何人抜くの!?20世紀のドリブルゴールBEST3

2020.08.11 15:45 Tue



3位:バルサ時代のマラドーナがレアルDFをあざ笑う超絶ドリブル弾


1982-83シーズン
レアル・マドリー
ディエゴ・マラドーナ(バルセロナ)

2位:誰もが騙される!ジダンがゴール前で見せた絶妙キックフェイントからのエレガントゴール


1997年4月23日
チャンピオンズリーグ準決勝2ndレグ アヤックス戦
ジネディーヌ・ジダン(ユベントス)

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【伝説のチーム】マラドーナ全盛期のナポリはどんなチーム?後に柏でプレーするFWカレカにゾラの名も

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W杯初の悲劇を味わった、世界を魅了した“ファンタジスタ”ロベルト・バッジョ

カタール・ワールドカップ(W杯)もいよいよ3位決定戦と決勝のみとなり、どちらが優勝するのかを世界中の人々が注目している。 今回が22回目の開催となったW杯は、初の冬開催、初の中東開催となり、これまで夏に行われてきた大会とはまた違った様相を呈している。 4年後の2026年に行われる、アメリカ・カナダ・メキシコの共催W杯では、出場国が32カ国から48カ国に増えることとなり、また違った形での楽しみが増えることになるだろう。 思えば、アメリカW杯が開催されたのは1994年。そこから32年が経過して再び開催される北米でのW杯だが、そこに日本代表が辿り着けなかったのが“ドーハの悲劇”と呼ばれる予選での出来事だった。 この大会では、予選でも各地で波乱が起こり、ヨーロッパではイングランド代表とフランス代表が敗退。南米ではアルゼンチンが大陸間プレーオフに回る事態となるなどした。 そんな中で迎えた本大会だが、初出場のナイジェリア代表、サウジアラビア代表が決勝トーナメントに進出したかと思えば、アルゼンチンはディエゴ・マラドーナがドーピング検査で陽性となり追放となるなど、本大会でも波乱続き。それでも決勝は、ブラジル代表vsイタリア代表という強豪が顔を合わせた。 <span class="paragraph-subtitle">◆W杯初のPK戦決勝で起きた悲劇</span> この大会、最も印象的なシーンとも言って良いのが、決勝戦。“ファンタジスタ”として多くのサッカーファンを魅了した、イタリア代表FWロベルト・バッジョの姿ではないだろうか。 ポニーテールをなびかせ、魅力あふれるテクニカルなプレーで世界を沸かせていたバッジョ。準決勝までに5ゴールを記録し、チームを牽引していた。 共に過去3度のW杯優勝経験がある強豪国同士の4度目を懸けた一戦は、炎天下の中ゴールレスで120分間が終了。W杯決勝では史上初となるPK戦に突入した。 イタリアは1人目のフランコ・バレージが失敗。そして、4人目のFWダニエレ・マッサーロも失敗する。ブラジルは順当に決めていく中、イタリアGKジャンルカ・パリュウカが1つセーブ。イタリア5人目のキッカーにバッジョが登場し、決めてブラジルにプレッシャーをかけたかったが、シュートはバーの遥か上に飛んで行き試合終了となった。 バッジョがうつむき立ち尽くす姿は、誰もが見たことがあるワンシーンではなかろうか。PK戦での敗退という残酷な結末が決勝で待っていたのは、この大会が初めてだった。 <span class="paragraph-subtitle">◆イタリアでのキャリアを全うした“ファンタジスタ”</span> バッジョは決してエリートではなく、セリエC1のヴィチェンツァでプロデビュー。しかし、そこで活躍を見せると1985年にセリエAのフィオレンティーナへと完全移籍する。 しかし、契約からわずか2日後に右ヒザ十字じん帯を断裂。リーグ戦に出場できないと、翌年もケガでほぼ稼働できず。それでもケガが癒えると、持ち味である得点力が花開き、1990年には当時の史上最高額の移籍金でユベントスに加入。