ボスニア・H代表のプロシネツキ監督が敗戦後に辞任を発表《ユーロ2020予選》
2019.09.09 11:40 Mon
ボスニア・ヘルツェゴビナ代表で指揮を執るロベルト・プロシネツキ監督が、辞任を発表した。フランス『レキップ』など複数のメディアが報じた。
ボスニア・ヘルツェゴビナは8日、ユーロ2020予選でアルメニアと対戦。しかし、ヘンリク・ムヒタリアンのが2ゴールの活躍を見せるなど、4-2でアルメニアが勝利していた。
この結果、イタリア代表やフィンランド代表などが同居するグループJでは勝ち点差(2勝1分け3敗)の4位にボスニア・ヘルツェゴビナは位置。ユーロ2020出場へ厳しい状況となり、プロシネツキ監督は辞任を発表した。
「私は成功していない。辞任し、他の誰かにチャンスを与えたい」
プロシネツキ監督は、現役時代にディナモ・ザグレブやツルヴェナ・ズヴェズダ、レアル・マドリー、バルセロナ、セビージャなどでプレー。クロアチア代表としても1998年のフランス・ワールドカップで日本代表とも対戦し、3位躍進に貢献するなど、輝かしい実績を残していた。
ボスニア・ヘルツェゴビナは8日、ユーロ2020予選でアルメニアと対戦。しかし、ヘンリク・ムヒタリアンのが2ゴールの活躍を見せるなど、4-2でアルメニアが勝利していた。
この結果、イタリア代表やフィンランド代表などが同居するグループJでは勝ち点差(2勝1分け3敗)の4位にボスニア・ヘルツェゴビナは位置。ユーロ2020出場へ厳しい状況となり、プロシネツキ監督は辞任を発表した。
プロシネツキ監督は、現役時代にディナモ・ザグレブやツルヴェナ・ズヴェズダ、レアル・マドリー、バルセロナ、セビージャなどでプレー。クロアチア代表としても1998年のフランス・ワールドカップで日本代表とも対戦し、3位躍進に貢献するなど、輝かしい実績を残していた。
2004年7月に現役を引退した後は、古巣のツルヴェナ・ズヴェズダやカイセリシュポル(トルコ)、アゼルバイジャン代表の監督を務め、2018年1月にボスニア・ヘルツェゴビナ代表監督に就任していた。
ロベルト・プロシネツキの関連記事
ボスニア・ヘルツェゴビナの関連記事
ユーロの関連記事
|
|
ボスニア・ヘルツェゴビナの人気記事ランキング
1
5日後には誕生日…古巣の会長がオシム氏の死を悼む「最も偉大な人物の1人」「サッカーをはるかに超えた影響力を持つ」
1日に急逝した元日本代表監督のイビチャ・オシム氏。かつて指揮を執ったシュトゥルム・グラーツが急逝を伝えた。 現在のボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで生まれたオシム氏は、現役時代はユーゴスラビアやフランスでプレー。ユーゴスラビア代表としても活躍した。 引退後は指導者の道を歩み、古巣のジェリェズニチャルでコーチとして指導者の道をスタート。その後は、ファーストチームの監督や、ユーゴスラビア代表監督にも就任した。 1990年のイタリア・ワールドカップ(W杯)ではユーゴスラビア代表を率いてベスト8に進出。ドラガン・ストイコビッチやデヤン・サビチェビッチら有望な選手を抱えていた。 しかし、その後にユーゴスラビアが分裂。ギリシャのパナシナイコスやオーストリアのシュトゥルム・グラーツの監督を務めると、その後はジェフユナイテッド市原の監督に就任。その後、日本代表を指揮したものの、脳梗塞で倒れ、その後は指揮を執っていなかった。 オシム氏は5月6日に81歳の誕生日を迎えるところ。クラブも今年のお祝いを考えていたところ、急逝が伝えられたという。 シュトゥルム・グラーツのクリスティアン・ヤウク会長が、オシム氏の死を偲んだ。 「世紀の監督が、ちょうどクラブの創設日に亡くなった。イビチャ・オシムは偉大な監督であるだけでなく、私が出会うことができた最も偉大な人物の1人である」 「彼は我々のクラブの最大のアイコンであり、一緒に過ごした多くの時間を決して忘れることはないだろう」 「彼はサッカーをはるかに超えた影響力を持ち、その言葉は永遠に我々の心に響くことでしょう」 「シュトゥルムのファミリーは、我々の中に生きていた最も重要な人物の1人を失いました」 「奥様、お子様、ご家族の皆様に、深くお悔やみ申し上げます。安らかにお眠りください」 2022.05.02 05:28 Mon2
