランなどでプレーした元ブラジル代表FWルイス・アドリアーノらが所属している。なお、指揮を執るのは元ドイツ代表のヌリ・シャヒン監督だ。 2022.09.08 22:22 Thu元ブラジル代表FWルイス・アドリアーノが欧州復帰! ヌリ・シャヒン率いるアンタルヤスポルに移籍
トルコのアンタルヤスポルは4日、パルメイラスに所属する元ブラジル代表FWルイス・アドリアーノ(34)の獲得を発表した。契約期間は1年半で背番号は「70」を着用する。 ブラジル代表として4試合に出場した経歴を持つストライカーのルイス・アドリアーノは、インテルナシオナウでプロデビューすると、2007年にシャフタール・ドネツクへ完全移籍。 シャフタールでは通算130ゴールを挙げるなど活躍したが、その後に移籍したミランやスパルタク・モスクワでは期待に応えられず、2019年の夏に母国のパウメイラスへ移籍していた。 パウメイラスでは、在籍2年半で公式戦104試合に出場し32得点10アシストを記録すると、2020、2021シーズンとコパ・リベルタドーレス連覇に貢献していた。 なお、加入先のアンタルヤスポルは現在、元トルコ代表のヌリ・シャヒンが監督を務めており、スュペル・リグで降格圏の17位に沈んでいる。 2022.02.04 23:10 Fri元スイス代表FWメーメディ、ヌリ・シャヒン率いるアンタルヤスポルに移籍
トルコのアンタルヤスポルは14日、ヴォルフスブルクから元スイス代表FWアドミール・メーメディ(30)を獲得したことを発表した。契約は2024年までとなる。 母国の名門チューリッヒでプロキャリアをスタートさせたメーメディは、ディナモ・キエフやフライブルク、レバークーゼンを渡り歩いて、2018年1月にヴォルフスブルクに加入した。加入後まもなくケガに見舞われてしまったものの、本格始動となった2018-19シーズンはブンデスリーガ26試合で6ゴール7アシストの成績を残した。 しかし、翌シーズン以降は目に見える結果が出せなくなり、昨季はチームの躍進とは裏腹に、個人としてはリーグ戦18試合2アシストにとどまった。そして今季はほとんど構想外となり、ブンデスリーガ開幕節のボーフム戦の3分間の出場を最後にピッチに立つことはなかった。 ユーロ2020を最後に76キャップを数えたスイス代表からも引退した30歳は、新天地としてアンタルヤスポルを選択。同クラブでは昨年10月から元トルコ代表のヌリ・シャヒンが監督を務めており、ブンデスリーガでしのぎを削った相手と共闘することになる。 なお、チームは現在スュペル・リグで15位と苦戦。降格圏と17位とは4ポイント差となっている。 2022.01.15 19:15 Satアンタルヤスポルの新監督に就任したヌリ・シャヒン、33歳で選手生活に終止符
アンタルヤスポルに所属する元トルコ代表MFヌリ・シャヒン(33)が、現役引退を発表した。スペイン『アス』が報じている。 2005年にドルトムントでプロデビューし、2010-11シーズンには元日本代表MF香川真司と共闘し、ブンデスリーガ制覇に貢献したヌリ・シャヒン。そのマイスターシャーレを置き土産にレアル・マドリーへステップアップしたものの、公式戦10試合しか出場できず、12-13シーズンにはリバプール、13-14シーズンはドルトムントへレンタルし、2014年夏に完全移籍で復帰した。 だが、2度目のドルトムントでは度重なるケガに見舞われチームに貢献できず。2018年夏にはブレーメンに移籍し、昨夏にアンタルヤスポルに移籍した。 キャリアで初めて母国でのプレーとなったアンタルヤスポルでは、ケガに見舞われることなく公式戦50試合に出場。今季からはキャプテンを務めていた中、今月初旬に成績不振で解任となったエルスン・ヤナル監督の後任として2026年までの5年契約を結び、監督業をスタートさせていた。 その時、アンタルヤスポルのアジス・セティン会長はヌリ・シャヒンの選手としての進退について「彼が自分で決めるだろう」とコメントしていたが、この度同選手は現役引退を発表。「サッカー選手に戻るつもりはない」と、監督業一本に絞ることを宣言した。 現在、スュペル・リグで2勝2分け4敗の15位に位置するアンタルヤスポル。元トルコ代表MFの監督としての初陣は16日に行われる第9節のシバス戦となる。 2021.10.16 18:20 Sat33歳のキャプテン、ヌリ・シャヒンがアンタルヤスポル指揮官に就任…選手兼監督は「自分で決めるだろう」と会長が語る
アンタルヤスポルは6日、選手として所属している元トルコ代表MFヌリ・シャヒン(33)が新監督に就任することを発表した。 今シーズンのスュペル・リグで14位と低迷しているアンタルヤスポル。4日には成績不振を理由に、エルスン・ヤナル監督の解任を発表していた。 そして、今回その後任に抜擢されたのが2020年夏に加入して以降、キャプテンとしてプレーしているシャヒン。現役選手ながら33歳で指導者の道を歩み始め、すでにチームトレーニングを指揮している。 アンタルヤスポルのアジス・セティン会長は、シャヒンの指揮官就任についてトルコ『Gazate Duvar』に「我々は5年契約に合意した。幸運を祈る」とコメント。選手としては2022年6月までの契約だったが、監督としての契約期間は2026年までの5年間となった。 また、選手としての活動については「ピッチでプレーするかどうかは彼が自分で決めるだろう。彼は世界で最も成功した選手の1人だ」と語り、選手兼監督としての選択肢があると話した。 ドルトムントの下部組織で育ったシャヒンは、当時の史上最年少記録となる16歳と335日の若さでブンデスリーガデビュー。その後はレアル・マドリーや、リバプールといった名立たるビッグクラブを渡り歩き、2020年夏に母国トルコのアンタルヤスポルに加わっていた。 2021.10.06 11:24 Wed移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