この移籍にはファンが怒り、暴動が起きるほどの人気ぶりだった。 ユベントスではさらに得点力が磨かれ、チームのタイトル獲得にも貢献。1994年にはバロンドールを受賞した。 しかし、1994-95シーズンは再び負傷に悩まされると、チームからの移籍を決断。レアル・マドリー、マンチェスター・ユナイテッドが手を挙げる中、ミランへと完全移籍。その後は、ボローニャ、インテル、ブレシアと、イタリアでキャリアの全てを捧げることとなった。 キャリアの終盤でもケガに悩まされ、2002年の日韓W杯前にも左ヒザ十字じん帯を負傷。半年の離脱となり、W杯絶望と見られた中、まさかの2カ月で復帰。その後はリーグ戦でゴールも決めていたが、W杯メンバーには選ばれず。2004年に現役を引退した。 <span class="paragraph-subtitle">◆予測不能なプレーの連続</span> ロベルト・バッジョは“ファンタジスタ”と呼ばれる通り、テクニックに優れ、誰も予想が付かないプレーを試合中に見せることが特徴。ゴールを決めることはもちろん、決定的なパスを出すこと、そしてアイデア溢れる選択で観客だけでなく、相手選手も驚かせるところがその由来だ。 ゴール、アシストとサッカーの醍醐味であるプレーを司る姿は、イタリアだけに留まらず、世界中のファンが見惚れるほど。ちなみに幼少期の憧れはブラジル代表として活躍したジーコという逸話もある。 また、日本代表でもかつて活躍し、セリエAでもプレー経験があるFW三浦知良は同じ年齢。誕生日も8日しか違わず、交流を持っていることでも知られる。 現代サッカーにおいては希少な存在となった“ファンタジスタ”。多くの人が憧れたバッジョのような選手がこの先に現れるのか。新たな“ファンタジスタ”の誕生を多くの人が望んでいる。 <div id="cws_ad"><hr>イタリア代表で活躍し、セリエAでキャリアを全うした“ファンタジスタ”ロベルト・バッジョが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>現役時代に魅せたプレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。<a href="https://ryan.onelink.me/C7cD/5uev4c53" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/sega20221215.jpg" style="max-width:100%;"></div></a></div> <span class="paragraph-title">【動画】バロンドールも受賞したバッジョのユベントス時代の輝き</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiIxWEh4QmVYWSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> イタリア代表で活躍し、セリエAでキャリアを全うした“ファンタジスタ”ロベルト・バッジョが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場! 現役時代に魅せたプレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。 <a href="https://ryan.onelink.me/C7cD/5uev4c53" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/sega20221215.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> 2022.12.15 20:00 Thu
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表彰見送りの「バロンドール」がドリームチームを発表!現役からはメッシ&C・ロナウドが選出

