ペレやネイマール、カズもプレーしたブラジルの名門・サントスが史上初の2部降格…荒れたサポーターは物を投げ込み、スタジアム外では破壊行為や放火も…
2023.12.07 17:45 Thu
降格未経験の3クラブの一角、サントスが史上初の降格
サッカーの王様・ペレやネイマールなどブラジルを代表する選手たちを輩出している名門・サントスが、史上初の2部降格の悲劇となった。2023シーズンのカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA(ブラジル1部)は、7日に最終節が行われてレギュラーシーズンが終了。名門・サントスは不調が続くと、最終節でフォルタレザに1-2で敗戦。残留を争っていたバイーアがアトレチコ・ミネイロに4-1で勝利し、最終節で降格圏に転落していた。
サントス(17位)、ゴイアス(18位)、コリチーバ(19位)、アメリカ・ミネイロ(20位)の4チームは、2024シーズンはセリエBでプレーすることが決定。ゴイアス、コリチーバ、アメリカ・ミネイロの3チームは、最も多くの降格を経験したチームであり、今回が7度目の降格となった。
一方で、サントスは史上初の2部降格。フラメンゴ、サンパウロと歴史のある2クラブと共にその名誉を保っていたが、今回ついに陥落することとなった。
サントスFCは1912年に誕生した名門クラブ。ブラジルで初めて南米王者に輝くなど歴史があり、セリエAで8度も優勝を経験。前述のペレやネイマールの他、ロビーニョらがプレー。また、現在も現役でプレーするFW三浦知良(オリヴェイレンセ)や前園真聖、菅原智ら日本人選手も在籍経験があるクラブだ。
史上初の悲劇に見舞われたサントス。ホームでの敗戦という屈辱を味わった中、スタジアムの外ではサポーターによる破壊行為や暴動、車への放火など大荒れだった。
試合中にはスタンドから発煙筒や花火が投げ込まれる荒れた状況。試合後には「恥知らずなチーム」と叫ばれ、椅子やものが投げ込まれ続ける事態に。クラブにとって、そしてファン・サポーターにとって初めて味わう悲劇の影響は大きくなっている。
サントス(17位)、ゴイアス(18位)、コリチーバ(19位)、アメリカ・ミネイロ(20位)の4チームは、2024シーズンはセリエBでプレーすることが決定。ゴイアス、コリチーバ、アメリカ・ミネイロの3チームは、最も多くの降格を経験したチームであり、今回が7度目の降格となった。
サントスFCは1912年に誕生した名門クラブ。ブラジルで初めて南米王者に輝くなど歴史があり、セリエAで8度も優勝を経験。前述のペレやネイマールの他、ロビーニョらがプレー。また、現在も現役でプレーするFW三浦知良(オリヴェイレンセ)や前園真聖、菅原智ら日本人選手も在籍経験があるクラブだ。
また、今季限りで鹿島アントラーズを退団したMFディエゴ・ピトゥカが来季から加入することが決定。今季は、昨シーズンまで柏レイソルでプレーしていたMFドッジも所属していた。
史上初の悲劇に見舞われたサントス。ホームでの敗戦という屈辱を味わった中、スタジアムの外ではサポーターによる破壊行為や暴動、車への放火など大荒れだった。
試合中にはスタンドから発煙筒や花火が投げ込まれる荒れた状況。試合後には「恥知らずなチーム」と叫ばれ、椅子やものが投げ込まれ続ける事態に。クラブにとって、そしてファン・サポーターにとって初めて味わう悲劇の影響は大きくなっている。
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ジャンルカ・ヴィアッリの訃報に接して/六川亨の日本サッカー見聞録
「訃報は続く」と言われるが、昨年末のペレに続いて1月8日には元ブラジル代表のストライカー、ロベルト・ディナミッチが腸癌のためリオデジャネイロの病院で死去した。68歳での他界は、やはり早いと言っていいだろう。 彼の名を初めて知ったのは78年アルゼンチンW杯だった。登録名(本名)はロベルト・ジ・オリヴェイラだったが、「ダイナマイトのような強烈なシュートを放つ」ことからジャーナリストがつけたニックネームがロベルト・“ディナミッチ(英語でダイナマイト)”だった。 ただ、78年アルゼンチン大会はCFにレイナウドがいて、ジーコもFW起用されるなど出場機会は限られ、スタメンに定着したのは2次リーグに入ってからだった(ブラジルは無敗だったが3位に終わる)。 そして4年後の82年スペインW杯もエースのカレッカ(元柏レイソル)の負傷により代表に招集されたものの、長身FWセルジーニョの控えに甘んじて、W杯ではニックネーム通りの活躍はできなかった。 そんな彼の訃報より衝撃的だったのが、1月6日に膵癌で死去した元イタリア代表FWのジャンルカ・ヴィアッリだ。まだ58歳という若さだった。 彼のプレーを初めて見たのは86年メキシコW杯の開幕戦、イタリア対ブルガリ戦の後半22分過ぎだった。ブルーノ・コンティに代わって出場したが、ポジションはCFではなく4-3-3の右ウイングだった。 まだ21歳と若く、荒削りな選手という印象を受けた。テクニックがあるわけではなく、どちらかというと屈強なフィジカルを生かし、相手をブロックしながら強引なドリブルでボールを運んでいた。 「イタリア人にしては下手な選手だな」というのが彼のプレーを見た最初の印象で、それは撮影していたカメラマンら同業者も同じ印象だった。そして誰が言うともなく、フリーライターの富樫洋一さん(2006年2月にアフリカ選手権を取材中にカイロで死去。54歳)の強引なプレーと「似ている」と意見が一致。 それを本人に伝えると褒められたと思ったのか、セリエA好きとも相まって後年は自ら『ジャンルカ・トト・富樫』と名乗るようになった。 前回覇者のイタリアは、グループリーグこそアルゼンチンに次いで2位で突破したものの、ノックアウトステージ1回戦でミシェル・プラティニ率いるフランスに0-2で敗れて姿を消した。そしてヴィアッリもこれといった印象を残すことなくメキシコを後にした。 しかしサンプドリアでは、FWロベルト・マンチーニやMFトニーニョ・セレーゾ(元鹿島監督)、DFペーター・ブリーゲルら実力者を揃え、ジェノバのプロビンチャを2シーズン連続して(87―88、88―89)コッパ・イタリア優勝に導いた。 さらに89-90シーズンはUEFAカップ・ウィナーズ・カップで優勝すると、90-91シーズンには初のスクデットを獲得すると同時に得点王にも輝いた。 ところが自国開催の90年イタリアW杯ではサルバトーレ(トト)・スキラッチやロベルト・バッジョらの台頭により活躍の場も少なく、その真価を発揮することはできなかった。 その後はユベントスやチェルシーといった名門クラブに移籍してチームにタイトルをもたらし、チェルシーではプレイングマネジャーとしても活躍。2020年には長年の友人であるマンチーニ代表監督のコーディネーターを務めてEUROの優勝に貢献。1968年の第3回大会の優勝以来、実に52年ぶりとなる欧州制覇だった。 しかし2018年に癌で闘病生活を送っていることを告白。19年には治療のため代表チームのコーディネーターからも外れて治療に専念したものの、残念ながら帰らぬ人となってしまった。 現役時代、全盛時を知っている選手の訃報に接すると心が痛むが、これも時の流れなのだろう。改めて2人の選手が安らかな眠りにつかれるようお祈りしたい。 2023.01.13 16:30 Fri4
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