ローマ退団のトッティ、盟友デ・ロッシについて言及 「私の二の舞にしたくなかった」

2019.06.17 23:50 Mon
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ローマのディレクター職を務める元イタリア代表FWのフランチェスコ・トッティ氏(42)が17日、在籍30年間を過ごしたローマ退団を公式会見の場で明かした。
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今回の公式会見の場で愛する後輩で盟友の元イタリア代表MFダニエレ・デ・ロッシに関する質問を受けたトッティ氏は、自身が同選手の去就に関する決定に関わっていなかったことを明かした。



「私がデ・ロッシの(契約非更新)決定に関わることは一度もなかった。昨年9月に何人かの取締役と話し合ったことは確かだ。そのときにこれが彼にとってラストシーズンになるのならば、すぐに伝えるべきだと助言していた。私の引退のときのような形にすべきではないとね」「彼はローマのカピターノだ。リスペクトされるべきなんだ。私はそのことを周りに伝えた。彼はケガを負っていたし、その状態を含めて多くのことを評価しなければならなかったことは理解できるし、チームとして結果も出ていなかった。さらに、ディ・フランチェスコとモンチの退団が状況をより複雑なものにした」
「トリゴリアが抱える問題は彼らが適切な時期にきっちりと決断を下すことなんだ。多くの人たちが決断を下すことを恐れている。だから、決定権は10人ではなく1人の人間が持つべきだ」

「私はあの時期にクラブの幹部としてではなく、1人の友人としてダニエレと話していた。彼に対しては今後を見通すことが大事だと伝えていた。ローマの幹部としてハッキリとしたことを言えなかったし、友人としてできることは今後に問題が生じる可能性があることを助言することだけだった」
「しかし、結局、ダニエレに関して私と同じような問題が起きてしまった。個人的な見解としては、彼らはローマからローマ人を排除することを望んでいると感じている」

また、トッティ氏は自身と同じく退団が決定したデ・ロッシと共に来シーズンのローマの試合を、1人のロマニスタとしてクルヴァ・スッド(ホームゴール裏)で観戦したい考えであることを明かしている。

「個人的に来シーズン、いくつかの試合を観戦しに行くことになると思う。私はロマニスタだからね」

「彼が他の(セリエA所属)クラブでプレーしない限り、ダニエレ・デ・ロッシと一緒にクルヴァ・スッドで観戦することもできるかもしれない。ただ、その場合はカツラ(変装)が必要になるね。でなければ、落ち着いて試合を見ることができなくなりそうだからね」

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ラニエリ監督の下で復活のローマ、DFアンへリーニョは指揮官続投を希望「僕たちはみんな監督を愛している」

ローマのスペイン人DFアンへリーニョがクラウディオ・ラニエリ監督の続投を希望しているようだ。 今シーズンは開幕から調子が上がらず、ダニエレ・デ・ロッシ、イバン・ユリッチと2人の指揮官を相次いで解任してきたローマ。大混乱に陥ったチームは監督業引退を表明していたラニエリ監督に助けを求め、古巣からのオファーに“老将”は指揮官復帰を決断した。 就任直後は苦戦が続いたが、2025年は宿敵ラツィオとのデルビー勝利を皮切りに9勝2分けと圧巻の戦績。低迷していた状況から一気に欧州カップ出場権争いができるところまで復調させ、チームに自信を取り戻させている。 そんなローマの主力として、公式戦42試合4ゴール6アシストの成績を残すアンへリーニョも、イタリア『スカイ・スポーツ』にて指揮官への感謝を表明。現在の充実ぶりはラニエリ監督のおかげだとして、今季限りでの退任を表明している指揮官の続投を願った。 「これはチームのおかげであり、僕だけの功績ではない。ラニエリ監督はいつも僕を最高のコンディションでプレーさせてくれるんだ。そして僕は今、自分の特性により適した役割でプレーしていると思う」 「彼の自信とチームのパフォーマンスが、今は違いを生んでいると思う。僕はローマで本当に幸せだし、この道を歩み続けたいね。今は僕のキャリアで最高の時期を迎えていて、ここに長く留まりたい」 「僕たちはみんな監督を愛している。彼は僕たちのため素晴らしいことをしてくれたよ。彼が残ってくれればチームは幸せだ」 「マンチェスター・シティにいたとき、ペップ・グアルディオラをトレーニングで見ることはあまりなかったけど、それでもチームの中で彼の働きが感じられていた。クラブを変えるとよりそれを実感するし、彼からも何かを学べる」 「イタリアでは守備が基本になる。どのチームも戦術的によく準備されていて、得点のチャンスを作るのは難しいね。そしてその面においても、僕は本当に成長したと感じている」 2025.03.25 11:05 Tue
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「チームは再び団結した」ローマの立て直しに成功した“老将”ラニエリ、自身の今後の去就については「引退が正しい選択だ!」