世界の年間最優秀選手に贈られる賞である「バロンドール」。今年は新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大の影響により表彰が中止となっていた。 しかし、主催する『フランス・フットボール』はバロンドールの審査員選定の「バロンドール・ドリームチーム」を発表した。 <div id="cws_ad">◆C・ロナウド、100試合出場のユベントスで決めたゴール集!<div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJ2NXR1dUdmeiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> 選定された11名はバロンドール受賞者に限らず、改めて『フランス・フットボール』の審査員が各ポジションから選出。[3-4-3]のシステムで選ばれている。 <span class="paragraph-title">GK:レフ・ヤシン(ソビエト連邦)</span> GKは唯一のバロンドール受賞者で“黒蜘蛛”の異名を誇った元ソビエト連邦代表GKレフ・ヤシンが選ばれた。1963年のバロンドールを受賞したヤシンは、GKとして唯一の受賞者。また、2019年からGK版のバロンドールと言われる「ヤシン・トロフィー」が創設され、唯一の受賞者として賞に命名されていた。 <span class="paragraph-title">CB:カフー(ブラジル)</span> 右のセンターバックはブラジル代表で活躍したカフー。バロンドールとは縁がないが、ローマやミランでプレーしセリエAで10年間プレー。1994年のアメリカ・ワールドカップ(W杯)、2002年の日韓W杯と2度のW杯制覇を成し遂げていた。 <span class="paragraph-title">CB:フランツ・ベッケンバウアー(ドイツ)</span> 中央のセンターバックはドイツのレジェンドであり“皇帝”と呼ばれたフランツ・ベッケンバウアーだ。1972年と1976年に2度バロンドールを受賞。DFとして3人しかいない受賞者のうちの1人であり、DFとして2度受賞した唯一の選手。最終候補にはさらに2度入ったこともある。 <span class="paragraph-title">CB:パオロ・マルディーニ(イタリア)</span> 左のセンターバックはイタリア代表として活躍し、ミラン一筋でキャリアを終えたパオロ・マルディーニ。バロンドールの受賞経験はないものの、ミランんで900試合以上プレーしたレジェンド。キャプテンとして長らくチームを牽引した。 <span class="paragraph-title">MF:ローター・マテウス(ドイツ)</span> ボランチの一角は“闘将”として知られる元ドイツ代表のローター・マテウス。1990年にバロンドールを受賞。ボランチ、そしてリベロとして活躍。ドイツ代表でも150試合に出場しているレジェンドだ。 <span class="paragraph-title">MF:チャビ・エルナンデス(スペイン)</span> もう1人のボランチはバルセロナで活躍した元スペイン代表のチャビ・エルナンデスだ。卓越したパスセンスを武器にバルセロナを長年支えるも、バロンドールの受章はなし。3位に3度選ばれた経験がある。 <span class="paragraph-title">MF:ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)</span> 攻撃的なミッドフィルダーの1人は、先日他界し世界中が悲しみにくれたアルゼンチンのレジェンド、ディエゴ・マラドーナだ。言わずもがな、サッカー界のレジェンドだが、現役当時はバロンドールの受賞資格がなかったために受賞はなし。しかし、バロンドール60周年を迎えた2016年に再評価。1986年と1990年の2度受賞したことになっている。 <span class="paragraph-title">MF:ペレ(ブラジル)</span> 攻撃的なミッドフィルダーの1人は、同じくサッカー界のレジェンドである元ブラジル代表FWペレだ。サッカー界No.1のレジェンドでもあるペレだが、マラドーナ同様にバロンドールの受賞資格はなし。しかし、再評価により7度の受賞が認められ、史上最多になっていたこととなる。 <span class="paragraph-title">FW:リオネル・メッシ(アルゼンチン)</span> 右ウイングはバルセロナのエースであり、史上最多6度のバロンドール受賞を誇るアルゼンチン代表FWリオネル・メッシだ。昨年のバロンドール受賞者であるメッシは、過去に4年連続受賞を誇るなど世界最高峰の1人。2位も5回経験がある。 <span class="paragraph-title">FW:クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル)</span> 左ウイングはメッシとともに現代サッカー界のトップに君臨するユベントスのポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド。メッシに次いで5度のバロンドール受賞歴があ理、2011年から9年連続最終候補3名に入っている。 <span class="paragraph-title">FW:ロナウド(ブラジル)</span> センターフォワードはバルセロナ、レアル・マドリー、インテル、ミランなどで活躍した元ブラジル代表FWロナウドだ。バロンドールは1997年と2002年の2度受賞。ケガに悩まされるキャリアだったが、“フェノーメノ”の愛称の通り、全盛期は誰も止められないプレーを披露し数多くのゴールを奪った。 ◆バロンドール・ドリームチーム GK:レフ・ヤシン DF:カフー、フランツ・ベッケンバウアー、パオロ・マルディーニ MF:ローター・マテウス、チャビ・エルナンデス MF:ペレ、ディエゴ・マラドーナ FW:リオネル・メッシ、ロナウド、クリスティアーノ・ロナウド 2020.12.15 10:40 Tue
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“笑顔”が似合う稀代の天才、記録以上に記憶に残るロナウジーニョ

