「常に我々は劣勢な立場」強豪を退けた末のアジアの頂点、就任半年のクレスポ監督が回想「最初は誰も信じてくれなかった」

2024.05.26 10:50 Sun
アル・アインに21年ぶりのアジアタイトルをもたらせたクレスポ監督
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アル・アインに21年ぶりのアジアタイトルをもたらせたクレスポ監督
アル・ヒラルのエルナン・クレスポ監督が、アジア王者を喜んだ。『Dzair Sport』が伝えた。2023-24シーズンのAFCチャンピオンズリーグ(ACL)が25日に終了。決勝2ndレグが行われ、アル・アイン(UAE)が横浜F・マリノスを5-1で下し、2戦合計6-3で勝利を収めた。

共にAFCチャンピオンズリーグ(ACL)になってから初のアジアの頂点を目指した戦い。1stレグは横浜FMが粘りを見せて逆転勝利したものの、2ndレグは2-1とアル・アインがリードしていた中で、GKポープ・ウィリアムが前半アディショナルタイムにDOGSOで一発退場。数的不利となると、後半にアル・アインが3ゴールを奪い、21年ぶりのアジアの頂点に立つこととなった。
見事に21年ぶりにアジアタイトルを手にしたアル・アイン。クレスポ監督は2023年11月にチームを指揮し始めており、半年でのビッグタイトル獲得となった。

悲願のアジア制覇を成し遂げた中、喜びを語り、多くの人への感謝を口にした。
「国全体が幸せだ。この感情を言葉で表現することは難しい。選手たちはアル・アインだけではなく、国全体にとっても素晴らしい功績を残した」

「この素晴らしいクラブを指揮する機会を与えてくれた選手だけでなく、クラブの役員にも感謝したい。全てを行うのは選手たちであり、私は幾つかの計画を立て、個人的なトレーニングのやり方を考えるが、全てを行っているわけではない」

アル・アインは今大会では非常に厳しい戦いを繰り広げ、準々決勝ではポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドらを擁するサウジアラビアのアル・ナスルと対戦し、PK戦の末に勝ち上がり。準決勝では34戦無敗を誇ったアル・ヒラルと対戦し、2戦合計5-4で勝ち上がってきた。

常に相手の方が期待値が高かった中での戦いを制し、決勝も1stレグで破れてからの大逆転勝利。選手たちの奮闘を改めて評価した。

「我々はこのタイトルに値する。準々決勝、準決勝、さらには決勝まで、常に我々は劣勢な立場だった。アル・ナスルやアル・ヒラルに対して、優れた成績を収めるに値した」

「最初は誰も我々を信じてはくれなかったが、我々はそれをやり遂げた。この選手たちは大きなことを成し遂げた」


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【スーパーゴール図鑑/インテル編】まるでメッシ! ブラジルの名サイドバックが覚醒した衝撃スラローム

【得点者プロフィール】 マクスウェル(当時25歳) 国籍:ブラジル 所属:インテル ポジション:DF 身長:176cm クルゼイロでキャリアをスタートさせたマクスウェル氏は、アヤックス、インテル、バルセロナ、パリ・サンジェルマン(PSG)と欧州の列強を渡り歩いた。左サイドバックでの起用が多かったマクスウェルだが、アヤックス時代はウイングも務めており、攻撃性能が高く、攻守に存在感を発揮した。 【試合詳細】 日程:2007年4月1日 大会:セリエA第30節 対戦相手:パルマ 時間:後半11分(0-0) <div id="cws_ad">◆DFマクスウェルの華麗なドリブルゴール<br/><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJaeTlxM0w2ZSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> 0-0で迎えた56分に、マクスウェルはタッチラインを割ろうかというボールをギリギリのところでキープ。ライン外にいた第4審判とぶつかりそうになりながら、相手DFダミアーノ・フェロネッティの股間を抜きかわす。 マクスウェルは一度味方FWのエルナン・クレスポにボールを預け、そのまま相手ゴール近くまで攻撃参加。クレスポからのリターンを受けると、ボックス内に侵入しながら相手DF3人の間を繊細なタッチで突破し、最後は強烈なシュートをゴールに突き刺した。 このゴールはマクスウェル氏にとって2006-07シーズンの唯一のゴールだったが、その動きはまるでアルゼンチン代表FWリオネル・メッシを彷彿とさせる見事なゴールであった。 2021.01.03 18:00 Sun

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