小池純輝

Junki KOIKE
ポジション FW
国籍 日本
生年月日 1987年05月11日(38歳)
利き足
身長 180cm
体重 74kg
ニュース 人気記事 クラブ

小池純輝のニュース一覧

東京ヴェルディのMF松橋優安が、悔しさを味わった開幕戦からのバウンスバックを誓う。 東京Vは16日に国立競技場で開催された清水エスパルスとの開幕戦で0-1の敗戦。2シーズン連続の国立での開幕戦で黒星を喫した。 昨季6位躍進の象徴の一人として城福浩監督がシーズン終了後にその名を挙げ、今季はメンターとして尊敬す 2025.02.21 19:55 Fri
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日本フットボールリーグ(JFL)のクリアソン新宿が19日、2025シーズンの新体制を発表した。 19日に新体制発表会を実施、その内容を公式サイトでも公開した新宿。昨季終了時点で大多数の契約更新が発表されていたなか、新加入選手たちの背番号も周知されている。 昨季の新宿は北嶋秀朗氏が監督に就任し、前年に続いてJ 2025.01.19 20:40 Sun
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16年ぶりのJ1の舞台で躍進を遂げた昨シーズンの東京ヴェルディの象徴の一人となったMF松橋優安が、19番を背負って臨む勝負のシーズンへの想いを語った。 百戦錬磨の城福浩監督の下、シーズンを通して伸びしろ豊かな個々の成長によってチームとしての最大値を着実に上げた東京Vは、最大の目標だったJ1残留を早々に成し遂げ、最 2025.01.14 14:40 Tue
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湘南ベルマーレから東京ヴェルディへ完全移籍で加入したGK馬渡洋樹が新天地での意気込みを語った。 福岡県出身の馬渡は、東福岡高校、鹿屋体育大学を経て2017年に愛媛FCでプロキャリアをスタートした。その後、川崎フロンターレ、ファジアーノ岡山、湘南でプレーし、今シーズンから東京Vへ加入した。 7日の新体制発表会 2025.01.10 20:31 Fri
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13日、日本フットボールリーグ(JFL)第16節の3試合が各地で行われた。今節残りの5試合は14日と15日に行われる。 ◇V三重 0-1 高知 首位・高知ユナイテッドSCと3位・ヴィアティン三重による、6試合無敗どうしの上位対決は、アウェイ三重に乗り込んだ高知に軍配。 63分に3枚替えを敢行した高知。 2024.07.13 20:13 Sat
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3日から4日にかけ、日本フットボールリーグ(JFL)第8節の8試合が行われた。ゴールデンウィーク期間のJFLは今節のみで、ヴェルスパ大分のホームゲームが観衆2527人を記録した。 ◆YSCC 3-3 滋賀 Jリーグ返り咲きを期すY.S.C.C.横浜と、Jリーグ初参入を誓うレイラック滋賀。立ち上がりから一進一 2025.05.04 21:40 Sun
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20日、日本フットボールリーグ(JFL)第7節の5試合が各地で行われた。 ◆沖縄 0-0 Honda 首位・沖縄SVと2位・Honda FCによる首位攻防戦はゴールレスドローで決着。Hondaは今季無敗を継続も、5連勝と首位浮上はならず。この結果、19日に勝ち点「3」を積み上げたヴェルスパ大分が暫定首位から 2025.04.20 16:30 Sun
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13日、日本フットボールリーグ(JFL)第6節の4試合が各地で行われた。 ◆ミネベア 0-1 沖縄 沖縄SVが実業団・ミネベアミツミFCとの九州勢対決を制して首位キープ。41分、テゲバジャーロ宮崎から期限付き移籍で加入中のFW上野瑶介が右足シュートを突き刺し、上野のJFL通算20得点目が先制点・決勝点となっ 2025.04.13 18:15 Sun
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5日、6日と日本フットボールリーグ(JFL)第5節の8試合が行われた。 ◆V大分 3-2 YSCC 県勢2クラブ目のJリーグ入会を目指すヴェルスパ大分が、ホームでY.S.C.C.横浜を撃破。15分にCKから先制されるも、23分にCKからDF西村大吾がお返しの同点弾を決め、40分にも再びCKからDF伊藤颯真が 2025.04.06 15:20 Sun
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日本フットボールリーグ(JFL)が2025シーズンも熾烈な競争へ。 ◆頭ひとつ抜けた「強いチーム」は不在? 3月30日、JFL第4節のいわてグルージャ盛岡vs沖縄SVが行われ、1年でのJリーグ返り咲きを目指すホーム岩手は1-2と敗戦。2失点はいずれも自陣深くでの守備対応で後手を踏み、2点ビハインドとなって1 2025.03.30 21:00 Sun
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東京V退団の梶川諒太が通算3度在籍の心のクラブに別れ…「ヴェルディのレジェンドになりたかったですが、やり残したという後悔はひとつもない」