サッカー界にはこれまでも数々の天才と呼ばれる選手は存在した。 大半はその国を代表する選手であり、引退後もレジェンドとして大きく扱われ、事あるごとに駆り出されることが多い。もちろん、タイトルも獲得し、名実ともに世界的に名の知れた選手たちだ。 テクニックのある選手、多くのゴールを決めた選手、タイトルを数多く獲った選手など様々。中には、スタジアムや大会に名を残す人もいる。 数いる天才の中、最もサッカーを楽しみ、最も楽しませてくれた男と言っても過言ではないのがロナウジーニョだ。 <span class="paragraph-title">◆“笑顔”が似合う天才</span> ロナウジーニョの名前を聞いてまず最初に思い浮かべるのは何か。素晴らしいテクニック、あっと驚くパフォーマンス…どれも間違ってはいないが、やはりあの“笑顔”だろう。 ロナウジーニョ以上にタイトルを獲った選手も、ロナウジーニョ以上に功績を残した選手も多くいる中、あの笑顔でプレーを続けた選手はいない。誰よりもサッカーを楽しみ、それがどんな場面であっても崩れることはない。まるで遊んでいるかのようなプレースタイルは、一気にファンを虜にした。 その笑顔には歴代のレジェンドたちも称賛の言葉を残しておりミシェル・プラティニ氏は「あの笑顔でみんなを引きつける」と評価すると、最大のライバルであるアルゼンチンのレジェンドであるディエゴ・マラドーナ氏も「楽しそうにプレーし、その喜びをピッチにもたらしている」と称賛したほどだ。 そのロナウジーニョはブラジルのグレミオでキャリアをスタート。2001年にパリ・サンジェルマン(PSG)に引き抜かれヨーロッパへと渡る。 当時のPSGは今のクラブとは違い、多くの資金をバックに選手を獲得していたわけではなかった。それでも、その才能には多くのクラブが注目しており、アーセナルもPSGより前に目をつけていた。しかし、イギリスの労働許可証が取得できずに断念していた過去もある。 自身初のヨーロッパ挑戦となったロナウジーニョ。テクニックの高さはあるものの、激しいプレースタイルのフランスで当初は苦しむ。 しかし、徐々にサッカーに慣れると、得点を奪うようになる一方で、ブラジル人に有りがちなピッチ外での問題で監督との仲も怪しくなった。 <span class="paragraph-title">◆キャリアを変えたバルセロナへの移籍</span> 2003-04シーズンにバルセロナへと加入したロナウジーニョ。この移籍がキャリアを大きく変えることとなる。 バルセロナが当初狙っていたのはマンチェスター・ユナイテッドのイングランド代表MFデイビッド・ベッカムだったが、宿敵レアル・マドリーへの移籍が決定してしまう。そこで、バルセロナはユナイテッドが狙っていたロナウジーニョに手を出し、獲得に成功する。 バルセロナ加入当初もケガなどで苦しんだロナウジーニョだが、ここでも慣れると才能を発揮。高いテクニックを生かしたプレーや、緩急をつけたドリブル、ボディフェイントを駆使した突破など、対峙するディフェンダーを翻弄させ続けた。 現在バルセロナのエースであるアルゼンチン代表FWリオネル・メッシのキャリアスタート時にも共にプレー。メッシの凄さは説明するまでもないが、そのメッシを上回るほどの存在感を見せていたのはロナウジーニョだった。 バルセロナではラ・リーガで2度、チャンピオンズリーグで1度と数多くのタイトルを獲得したわけではない。しかし、印象に残るプレー、印象に残るゴールは数々残しており、バルセロナで大きな成功を収めている印象が強いはずだ。 その後はミランやフラメンゴ、アトレチコ・ミネイロ、ケレタロ、フルミネンセと渡り歩き、現役を引退している。 <span class="paragraph-title">◆記録よりも記憶に残る天才</span> ロナウジーニョのプレーは、挙げればキリがないほど記憶に残るスペクタクルなプレーが数多くある。 輝かしいキャリアとなったバルセロナでは、初ゴールが何よりも衝撃だった。 2003年9月3日のラ・リーガ第2節セビージャ戦。バルセロナ1点ビハインドの0-1で迎えた58分、GKビクトール・バルデスが左サイドのロナウジーニョに展開すると、ボールを受けたロナウジーニョはドリブルを開始。まずは相手MFホセ・ルイス・マルティを簡単にかわすと、追いかけてきたMFハビエル・カスケーロもフェイントでいなす。そして、スピードに乗ったロナウジーニョはゴールまでおよそ27mの位置から右足を一閃。矢のようなシュートは、相手GKアントニオ・ナタリオの手をかすめ、クロスバーを直撃してゴールに吸い込まれた。 <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJrWGVOMUc3NCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> これが、ロナジウジーニョ伝説のスタートとなるラ・リーガ初ゴール。いきなり見せつけた格好となった。 数々のドリブルスキルで翻弄されたDFもたくさんおり、多くの相手が止めるのに苦労したロナウジーニョ。本人はその試合中にも笑顔を絶やさず、常に楽しそうにプレーを続けていた。 その姿はありえない相手からの称賛を受けることにもつながる。 <span class="paragraph-title">◆ベルナベウでのスタンディングオベーション</span> それが起こったのは、2005-06シーズンの11月に行われた、レアル・マドリーとの“エル・クラシコ”だ。 前年の2004-05シーズンにはFIFA最優秀選手賞を受賞したロナウジーニョ。シーズン最初の“エル・クラシコ”で圧巻プレーを見せる。 リオネル・メッシのゴールで先制したバルセロナ。59分にロナウジーニョがまずは見せる。 ハーフウェイライン付近の左サイドからドリブルを開始したロナウジーニョは、対峙したDFセルヒオ・ラモスを簡単にかわして侵攻。そのままボックスに入り込むと、立ちはだかったDFイバン・エルゲラに対し全くスピードを落とすことなく、上半身のボディフェイントだけで何事もなかったようにエルゲラをかわしてシュート。ロベルト・カルロスが必死にブロックするも、間に合わずにゴールを奪う。 さらに、77分には、スペースがある中でロナウジーニョがパスを受けると、一気にスピードを上げてドリブル開始。再び対峙したDFセルヒオ・ラモスをあっさりかわすと、ボックス内左から冷静にシュート。2点目を奪ってみせたのだ。 <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJQZkNxdVk5YiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 圧巻の個人技で2発。若き日のセルヒオ・ラモスをいとも簡単にかわしてゴールを奪ったロナウジーニョに対し、サンティアゴ・ベルナベウに詰め掛けた8万7000人もの観客は、スタンディングオベーションでそのパフォーマンスを称えた。 永遠のライバルであるレアル・マドリーのファンにまでも、拍手をさせたロナウジーニョのプレーはこの世のものとは思えないと言えるだろう。 <span class="paragraph-title">◆ロナウジーニョらしさが凝縮した一撃</span> チームが敗れてもなおインパクトを残しているシーンもある。それがバルセロナ2シーズン目。2004-05シーズンのチャンピオンズリーグ ラウンド16のチェルシー戦でのゴールだ。 <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJHOHVITjdkSiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 2005年3月8日に行われた試合。ホームでの1stレグで2-1と先勝していたバルセロナは、準々決勝進出に向けて敵地で対戦。しかし、開始19分でまさかの3失点という衝撃の展開となる。 逆転を許しているバルセロナだったが、ロナウジーニョはPKを決めて1点差とすると、39分に衝撃のゴールを決めた。 前線にロングボールが送られるもジョン・テリーがクリア。しかし、これを拾ったアンドレス・イニエスタが横パスを出すと、ペナルティアークでロナウジーニョがパスを受ける。 すると、リカルド・カルバーリョが立ちはだかるも、ロナウジーニョは左、右とキックフェイント。動じないカルバーリョだったが、一瞬の隙を突いたロナウジーニョは突然トゥキック。狭いコースを抜けたシュートはゴール左隅に吸い込まれた。 チェルシーの守護神であり、世界でも指折りのGKだったペトル・チェフも全く反応できない完璧なゴール。まるで時を止めたかのようなシュートはロナウジーニョを語る上で外せないゴールだ。なお、試合はチェルシーが追加点を奪い、バルセロナは敗退。しかし、ロナウジーニョのゴールの衝撃が強すぎる試合となっている。 記録以上に記憶に残る数々のプレーを見せてきたロナウジーニョ。引退後は何かとお騒がせなイメージもあるが、その時でも“笑顔”は忘れない。いつだって楽しむことを忘れない稀代の天才は、この先どんな凄い選手が現れようとも、その存在が薄れることはないだろう。 <div id="cws_ad"><hr>パリ・サンジェルマンやバルセロナ、ミランなどのクラブチームで活躍し、ブラジル代表としてもワールドカップを制したロナウジーニョが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>現役時代に魅せた誰もを魅了するスーパープレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。</div> <a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://ryan.onelink.me/C7cD/f7dd12&c=sega_20210715_2" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2021/sega20210715.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> 2021.07.19 11:40 Mon
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【マラドーナの思い出②】全盛期に来日したマラドーナ

