山本昌邦NTDの発言で思い出したトヨタカップ/六川亨の日本サッカーの歩み
2024.10.09 16:30 Wed
1984年、リバプールvsインデペンディエンテ
去る10月3日、アウェーのサウジアラビア戦(11日)とホームのオーストラリア戦(15日)に臨む日本代表27名が発表された。この会見の最後では、山本昌邦NTDが自ら発言を求め、「ヨーロッパの選手がこちら(日本)で、ヨーロッパ時間で生活できるような準備をしています。朝食を抜かして昼や夜の食事をヨーロッパ時間に合わせるようにして、そのままの時間で帰れるようにしています」と、時差調整していないことを明かした。
その理由は選手が日本での試合後、所属チームに戻った際に時差ボケでコンディションを崩さずそれぞれのリーグ戦で活躍できるようにという配慮からだ。近年の日本代表の主力は“海外組”が占めている。このため選手の方から、特に日本ほど時差に開きのない中東での試合では、ヨーロッパ時間で生活して所属クラブに戻った方がプレーへの影響も少ないと提案があったそうだ。
この発言を聞いて思い出したのが、1981年から日本でスタートしたトヨタカップの黎明期の出来事だった。
トヨタカップが始まったのは今から43年前の1981年2月11日だった。それまでは「インターコンチネンタル・カップ」と呼ばれ、欧州のチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)と南米のコパ・リベルタドーレスの勝者が「クラブ世界一」の座を賭けてホーム・アンド・アウェーで争う大会だった。
しかし南米勢のラフプレーに欧州勢が対戦を拒否。チャンピオンズカップ優勝チームが出場を辞退したり、75年と78年は大会そのものが中止になったりした。こうした背景から、中立地の日本で一発勝負の大会として復活したのが「トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカカップ」だった。
しかし試合はウルグアイ代表ストライカーのワルデマール・ビクトリーノの一撃でナシオナルがトヨタカップの初代王者となった。
続く第2回大会は同年の12月13日に開催。この大会から、トヨタカップは12月第2週の日曜開催が定着していく。南米からは、満を持してジーコ擁するフラメンゴが待望の来日を果たす。対するヨーロッパ勢はイングランドのリバプール。チャンピオンズカップ優勝3回を誇る強豪で、FWケニー・ダルグリッシュら英国4協会の選抜というような豪華な顔ぶれだった。国立競技場のメインスタンドには、コンサートで来日中のロッド・スチュワートの姿もあった。
ところが試合はジーコの3ゴールに絡む活躍でフラメンゴが3-0と圧勝。スペインW杯を半年後に控え、ジーコは1963年にペレのサントス以来となるクラブ世界一のタイトルをブラジルに持ち帰ると同時に、スペインW杯での活躍を予見させたのだった。
その後もトヨタカップはCAペニャロール(ウルグアイ)2-0アストン・ビラ(イングランド。昨シーズンは42年ぶりに4位でフィニッシュしてCLに復帰)。グレミオ(ウルグアイ)2-1ハンブルガーSV(西ドイツ)、CAインデペンディエンテ(アルゼンチン)1-0リバプール(イングランド)と、欧州勢は5連敗に加え、欧州ではダントツの強さを誇ったイングランド勢がノーゴールで敗れ去っていた。
当初は南米勢とイングランド勢の、トヨタカップに賭ける熱意の違いではないか。イングランド勢はチャンピオンズカップ優勝で満足していて、本気でトヨタカップを取りに来ていないのではないかと噂された。
そしてそれは、どうやら本当だったらしい。というのも、南米勢が早めに来日して時差調整をしているのに対し、イングランド勢は来日しても英国時間で生活をしていたからだ。1試合のためだけに時差調整をしていたら、帰国してからのリーグ戦に万全の状態で臨めない。
このため昼夜逆転とまではいかないものの、英国時間で寝起きして、食事の時間もずらしていた。これでは12時キックオフの試合で身体が満足に動くわけがない。普段は寝ている時間だからだ。
日本代表は最近になって選手の意見を採り入れて、睡眠時間や食事時間をヨーロッパ・タイムで過ごすことで時差調整を始めた。しかしイングランド勢は40年以上も前から時差対策を採り入れていたのだから驚くばかりだ。トヨタカップよりもイングランド・リーグの方が彼らにとっては重要度が高かったということは、ちょっと癪に障るけれど。
文・六川亨
