栃木のDF大谷尚輝が29歳で現役引退…広島、熊本、町田、愛媛でプレーも決断理由の1つは脳震盪の後遺症「続けていくのは少し難しい…」
2024.12.02 20:45 Mon
栃木SCは2日、DF大谷尚輝(29)の現役引退を発表した。
大谷はサンフレッチェ広島の下部組織育ちで、ジュニア、ジュニアユース、ユースと昇格。川辺駿や宮原和也(東京ヴェルディ)らと同期で、2014年にトップチームに昇格した。
2015年はロアッソ熊本に、2016年途中にはFC町田ゼルビアに期限付き移籍すると、2017年も期限付き移籍。2018年に完全移籍を果たす。
2021年には愛媛FCに期限付き移籍すると、2022年に栃木に完全移籍。栃木では3シーズンを過ごした。
キャリア通算ではJ2で169試合8得点、J3で6試合に出場。天皇杯でも6試合に出場していた。
「2024シーズン限りで、現役引退することを決めました。まず、栃木SCに関わる全ての皆さん、3年間本当にありがとうございました。そして、5歳にサッカーを始めたときから在籍したサンフレッチェ広島、ロアッソ熊本、FC町田ゼルビア、愛媛FC。それぞれのクラブで多くの出会いがあり、多くのサポートをしていただきました。11年間、本当にありがとうございました」
「この年齢で引退を決めた理由として、2つあります。1つ目は、自分が今後もプロサッカー選手を続けたとして、どんなキャリアにしていきたいのか、引退後に自分が進もうとしているキャリアをより良くする為には、どのタイミングでキャリアチェンジするのが良いのか。ここを考えたときに自分のマインド的にも年齢的にも引退するのは今が良いと考えて決断しました」
「2つ目は、脳震盪の後遺症が続いていたからです。最初に症状が出たのは昨シーズンの中盤頃でした。短い期間(復帰プログラム終了後)で脳震盪を繰り返してしまい、ピッチ内だけでなく私生活でも症状が出ていました。頭部にダメージを受けなければ症状は落ち着いていたのですが、今シーズンも伸二さんが就任した週で脳震盪になってしまい、私生活での症状が続いて約2ヶ月間離脱していました。チームドクター、トレーナーと何度も検査と診察を繰り返して話し合い、シーズン終盤は試合に出場できていましたが、ピッチ内ではヘディングした後などに症状が出ていて、これで来年以降もサッカーを続けていくのは少し難しいなと考えていました。シーズンが終わってサッカーと離れてからは、私生活に全く影響は出ていないので、そこは安心していただけたらと思います」
「引退することは自分の中で9月頃に決めていましたが、クラブやチームメイトには最終戦後に伝えました。自分のわがままですが、最後までみんなとフラットな状態で競争して自分の価値を示して、自分の意地を見せて終わりたかったからです。ただ、今は試合に出る出ないに関係なく、最後はやり切れて終われたなと思えています。色々な理由でリリースがこのタイミングになってしまいました。申し訳ありません」
「最後になりますが、自分の思う結果が出せないことが多かったプロサッカー選手でのキャリアでしたが、自分にとってのやり甲斐やモチベーションは、試合に勝った後にスタジアムでサポーターの方達と共に喜びを分かち合う瞬間でした。自分は引退を決めていて、残り4試合で残留を懸けた群馬戦で勝てなかった試合後に、ゴール裏のサポーターの声援を聞いたときに、自分がこれまでのキャリアで思った結果を出せなかった悔しさと、11年間続けられた自分の職業に対する誇りも感じ、これまで感じたことのない感情になりました。ファン・サポーターの皆さん、本当にありがとうございました」
「引退後はサッカー界ではない道に進むことを決めました。そこで成長して何らかの形でサッカー界に恩返しできたらと思っています。セカンドキャリアでも自分らしく頑張っていこうと思います。11年間、本当にありがとうございました」
大谷はサンフレッチェ広島の下部組織育ちで、ジュニア、ジュニアユース、ユースと昇格。川辺駿や宮原和也(東京ヴェルディ)らと同期で、2014年にトップチームに昇格した。
2015年はロアッソ熊本に、2016年途中にはFC町田ゼルビアに期限付き移籍すると、2017年も期限付き移籍。2018年に完全移籍を果たす。
キャリア通算ではJ2で169試合8得点、J3で6試合に出場。天皇杯でも6試合に出場していた。
大谷はクラブを通じてコメントしている。
「2024シーズン限りで、現役引退することを決めました。まず、栃木SCに関わる全ての皆さん、3年間本当にありがとうございました。そして、5歳にサッカーを始めたときから在籍したサンフレッチェ広島、ロアッソ熊本、FC町田ゼルビア、愛媛FC。それぞれのクラブで多くの出会いがあり、多くのサポートをしていただきました。11年間、本当にありがとうございました」