今シーズン限りで東京ヴェルディを退団することになったMF梶川諒太(34)が、通算3度在籍した心のクラブへの熱い想いを語った。 梶川は2011年に関西学院大学から東京Vに加入。その後、湘南ベルマーレ、V・ファーレン長崎、徳島ヴォルティスでもプレー。東京Vには通算3度在籍し、J2では通算229試合に出場した。 今季は開幕から主力を担ってきたが、4月に行われた清水エスパルス戦で右ヒザ前十字じん帯損傷の重傷を負った。その後、驚異的な回復力で10月末のジュビロ磐田戦で戦列復帰し、リーグ戦8試合2ゴールの数字を残した。 昇格決定後の7日にクラブから契約満了が発表された梶川は、9日に千人以上のサポーターを集めたファン感謝イベント『VERDY FAMILY FES.2023 inヴェルディグラウンド』で、ファン・サポーターへヴェルディの選手として最後の別れを告げた。 同イベント後に囲み取材に応じた梶川は、退団が決定したクラブへの想いを語った。 「国立での涙は最後の涙というわけではなく、シンプルにヴェルディが昇格して嬉しかったです。今回満了の発表があったので、そう思った方もいたと思いますが、来年もヴェルディでやるつもりでしたし、やっとヴェルディでJ1の舞台でできるのかという気持ちもありました。それだけに、悔しいというか寂しい気持ちです」 「ただ、練習で全部出し切ってやってきたので、最後は自分のなかではコンディションもめちゃくちゃ良かったですし、いつ選んでもらってもいいという気持ちでやっていたので、そういう面ではプレー面だけでなくピッチ外のことを含めてヴェルディでやり残したという後悔はひとつもないです」 また、退団のリリースでは「多分アカデミー出身」と語るなど、アカデミー出身選手よりも色濃く緑の血が流れる34歳MFは、改めてヴェルディを愛する理由を問われると、「入ってもらわないと分からない(笑)」としながらもクラブに根付くなんとも言えない心地よい雰囲気を挙げた。 「他のクラブとは比べられないですし、大学4年生のときに来たところから数えると合計8シーズン在籍したなかで、自分でもこんなに好きになるのかというクラブになりました。元々、大学までは青色のチームカラーが多かったので、青が好きでした。身に着けているものも青が多かったですが、今は本当に財布やカバンを含めてすごく緑のものが増えていて、『これいいな』と感じるものが緑になるぐらい、本当にこのチームのことが好きになったので、そうさせてくれたこのチームに本当に感謝しています。だからこそ一緒に上の舞台でもやってみたかったですが、これからは一人のファンとしてヴェルディを応援していきたいです」 「(ヴェルディ愛の理由は?)本当に何が理由ですかね。それは選手同士の雰囲気を含めて入ってもらわないと分からないという感じです。これがというものというよりも、雰囲気というかヴェルディは本当に選手同士の仲が良いです。もちろん、他のクラブも経験して仲が良いことに間違いはないですが、ここは独特な雰囲気があります。ユースの子たちが練習参加に来てもすんなりと入ってこれます。それはしっかりとアカデミーの教育というか、やり方がしっかりしているからこそだと思います。とにかくなんとも言えない心地よい雰囲気があります」 「自分の加入当時は試合や練習の厳しさは相当なものがありましたが、ピッチ外では先輩が面倒をみてくれる感じにすごく愛を感じました。それは自分が勝手に感じていただけですが、今でも連絡をくれたりしますし、ずっと繋がってくれているなと思います。結果が出ていないときもそうでしたし、ベテランが若手を可愛がったり、若手がすごくイジッてきたりもします。ただ、2012年のときはそんなイジれる感じではなかったです(笑) みんなが愛のある繋がりというか、そういう絆を感じていました」 「だからこそ、自分は当時の良かった厳しい部分をピッチの中で求めましたし、なかなか言いづらい時代もありましたが、それは普段の関係性づくりをしっかりとできていれば、『なんだアイツ』とか言われるようなことはないですし、そういうものを常に意識してやっていました。それはピッチ内だけでなく、チームとして組織としてどうすれば良くなるかを考えさせてもらいました」 「プロサッカー選手としてだけでなく、人生においてもいろんな面で成長させてもらいました。サッカーだけやっておけばいいという感じではないと思っていましたし、本当に会社やチームとしてどうすれば良くなるのかを考えながらやってきました。本当にしんどい時期もありましたが、人生経験において重要な期間でした」 また、在籍期間にはスポーツ面の低迷に加え、経営危機、クラブを巡るネガティブな報道など苦しい期間もあった。そのなかで奇しくも同じタイミングで契約満了が発表された“コイカジ”のコンビの名で知られる盟友・小池純輝らベテランと共に、チームを支えた梶川。 当時の難しい状況を認めながらも、当事者の一人として「チームを支えていた感覚」はあまりなかったと語っている。 「自分たちのなかでチームを支えていた感覚はなかったです。ただ、ヴェルディが好きだという気持ちの下、勝手に愛着を持って何とかしたいと思っていただけでした。なんかやばいから支えようという感じではなく、無償の愛というか、支えてあげた感はないです(笑)」 「もちろんキツい時期もありましたし、いろんな問題を抱えていた時期もありました。選手同士でいろんな話をしましたし、シバくん(柴崎貴広)やカンペーさん(富澤清太郎)もそうでしたが、ああいう方々のおかげでいろんなことを乗り越えられました」 「ラクな期間はなかったですが、クラブ消滅の危機や最後の最後でJ1に届かずに地獄をみるという経験もしましたが、サポーターの方はずっと応援してくれました。そういう方たちと最後に一緒にJ1に昇格できたことは自分のなかで特別な時間になりました。本当に言葉にならなかったですし、ちょっと自分でも泣きすぎやろという感じでしたが、昇格できたことは本当に嬉しかったです」 今回のファミフェスでは、昇格決定後にも特別な感謝を語っていたファン・サポーターとヴェルディの選手として最後の交流が行われ、サイン会では多くのサポーターからも労いの言葉もかけられた。 