ジダン、エル・クラシコ勝利誇るも疲労懸念…「選手たちのフィジカルは限界にきている」
2021.04.11 10:45 Sun
レアル・マドリーのジネディーヌ・ジダン監督が振り返った。スペイン『マルカ』が伝えている。
レアル・マドリーは10日に行われたラ・リーガ第30節でバルセロナと対戦して、2-1の勝利。2点先行の後半に1点を返されたが、1点のリードを守り抜き、アトレティコ・マドリーが首位を走る優勝争いに踏みとどまった。
今季2度目のエル・クラシコも制して、これで公式戦13試合11勝2分けのレアル・マドリー。ジダン監督は試合後、「良い感触がある。良いスタートも切れた。相応しい勝利だ。3点目のチャンスも作れていたしね」と話した。
そんなレアル・マドリーは翌日に今節のベティス戦を残すアトレティコ・マドリーを抜いて暫定首位に躍り出たが、フランス人指揮官はそこを重要視せず、タイトなスケジュールによる選手たちの疲労具合を懸念している。
「暫定首位の何の意味もない。まだまだ長い道のりだ。今日はもう休まないと。厳しい2試合が続いたのだからね。今はとにかく休まないと。選手たちのフィジカルは限界にきている。どうシーズンが終わるのかわからない」
「感じ方は人それぞれだ。レフェリーがPKを宣告しなかったのはPKじゃなかったからだと思う。大事なのはピッチ上で何をしたのかということ。バルセロナは素晴らしいチームであり、苦しめられた。レフェリーのせいだとは言えない」
レアル・マドリーは10日に行われたラ・リーガ第30節でバルセロナと対戦して、2-1の勝利。2点先行の後半に1点を返されたが、1点のリードを守り抜き、アトレティコ・マドリーが首位を走る優勝争いに踏みとどまった。
今季2度目のエル・クラシコも制して、これで公式戦13試合11勝2分けのレアル・マドリー。ジダン監督は試合後、「良い感触がある。良いスタートも切れた。相応しい勝利だ。3点目のチャンスも作れていたしね」と話した。
「暫定首位の何の意味もない。まだまだ長い道のりだ。今日はもう休まないと。厳しい2試合が続いたのだからね。今はとにかく休まないと。選手たちのフィジカルは限界にきている。どうシーズンが終わるのかわからない」
また、バルセロナのロナルド・クーマン監督が試合後にPKの見逃しやアディショナルタイムの少なさなど、審判の判定に対する不満を吐露したが、ジダン監督はその件を問われると、意見を汲み取りながら見解を示した。
「感じ方は人それぞれだ。レフェリーがPKを宣告しなかったのはPKじゃなかったからだと思う。大事なのはピッチ上で何をしたのかということ。バルセロナは素晴らしいチームであり、苦しめられた。レフェリーのせいだとは言えない」
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ピッチに投げ入れられた最も衝撃的なものはなんだろうか。 21日に行われたリーグ・アン第14節のリヨンvsマルセイユでは、スタンドから中身が入った状態のペットボトルが投げ入れられた。これがMFディミトリ・パイエの左耳付近を直撃し、パイエは頭を押さえながら倒れ込んでしまう。試合は一時中断を経て、中止にまで追いやられる事態となっていた。 19年前のエル・クラシコ、2002年11月23日に行われたカンプ・ノウでのバルセロナvsレアル・マドリーの一戦では、豚の頭がピッチに投げ入れられたのを覚えているだろうか。 元ポルトガル代表FWルイス・フィーゴは2000年夏にバルセロナからレアル・マドリーへという禁断の移籍を決行。バルセロナのファンからは猛烈な反感を買っていた。前述のクラシコで、マドリーの一員としてカンプ・ノウに足を踏み入れたフィーゴに対してはブーイングの嵐。ライターやコインなども投げ入れられた。 その中でも異色だったのが豚の頭だ。CKでボールをセットした際に、あるバルセロナのファンがフィーゴに向かってそれを投擲。当たりはしなかったものの、様々な意味で衝撃を与えたことは間違いなかった。 当時のクラシコは一時中断こそしたものの、試合は継続。ゴールレスに終わっている。何事もなかったために、笑い話として語れるものの、ケガにつながっていれば大きな問題に発展していたことは間違いないだろう。 <span class="paragraph-title">【写真】ピッチに投げ入れられた豚の頭</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">On this day in 2002, Barcelona fans threw a pig's head at Luis Figo before he took his corner at the Camp Nou <br><br>Figo left Barca for Real Madrid two years earlier. <a href="https://t.co/j3ZgOQ85dW">pic.twitter.com/j3ZgOQ85dW</a></p>— B/R Football (@brfootball) <a href="https://twitter.com/brfootball/status/1463119883055599616?ref_src=twsrc%5Etfw">November 23, 2021</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2021.11.24 22:10 Wed3
代表戦で衝突のアルダ・ギュレルとソボスライがSNSで場外戦…出場時間揶揄に対してマドリーMFが痛烈な返し
レアル・マドリーのトルコ代表MFアルダ・ギュレルとリバプールのハンガリー代表MFドミニク・ソボスライがSNS上で場外戦を繰り広げている。 両国は今回のインターナショナルマッチウィークに行われたUEFAネーションズリーグ(UNL)2024-25・リーグA/B昇降格プレーオフで激突。 トルコホームの1stレグをトルコが3-1で先勝していたなか、ハンガリーホームで行われた23日の2ndレグもトルコが3-0で快勝。2戦合計6-1の完勝でリーグA昇格を決めていた。 同試合ではチーム2点目を挙げたギュレルが1年前のフレンドリーマッチでも衝突が伝えられ、今回の再戦でもバチバチとやり合っていたソボスライに激しく詰め寄られた際に「黙れ」のジェスチャーを行い、小競り合いとなっていた。 ここまでであれば、試合中によくある揉め事として流されるはずだったが、試合後も怒りが収まらないハンガリー代表のキャプテンはハンガリー『Nemzeti Sport』がインスタグラムに投稿した当該のやり取りを収めた写真に対して、「1088」とのコメントを残した。 この数字はカルロ・アンチェロッティ監督の下、ポジション争いで苦戦するギュレルのマドリーでの今シーズンのプレータイムを揶揄したものとされ、物議を醸していた。 これに対して血気盛んな20歳MFも黙っておらず、自身のインスタグラムのストーリーズで反撃。「この男は冗談だ。6ゴールで黙るには十分じゃないのか?」とのキャプションとともに同じ画像とトルコの3-0のスコアを写した画像を投稿。 さらに、画像をよく確認すると、ハンガリーのスコアの下に「ソボスライ 1インスタグラムコメント」と細かな加工も加えられており、痛烈に煽り返した。 ここに至る両選手の衝突の経緯はわからず、外野がとやかく言うべきではないが、ひとまず互いに冷静さを取り戻し、今後は場外戦ではなく改めてピッチの上で白黒つけたいところか。 2025.03.25 06:30 Tue4
コパ決勝クラシコで2アシスト、優勝に貢献したヤマルはマドリーに「今季彼らは僕らに勝てない」と豪語
バルセロナのスペイン代表FWラミン・ヤマルがレアル・マドリーに対して豪語した。 ヤマルは26日に行われたコパ・デル・レイ決勝マドリー戦で先制点と2点目をアシスト。延長戦の末3-2で勝利したチームの優勝に大きく貢献していた。 コパ・デル・レイ決勝での勝利により今季のクラシコの戦績はバルセロナの3戦3勝となった中、ヤマルは試合後のインタビューで「例え1点決められても、2点決められても関係なかった。今季彼らは僕らに勝てない。それが証明された」と豪語。 優勝決定後には派手なサングラスを着用してお茶らけていたヤマル。17歳の言動が来月11日に行われるラ・リーガでの今季最後となるエル・クラシコにどのような影響を与えるだろうか。 2025.04.27 13:00 Sun5
