RB大宮株式会社の役員体制が発表! 佐野秀彦社長&原博実フットボール本部長は留任、本部から2人が役員に就任

2024.10.01 17:10 Tue
©超ワールドサッカー
大宮アルディージャは1日、「RB(アールビー)大宮株式会社」の役員体制について発表した。

大宮は8月6日、大宮アルディージャおよび大宮アルディージャVENTUSを運営するエヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社が発行する全株式(100%)を、オーストリアのレッドブル・ゲーエムベーハーと東日本電信電話株式会社が株式譲渡契約を締結したことを発表した。

9月24日には、株式譲渡の目処が立ち、新会社は「RB大宮株式会社」となることが発表されていた中、10月1日を迎え、新体制がスタートした。
代表取締役社長はエヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社の社長を務めていた、佐野秀彦氏が留任。代表取締役 兼 フットボール本部長に原博実氏が就任した。

また、非常勤の代表取締役には、ミヒャエル・バッヒンガー氏が就任。バッヒンガー氏は、『レッドブル』のCFO(最高財務責任者)を務めている人物で、財務戦略の立案、執行を行う責任者でもある。
監査役には非常勤でマルクス・トゥルネル氏が就任した。

レッドブルは株式譲渡にあたりコミットメントを発表。「ホームタウン・さいたま市で引き続き活動を継続する」こと。さらに、「これまでクラブがステークホルダーと育んできたチーム名やクラブカラーなどをリスペクトし、クラブが積み重ねてきた26年の歴史をベースに積極的に新たな挑戦を行っていくことで「継続と発展」を示し、クラブ理念の実現と成長循環型クラブとしての取り組みをより加速させて行く」としていた。

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レッドブルに株式譲渡の大宮アルディージャ、10月1日に社名が「RB大宮株式会社」に変更

大宮アルディージャは24日、株式譲渡に伴い社名が変更することを発表した。 大宮は8月6日、大宮アルディージャおよび大宮アルディージャVENTUSを運営するエヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社が発行する全株式(100%)を、オーストリアのレッドブル・ゲーエムベーハーと東日本電信電話株式会社が株式譲渡契約を締結したことを発表した。 大宮は埼玉県さいたま市をホームタウンとするプロサッカークラブで、前身は1969年に結成された「電電埼玉サッカーチーム」。その後「電電関東サッカー部」「NTT関東サッカー部」とチーム名を変更し、1998年に大宮アルディージャとなっていた。 26年目となるシーズンは、クラブ史上初となるJ3を戦っている中、チームは首位を独走中。1年でのJ2復帰に邁進している中、クラブの譲渡が決定。9月中に株式が譲渡されると発表されていた。 そんな中24日、クラブは9月中に株式譲渡に関して、諸手続きが完了すると発表。10月1日付で、「エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社」から「RB(アールビー)大宮株式会社」に社名が変更すると発表した。 なお、チーム名やクラブカラーに関しては、リスペクトしていくと既に発表されており、現時点でどう変化するのかは未定となっている。 2024.09.24 15:47 Tue

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