そういったサポーターにとっては、Jリーグ黎明期の黄金期を支えた偉大なる先達同様に、紛れもないヴェルディのレジェンドと認識されているはずだが、梶川は自身の果たしてきた役割に満足感を示しながらも、「ヴェルディでレジェンドになりたかった」と悔しさを口にする。 「サイン会の列がどういう感じだったか自分にはよく見えていなかったですが、本当に多くの人がいろんな声をかけてくれましたし、泣いてくれる人もいました。そういう意味ではここまで応援してもらえる職業はなかなかないです」 「ただ、ヴェルディでレジェンドになりたかったなと…。全然レベルは違いますが、フロンターレの中村憲剛さんのような存在になりたいと思って僕はやってきたので、そうなれなくて悔しいです。それでも、自分のやるべきことをやってきた結果、こうやって応援してもらえたのかなと思います。これからどうなるかは分かりませんが、この自分の信念や生き方を次のチームがあるのであれば、やっぱりそのチームを愛しながらそういう思いで戦えればと思います」 梶川が通算8年を過ごしたクラブは名門復活、J1定着に向けてピッチ内外で大きな変化の途上にある。 そういったなか、読売クラブ時代から連綿と受け継がれる、名門クラブの伝統の重みを知るベテランMFは、愛するクラブの今後に向けて改めて提言。その一方で、アカデミーを中心とする次代のヴェルディを担う後輩たちにその想いは受け継がれていると感じている。 「もちろんクラブが強くなるために変わらなければいけない部分はありますし、僕もそうですが、奈良輪(雄太)さんも(ファン感での挨拶で)ヴェルディのユースの子たちは少し緩いなという部分をずっと感じていました。前にも話しましたが、その子たちとポジション争いをしたときに最終的には負けないというところも感じていて、そういった緩さや甘さを感じている部分もありました。そこは変わる必要がありますし、だからこそこれまで強く言い続けてきました」 「ただ、すべてを変えてしまうことはもったいないと感じる部分もあり、ここまでいろんなものを積み上げたこのチームで、アカデミーカラーのこの地位のようなものを全部変えてしまうのはもったいないと感じる部分もあります。そういった意味で自分はその歴史を知っている数少ない選手として、その良さを継承しつつ強くなっていかない部分をうまくバランスよくというか、どこが一番良いバランスなのかを考えながらやってきました。そこに関してチームに対していろんな意見も伝えていました」 「ヴェルディのためにとか、どうしても個人事業主というプロの集まりではチームのために戦うことは難しいですが、試合に出なくてもチームのためにやるという姿勢は自分のなかでずっと出し続けてきたつもりです。最後に(森田)晃樹や(谷口)栄斗、(深澤)大輝といったアカデミー育ちの選手がピッチで厳しい試合を自分たちで乗り越えながらやってくれる姿を見ると、いろいろやってきて良かったと思いました。ただ、一緒にピッチに立ちたかったという思いもありましたが、少しでも届けられたのかなと思います」 最後に、今後の自身の去就については「今の状態でここでキャリアを終えるという考えはゼロ」と、新天地での現役続行の意思を力強く示した。 「興味を持ってくれているクラブはありますが、興味なのでどうなるかは本当に分からないです。ただ、シーズンの最後の方は前十字(じん帯)を切ったのかと思うぐらいに動けていました。それは早く復帰させてもらったトレーナーやドクター、最後に復帰した後は石井(孝典フィジカル)コーチにもずっとお願いして走らせてもらいましたし、本当に多くの方々のサポートのおかげでここまで戻れました。だから、まだまだ向上心も持ち続けていますし、プレーできるチームがあるうちは続けたいと思います」 「今の状態でここでキャリアを終えるという考えはゼロでした。まだまだやりたいと思いますし、自分の中でもっとうまくなりたい、オフの日にも身体を動かそうと思ったり、練習後に走り込んだり、何かやろうという気持ちがなくなった時が引退する時だとずっと感じています。今はそういう気持ちが全く消えていないです。もちろんチームがなければ終わってしまいますが、そういう気持ちです。どっかでまた走り回りたいです」 2023.12.12 19:01 Tue
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いよいよ再開のJ2、最も出場している選手は? 今季中の400試合出場達成の可能性も

27日に再開を迎える明治安田生命J2リーグ。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、2020シーズンは開幕節を終えて以降中断していた。 およそ4カ月の中断期間を経て迎える再開戦。今シーズンはJ1への昇格枠が2つと絞られ、近年見せている熾烈な昇格争いは、一層激しくなることが予想される。 また、日程も過密になり、多くの選手が出場する可能性がある今シーズン。その再開を前に、J2リーグでの通算出場試合数を紹介する。 最多出場は水戸ホーリーホックの守護神である本間幸司。昨シーズンはキャリア2度目のリーグ戦出場なしとなったが、J2リーグではダントツの574試合出場。大台の600試合まではあと26試合となっているが、今シーズンは何試合に出場するのか注目だ。 また、FC琉球のMF上里一将は現在380試合出場、東京ヴェルディのMF小池純輝は現在370試合出場となっている。それぞれあと20試合、30試合に出場すれば今シーズン中の400試合出場達成となる。 今回は350試合以上の選手を対象としているが、アビスパ福岡のMF鈴木惇(349試合)、FW城後寿(347試合)、ファジアーノ岡山MF喜山康平(335試合)、ジェフユナイテッド千葉GK佐藤優也(327試合)は今シーズン中の350試合出場達成の可能性がある。 ◆J2通算出場試合数ランキング(350試合以上) 1.本間幸司(水戸ホーリーホック)/574試合 2.松下裕樹/441試合 3.倉貫一毅/435試合 4.坂本紘司/426試合 5.中島裕希(FC町田ゼルビア)/421試合 6.髙地系治/414試合 7.高田保則/407試合 8.上里一将(FC琉球)/380試合 9.高木和正(カマタマーレ讃岐)/379試合※今季はJ3 10.砂川誠/376試合 11.田中佑昌(カターレ富山)/372試合※今季はJ3 12.大久保哲哉/370試合 12.小池純輝(東京ヴェルディ)/370試合 14.佐藤洸一/368試合 14.永井篤志/368試合 16.清水健太(カマタマーレ讃岐)/365試合※今季はJ3 17.南雄太(横浜FC)/363試合※今季はJ1 2020.06.27 12:10 Sat
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プロサッカー選手が児童養護施設の子供たちの未来を支援…『F-connect』が新たな試みをスタート

「フッドボールで繋げる、フッドボールが繋げる」をコンセプトに、子供たちを支援する活動に取り組む、Jリーガーたちが新たな試みをスタートさせている。 Jリーグが通称“シャレン!(社会連携活動)”という、Jリーグを中心にスポーツだけでなく、様々な地域の課題を、社会という視点・物差しから連携し、豊かなまちづくりに貢献するための活動に取り組んでいるなか、プロサッカー選手の有志による、児童養護施設の子供たちを支援する活動が行われている。 2015年に小池純輝(クリアソン新宿)、梶川諒太(藤枝MYFC)の2選手を中心に設立された一般社団法人『F-connect』は、野村直輝(大分トリニータ)、三鬼海(FC町田ゼルビア)、山崎浩介(サガン鳥栖)、松澤香輝(ベガルタ仙台)、神田夢実(標準流浪/香港)、佐藤凌我(アビスパ福岡)という男子の現役選手。小林海青(SSDナポリ/イタリア)、村松智子(日テレ・東京ヴェルディベレーザ)、西村清花(ディオッサ出雲FC)の女子現役選手、現役時代に横浜FC、FC琉球でプレーした新井純平が在籍。 “会いに行く”、“試合に招待する”、“また会いに行く”をコンセプトに、サッカー、フットボールを通じた児童養護施設の子供たちへの支援活動に取り組んでいる。 児童養護施設は全国に約600か所あり、保護者のいない児童や虐待されている児童、その他環境上養護を要する、主に1歳から18歳までの児童を養育し、自立のための援助を行うことを目的とする施設だ。 <div style="text-align:left;font-size:large;">■サッカーを通じた夢を持てるようなきっかけ作り</div> 2015年に公私ともに親交がある梶川とともにF-connectの活動をスタートした小池は、「18歳で施設から自立しなければならないことも知らなかった」と語った児童養護施設への支援活動のきっかけを語った。 小池は浦和レッズでプロキャリアをスタートし、これまでザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)、水戸ホーリーホック、東京ヴェルディ、ジェフユナイテッド千葉、愛媛FCで活躍。今シーズンからJFLのクリアソン新宿に活躍の場を移した。 そういったなか、2014年から2015年まで在籍した横浜FC時代の経験がF-connectの活動を決意させるものになったという。 「2014年ですね。横浜FCのスタッフの方から、ちょっとプライベートでお願いがあるという形で、その方が交流のあった鎌倉の施設でしたが、そこにちょっと顔を出してもらえないか、という依頼を受けました。プライベートだったので、当時梶川が湘南(ベルマーレ)にいて、よく会ったりもしていたので、カジを誘って初めて施設を訪問させていただきました」 「そのときはサッカー選手の“あるある”、だと思うんですけど、ちょっと地元の少年団に顔出してよとか、それぐらいの感覚での訪問でした。でも、自分たちが想像していた以上に歓迎していただいて、それも嬉しかったですし、一緒にやったサッカーも楽しかったです」 「その後に(横浜FCが本拠地とする)三ツ沢にも応援に来てくれました。僕はサイドのポジションをやっていて、試合内容とか関係なく90分間、『小池選手、頑張れ』っていう声がすぐそばでずっと聞こえていて、それがすごく嬉しかったです。やっぱりサッカーっぽくない応援はちょっと目立ちますし、違う感じでの応援がすごく心に残りました」 「そのシーズンオフに今度は僕ら発信で遊びに行かせてくださいという形で、12月だったのでサンタクロースみたいな格好をして、お菓子を自分たちで詰め合わせて持っていきましたが、小学2年生以下の子供たちだったので、正直忘れられちゃっているのかなという思いもありましたが、ちゃんと覚えてくれていて歓迎してくれて本当に嬉しかったです」 「そして、自分たちはサッカー選手なので、サッカーを通じて、子供たちが笑顔になれるきっかけとか、何か目標とか夢を持てるようなきっかけ作りができたらいいな、っていうふうにカジと話すようになって、翌年の15年にフットボールで繋げるとか、フットボールが繋げるっていうのをコンセプトにやろうっていうので、フットボール・コネクトの略で、エフコネクトと名前を付けて始めたっていうのが経緯です」 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2023/get20240206_101_tw1.