その理由は選手が日本での試合後、所属チームに戻った際に時差ボケでコンディションを崩さずそれぞれのリーグ戦で活躍できるようにという配慮からだ。近年の日本代表の主力は“海外組”が占めている。このため選手の方から、特に日本ほど時差に開きのない中東での試合では、ヨーロッパ時間で生活して所属クラブに戻った方がプレーへの影響も少ないと提案があったそうだ。
この発言を聞いて思い出したのが、1981年から日本でスタートしたトヨタカップの黎明期の出来事だった。
しかし南米勢のラフプレーに欧州勢が対戦を拒否。チャンピオンズカップ優勝チームが出場を辞退したり、75年と78年は大会そのものが中止になったりした。こうした背景から、中立地の日本で一発勝負の大会として復活したのが「トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカカップ」だった。
記念すべき第1回大会はウルグアイのナシオナル・モンテビデオとイングランドのノッティンガム・フォレストが対戦。ノッティンガムはチャンピオンズカップを連覇しての出場で、GKピーター・シルトンやFWトレバー・フランシスといったスター選手を揃えていた。
しかし試合はウルグアイ代表ストライカーのワルデマール・ビクトリーノの一撃でナシオナルがトヨタカップの初代王者となった。
続く第2回大会は同年の12月13日に開催。この大会から、トヨタカップは12月第2週の日曜開催が定着していく。南米からは、満を持してジーコ擁するフラメンゴが待望の来日を果たす。対するヨーロッパ勢はイングランドのリバプール。チャンピオンズカップ優勝3回を誇る強豪で、FWケニー・ダルグリッシュら英国4協会の選抜というような豪華な顔ぶれだった。国立競技場のメインスタンドには、コンサートで来日中のロッド・スチュワートの姿もあった。
ところが試合はジーコの3ゴールに絡む活躍でフラメンゴが3-0と圧勝。スペインW杯を半年後に控え、ジーコは1963年にペレのサントス以来となるクラブ世界一のタイトルをブラジルに持ち帰ると同時に、スペインW杯での活躍を予見させたのだった。
その後もトヨタカップはCAペニャロール(ウルグアイ)2-0アストン・ビラ(イングランド。昨シーズンは42年ぶりに4位でフィニッシュしてCLに復帰)。グレミオ(ウルグアイ)2-1ハンブルガーSV(西ドイツ)、CAインデペンディエンテ(アルゼンチン)1-0リバプール(イングランド)と、欧州勢は5連敗に加え、欧州ではダントツの強さを誇ったイングランド勢がノーゴールで敗れ去っていた。
当初は南米勢とイングランド勢の、トヨタカップに賭ける熱意の違いではないか。イングランド勢はチャンピオンズカップ優勝で満足していて、本気でトヨタカップを取りに来ていないのではないかと噂された。
そしてそれは、どうやら本当だったらしい。というのも、南米勢が早めに来日して時差調整をしているのに対し、イングランド勢は来日しても英国時間で生活をしていたからだ。1試合のためだけに時差調整をしていたら、帰国してからのリーグ戦に万全の状態で臨めない。
このため昼夜逆転とまではいかないものの、英国時間で寝起きして、食事の時間もずらしていた。これでは12時キックオフの試合で身体が満足に動くわけがない。普段は寝ている時間だからだ。
日本代表は最近になって選手の意見を採り入れて、睡眠時間や食事時間をヨーロッパ・タイムで過ごすことで時差調整を始めた。しかしイングランド勢は40年以上も前から時差対策を採り入れていたのだから驚くばかりだ。トヨタカップよりもイングランド・リーグの方が彼らにとっては重要度が高かったということは、ちょっと癪に障るけれど。
文・六川亨
山本昌邦の関連記事
FIFAクラブ・ワールドカップの関連記事
記事をさがす
|
|
山本昌邦の人気記事ランキング
1
「簡単な試合ではなかった」史上最速のW杯出場決定の日本代表、一夜明け報告会見で最終予選を振り返る…森保一監督「感謝の気持ち」
21日、日本サッカー協会(JFA)は、日本代表の2026年北中米ワールドカップ(W杯)の出場が決定したことを受け、記者会見を実施した。 20日、北中米W杯アジア最終予選を戦った日本。埼玉スタジアム2002でバーレーン代表と対戦し、鎌田大地、久保建英のゴールで2-0で勝利を収め、8大会連続8度目のW杯出場が決定。3試合を残しての決定は史上最速であり、開催国以外では世界最速での出場決定となった。 3月にはサウジアラビア代表との試合が25日に残り、6月にもオーストラリア代表、インドネシア代表との戦いが残っている中、W杯優勝を目指すチームの強化がスタートする。 