「ファミリーの勝利」決勝進出のローマ、モウリーニョ監督は決勝へ意気込み「勝ちたい」
2022.05.06 08:10 Fri
ローマのジョゼ・モウリーニョ監督が、、レスター・シティ戦を振り返った。クラブ公式サイトが伝えた。
ローマは5日、ヨーロッパ・カンファレンスリーグ(ECL)準決勝2ndレグでレスターをホームに迎えた。
1stレグを1-1のドローで終えていた両者。2ndレグで勝利した方が、初の決勝に駒を進めることとなる。
ホームのローマは11分にタミー・エイブラハムがゴールを奪い先制。その後は、GKの好セーブなどもあり鉄壁の守備で無失点に抑え、2戦合計2-1で勝利し、決勝へと駒を進めた。
試合後、モウリーニョ監督は決勝進出を喜び、チームとして、クラブとしての一体感が勝利を呼び込んだと語った。
「他の人たちは別の言い方をするかもしれないが、私の見解ではGKが2つの準決勝の試合で2回のセーブを行ったとき、プレミアリーグのとてもクオリティの高いチームと対戦した時に見せるのは、我々が何か良いことをしたからだと思う」
これまでの行いが勝利を呼び込んだと語るモウリーニョ監督。ECLの試合数に苦言を忘れず、それでも残りのセリエAと決勝で良い結果を残したいとした。
「あまり多くを語らず、ただ、ここにいる人たちは素晴らしく、明らかに決勝に相応しいと言いたい。ただ、月曜日には試合があり、リーグ戦を最高の形で終えるための3試合があり、その後に決勝が残っている」
「いつも同じことの繰り返しだ。素晴らしい軌跡を描いてここまでたどり着いたが、カンファレンスリーグの14試合は多く、セリエAで失った勝ち点によってその代償を払うことになった。でも、今は決勝に行くので、勝ちたい」
ローマは5日、ヨーロッパ・カンファレンスリーグ(ECL)準決勝2ndレグでレスターをホームに迎えた。
1stレグを1-1のドローで終えていた両者。2ndレグで勝利した方が、初の決勝に駒を進めることとなる。
試合後、モウリーニョ監督は決勝進出を喜び、チームとして、クラブとしての一体感が勝利を呼び込んだと語った。
「これはファミリーの勝利だ。フィールドやベンチにいたファミリーだけでなく、スタジアムにいたファミリーもだ。これが我々の最大の長所だ。この共感、家族意識…我々は並外れた試合をした」
「他の人たちは別の言い方をするかもしれないが、私の見解ではGKが2つの準決勝の試合で2回のセーブを行ったとき、プレミアリーグのとてもクオリティの高いチームと対戦した時に見せるのは、我々が何か良いことをしたからだと思う」
これまでの行いが勝利を呼び込んだと語るモウリーニョ監督。ECLの試合数に苦言を忘れず、それでも残りのセリエAと決勝で良い結果を残したいとした。
「あまり多くを語らず、ただ、ここにいる人たちは素晴らしく、明らかに決勝に相応しいと言いたい。ただ、月曜日には試合があり、リーグ戦を最高の形で終えるための3試合があり、その後に決勝が残っている」
「いつも同じことの繰り返しだ。素晴らしい軌跡を描いてここまでたどり着いたが、カンファレンスリーグの14試合は多く、セリエAで失った勝ち点によってその代償を払うことになった。でも、今は決勝に行くので、勝ちたい」
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ローマが新スタジアムの計画を発表した。 ローマは1953年の開場以来、ラツィオと共にスタディオ・オリンピコを本拠地として使用してきた。しかし、幾度か修繕や改修は行っているものの、老朽化が否めないこともあり、クラブは以前から新スタジアム建設への動きを進めていた。 ただ、“地面を掘れば遺跡にあたる”とも言われる「永遠の都」特有の事情もあり、その計画はなかなか進まずにいたが、ライアン・フリードキン副会長とリナ・スルークCEOとローマ市長のロベルト・グアルティエリ氏ら市議会の代表者との会談を経て、新スタジアムの計画を発表した。 『YouTube』での新スタジアムのイメージ動画と共にクラブは今回の計画を以下のように説明している。 「ライアン・フリードキン副会長とリナ・スルークCEOを代表とするASローマのトップマネジメントは、本日、ローマ市長ロベルト・グアルティエリ氏と会談し、クラブの新スタジアムのエキサイティングな計画について話し合いました」 「会議では、プロジェクトの革新性と、フットボールファンと地域社会の両方に約束される数多くのメリットに対する共通の熱意が示されました」 「プロジェクトのビデオプレゼンテーションのリリースは、新しいスタジアムのユニークなビジョンとモダンなデザインを紹介し、熱狂的な反響を呼びました。