ディエゴ・マラドーナは、「死んでもマラドーナだった」と言うべきだろうか。 現役時代はスーパープレーでファンを魅了しただけでなく、数々のスキャンダルも巻き起こした。そして埋葬される際にはファンを自称する葬儀屋のアルバイトが、親指を立てたツーショット写真を撮影してSNSにアップするという、とんでもない問題を引き起こした。 <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJRQkZwNEVQayIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> さらには主治医が職務怠慢で死亡させたのではないかとの疑いから、捜査の対象になっているという。 CLを始めヨーロッパや南米のリーグでは試合前に黙祷を捧げてマラドーナの死を悼む一方、次から次にスキャンダラスな出来事が報じられる。これではマラドーナも落ち着いて永遠の眠りにつくことはできないだろう。と同時に、やはりマラドーナらしいと思わずにはいられなかった。 そんなマラドーナの全盛時代をアルゼンチン国民や南米のファンは見守り続けてきただろうが、彼らに次いでマラドーナの凄さを目の当たりにしたのが日本のファンと言っていいだろう。 1979年、日本で初めてワールドユース(現U-20W杯)が開催された。尾崎、水沼、風間、柱谷(兄)らを擁した日本は旧国立競技場でグループリーグ3試合を戦ったが、マラドーナ率いるアルゼンチンもグループリーグを大宮サッカー場(現NACK5スタジアム)で戦ったため、首都圏のファンは全試合を見ることが可能だった(ロメロ率いるパラグアイは神戸中央球技場=現ノエビアスタジアム、ルベン・パスのウルグアイは三ツ沢球技場=現ニッパツ三ツ沢)。 18歳当時のマラドーナを毎日新聞運動部の記者は「まるでゴムまりのようだ」と表現した。「しなやかでいて軽やか」に、そして弾むようにマーカーを次々と抜き去っていくプレーはまさに「ゴムまり」だった。 後年、マラドーナの自伝ビデオで10歳前後のプレーを見たが、自陣ペナルティーエリアからドリブルを始め、1人で10人を抜き、最後はGKも抜いてゴールを決めた。ボールを持ったら相手を抜くことを苦にしない少年時代だったようだ。 初めての国際大会で初優勝を飾ったマラドーナはうれしそうにトロフィーを掲げた。得点王はチームメイトのラモン・ディアス。Jリーグ元年に横浜Mでプレーし、初代得点王に輝いたFWだ。そして160センチと小柄な右ウイングのオズバルド・エスクデロは、91-92年に三菱(現浦和)でプレーし、甥のエスクデロ競飛王(せるひお)は浦和で活躍するなど日本国籍を取得し、現在は栃木SCでプレーしている。 話をマラドーナに戻すと、ゼロックス・スーパー・サッカーで3度の来日を果たしている。いまでこそFUJI XEROX SUPER CUPはJ1リーグ王者と天皇杯覇者が激突する大会として1994年にスタートして定着したが、前身となるゼロックス・スーパー・サッカーは1979年に始まり、日本代表と世界の有名クラブとの対戦が目玉だった。 第1回大会(79年)はフランツ・ベッケンバウアーやヨハン・ニースケンスらを擁したニューヨーク・コスモスで、翌80年はワシントン・ディプロマッツと北米リーグのチームが2年連続して来日したが、ディプロマッツではヨハン・クライフが初来日して日本ファンの前でプレーした。そして82年1月がボカ・ジュニアーズだった。 スペインW杯が開催される5ヶ月前であり初来日から3年後、まさに全盛期での来日だった。6月にはバルセロナへと移籍したため、この試合を見られた日本ファンはまさに僥倖と言えただろう。試合は国立競技場で2試合(1-1、1-0)、神戸中央で1試合(3-2)の計3試合を戦い、マラドーナは3ゴールを決めた。 神戸では、右からのグラウンダーのクロスに対し、ニアサイドに走り込みながらラボーナでゴールを決めた。 マークしていた都並さんによると、敵がドリブルしてきたら、いつもなら間合いを詰めつつ等間隔、同じスピードで下がりながら、味方がカバーに入る時間を稼ぐようにしていた。いわゆる「ディレイ」というプレーだ。しかしマラドーナのドリブルは通常の選手と違ってかなりのハイスピードだったため、ディレイそのものが間に合わなかったそうだ。 さらに都並さんは1対1で守る際はドリブラーの保持するボールではなく、相手の目を見て次のプレー、ドリブルのコースを予測していた。しかし「マラドーナは目線でもフェイントをかけてきた」ため逆を取られたと述懐していた。 その後マラドーナはメキシコW杯後の87年1月には南米選抜のキャプテンとして来日し(監督はビラルド)、JSL(日本リーグ)選抜と対戦。JSL選抜は西ドイツから帰国した奥寺や、まだブラジル国籍だったラモス瑠偉らがいたため日本代表よりも豪華な顔ぶれだった。 そして4度目の来日となったのが88年8月のゼロックス・スーパー・サッカーだった。ナポリでセリエA初優勝(86-87年)と得点王(87―88年)を獲得するなど、まさに絶頂期での来日だった。 チームメイトにはチロ・フェラーラ、デ・ナポリ、アレモン、カレッカなど代表クラスが揃う豪華メンバーで、日本代表とのたった1試合だけの“真夏の夜の夢"でもあった(2-0でナポリの勝利)。 マラドーナといえば、履いているサッカーシューズはワールドユース時代からプーマ一筋。そしてヒモの結び方も独特だった。足の甲で交差するヒモがシューズより表に出ないよう工夫されていた。これも微妙なボールタッチを優先するためだったのだろうか。機会があったらシューズにも注目して欲しい。 【文・六川亨】<br/>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.12.01 19:55 Tue