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:center;font-size:small;">フットボールを通じた子供たちとのふれあい</div> <div style="text-align:left;font-size:large;">■アスリート、スポーツの価値とは</div> そのF-connectの活動においてはさまざまな支援の形があるなか、設立当初から現在に至るまで、直接的なふれあいや“経験”という部分を重視しているという。 「神奈川の別の施設に初めて行ったときに、外に出て一緒にボールを蹴ろうって声をかけましたが、最初にボールを蹴ってくれる子はサッカーが好きで、なおかつ積極的な2、3人だけで、他の子たちはその横で様子を見ているだけでした。ただ、やっていくなかで1人、2人とその数が増えていって、帰るころにはみんなが1個のボールを追いかけるみたいな感じで、それも嬉しかったです。また、帰りに職員の方に挨拶したときに、普段だったら絶対にサッカーをやってない子が一緒になってボールを追いかけて驚きました、ということを言ってもらえました」 「僕がサッカー選手だったから一緒に蹴ってくれたのか、それとも単に楽しそうだったから一緒に入ってくれたのかは分からなかったですが、何かそういう瞬間にアスリートの価値とか、スポーツの価値みたいなものを感じることができました」 「最初に活動を始めたときに支援の方法というか、いろいろ考えていたなかで、最初はボールを各施設に送ることを考えていました。ただ、もしかしたら、僕たちの気持ちだけで自己満で終わってしまうのではないかという部分もあったので、少し職員の方にこういう活動をしたくて、どういう関わり方が、子供たちにとっていいですか、というふうなご相談をさせていただきました」 「そのときに職員の方は、18歳で施設を出て自立しなければならない環境のなかで、なかなか夢とか目標を持ちづらい環境ですと、そのなかで小池さん、梶川さんは、サッカー選手という自身の夢を叶えられた人たちなので、そういう人と関わって、何か化学反応じゃないですけど、何か気持ちが変わってくれたりとか、何か夢とか目標を持ってもらえるようなきっかけになってくれたら嬉しいので、触れ合ってほしいっていうことをお聞きして、それで直接会うことを大切にしています」 「それこそ僕たちが行くことの価値と言いますか、僕らもアスリートの価値とか、スポーツの価値を気づかされる機会にもなりますし、もしかしたら子供たちに何か目標を持つきっかけになってもらえるっていう気持ちもあって、そういったふれあいが大切ではないかというふうに考えています」 <div style="text-align:left;font-size:large;">■“円”の外に出ていく</div> その後、F-connectは神奈川県を中心に、各選手の所属クラブのホームタウンなど、各地で施設訪問、試合招待といった支援活動をスタート。 その活動において特徴的なのは、「人」としての人生を“歩みながら”「競技者」としての人生を歩むための『デュアルキャリア』という考えだ。 以前からアスリートのセカンドキャリアの問題が取り沙汰されるなか、F-connectでは児童養護施設の支援活動を通して、選手自ら訪問先へのアポイントメントやチケット手配、パートナー企業開拓のための営業など、選手自身のキャリアアップや現役引退後のキャリアにつながる活動を行っている。 サッカークラブにおいては選手が“円”の中心にいるなか、以前から新しい気づきや学びが少ないと感じていた小池は、F-connectの活動を「アスリートとビジネスマンの中間」と位置づけて捉えているという。 「最初はカジと2人で立ち上げて、最初にTシャツを作って、それを300枚作って販売しました。自分で梱包して発送しましたが、そういう作業とかも、ひと通り自分たちでやるっていうところを大事にしました」 「サッカークラブで言うと、チームを“円”にすると選手ってやっぱ中心にいて、コーチングスタッフやフロントスタッフ、サポーターの方もみんな選手の方を見てくださるので、極端な話、サッカーさえしていれば成り立ってしまう環境がそこにはあります。自分から“円”の外に出ていかないと、新しい気づきとか学びが少ないなっていうのは、感覚としてありました」 「この活動のなかで、自分が運営側に回ってTシャツを作るのもそうですし、イベントをやるのも自分たちで企画して、何が必要だとかを考えるようになった部分は、アスリートとビジネスマンの中間というか、選手だけではなかなか経験しないようなことを、一足先にそこで経験するところが自然とできているのかなっていうふうに思っています」 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2023/get20240206_100_tw2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:center;font-size:small;">眠っているサッカーシューズを子供たちに届ける活動</div> <div style="text-align:left;font-size:large;">■コロナ禍での農業体験という新たな試み</div> 2015年の設立後、順調に活動を続けてきたが、2020年の新型コロナウイルスのパンデミック発生後は、施設訪問、試合招待というメインの活動が困難な状況に。この間にオンラインでの交流などを続けていたものの、初めて停滞期を迎えることになった。 そういったなか、2021年には『プロサッカー選手がつくる畑で児童養護施設の子ども達と泥んこになりたい』をテーマに、長野県飯綱町にて農業体験を目的とした『エフコネファーム』をスタートすることになった。 