このビジョンの鍵となるのは、ヨーロッパ最大となる予定の新しいクルヴァ・スッドです。このクルヴァ・スッドは、ASローマのサポーターの揺るぎない情熱の証となるでしょう」 また、フリードキン副会長は、このプロジェクトがクラブだけでなくローマという都市、地域社会においても新たな価値を創造するものになると確信している。 「本日、ローマ市長のロベルト・グアルティエリ氏とお会いし、新しいスタジアムのビジョンを発表できたことを光栄に思います。この素晴らしいスタジアムは、ASローマとそのファンの新しいホームであるだけでなく、ローマ市民全員にとってのランドマークでもあります。ヨーロッパ最大のクルヴァとなる予定の新しいクルヴァ・スッドは、サポーターの情熱とエネルギーを体現する強力な焦点となるでしょう。古典的なローマ建築にインスピレーションを得た象徴的なデザインと最先端の設備を備えたこのスタジアムは、フットボールファンから地元のコミュニティまで、すべての人に世界クラスの体験を提供します」 「ASローマの誇りある管理者として、私たちは、クラブの精神と伝統を体現する空間を創り出すとともに、革新と卓越性の世界的なシンボル、そして環境責任のモデルとなることに尽力しています」 「新スタジアムを環境責任のモデルにするという取り組みは、ローマ市長が指摘したように、クラブの価値観やローマ市のより広範な目標と一致しています」 「両者は、開発のさまざまな側面に焦点を当てる作業グループの設立を含む、プロジェクトを進めるためのロードマップについて話し合い、合意しました。これらのグループは、環境基準とコミュニティの関与に細心の注意を払いながら、プロジェクトがスムーズに進むようにします」 「ASローマとそのリーダーシップは、ファンの体験を向上させるだけでなく、コミュニティと環境にプラスの影響を与えるランドマークを作成することに専念しています。新しいスタジアムプロジェクトは、クラブ、ファン、そしてローマ市の誇りのシンボルとなるでしょう」 <span class="paragraph-title">【動画】ローマの新スタジアム構想が発表!</span> <span data-other-div="movie"></span> <iframe width="640" height="360" src="https://www.youtube.com/embed/RE0m08zRgBo" title=" Towards our new stadium " frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe> 2024.07.25 06:30 Thu2
【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.18“カペッロ・ローマ”スクデットに貢献した中田/ローマ[2000-2001]
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.18</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">2000-2001シーズン/ローマ 〜カペッロ・ローマ〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/2000-01roma.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:ファビオ・カペッロ(54) 獲得タイトル:セリエA 攻撃力8:★★★★★★★★☆☆ 守備力8:★★★★★★★★☆☆ タレント7:★★★★★★☆☆☆ 連係8:★★★★★★★★☆☆ 選手層7:★★★★★★★☆☆☆</p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">常勝のカペッロ・ローマ</div> 1999-00シーズン、同じ街のライバル・ラツィオにスクデットを獲得され、ローマは屈辱のシーズンに終わった。迎えた2000-01シーズン、チームはフィオレンティーナから“ヴィオラの英雄”バティストゥータを獲得。