マルディーニ氏、9年ぶりの古巣復帰の理由は「ミラン愛。プロジェクトにも納得」
2018.08.07 18:08 Tue
ミランのレジェンドであるパオロ・マルディーニ氏が幹部として9年ぶりに古巣に復帰した。6日、ミラン本部のあるカーザ・ミランでお披露目会見に出席し、意気込みを語っている。
新生ミランにおいて、スポーツ部門の戦略開発ディレクター務めることになったマルディーニ氏は、オファーを承諾した理由を述べた。また過去には、前体制からも同様の提案を受けていたことを明らかにしている。
「復帰の根底には、ミラン愛がある。サッカー界において選択肢があるとすれば、私にとってはミランもしくはイタリア代表だけだ。これまで話を聞く前に断りを入れたことは一度もない。以前はバルバラ・ベルルスコーニとの話し合いに応じていたが、適切な役割が見つからなかった。それから中国資本とも話をした。今回、新オーナーと話をして、プロジェクトに納得できた。とても嬉しく思っている。レオ(テクニカルディレクターのレオナルド氏)とは友人であり、これまで多くのことを共有してきた。もちろん彼と特徴は違うが新たな経験を積むにあたり、お互いで補い合っていきたい」
■名門ミランの復活を願うマルディーニ氏また役職について、自身で説明をつけ加えた上で、責任の重さを実感している。
「下部組織やトップチーム、それにメルカート、さらに監督との橋渡しも務める。レオが行うことは、私も担当し、スポーツ部門全体で共有する。自分がかつて成長し、夢を実現した古巣へ戻ることは素晴らしいが、任務の重みを感じている。(引退した)2009年から技術や戦術面で大きな変化はないと思う。チームは2年連続で6位に終わっているが、改善できるよう努めたい。まずチームへの帰属意識、忠誠心を植え直し、共通の目標のために戦っていくことを確認したい。メディアに対する選手の対応も完全に変えていく方針だ」
さらにミラン指揮官を務める元同僚のジェンナーロ・ガットゥーゾともすでに挨拶を交わしたことを明かしている。
「挨拶はしたし、まもなく会うつもりだ。彼は全く、落ち着いていることができない。前より酷くなったよ(笑)。我々が彼を落ち着かせないとね。続投には疑問の余地はなかった。これから話をして、どんな要望があるのか聞いていきたい」
提供:goal.com
新生ミランにおいて、スポーツ部門の戦略開発ディレクター務めることになったマルディーニ氏は、オファーを承諾した理由を述べた。また過去には、前体制からも同様の提案を受けていたことを明らかにしている。
「復帰の根底には、ミラン愛がある。サッカー界において選択肢があるとすれば、私にとってはミランもしくはイタリア代表だけだ。これまで話を聞く前に断りを入れたことは一度もない。以前はバルバラ・ベルルスコーニとの話し合いに応じていたが、適切な役割が見つからなかった。それから中国資本とも話をした。今回、新オーナーと話をして、プロジェクトに納得できた。とても嬉しく思っている。レオ(テクニカルディレクターのレオナルド氏)とは友人であり、これまで多くのことを共有してきた。もちろん彼と特徴は違うが新たな経験を積むにあたり、お互いで補い合っていきたい」
■名門ミランの復活を願うマルディーニ氏また役職について、自身で説明をつけ加えた上で、責任の重さを実感している。
「下部組織やトップチーム、それにメルカート、さらに監督との橋渡しも務める。レオが行うことは、私も担当し、スポーツ部門全体で共有する。自分がかつて成長し、夢を実現した古巣へ戻ることは素晴らしいが、任務の重みを感じている。(引退した)2009年から技術や戦術面で大きな変化はないと思う。チームは2年連続で6位に終わっているが、改善できるよう努めたい。まずチームへの帰属意識、忠誠心を植え直し、共通の目標のために戦っていくことを確認したい。メディアに対する選手の対応も完全に変えていく方針だ」
さらにミラン指揮官を務める元同僚のジェンナーロ・ガットゥーゾともすでに挨拶を交わしたことを明かしている。
「挨拶はしたし、まもなく会うつもりだ。彼は全く、落ち着いていることができない。前より酷くなったよ(笑)。我々が彼を落ち着かせないとね。続投には疑問の余地はなかった。これから話をして、どんな要望があるのか聞いていきたい」
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ラファエル・レオンとスポルティングの問題が進展…契約不当解除の補償金支払いはリールが請け負うことに
ポルトガル代表FWラファエル・レオンとスポルティング・リスボンの、2018年夏の契約解除をめぐる問題に進展があったようだ。ポルトガル『レコルド』が報じている。 2018年5月、当時同選手が所属していたスポルティングの練習中に、マスクとフードを被った50人ほどの集団に襲われる事件が起きた。練習中の選手やスタッフに暴行を加え、ロッカールーム等の施設や用具を破壊するなど非道の限りを尽くし、FWバス・ドストは首を縫うケガを負っていた。 DFマルコス・アクーニャとMFロドリゴ・バタグリアには殺人予告があったとも言われ、さらにその事件を扇動したのが、当時のクラブ会長ブルーノ・デ・カルバーリョ氏だったことが判明し大きな話題に。レオンを含めて9人の選手がこの事件を理由にクラブとの契約を解除し、他クラブへ移籍することになった。 しかしスポルティングは、その契約解除が不当なものであると主張し、レオンに損害賠償を請求。国際サッカー連盟(FIFA)は当初「容認できない」とその申し出を跳ね返していたが、スポーツ仲裁裁判所(CAS)はポルトガル代表FWに1650万ユーロ(当時約19億5000万円)の補償金の支払いを命じた。 そしてこの度、この一件に進展があった。補償金の支払いは覆らなかったものの、2018年夏にレオンの移籍先となったリールが、連帯保証人として支払いの責任を負うことになった。『レコルド』によれば、レオンとリールが契約した際に連帯責任を負う旨の条項が含まれていたようで、今回はそれが効果を発揮した形となった。 ただ、最終的な補償額に関してはFIFAを仲介役とした話し合いで決められるとのことで、さらには支払いの取り消しを求めて最高裁判所に上訴される予定となっているようだ。 2022.02.22 14:23 Tue5