インテル3冠の一員、”黒豹”エトーの類稀なスピードと決定力【ハットトリック・ヒーローズ】
2020.10.05 18:10 Mon
サッカーにおいて、1試合で3得点以上を決めることを表す「ハットトリック」。元々はクリケットで打者を三者連続アウトにすることをそう呼んでいた。(クリケットにおいて打者を連続でアウトにすることは相当難易度が高い)サッカー選手にとって、「ハットトリック」は実力を証明する功績でもあるが、そう簡単にはお目にかかれない。この企画『HAT-TRICK HEROES』では記憶に残る「ハットトリック」を紹介していく。
今回は、元カメルーン代表FWのサミュエル・エトー氏がインテル時代に決めたハットトリックだ。
バルセロナでゴールを量産していたエトー氏だが、クラブとの関係悪化もあり、2009年にFWズラタン・イブラヒモビッチとのトレードでインテルに加入。
優れた身体能力と得点力の高さを活かし、インテルでも得点を量産すると、いきなりの三冠達成に貢献するなど、イタリアでも見事な活躍を見せた。
まずは21分、インテルが相手のミスからボールを奪うと、MFエステバン・カンビアッソがエトーにパスを出す。相手DFラインの裏へと抜け出したエトーは、ボックス左からアウトサイドシュートで相手GKの股を抜き、見事な先制点を奪ってみせる。
さらに27分には、最終ラインのDFルッシオからのフィードを、エトーが絶妙なトラップで受けると、そのままボックス右に侵入し、右足でゴールへと沈め、追加点を奪う。
インテルは前半の内にもう1点を加え、3-0で後半を迎えると、試合終盤の81分にはカウンターのチャンスからMFヴェスレイ・スナイデルのスルーパスにエトーが抜け出し、最後は相手GKもかわして無人のゴールへと流し込んだ。
抜群のスピードと決定力でハットトリックを達成したエトー氏。インテルでの3シーズンで102試合53ゴールを記録している。
今回は、元カメルーン代表FWのサミュエル・エトー氏がインテル時代に決めたハットトリックだ。
◆エトーのスピードと決定力は圧倒的!カメラを奪うゴールパフォーマンスも健在
バルセロナでゴールを量産していたエトー氏だが、クラブとの関係悪化もあり、2009年にFWズラタン・イブラヒモビッチとのトレードでインテルに加入。
優れた身体能力と得点力の高さを活かし、インテルでも得点を量産すると、いきなりの三冠達成に貢献するなど、イタリアでも見事な活躍を見せた。
2010年9月29日に行われたチャンピオンズリーグ(CL)のグループリーグ、ブレーメン戦では
まずは21分、インテルが相手のミスからボールを奪うと、MFエステバン・カンビアッソがエトーにパスを出す。相手DFラインの裏へと抜け出したエトーは、ボックス左からアウトサイドシュートで相手GKの股を抜き、見事な先制点を奪ってみせる。
さらに27分には、最終ラインのDFルッシオからのフィードを、エトーが絶妙なトラップで受けると、そのままボックス右に侵入し、右足でゴールへと沈め、追加点を奪う。
インテルは前半の内にもう1点を加え、3-0で後半を迎えると、試合終盤の81分にはカウンターのチャンスからMFヴェスレイ・スナイデルのスルーパスにエトーが抜け出し、最後は相手GKもかわして無人のゴールへと流し込んだ。
抜群のスピードと決定力でハットトリックを達成したエトー氏。インテルでの3シーズンで102試合53ゴールを記録している。
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ダビデ・フラッテージはインテルで途中出場要員脱却、定位置確保なるか。イタリア代表での活躍により注目が集まっている。 24歳フラッテージは22-23シーズンまで所属したサッスオーロで脚光を浴び、昨夏複数クラブの争奪戦を経て、インテル入り。 間違いなくセリエA有数のセントラルハーフだが、インテルではシモーネ・インザーギ監督があまりターンオーバーしないこと、35歳MFヘンリク・ムヒタリアンの鉄人ぶりが際立つこともあり、1年以上途中出場要員が続く。 そんなフラッテージ、ユーロ2024終了でリスタートしたイタリア代表にて、今月のフランス戦、イスラエル戦に2試合とも先発出場し、2戦連発。スパレッティ体制では同監督の初陣だけが未出場で、15試合連続起用と信頼も厚い。 そんな状況だけに、インテルでの定位置確保に期待が高まり、アントニオ・カッサーノ氏は「フラッテージはバレッラより良い」とも。その逆に「今後は新加入ジエリンスキの方が重宝される」などなど、国内の議論が加熱する。 イタリア『カルチョメルカート』の社説は、「フラッテージは昨季よりプレータイムが増えるだろう。必ずしも35歳ムヒタリアンの控えというわけではない」というもの。 ただし、代理人が今夏インテル本社を訪れ、クライアントの出場機会に関して念を押したそうで、状況が好転しないなら選手共々移籍を希望か。代理人自らインテル訪問を認めている。 昨夏の移籍先がインテル以外ならほぼ全ての試合に先発できていた…かもしれないフラッテージ。今後が注目されている。 <span class="paragraph-title">【動画】鋭いボールハントで得点をお膳立てしたフラッテージ</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">Moise Kean in the right place at the right time <a href="https://twitter.com/hashtag/NationsLeague?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#NationsLeague</a> <a href="https://t.co/YZnnunQTWY">pic.twitter.com/YZnnunQTWY</a></p>— UEFA EURO 2024 (@EURO2024) <a href="https://twitter.com/EURO2024/status/1833867266988834856?ref_src=twsrc%5Etfw">September 11, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.09.13 13:35 Fri4
長友の元同僚グアリン、自殺未遂と現在の生活を明かす「飛び降りれば解放される」
かつてインテルなどで活躍した元コロンビア代表MFフレディ・グアリン氏(38)は現在、リハビリ施設で生活しているのだという。 かつてポルトやインテル、またボカ・ジュニアーズや上海申花などに在籍したグアリン氏。インテル時代は同い年の日本代表DF長友佑都と共にプレーし、コロンビア代表としては、2014年W杯の日本戦にフル出場した経験を持つ。 氏は母国クラブに在籍していた2021年4月、泥酔状態で家族に暴行を加えたとして逮捕。7月にクラブを退団して以降は引退状態となり、翌年にはアルコール依存症を公表した。 ブラジル時代の2020年初頭に待ち受けていた妻との別居により、人生の歯車が狂ってしまった…と打ち明けているなか、このたびコロンビア『Radio Caracol』では、同時期に自殺を図ったことも明らかにしている。 「ファヴェーラ(スラム街)へ行き、避妊具なしにあらゆる女性と関係を持った。丸10日間、酒に酔っている状態だったと言える。リスクを自ら探し、アドレナリン、武器を見つけようと本気だったんだ。自分自身を図るものさしは持ち合わせていなかった」 そんななか、世界はコロナパンデミックへ。 「そして、リオデジャネイロで住んでいたアパートの17階だけが居場所となり、そこ以外の全てから切り離された人生になってしまった。飛び降りれば解放される…とね」 「けっきょく、飛び降りた。幸い、バルコニーには透明な転落防止スクリーンが付いていたことを、その時初めて知ったんだ」 2024年現在、グアリンはコロンビアのリハビリテーションクリニックで生活中。アルコール依存症治療の一環として、馬の世話などをしているという。また、アスリート向けのメンタルヘルスキャンペーンの米国大使に就任することも決定しているそうだ。 <span class="paragraph-title">【動画】懐かしきグアリン砲</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="und" dir="ltr">Fredy Guarín! <br><br> <a href="https://twitter.com/hashtag/OTD?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#OTD</a> in 2012, Guarín joined <a href="https://twitter.com/Inter?ref_src=twsrc%5Etfw">@Inter</a> <a href="https://twitter.com/hashtag/UEL?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#UEL</a> | <a href="https://twitter.com/hashtag/FlashbackFriday?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#FlashbackFriday</a> <a href="https://t.co/O2tgVla9yq">pic.twitter.com/O2tgVla9yq</a></p>— UEFA Europa League (@EuropaLeague) <a href="https://twitter.com/EuropaLeague/status/1223211112038129667?ref_src=twsrc%5Etfw">January 31, 2020</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.11.19 13:35 Tue5