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「ほぼバルサの同窓会」「5人もいるのすごい」インテル・マイアミ来日パーティーに集まった豪華面々にファン興奮「これは夢ですか?」

6日、来日しているインテル・マイアミの来日記念パーティーが開催。集まった豪華メンバーに注目が集まっている。 元イングランド代表MFのデイビッド・ベッカム氏が共同オーナーを務めるメジャーリーグ・サッカー(MLS)のインテル・マイアミ。アルゼンチン代表FWリオネル・メッシをはじめ、ウルグアイ代表FWルイス・スアレス、元スペイン代表MFセルヒオ・ブスケッツ、DFジョルディ・アルバと元バルセロナの選手が多く所属している。 そのインテル・マイアミは、2024シーズンの開幕を前にプレシーズンツアーを実施。アル・ヒラル、アル・ナスルのサウジアラビア勢と戦った後、4日に香港選抜チームと対戦。7日には「Inter Miami in Tokyo 2024」にて国立競技場でヴィッセル神戸と対戦することとなっている。 6日の昼には、神戸戦に向けた記者会見も実施されていたなか、夜には来日記念パーティーが開催。「Inter Miami in Tokyo 2024」の公式X(旧ツイッター)がその様子を伝えている。 最高額は1人300万円というスペシャル・エクスペリエンス・シートのチケットを持っている一般の参加者もいる中、パーティーには、インテル・マイアミの選手だけでなく、メッシらとバルセロナでも一緒にプレーし、神戸でもプレーしていた元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタ(現エミレーツ・クラブ)や神戸の三木谷浩史代表取締役会長の姿もあった。 豪華メンバーの集まりには、ファンも「ほぼバルサの同窓会じゃん」、「これは夢ですか?」、「当時のスタメン5人が式典に居るって凄いです」、「メンツえぐすぎる」とコメント。3冠達成を果たした2014-2015シーズンなどバルセロナの黄金期の主力を担った選手たちの再会に喜びの声を寄せている。 <span class="paragraph-title">【写真】来日パーティーにバルサ黄金期のメンバーが集結!</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet" data-media-max-width="560"><p lang="ja" dir="ltr">来日パーティー、始まりました<a href="https://twitter.com/hashtag/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B7?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#メッシ</a> <a href="https://twitter.com/hashtag/%E3%83%96%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%84?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#ブスケツ</a> <a href="https://twitter.com/hashtag/%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%B9?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#スアレス</a> <a href="https://twitter.com/hashtag/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#アルバ</a> そして対戦相手の <a href="https://twitter.com/hashtag/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB%E7%A5%9E%E6%88%B8?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#ヴィッセル神戸</a> で昨年までプレーした <a href="https://twitter.com/hashtag/%E3%82%A4%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%BF?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#イニエスタ</a> と、<a href="https://twitter.com/hashtag/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#ヴィッセル</a> のオーナーである <a href="https://twitter.com/hashtag/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E8%B0%B7%E6%B5%A9%E5%8F%B2?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#三木谷浩史</a> 会長にも出席いただいております<a href="https://twitter.com/InterMiamiCF?ref_src=twsrc%5Etfw">@InterMiamiCF</a> <a href="https://twitter.com/andresiniesta8?ref_src=twsrc%5Etfw">@andresiniesta8</a> <a href="https://t.co/iDlHv7q76K">pic.twitter.com/iDlHv7q76K</a></p>&mdash; 【公式】Inter Miami in TOKYO 2024 (@IM_Tokyo2024) <a href="https://twitter.com/IM_Tokyo2024/status/1754835689357930802?ref_src=twsrc%5Etfw">February 6, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.02.07 11:05 Wed
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マジョルカ相手に前半だけでハットトリックの若きメッシがカメラに向かって決めポーズ【ハットトリック・ヒーローズ】