「この年齢で引退を決めた理由として、2つあります。1つ目は、自分が今後もプロサッカー選手を続けたとして、どんなキャリアにしていきたいのか、引退後に自分が進もうとしているキャリアをより良くする為には、どのタイミングでキャリアチェンジするのが良いのか。ここを考えたときに自分のマインド的にも年齢的にも引退するのは今が良いと考えて決断しました」
「2つ目は、脳震盪の後遺症が続いていたからです。最初に症状が出たのは昨シーズンの中盤頃でした。短い期間(復帰プログラム終了後)で脳震盪を繰り返してしまい、ピッチ内だけでなく私生活でも症状が出ていました。頭部にダメージを受けなければ症状は落ち着いていたのですが、今シーズンも伸二さんが就任した週で脳震盪になってしまい、私生活での症状が続いて約2ヶ月間離脱していました。チームドクター、トレーナーと何度も検査と診察を繰り返して話し合い、シーズン終盤は試合に出場できていましたが、ピッチ内ではヘディングした後などに症状が出ていて、これで来年以降もサッカーを続けていくのは少し難しいなと考えていました。シーズンが終わってサッカーと離れてからは、私生活に全く影響は出ていないので、そこは安心していただけたらと思います」
「引退することは自分の中で9月頃に決めていましたが、クラブやチームメイトには最終戦後に伝えました。自分のわがままですが、最後までみんなとフラットな状態で競争して自分の価値を示して、自分の意地を見せて終わりたかったからです。ただ、今は試合に出る出ないに関係なく、最後はやり切れて終われたなと思えています。色々な理由でリリースがこのタイミングになってしまいました。申し訳ありません」
「最後になりますが、自分の思う結果が出せないことが多かったプロサッカー選手でのキャリアでしたが、自分にとってのやり甲斐やモチベーションは、試合に勝った後にスタジアムでサポーターの方達と共に喜びを分かち合う瞬間でした。自分は引退を決めていて、残り4試合で残留を懸けた群馬戦で勝てなかった試合後に、ゴール裏のサポーターの声援を聞いたときに、自分がこれまでのキャリアで思った結果を出せなかった悔しさと、11年間続けられた自分の職業に対する誇りも感じ、これまで感じたことのない感情になりました。ファン・サポーターの皆さん、本当にありがとうございました」
「引退後はサッカー界ではない道に進むことを決めました。そこで成長して何らかの形でサッカー界に恩返しできたらと思っています。セカンドキャリアでも自分らしく頑張っていこうと思います。11年間、本当にありがとうございました」
大谷尚輝の関連記事
栃木SCの関連記事
明治安田J3リーグ第12節の10試合が6日、7日にかけて各地で行われた。
【八戸vs栃木C】上位対決は痛み分け
首位の栃木シティ(勝ち点24)と3位のヴァンラーレ八戸(勝ち点20)の上位対決。試合は立ち上がりから攻め合う形となり2分に八戸は澤上竜二がクロスを頭で合わせるが、GK相澤ピーターコアミが好セーブ。
2025.05.07 21:02 Wed
J2の関連記事
記事をさがす
|
|
栃木SCの人気記事ランキング
1
栃木退団の五十嵐理人がJFL滋賀に加入 昨季途中からのレンタル先が新天地に
栃木SCは14日、FW五十嵐理人(24)の移籍先が日本フットボールリーグ(JFL)のレイラック滋賀FCに決まったと発表した。 五十嵐は前橋育英高校から鹿屋体育大学に進み、2021年に栃木の特別指定選手になると、2022年に正式入団。2023年8月から滋賀に期限付き移籍したが、栃木を含め、契約満了となっていた。 2024.01.14 13:55 Sun2
讃岐が地元出身のMF高木和正の現役引退を発表「この19年間は辛いことの方が多かった」
カマタマーレ讃岐は22日、MF高木和正(36)が今シーズン限りで現役を引退することを発表した。 高木は香川県さぬき市出身。香川西高校から2003年にサンフレッチェ広島へと入団。2005年にはモンテディオ山形へと期限付き移籍。2006年からFC岐阜でプレーした。 岐阜ではJリーグ昇格へと貢献。2009年にクラブの財政難により退団すると、2010年には栃木SCへと完全移籍。2014年から讃岐でプレーした。 通算成績はJ1で2試合、J2で379試合29得点、J3で50試合2得点を記録。今シーズンは明治安田生命J3リーグで16試合に出場していた。 高木はクラブを通うじてコメントしている。 「今シーズンをもちまして、現役を引退することを決断しました。