ローマを立て直したクラウディオ・ラニエリ監督が、ここまでの成果を喜びつつ自身の去就にも言及した。 ラニエリ監督は、昨年11月にローマの指揮官に就任。昨夏に監督業からの引退を表明していたが、ダニエレ・デ・ロッシ、イバン・ユリッチと2人の指揮官を相次いで解任し、大混乱に陥っていた愛するローマからのオファーを受け、指揮官復帰を決断した。 就任直後は苦戦が続いたが、そこから流石の手腕でチームを立て直し始めると、12月のセリエA第17節パルマ戦で5-0の大勝を収めてからはセリエA13戦無敗(10勝3分け)に。2025年は宿敵ラツィオとのデルビー勝利を皮切りに9勝2分けと圧巻の戦績を残しており、低迷していたチームを一気に欧州カップ出場権争いができるところまで押し上げた。 シーズン前半戦、クラブへの不満を爆発させていたファンからも、厚い信頼を受けるラニエリ監督。来シーズンも引き続き指揮を執る姿が期待されるが、本人は今シーズン限りでの退任を明言している。 そんな中、イタリア『スカイ・スポーツ』のインタビューに応じた73歳の老将は、ここまでの手応えについて言及。元々自信さえ与えれば、クオリティは備えているチームだったことを強調している。 「私は仕事や選手たちに対して、常にポジティブな人間だと思う。だから、これはそれほど驚くことではないんだ。私が着任したとき、自信を少し失っていた強いチームがそこにあった」 「私はただ彼らを団結させ、自信を与え、彼らが得るべきものを与えようとしたんだ。そしてチームは再び団結し、多くのことを成し遂げてくれている。この先は素晴らしい、しかし一方で難しい部分がやってくるだろう」 「それでも、私はこれまでと同じように楽しくて楽観的なアプローチを続けていく。そして、ファンがこのチームを好きになってくれるよう努めなければならない」 また、最後に今後も監督業を続けるかとの質問を受けたラニエリ監督は、「いや、いや、いや、引退が正しい選択だ!」と断言しており、意思は変わらない姿勢を示した。 2025.03.19 13:05 Wed
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ルカク、北中米W杯終了後に古巣アンデレヒトに復帰か…ユーロ2024前に願望を語る

ナポリのベルギー代表FWロメル・ルカク(31)が将来的に古巣のアンデレヒトでへの復帰を望んでいるようだ。ベルギー『La Dernière Heure』が報じている。 これまでチェルシーやマンチェスター・ユナイテッド、インテル、ローマと欧州のビッグクラブを渡り歩いてきたルカクは、2024年の夏にインテル時代の恩師アントニオ・コンテ監督の就任したナポリに加入。 ナポリ加入後は、移籍後初戦となった第3節のパルマ戦でいきなりゴールを記録すると、セリエA28試合に先発出場し11ゴール8アシストと躍動。インテルとスクデット争いを繰り広げるチームの攻撃をけん引している。 2027年までナポリとの契約を残すルカクだが、2026年夏に開催される北中米ワールドカップ(W杯)後にはプロデビューの飾った古巣アンデレヒトに復帰することを希望しており、ユーロ2024前に収録されたポッドキャストでは以下のように願望を語った。 「僕は18歳の時にベルギーを離れ、母やまだ小さかった子供たちと離れてしまったんだ。いずれはアンデルレヒトに戻りたいかと問われれば、もちろん戻りたい。それは、みんなが思っているよりもずっと早く実現するだろうね」 2025.04.04 19:30 Fri

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