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2023/get20240206_101_tw4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:center;font-size:small;">畑作りからスタート</div> 以前から農業に関心があり、愛媛FC時代には畑を借りて農業体験を経験していた小池は、命を育てることの重みや地域とのつながりを含めて新たなチャレンジの意義を語る。 「元々、ちょっと農業に興味があって愛媛FCのときには、知り合いの方の畑をお借りして野菜作りをしていました。基本的にはそこの方々に管理をお願いして要所で一緒に作業させていただく形でしたが、収穫までの過程を経験しながら大根とかほうれん草とかを収穫できました。スーパーで売っているようなまっすぐな大根ではなくて、何か足が何本もあるような、ちょっといびつな形のものが取れましたが、自分にとってスーパーで売られている大根とは全然違う価値が出て、その過程に関わっていたりとか、成長していく様子を見ていたというだけで、次元が違うものになるという経験ができました」 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2023/get20240206_101_tw3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:center;font-size:small;">農業を通じて命の重み、食への理解を深める</div> 「あと畑に行くたびに管理してくださっている方の隣の家の方とバーベキューをしたりとか、地域の方との交流があって、それもすごく楽しくて、何かエフコネクトでもそういう場作りと言うか、何か子供たちが経験したり体験したりするような場を作れないかな、というふうに思うようになりました」 「そういったときに長野の方でサポートいただける方がいて、僕自身も父親が長野県出身で、毎年のように遊びに行っていたので、その空気感とか景色とかっていうものに馴染みがありました。最終的に現地に行かせていただいて、ゆかりのある長野の地でそういう活動ができたらな、という形でした」 「なかなかコロナのときとかは間が空いてしまったりとか、オンラインでの交流をした施設もありましたが、よりオフラインで会うことの価値みたいなものがすごく高まった感じもしていましたし、これまでそんなに頻繁に会えたわけではないですけど、交流してきたなかで少しずつ子供たちとの信頼関係も築けているというのは感じてもいました。そういったなかで子供たちが実際に長野に遊びに来てくれました」 「一昨年は新井純平が1泊2日の農業体験を一緒にできましたが、昨年はスケジュール的に選手がちょっと行けなさそうな状況でしたが、僕らがいなくても大丈夫です、という感じで、選手がいないなら行かないじゃなくて、農業体験自体を楽しみにしてくれている子供たちがいるっていうところは嬉しい部分でした」 「子供たちの反応とかは職員の方からも伺ったりしていて、普段食べているトウモロコシとかはカットされて茹でられているものですが、自分たちで畑から収穫してその場で食べるとていう経験をしたことがある子は、おそらくいなかったと思います。そして、収穫から食べるところとか、バーベキューをしている姿を写真で見ると、本当に嬉しそうに感じましたし、楽しんでくれていたっていう話も聞いたので良かったです」 <div style="text-align:left;font-size:large;">■新たな挑戦、新たな拠点</div> そのエフコネファーム創設から3年を経て、2024年春には「プロサッカー選手がつくる農業体験宿泊施設に児童養護施設の子ども達を招待したい!」をテーマに、エフコネファームのある飯綱町に子供たちが泊まれる宿泊施設「エフコネベース」をオープンさせることが決定した。 小池と梶川とともに理事を務め運営面を担う沼澤つとむさんの長野への移住によって、これまでは夏休みや2カ月に1度といったようにスポット的に子供たちと農業体験を実施してきた。そして、その活動をより定期的に継続的に実施していくなか、エフコネベースは拠点としての役割を担う。 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2023/get20240206_101_tw6.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:center;font-size:small;">昨年行われた子供たちの農業体験</div> さらに、地元コミュニティとの交流の活発化、児童養護施設以外の子供たちや企業の福利厚生といった部分での農業体験、研修といった新たな試み、将来的には施設出身者が管理者や運営者として活動に携わっていくことも視野に入れている。 パートナー企業のサポートによって古民家を購入・リフォームし、物件準備が進む一方、宿泊施設として機能させるために家具・家電・布団などの室内設備を揃える必要があり、2024年1月5日(金)~同2月11日(金)の期間を通じてクラウドファンディングが実施されている。 「昨年、一昨年でいうと宿泊費とかも、やはり人数分かかってしまいますし、なかなか『またすぐおいでよ』、っていうふうに言えなかった部分が、エフコネベースを作ることで、かなり気軽に子供たちが来られる状況を作れると思います。そういう意味では他の施設に新たに連絡をさせていただいたりとか、体験機会を増やせるのではないかと考えています」 「もちろん僕らが行ったときに泊まれたりとか、ベースを起点にいろいろなことができるのではないか、というところですね。あとは地元の方との交流もできると思いますし、地元でのイベントだったりとか、農業体験、研修とか、そんなものもできると思いますので、かなり幅は広がるのではないかなという期待をしています」 2021年にエフコネファームのプロジェクトをスタートした際にも実施したクラウドファンディングに関しては、当然のことながら資金調達がメインではある。