その他、エメルソンやサムエルといった実力者を手に入れて、スクデットを獲得するために十分な戦力を整えた。 リーグが開幕すると、ローマはトッティの創造性溢れるプレーとバティストゥータらストライカーの決定力で破壊的な攻撃を見せつけた。さらに、就任2年目のカペッロ監督が採用する堅い守備戦術も機能し、着実に勝ち点を積み重ねていく。結局、序盤戦からほぼ独走状態を続けたチームは22勝9分3敗、68得点という成績で18年ぶり3回目のスクデットを戴冠した。 2年目のシーズンとなった当時の日本代表MF中田は、あくまでトッティの控えという位置付けだった。それでも腐らなかった中田は終盤戦の第29節、2位ユベントスとの天王山で大仕事をやってのける。2点ビハインドの中、トッティに代わって投入された中田は、見事なミドルシュートでゴールを奪取。さらに、再び自身のシュートからモンテッラの同点弾を演出した。この大一番での活躍が、ローマのスクデット獲得をより確実なものにしたといっても過言ではないだろう。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">前線のトライアングル</div> カペッロ監督の下、チーム内に規律と結果へのこだわりを植え付けられたローマ。守備面では、3バックの中央に入ったサムエルを中心に堅守を披露。ウイングバックに入ったカフーとカンデラは豊富な運動量で上下動を繰り返した。また、ボランチのエメルソンとトンマージが中盤で相手から自由を奪う。 そして、主に攻撃を担当したのが前線の3枚。トップ下に入るトッティを中心としたトライアングルで高速カウンターを仕掛けて得点を重ねた。中田がこの当時、ローマの攻撃がボールを縦に運ぶのが速すぎると漏らしたほど、彼らはボールを縦へ縦へと繋いで相手ゴールを目指した。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">MFフランチェスコ・トッティ(23)</span> ローマの“プリンチペ(王子)”が自身の愛する街に栄冠をもたらした。豪快なシュートに加え、柔らかなタッチのトラップやパスなど、ファンタジー溢れるプレーで攻撃陣を操った。13ゴール挙げるなど得点力を発揮したトッティは、ローマのバンディエラとして現役生活を終えた。 2019.04.12 12:00 Fri3
【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.34“スパレッティの0トップ”セリエA記録となる破竹の11連勝/ローマ[2005-06]
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.34</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">2005-2006シーズン/ローマ 〜スパレッティの0トップ〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/2005-06roma.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:ルチアーノ・スパレッティ(48) 攻撃力8:★★★★★★★★☆☆ 守備力7:★★★★★★★☆☆☆ タレント7:★★★★★★★☆☆☆ 連係10:★★★★★★★★★★ 選手層7:★★★★★★★☆☆☆ </p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">セリエA記録となる破竹の11連勝</div> クラブ史上初のスクデットをもたらしたカペッロ監督が去った2004-05シーズンは、結果が出ずに1シーズンで4人の監督交代が相次ぐなど低迷したローマ。そこで、ウディネーゼで3位という好成績を残したスパレッティ監督に白羽の矢を立てると、翌シーズンに復活を遂げる。 序盤戦こそ不安定な戦いが続いたが、“0トップシステム”を用いるスパレッティ監督の戦術が浸透し始めた第22節から当時のセリエA記録となる破竹の11連勝を達成。カルチョーポリの影響でユベントス、ミラン、フィオレンティーナの3チームがセリエB降格や勝ち点剥奪となったため、2位に繰り上がってシーズンを終えた。 スパレッティ監督に率いられた“ジャッロロッソ”は、その後の2006-07シーズンと2007-08シーズンにおいてもチームの完成度を高めて上々の成績を残した。