決戦から一夜明け、記者会見には森保一監督、遠藤航、そして宮本恒靖会長、山本昌邦ナショナルチームダイレクターも登壇。改めてW排出条件獲得について触れ、最終予選を振り返った。 <h3>◆宮本恒靖JFA会長</h3> 「まずW杯出場ということを決めることができて、日本中の皆さん、世界中で日本代表を応援してくださる皆さんに明るいニュースを届けられたということを非常に嬉しく思っています」 「W杯予選は自分の経験からしても、歴史を振り返っても簡単なものではないと思っています。今回に関しても史上最速で決まった部分はありますが、色々な難しい局面、試合の中で難しい前半戦、サウジ戦のアウェイの前半、ホームのオーストラリア戦、昨日のバーレーン戦も色々なターニングポイントがあったと思いますが、重圧の中で成果を出してくれた監督以下、選手、チームスタッフには改めて敬意を表したいと思っています」 「これからチームは公言している通りW杯優勝を目指して活動していきます。今年の10月、11月にはキリンチャレンジカップ2025を開催することになりました。それらの試合を通して、チームのパワーアップを目指して行けるようなサポートを協会としては考えています」 <h3>◆山本昌邦ナショナルチームダイレクター</h3> 「今予選を通して、森保監督、遠藤キャプテンを中心に、数字上は素晴らしい余裕の突破のように見えますが、1試合1試合、1つ1つのっ局面を見れば、まさしく会長がおっしゃったように、簡単な予選ではなかったと思います」 「選手の力を最大限引き出すべく、コーチングスタッフを中心にその他のサポーティングスタッフも選手以上に多い訳ですが、本当に移動のことであったり、食事のことであったり、ケガのケアであったり、たくさんの素晴らしい選手たちがたくさんいるわけで、その選手たちの力を最大限発揮できるような準備をしてくれたということも、是非みなさんに感じていただければと思います」 「これからW杯は決まりましたが、これから先が我々の本当の勝負だと思いますので、監督、キャプテンが世界の頂点を目指すと言っている以上、我々も本当にそれが達成できるための準備をしっかりしなければいけないと思っています」 「監督がよくおっしゃいますが、ピッチ上だけでなく、皆さんの力を借りて、日本を変え、世界を変えるような挑戦だと思っておりますので、これから先の我々の挑戦をしっかりお伝えいただき、見守っていただければと思います」 <h3>◆森保一監督</h3> 「会長と山本ダイレクターが色々なことをお話しされているので重複してしまうところはあると思いますが、本当に感謝の気持ちというのが一番湧き上がっているところが正直なところです」 「やってきた結果をチームで喜ぶということは、チーム全体で戦ってきた中で、共有させてもらっていますが、我々の戦いを見ていただいたサポーター、サッカーファミリーの皆さん、世界中、日本中で頑張っておられる日本人の皆さんが喜んでくださることが我々の喜びなので、昨日は最低限の結果だと思いますが、色々な方々と喜びを分かち合えたこと、喜ぶ姿を我々が見ることができて本当に嬉しく思っています」 「これから世界一に向けて、新たなチャレンジを積み上げ、そして確実に前進していきたいと思っています。ファン・サポーターの皆さん、スポンサーの皆さん、そしていつも我々の活動に繋げてくださっている47都道府県の皆さんやJリーグの皆さん、普及・育成から我々の活動に繋げてくださっている皆さんに感謝の気持ちを持ちながら、我々の活動を支えてくれているすべての方々に感謝の気持ちを持ちながら、今後も頑張っていきたいと思います」 <h3>◆MF遠藤航(キャプテン)</h3> 「W杯の出場権を獲得できて非常に嬉しく思います。最速での出場権獲得となりましたが、戦ってみて簡単な試合ではなかったという印象が最終予選を戦ってありますし、こうやって結果を残すことができたのも、日頃、会長をはじめ協会スタッフの皆さんのサポートがあり、選手たちはサッカーのみに集中できて、その環境を作ってくれたからこそ、こうやって結果を残すことができました」 「そういった意味では、協会の皆さんに感謝していますし、メディア、ファン、応援してくれた皆さんを含め、ここまでのサポートに非常に感謝しています」 「僕らの目標はW杯優勝で、ここからがまたスタートになると個人的に思っています。選手としてはこれからさらに激しい競争をしていく中で、しっかりチームで切磋琢磨して、これからの準備期間の1試合1試合を大事に戦っていきたいと思うので、引き続き頑張っていきたいと思います」 2025.03.21 20:50 Fri2