ただ、そのクラウドファンディングを通じて新たに自分たちの活動を知った人たちの支援の輪の広がり、常日頃から賛助会員として活動を支援している既存の協力者の人たちに、より一層その支援の意義を再認識する契機にしたいとの考えもあるという。 「2021年にエフコネファームを作ったときにもクラウドファンディングをやらせていただきましたが、ご支援いただいた方たちにはご自身が支援したものが、子供たちの活動につながっているんだというふうに思ってもらいたいですし、そういう方がたくさん増えてくると、また違った関わり方ができると考えています」 最後に、小池はまもなく10年目を迎えるF-connectの今後について語った。 「やっぱりスポーツの価値に気づかされたっていうのはすごく大きくて、活動を始めたころは、自分たちが何かをしたい。でも何をしてあげられるかわからないというところからスタートしましたが、やっていくなかで何か自分たちが子供たちに影響を与えられるかもしれないという気持ちに変わっていったり、いろんなことに気づかされたり、学ばせてもらっているな、という部分があります。劇的なものというよりは、そういうものが少しずつ積み上がってきて、もうまもなく10年目を迎えられますが、活動を続けてこられたのかなと思います」 「やっぱり、子供たちは18歳ぐらいで自立を求められるなか、自立するところのサポートという意味ではエフコネクトの中で運営側に回ってもらうというところも考えています。ただ、それは受け入れるための体制が整っていないとできないことなので、そこには大きな課題はあると感じています」 「また、より多くの施設と交流や支援ができるのが一番ですが、今は関わっている子供たちのために何かできないか、という段階です。あとは遅かれ早かれ僕も選手を辞めますし、現役の選手がいることに価値があると思っているので、そういう意味では若い選手たちの中で一緒に活動したいと思ってくれる子を増やしていくことも、今後の目標のひとつでもありますね」 「ただ、プロサッカー選手としてまずはその選手たちがしっかりと成長していくことが大事ですし、僕自身もまだまだ頑張ろうと思っているので、ぜひそこも応援していただきつつ、新たな拠点もできたので、いろんな方々と交流の場を作れればと思っています」 インタビュー・文・岸上敏宏/超ワールドサッカー編集部 写真提供:F-connect <span class="paragraph-title">エフコネベース プロジェクト概要</span> <span data-other-div="movie"></span> <div id="cws_ad"><blockquote class="twitter-tweet"><p lang="ja" dir="ltr">24年1/5(金)クラファン開始のお知らせ<br><br>前回の <a href="https://twitter.com/hashtag/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#クラファン</a> から2年間農業体験プロジェクトを推進。2024年は <a href="https://twitter.com/hashtag/%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B3%E3%83%8D%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%A0?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#エフコネファーム</a> に続く、第2弾 <a href="https://twitter.com/hashtag/%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B3%E3%83%8D%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#エフコネベース</a> が始動<br>子ども達がいつでも泊まりに来れる農業体験宿泊施設の設備投資にご支援をお願いします‼️<br><br>詳しくは<a href="https://t.co/n5DuJZ5xtG">https://t.co/n5DuJZ5xtG</a> <a href="https://t.co/Oy7CrrVIs2">pic.twitter.com/Oy7CrrVIs2</a></p>&mdash; F-connect (@F_connect_) <a href="https://twitter.com/F_connect_/status/1741408850824311000?ref_src=twsrc%5Etfw">December 31, 2023</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script></div> 2024.02.07 19:00 Wed
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「ヴェルディで19番をつけたい気持ちはずっとあった」昨季躍進の象徴の一人、東京Vの新19番・松橋優安が新たな決意