2022年7月1日 | アンタルヤスポル | 引退 | - |
2020年8月19日 | ブレーメン | アンタルヤスポル | 完全移籍 |
2018年8月31日 | ドルトムント | ブレーメン | 完全移籍 |
2014年7月1日 | レアル・マドリー | ドルトムント | 完全移籍 |
2014年6月30日 | ドルトムント | レアル・マドリー | レンタル移籍終了 |
2013年1月11日 | レアル・マドリー | ドルトムント | レンタル移籍 |
2013年1月10日 | リバプール | レアル・マドリー | レンタル移籍終了 |
2012年8月25日 | レアル・マドリー | リバプール | レンタル移籍 |
2011年7月1日 | ドルトムント | レアル・マドリー | 完全移籍 |
2008年6月30日 | フェイエノールト | ドルトムント | レンタル移籍終了 |
2007年7月5日 | ドルトムント | フェイエノールト | レンタル移籍 |
2005年7月1日 | ドルトムントU17 | ドルトムント | 完全移籍 |
2003年7月1日 | ドルトムントユース | ドルトムントU17 | 完全移籍 |
2001年7月1日 | ドルトムントユース | 完全移籍 |
監督履歴
就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
2024年1月1日 | ドルトムント | コーチ |
2021年10月5日 | 2023年12月31日 | アンタルヤスポル | 監督 |
2021年10月5日 | 2023年12月31日 | アンタルヤスポル | 監督 |
今季の成績
勝
|
分
|
負
|
ブンデスリーガ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
UEFAチャンピオンズリーグ 決勝トーナメント | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
合計 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
出場試合
ブンデスリーガ |
第17節 | 2024-01-13 | vs | ダルムシュタット | ベンチ外 | ||
A 0 - 3 |
第18節 | 2024-01-20 | vs | ケルン | ベンチ外 | ||
A 0 - 4 |
第19節 | 2024-01-28 | vs | ボーフム | ベンチ外 | ||
H 3 - 1 |
第20節 | 2024-02-02 | vs | ハイデンハイム | ベンチ外 | ||
A 0 - 0 |
第21節 | 2024-02-09 | vs | フライブルク | ベンチ外 | ||
H 3 - 0 |
第22節 | 2024-02-17 | vs | ヴォルフスブルク | ベンチ外 | ||
A 1 - 1 |
第23節 | 2024-02-25 | vs | ホッフェンハイム | ベンチ外 | ||
H 2 - 3 |
第24節 | 2024-03-02 | vs | ウニオン・ベルリン | ベンチ外 | ||
A 0 - 2 |
第25節 | 2024-03-09 | vs | ブレーメン | ベンチ外 | ||
A 1 - 2 |
第26節 | 2024-03-17 | vs | フランクフルト | ベンチ外 | ||
H 3 - 1 |
第27節 | 2024-03-30 | vs | バイエルン | ベンチ外 | ||
A 0 - 2 |
第28節 | 2024-04-06 | vs | シュツットガルト | ベンチ外 | ||
H 0 - 1 |
第29節 | 2024-04-13 | vs | ボルシアMG | ベンチ外 | ||
A 1 - 2 |
第30節 | 2024-04-21 | vs | レバークーゼン | ベンチ外 | ||
H 1 - 1 |
第31節 | 2024-04-27 | vs | RBライプツィヒ | ベンチ外 | ||
A 4 - 1 |
UEFAチャンピオンズリーグ 決勝トーナメント |
ラウンド16・1stレグ | 2024-02-20 | vs | PSV | ベンチ外 | ||
A 1 - 1 |
ラウンド16・2ndレグ | 2024-03-13 | vs | PSV | ベンチ外 | ||
H 2 - 0 |
準々決勝1stレグ | 2024-04-10 | vs | アトレティコ・マドリー | ベンチ外 | ||
A 2 - 1 |
準々決勝2ndレグ | 2024-04-16 | vs | アトレティコ・マドリー | ベンチ外 | ||
H 4 - 2 |