昨季19ゴールのバロテッリにバレンシアやスイスのシオンが関心か
2022.07.16 15:44 Sat
トルコのアダナ・デミルスポルに所属するイタリア代表FWマリオ・バロテッリ(31)に2つのクラブが興味を示しているようだ。『Sportitalia』が伝えている。
かつてはビッグクラブを渡り歩いたものの、ここ数年はブレシアやモンツァなど、イタリアの小規模クラブでのプレーが続いていたバロテッリ。だが、昨夏に加入したアダナ・デミルスポルでは、公式戦33試合で19ゴール6アシストを記録。今年1月にはイタリア代表の強化合宿に参加するなど、その評価は回復しつつある。
そんなバロテッリに関心を持つのは、バレンシアとスイスのシオン。ジェンナーロ・ガットゥーゾ監督が就任したばかりのバレンシアはチームへテコ入れの最中で、そのイタリア人指揮官が同胞の加入を求めているという。
シオンはすでにコンタクトを取っており、クリスティアン・コンスタンティン会長が「何週間も」交渉を続けていることを明かしている。
アダナ・デミルスポルとの契約を2024年まで残すバロテッリだが、スイス『ブリック』は、同選手は退団を希望していると主張している。
かつてはビッグクラブを渡り歩いたものの、ここ数年はブレシアやモンツァなど、イタリアの小規模クラブでのプレーが続いていたバロテッリ。だが、昨夏に加入したアダナ・デミルスポルでは、公式戦33試合で19ゴール6アシストを記録。今年1月にはイタリア代表の強化合宿に参加するなど、その評価は回復しつつある。
そんなバロテッリに関心を持つのは、バレンシアとスイスのシオン。ジェンナーロ・ガットゥーゾ監督が就任したばかりのバレンシアはチームへテコ入れの最中で、そのイタリア人指揮官が同胞の加入を求めているという。
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7日にバルセロナ戦が控えるベティスの元スペイン代表MFホアキンだが、バレンシア時代の指揮官であるロナルド・クーマン監督との間にいい思い出はなかったと、スペイン『El Larguero』のインタビューで語っている。 2006年から2011年にかけてバレンシアに在籍したホアキンは、2007-08シーズンに現バルセロナ指揮官のクーマン監督を師事していた。だが、オランダ人指揮官に率いられたバレンシアは、コパ・デル・レイこそ制覇したものの、リーグ戦ではわずか4勝しか挙げられず、シーズン途中の4月に解任されていた。 クーマン監督は就任当初、チームの中心メンバーだったGKサンティアゴ・カニサレスやFWミゲル・アンヘル・アングロ、MFダビド・アルベルダを戦力外とし、財政難に陥っていたクラブの改革に着手した。 その中でホアキンは主力として試合に出場したが、当時からその手腕には懐疑的な目を向けていたようだ。 「あれは私のキャリアの中で最高の経験とは言えないものだった。でも私はいつも『人間とはあらゆるものと共存していかなければならない。あの時がそうだったのだ』と言い聞かせてきた」 「正直僕はひどく傷ついたから、あまりこの話はしたくないんだ。幸い最悪な時期は長くは続かず、(コパ・デル・レイ優勝で)何とか挽回してシーズンを終えることができた。(今週末)私は彼に挨拶しないし、彼もしてこないだろう」 2020.11.03 20:17 Tue4
バレンシアのスタンドが5試合閉鎖…ヴィニシウスへの信じられない数々の人種差別行為が理由
スペインサッカー連盟(RFEF)は23日、バレンシアの本拠地であるメスタージャのスタンドの閉鎖を発表した。 RFEFの競技委員会は、21日に行われたラ・リーガ第35節のバレンシアvsレアル・マドリーにおいて、試合中に発生した事案を受けてバレンシアに対してメスタージャのマリオ・ケンペス南スタンドの閉鎖を通達した。閉鎖されるのは5試合となる。 この試合では、マドリーのブラジル代表FWヴィニシウス・ジュニオールに対する人種差別的な行動が大きな問題となっており、当該スタンドからもヘイトクライムが発生。警察を含めて捜査を開始しているという。なお、既にスペイン警察は3名の若者の身柄を拘束している。 バレンシアは異議申し立ての期間が10日間設けられている。 スペイン『アス』によると、今回の事件を重く見たRFEFとラ・リーガ、スペインスポーツ上級委員会(CSD)が早急にこの会議を開催。7時間にわたって議論がなされ、9ページにわたる報告書が作成されたとのこと。ビデオによる証拠や審判団からの報告などに基づいて処分を決定した。 試合中には人種差別的なチャントのほか、物の投げ込みなども確認され、全てがマリオ・ケンペス南スタンドから発生。「最終的に、一部のファンによってフィールド内外で唱えられたチャントの耐え難い人種差別的性質が証明された」と法的根拠としてまとめられているという。 処分決定の背景にある事実は以下の通り。 1.試合開始前、選手たちがメスタージャに入場する際に、レアル・マドリーの選手がバスを降りた後、数百人のファンが「君は猿だ。ヴィニシウス」と叫んでいた 2.主審の報告書に記載されているように、71分にマリオ・ケンペス南スタンドからいくつかのものが投げられた。主審はテクニカルエリアに行き、物を投げるのをやめるように放送でスタジアムに通知するように要請した。その間、ヴィニシウスに対し「猿、猿」と声がかけられ、人種差別プロトコルも発動。この対応もアナウンスされた 3.ヴィニシウスはマリオ・ケンペス南スタンドの1人、または複数の観客を指差し、「彼は僕を猿と呼んだ」と示した。この事件の間、「マドリディスタの雌犬の息子たち」、「クソ黒人のクソ野郎」、「ヴィニシウスの馬鹿者」、「猿、君はクソ猿だ」などと様々な罵声が浴びせられた 4.「愚か者、愚か者」というグループのチャントがその後に発生 5.その後、猿の声を模倣した別のチャント「Uh、uh、uh」が発生 6. 90分での退場の後、スタンド全体で「猿、猿」の合唱が起こり、その後「バカ、バカ」に変わった なお、メスタージャのスタンドが閉鎖されるのは100年の歴史で6度目。これまでは物の投げ込みが原因であったが、今回の事態はそれを遥かに凌ぐ酷い出来事であり、過去最悪の処分となった。 <span class="paragraph-title">【動画】スタジアム入場時からヴィニシウスに人種差別</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="5x5QtL6m3hc";var video_start = 6;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2023.05.24 12:11 Wed5