セリエA・2位、チャンピオンズリーグ・ベスト8、コッパ・イタリア制覇をそれぞれ2年連続で成し遂げ、その称賛された戦術とともに素晴らしいチームとしてヨーロッパに君臨する。ただ、ユベントスが低迷していた当時のセリエAにおいて最強を誇ったインテルの後塵を拝し、スパレッティの下でスクデットを獲得することはなかった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">スパレッティの0トップ</div> 純粋なセンターフォワードがいなかったため、スパレッティが編み出した策がトッティを最前線に置く0トップシステム。このバンディエラのキープ力を軸に、2列目の選手が空いたスペースに飛び出していくという、当時は稀な戦術を用いた。 中盤に下りてボールを受けるトッティは、抜群の展開力で2列目の選手の飛び出しを生かしつつ、ゴール前に顔を出してチーム最多の得点数を記録。ペッロッタ、マンシーニ、タッデイといった2列目は機動力を生かしてボールを引き出し、縦に鋭いサイドアタックを披露した。 ボランチにおいても、巧みな配球を行うデ・ロッシやアクイラーニは前線に飛び出すプレーを披露。また、守備ではメクセスとキブが好連係で相手の攻撃を防ぎ、両サイドバックのパヌッチやクフレが攻守のバランスを取った。2006-07シーズンと2007-08シーズンはサイドハーフもこなせるカッセッティ、トネット、シシーニョらがサイドバックを務めて攻撃力を格段に高めた。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">MFシモーネ・ペッロッタ(28)</span> スパレッティ監督によって新境地を開拓したのがペッロッタだ。2001-02シーズンに躍進を遂げたミラクル・キエーボでは中盤を支えるハードワーカーだった2006年のW杯優勝メンバーは、ローマでトップ下の位置を与えられると完璧に順応。卓越したテクニックはなくとも、豊富な運動量と高度な戦術眼で周囲と絡みながら幾度もチャンスを演出し、司令塔タイプと異なる新たなトップ下像を印象づけた。 2019.04.20 12:00 Sat4
34歳パストーレ現役引退へ「痛みに耐えられない」「楽しかったサッカーが罰に」
元アルゼンチン代表MFハビエル・パストーレ(34)がやはり現役引退へ。 淡いピンクのユニフォームを纏ったパレルモ時代に脚光を浴び、以後パリ・サンジェルマン(PSG)、ローマでもプレーしたパストーレ。端正な顔立ちも人気を博した正真正銘のクラックだ。 しかし、そんな彼の現在地は「無所属」。昨夏カタール・スターズリーグのカタールSCを半年で退団後、どのクラブにも属しておらず、以前から問題を抱える股関節の状態が極めて良くないことを明かしている。 今回、アルゼンチン『La Nacion』の取材では、耐え難い股関節の痛み、そしてそれに伴う苦しみに苛まれてきたことを告白。どうやら心は現役引退で固まってるようだ。 「痛みに耐えられなかった…目覚めの瞬間に気分が悪くなり、自然と脳が僕に『もうサッカーを辞める時だ』と語りかけていた。けど、僕自身が受け入れられず、苦しむことを決めたんだ」 「サッカーを続けるためにできることは全て試してみた。けど、望む結果は何もない。練習とプレーは再開できたが、日々の生活は悪いまま。一度紅白戦をやってみたら、その後2日間ベッドで寝て過ごすことになったんだ…痛みでね」 「消耗しきった股関節に再び負荷をかける…有害みたいだ。痛みは以前にも増して大きくなり、サッカーが楽しみではなく、ただの罰になってしまったよ。子どもたちとボールを蹴ることさえままならない」 「今は左足の股関節に人工股関節を入れてある。すべてセラミックでね。毎朝リハビリに励み、なんとか生活は元通りだ。『普通の生活』がこんなにハッピーだなんてね」 「この数年間、常に現役引退の準備をしてきた。股関節が元気だったころ、僕はフットボーラーとしてなんだってできると信じていた…今日の僕はピッチに立つことを一切考えていない」 「ここからさらに回復して、もしランニングして良い気分を維持できたら…その時はもっともっと走りたくなるだろうね。それだけで満足だ」 “El Flaco(エル・フラコ=やせぽっち)”ハビエル・パストーレ。美しい出立ちとプレーの数々でファンを楽しませた男は、スパイクを脱ぐ。 2024.03.22 18:10 Fri5