16年ぶりのJ1の舞台で躍進を遂げた昨シーズンの東京ヴェルディの象徴の一人となったMF松橋優安が、19番を背負って臨む勝負のシーズンへの想いを語った。 百戦錬磨の城福浩監督の下、シーズンを通して伸びしろ豊かな個々の成長によってチームとしての最大値を着実に上げた東京Vは、最大の目標だったJ1残留を早々に成し遂げ、最終的に6位フィニッシュというサプライズを提供した。 指揮官が2024シーズンの総括会見の場で、その躍進の象徴としてDF千田海人とともに名前を挙げたのが、「最初の時点でフィールドプレーヤーが30人いたとすれば、30番目だった」と正直に語った生え抜きMFだった。 東京ヴェルディジュニアから緑の名門のアカデミーでプレーする松橋は、いずれもシント=トロイデンに在籍し、パリ・オリンピックでもプレーしたMF山本理仁、MF藤田譲瑠チマらを同期に持ち、ユース時代には背番号10を背負った。 だが、2020年のトップチーム昇格後は思うように出場機会を得られず、SC相模原、レノファ山口FCへ武者修行に出された。いずれのクラブでも定位置を掴めずにJ1昇格の保有元に帰還となり、下部カテゴリーへの再びの武者修行を固辞したなか、プレシーズンは本職のウイングではなく、空いているポジションをあてがわれる立場にあった。 それでも、トレーニングや日常がすべてと語り、チーム全体をフラットな目で評価する指揮官は「彼の成長具合は目を見張るものがあった」と、日々の練習において頭から湯気を出し続け、足元の技術といったこれまでの持ち味以上に、献身性・ハードワークを最大の長所に変えた23歳を評価。 シーズン序盤の第3節セレッソ大阪戦で抜擢すると、以降は途中出場がメインながらも、最終的にリーグ戦30試合(先発5)に出場。第11節のサガン鳥栖戦では東京Vのトップチームでの初得点となるJ1初得点も記録した。 不退転の覚悟で臨み、自身のサッカー人生におけるターニングポイントとなった昨季を「あれだけサッカーと向き合った1年間はなかったですし、それは間違いなく、自信にも繋がっています」と振り返った松橋。 ただ、J1で通用するという手応えを得た一方、ポジション奪取やさらなる飛躍への課題を自覚するとともに、自身の立ち位置の変化よって、新シーズンは昨季同様に進化が必要だと語る。 「去年は去年で、今年は求められることは違うと思うので、そこのベースは絶対に崩さず、より一層成長しながら、結果という部分を残していけるようにと意識しています」 立ち位置の変化とともに、今季はプロ1年目と昨季背負っていた33番から19番に背番号を変更。相模原での2年目、山口でも背負っていた19番は、MF梶川諒太(藤枝MYFC)、DF平智広(ツエーゲン金沢)らとともに近年の東京Vを支えたレジェンドであり、松橋がプロ入りから公私にわたって世話になってきたMF小池純輝(クリアソン新宿)が在籍時に背負っていた番号だ。 その小池との師弟関係を鑑みれば、番号変更の理由は明白だが、松橋はヴェルディで19番を背負う意味とその覚悟を改めて語った。 「(19番を)背負うからには覚悟を持っていますし、今年はより一層結果が求められる年になる。サポーターの方でも、なぜ自分が19番をつけたかということを理解してくれている人もいると思いますし、そういった方々に結果で示せるようにと考えています」 「(小池と今オフに)食事する機会があって、それ以前にも毎回、(19番を)つけてほしいというのは言われていました。個人的にもプロ1年目でサッカーはもちろんのこと、それ以外の人間性の部分でも、とても多くのことを学ばせていただき、お世話になった尊敬する人です。違うチームに行ったときも空いていたときにはつけていましたし、何よりこのヴェルディで19番をつけたいという気持ちはずっとあったので、いよいよ今シーズンは19を背負って戦えるというのは楽しみです」 東京Vの新19番として臨む今季に向けてはこれまで同様の日々のハードワークとともに、昨季を通して課題に挙げている、ゴールに直結する仕事を強く意識。加えて、ユースの後輩や大卒の加入によって後輩が増えたなか、リーダーシップの部分でもより存在感を示していきたいという。 「まずはキャンプでケガをしないこと。そのなかで練習試合だったりもありますし、そこで結果を残せば、試合にも活きると思うので、この期間は本当に大事だと思っています。まずケガしないこと。さらに、プレシーズン期間から結果にこだわりたいと考えています」 「やっぱりこのチームは若いですし、今年は特に年下が増えてきたなと感じています。立ち位置的にも自覚を持ちながら、自分は声とかではなく背中で示すというか、引っ張っていかないといけないなと。そういう自覚もちょっと持ち始めています」 「ただ、試合に出るためには競争に勝っていかないといけないですし、一番差がつくのはこの期間だと思っているので、そこは負けないように、みんなで切磋琢磨しながら質の高いトレーニングができるメンバーが揃っていると思うので、そこはより充実させていきたいです」 野心的な指揮官とともに、チームは昨季の6位以上の躍進を目指す。今季も引き続き“成長”をキーワードに掲げるなかで松橋は、「間違いなく簡単なリーグではないですし、もちろん相手の対策もあると思いますけど、まずチームとして去年大事にしてきた部分というのは絶対になくしてはいけない」、「そこからさらに上に行くためには個人もそうですけど、根本は変えずに、質だったり結果にこだわっていきたいです」と、これまで築き上げてきた確固たる土台に、いかに多くのものを積み上げられるかが成功のカギを握ると考えている。 2025.01.14 14:40 Tue

小池純輝の移籍履歴

移籍日 移籍元 移籍先 種類
2024年2月1日 東京V 新宿 完全移籍
2019年2月1日 愛媛 東京V 完全移籍
2018年2月1日 千葉 愛媛 完全移籍
2018年1月31日 愛媛 千葉 期限付き移籍終了
2017年2月1日 千葉 愛媛 期限付き移籍
2016年2月1日 横浜FC 千葉 完全移籍
2014年2月1日 東京V 横浜FC 完全移籍
2012年2月1日 水戸 東京V 完全移籍
2010年2月1日 群馬 水戸 完全移籍
2009年2月1日 浦和 群馬 期限付き移籍
2006年2月1日 浦和ユース 浦和 昇格
2003年4月1日 浦和ユース 新加入