9歳でサッカーを始め、たくさんの仲間と出会い、素晴らしい指導者のおかげでプロサッカー選手になることができました!ありがとうございました」 「高校卒業してプロサッカー選手になって19年間、ここまで続けられるとは思っていませんでした。楽しいこと、嬉しいこと、苦しいこと、辛いこと、たくさんの感情がある中で、この19年間は辛いことの方が多かったと思います」 「サンフレッチェ広島、モンテディオ山形ではプロの厳しさや自分の考えの甘さを教えていただきました。チームの力にまったくなれず、なにもできなかった3年間でした」 「プロ3年目に戦力外になり、当時地域リーグだったFC岐阜から声をかけてもらい、もう一度サッカーをするチャンスをいただきました」 「そこから仲間たちと一つになり、JFL・Jリーグと昇格することができました。あの時、FC岐阜に声をかけてもらってなかったら今の自分はなかったと思います。本当に感謝してます」 「栃木SCでは、4年間副キャプテンをさせていただき、人としてもとても成長できた4年間でした!」 「そして、30歳の時に地元のカマタマーレ讃岐に帰ってきて、8年間プレーさせていただきました。入替え戦、残留争い、J3降格と結果が出せず、応援してくださってるファン・サポーターの皆様には申し訳ない気持ちでいっぱいです」 「どんな時もチームのために力になって下さったスポンサーの皆様、企業の皆様、ファン・サポーターの皆様、地域の皆様、カマタマーレ讃岐を支えていただき、ありがとうございます!」 「そしてこの19年間、サンフレッチェ広島、モンテディオ山形、FC岐阜、栃木SC、カマタマーレ讃岐で関わったすべての皆様、本当にありがとうございました」 「僕にとってこの19年間で、たくさんの経験をさせてもらい、とても楽しい最高のサッカー人生でした!」 「今後については未定ですが、これからは地元のために自分の経験したことを伝えていけたらと思っています。次のステージも自分らしく全力で頑張りたいと思ってます!」 「本当にたくさんの応援ありがとうございました!」 2021.11.22 15:15 Mon3
元日本代表MF二川孝広が42歳で現役生活に幕…黄金期G大阪の10番
日本フットボールリーグ(JFL)のFCティアモ枚方は16日、元日本代表MF二川孝広(42)の現役引退を発表した。 ガンバ大阪のアカデミー育ちで、プロ5年目からチームの10番として、数々のタイトルとともに黄金時代の軸を担った二川。168cmのサイズだったが、一線を画すサッカーセンスを武器にパスで違いとなり、2006年に日本代表初招集を受けた。 G大阪での17年半を経て、2016年夏から東京ヴェルディに移り、2018年に栃木SCに。2019年からFCティアモ枚方に活躍の場を求め、4年間を過ごしたが、今年をもって現役を退く決断をした。 G大阪時代に現ジュビロ磐田の元日本代表MF遠藤保仁らとともに黄金の中盤を形成したファンタジスタはクラブを通じて、別れの挨拶をしている。 「今シーズンで現役生活を引退する決断をしました。この歳までサッカーを続ける事ができ幸せでした。サッカーを通して沢山の経験ができ、成長できたかなと思ってます。これまでお世話になった沢山の人達に感謝しています。ありがとうございました。そしてファン、サポーターの方々、これまでの沢山の応援ありがとうございました」 2022.11.16 13:05 Wed4
栃木退団の山本廉が25歳で現役引退 「沢山考えて、前向きに決断」
栃木SCは21日、MF山本廉(25)の現役引退を発表した。 山本はブラウブリッツ秋田U-15から栃木ユースに進み、2018年にトップチーム昇格。その年から2シーズン連続の育成型期限付き移籍でブランデュー弘前FCとアルテリーヴォ和歌山でプレーし、2020年から栃木に復帰した。 その栃木ではJ2リーグ通算71試合出場で3得点、天皇杯3試合出場。だが、昨季をもって契約満了となっていた。 古巣のクラブを通じて「皆さん、お久しぶりです。ご報告が遅くなり申し訳ありません」とし、現役からの引退を報告。これまでに感謝した。 「私、山本廉は2023シーズンをもってサッカー選手を引退することを決めました。沢山考えて、前向きに決断しました。サッカーを通して、沢山の方々に出会い、応援していただいた日々はとても幸せでした。そして、栃木はかけがえのない第二の故郷です」 「これから違う道に進みますが栃木SCを応援していますし、スタジアムにも応援に行きますのでそのときにはお気軽にお声掛けいただけたら嬉しく思います。また皆さんとお会いできる日を楽しみにしております。本当にありがとうございました」 2024.06.21 15:15 Fri5