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【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.47 “MSN”ここにあり、2度目の3冠達成!/バルセロナ[2014-15]

1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.47</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">2014-2015シーズン/バルセロナ ~“MSN”ここにあり&3冠~</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/2014-15barca.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:ルイス・エンリケ 獲得タイトル:リーガエスパニョーラ、コパ・デル・レイ、チャンピオンズリーグ 攻撃力10:★★★★★★★★★★ 守備力9:★★★★★★★★★☆ タレント10:★★★★★★★★★ 連係9:★★★★★★★★★☆ 選手層9:★★★★★★★★★☆ </p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">バルサ復活を遂げる3冠</div> 2013-14シーズンに指揮を執ったヘラルド・マルティーノ監督の下では、リーガエスパニョーラ2位、コパ・デル・レイ準優勝、チャンピオンズリーグベスト8と無冠に終わっていた。これはフランク・ライカールト監督が率いていた2007-08シーズン以来の出来事であり、タイトル獲得に慣れてきたチームとしては、屈辱のシーズンでもあった。 このシーズンは、前年の王者であるアトレティコ・マドリーがつまづく中、レアル・マドリーとの一騎打ちのシーズンとなった。両者の差を分けたのはアウェイゲームの戦績。シーズン終了時の勝ち点差は「2」であり、優勝争いは第37節まで続いていた。 シーズン序盤はバルセロナ、バレンシア、セビージャがリーグを牽引。一方でマドリーは開幕5試合で2敗を喫するなど、躓いたスタートとなる。そのままバルセロナが首位をキープしていく中、迎えた第9節のクラシコでマドリーが3-1と快勝。バルセロナにとってリーグ初黒星となり、ここから調子を落とす。続くセルタ戦でも敗れ連敗を喫すると、マドリーが首位に浮上。ここからはマドリーが常にリードしたまま終盤に入る。 迎えた第26節でバルセロナが首位に返り咲くと、そのまま首位を守りきり2シーズンぶりのリーグ優勝。コパ・デル・レイでもアスレティック・ビルバオを決勝で下し、国内2冠を達成する。 チャンピオンズリーグでは、史上初の快挙が。グループステージではアヤックス、パリ・サンジェルマン、APOELと各国リーグの王者と同居。決勝トーナメントでは、マンチェスター・シティ、パリ・サンジェルマン、バイエルンとこれまた各国王者と対戦。決勝まで勝ち上がると、待ち受けていたのはイタリア王者のユベントスだった。決勝でも王者を倒したバルセロナが、史上初となる各国王者を全て下しての優勝。また、史上初の2度目の3冠達成を果たし、無冠から見事に返り咲いた。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">“MSN”が誕生</div> クラブOBであるルイス・エンリケを監督に迎え、ジョゼップ・マリア・バルトメウ会長としても正式に会長職についた1年目。夏の移籍市場では、落ち目であったセスク・ファブレガス、アレクシス・サンチェスを放出し、当時のクラブ市場最高額でウルグアイ代表FWルイス・スアレスを獲得。これが後に大当たりの補強となる。また、マルク=アンドレ・テア・シュテーゲンやイバン・ラキティッチなど補強に動いた。 リオネル・メッシ、ネイマールに加え、リバプールから加入したスアレスの影響で攻撃力が増大。3人はそれぞれ、58ゴール(メッシ)、39ゴール(ネイマール)、25ゴール(スアレス)を記録し、公式戦合計122ゴールを記録。スペインサッカー史上最多ゴールの3トップとなり、3人の頭文字をとって“MSN"と名付けられた。 攻撃陣の破壊力に目がいってしまいがちだが、守備陣もかなり強固だったことを忘れてはいけない。リーガエスパニョーラでは、シーズンで21失点とリーグ最少。チャンピオンズリーグでも決勝までの13試合を戦い11失点と堅い守備をみせ、見事にタイトルを獲得している。 また、このシーズンから加入したテア・シュテーゲンとクラウディオ・ブラーボの両守護神をルイス・エンリケ監督は完全分業制に。テア・シュテーゲンはカップ戦で、ブラーボはリーグ戦で起用し、それぞれの活躍で全タイトルを獲得したことも注目すべきポイントとなった。 なお、チームの生え抜き選手であり、このシーズンもチームを支え続けたチャビ・エルナンデスがシーズン終了後に対談。カタールのアル・サッドへと活躍の場を移している。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">FW:リオネル・メッシ(27)</span> このシーズンのバルセロナを語る上では、この3人を外すことはできない。どの1人が欠けていても、3冠は達成できなかったと言えるだろう。しかし、その中でも“MSN”を機能させたのはメッシ以外にはあり得ない。 このシーズンから加わった「S」ことスアレスは、ブラジル・ワールドカップでの噛みつき事件の影響でシーズン序盤が出場停止に。出場機会を得ても、メッシとネイマールのコンビネーションにどことなく遠慮気味であった。一方の「N」ことネイマールは、バルセロナで2シーズン目のシーズンを過ごしていた。チームのスタイルに慣れ、ゴール数も増加。その多くを助けたのはメッシだった。 そもそも、メッシはスアレスの加入にも影響を与えている。ワールドクラスのFWを獲得してほしいという要望に対し、クラブが獲得したのがスアレス。アルゼンチン代表のチームメイトであるセルヒオ・アグエロが第一希望だったとのことだが、スアレスという相棒は今となっては欠かせない存在だ。 シーズン中にはルイス・エンリケ監督との確執も明るみに出たものの、シーズン後半戦で21試合28ゴールという驚異的なペースでゴールを記録。また、3トップの並びもスアレスに中央を譲ること、そしてスアレスへのアシストを増やすことで、チームに3つのタイトルをもたらせた。 2019.04.28 12:10 Sun

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